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戦没者遺骨収集事業~海自艦艇による遺骨帰還

2014-10-05 | 日本のこと

大東亜戦争において、海外で戦没した日本人は240万人に上ります。
そのうち未帰還の遺骨は約113万柱。

113万人もの日本人が故国に骨を埋めることも出来ず、
無念のままに戦後の永きを費やしてきたということになりますが、
この間も厚生労働省の管轄で、継続した遺骨収集が行われてはいました。


ところで、以前にも書いたことがありますが、あるNPO団体が、
フィリピンでの遺骨収集において、現地人に対価を払って集めさせたため、
その結果フィリピン人の墓が暴かれ、骨が盗まれるという事件が起こりました。

ルソン島のある小さな村で、遺骨が盗まれるという事態が続発し、
隣村の連中が骨を掘り出しているという話があったので、隣村の村長を問いただすと、

『盗んではいないが、掘り出した骨はすべて日本のグループに渡した』
と答えたというのです。

いや、それを盗んだというのではないか?

というツッコミはさておき、フィリピン人にも言い分がありました。
日本人が遺骨を探していて、持っていったらお金をくれると知った
あるフィリピン人が、戦中の遺骨があると祖父から聞かされて知っていた
洞窟に彼らを案内しました。

ここにはフィリピン人の骨も混じっていると聞いていたので 

「 全てが日本人のものかどうかわからない」

 といったのにもかかわらず、日本人たちはお構いなくそれを集め、

男性に5万円(彼の年収の半分に相当する大金)を渡したというのです。

もともと政府は戦友会などから戦争体験者を現地に派遣して
収集を行っていたのですが、彼らの高齢化とともに同行が困難になり、
さらには、次第に見つけ出される遺骨が減少したことを受け、
民間の団体に「丸投げ」する形で依託を始めました。

その団体の一つが、現地のフィリピン人に報奨金を出して
遺骨を集めさせるという「鵜飼い」の手法を取ったため、
このような事件に発展してしまったというわけです。

ダイアモンドオンラインの記事によると、このときに
この団体が政府から受け取った委託費は、4700万円に上ったそうです。


ミンドロ島ではこんなことも起こりました。
ここで戦死した日本軍の将兵は400人単位といわれていますが、
ここでこの団体が集めた遺骨は数千にも及びました。

団体はフィリピン人に「これは日本人の骨である」と宣誓書を書かせ、
しかも形だけ鑑定させて「間違いはない」としてしまうのです。
死んだ数よりたくさん骨が集まっても当然のことでしょう。

鑑定というのも、骨のかけらを「見て」人種を鑑定することは不可能です。


しかし、この民間団体はむしろこれに対して開き直り、

「こんな方法でも国がやらないんだから仕方ないじゃないか」

と取材記者に対して言い放ったそうです。
さらに政府側の対応はというと、厚労省の担当者はそのことを知っており、
しかしながら取材に対しては、

「 改めるべきところは改善をしていきたいと思いますけど、
いま、時間が非常に短い話なので具体的に何をするのか、
どうするのかということを言われも、すぐに右です、左です、
という形での回答は申しかねますので」

という見事なお役所答弁に終始し・・・・・、
つまり、政府は民間団体の、民間団体はフィリピン人のせいにして
責任のなすり付け合いをしているという状態になってしまっているのです。



ところでジャーナリストの野口健氏は、
産經新聞への寄稿でこう述べています。

戦没者の遺骨収集活動に携わって約10年。
痛感させられたのは遺骨収集に対し国の姿勢が消極的であること。
厚労省の遺骨収集は昭和48(1973)年頃に事実上の打ち切りとなった。
海外戦没者の約半数である113万人のご遺骨がいまだ帰還していないにもかかわらず。
それ以降は民間団体からの情報が入れば収集に行くという
民間任せのスタンスが目立つ。

では、アメリカはどうか。
硫黄島で米軍側の戦死者は約7千人。
その1人が行方不明のままであり、その1人を必ず見つける
アメリカは多数の調査員を硫黄島に派遣し捜索活動を続けている。

また、諸外国は遺骨の身元確認のために積極的にDNA鑑定を行ってきた。
驚いたことに2007年、オーストラリア陸軍は
第一次世界大戦中にベルギーで戦死した自国兵士の身元を割り出した。

映画「硫黄島からの手紙」で監督のクリント・イーストウッド氏が驚いたのは
日本人の出演者で硫黄島の戦いについて詳しく知っている者が
一人もいなかったことだ。

(註:それどころか主要軍人役の一人は在日朝鮮人俳優だった) 

「2万人近い命を失っておきながらそのことに全く関心がない。
アメリカでは考えられないことだ」と。
無関心なのは国や役者だけではない。日本中がそうなのだ。

麻生内閣の時、石破茂氏(現地方創生相)に
「どうしてこの国は祖国のために戦い亡くなった方々に冷たいのですか」
と嘆いたことがある。
 
目をつぶり、じっと僕の話に耳を傾けていた石破氏は
「遺骨収集が国家の責務になっていない。
国家の責務としなければ予算も人員も増やせないし、
国の責任で帰すのだという責任感も生まれてこない。まずは議員立法で何とかする」。
その直後、自民党は下野。ガックリさせられた。
あれから5年。今年に入り新聞に大きく
「自民党、遺骨収集を『国の責務』と明記する議員立法を秋の臨時国会に提出する」
と報じられたではないか。

国のために命をなげうった人を国の責任で帰すのは当然であり
国家としてのプライドの問題だ。
そういう決意があるかどうか今まさに試されようとしている。



安倍晋三政権は遺骨の帰還に力を入れており、自民党は今国会で
関係省庁の連携強化などを定めた法案の準備を進めています。



ところで、この春の海上自衛隊練習艦隊出港式に先立って行われた
艦上レセプションの席上、わたしはジャーナリストの笹幸恵氏と
お話をさせていただきました。

笹氏は、靖国神社崇敬奉賛会の講座で(わたし的には)おなじみでしたが、

直接お話ししたのは初めてです。
ちなみに、先日表敬訪問した呉地方総監である海将は

「僕が広報のときに彼女を紹介して練習艦隊の取材をしてもらったんですよ」

とおっしゃっていました。(ここでもご縁が・・)

氏は遺骨収集をテーマに行動するとともに執筆・周知活動をしており、わたしが


「硫黄島で今も自衛隊が使っている滑走路の下には遺骨がたくさん眠っている」


ということを初めて知ったのも、氏が進行役で参加していたセミナーでした。


滑走路下の遺骨については、2013年で終了する予定の
戦没者遺骨収集事業の集中期間を5年間延長し、
2018年までとすることを、安倍内閣は先頃決定しています。


その笹氏が参加する、ガダルカナルの遺骨収集事業が
その決定とほぼ日を同じくして終了しました。
JYMA(日本製年遺骨収集団)からも何人か参加し、
HPにはその報告が載せられています。


これらを、わたしも最近ある方から教えて頂いて知ったのですが、
あらためて調べてみると、わたしがあの日笹氏を「かしま」艦上で
お見かけしたことと無関係ではなかったのです。

わたしはそのとき氏が『かしま』にいた理由を『関係者の関係者』

であるからだとのみ思っていたのですが。

産經新聞、6月24日の記事をご覧下さい。


海上自衛隊が、政府が戦没者慰霊事業として実施している遺骨収集事業に
初めて協力する方向で調整を進めていることが23日、分かった。
遠洋練習航海に出ている部隊が9、10月、先の大戦の激戦地だった
ソロモン諸島のガダルカナル島から日本に遺骨を輸送する計画で、
遺骨収集事業に政府全体で積極的に取り組んでいる姿勢を示す。

(略)

一方、海自は幹部候補生学校を卒業した初級幹部らを対象にした
半年間程度の遠洋練習航海を毎年行っている。

今年は練習艦「かしま」など3隻が5月に日本を出国。
太平洋を周回する形で米国やパナマ、オーストラリアなど13カ国に寄港し、
10月24日に帰国する予定だ。

 練習航海では9月19、20両日にガダルカナル島のホニアラに立ち寄る予定で、
政府や民間団体が同所で遺骨収集事業を実施する時期と重なったため、
海自艦艇で集めた遺骨を日本まで運ぶ計画が浮上した。
政府内の調整で、防衛省は「協力できることは協力したい」
と前向きな意向を示している。

自民党は遺骨収集事業を「国の責務」と位置づけ、
外務省や防衛省の協力義務を定める議員立法を秋の臨時国会に提出する方針で、
今回の海自の協力をモデルケースとしたい考えだ。

 
これはすごいことです。
ガダルカナルの御遺骨は、海上自衛隊の、
つまり日本の海軍の艦船に乗って祖国
まで帰ってくるのです。

日本から遠く離れ身を朽ち果てさせ、無念の思いを異国の地に留まらせていた
将兵たちの霊にとって、これに勝る喜びの帰国はあるでしょうか。


さらに、9月30日のニュースでは

日米両国が先の大戦から70年となる来年以降、
戦没者の遺骨の身元確認などで
連携する本格的な共同作業を
検討していることが29日、分かった。

日本政府関係者が明らかにした。
両国の戦没者の遺骨が混在している可能性があることから、
情報を共有し鑑定などを共同で進める狙いだ。
かつて激しく戦った両国の共同作業が実現すれば、
東日本大震災の救援活動に続き、
日米新時代の礎を強化する
「第2のトモダチ作戦」となりそうだ。

共同作業は、今年に入って米側から日本政府に打診があった。
戦死者の遺体回収や遺族への返還などを専門的に行う米軍の常設機関
「統合戦時捕虜・行方不明者調査司令部」(JPAC)が要請した。

JPACは約400人のスタッフが
「全ての兵士を故郷に帰す」をスローガンに活動。

太平洋地域など日米両国が激突した戦地跡でも作業に従事しているが、
両国の兵士が折り重なって戦死したケースが少なくない。
米側はかねて「日本側が焼骨を行う前にDNA型鑑定を行いたい」
「遺骨の場所を特定するため戦史情報を共有したい」との希望を持っていた。

日本政府高官は産経新聞の取材に対し、
米側の要請があったことを認めた上で
「前向きに検討している」と答えた。
JPACは、今月上旬に訪米した次世代の党幹部との交流でも
共同作業への協力を要請した。



日本に取ってありがたいのは、遺骨の収集、つまり国のために戦った
人を祖国に返すということにかけては、日本とは温度差の違いすぎる
アメリカが共同作業を申し入れてきたということです。

フィリピンの遺骨収集におけるスキャンダルに対しての役人の自己保身、
事なかれ主義を見るまでもなく、「国の責務でないことはやらない」
という考えが骨身に染み付いてしまっている日本の役所も、

「たとえ最後の一人になっても最後まで遺骨を国に戻す」

という熱意と誠意を持って事に当たっているアメリカと組む事で、
今まで遅々として進まず、誤ったやり方で不祥事を生むような
遺骨収集事業の問題点がクリアにされ、かつ進捗にも弾みがついていくでしょう。 


実は、この事を教えて下さった方から、ホニアラ島での
練習艦隊への遺骨乗艦の
写真を送っていただきました。
個人の写真なのでここではお見せできないのですが、
真っ白な第二種夏服に身を包んだ「かしま」の海曹、海士たちが、
純白の布にくるまれた
骨箱を掲げて厳粛に歩むその画像を見て、
わたしは思わず目頭が熱くなったものです。


先頭に立ち進むのは、あの出航の日写真にも撮ったお髭の海曹長でした。



「かしま」艦上で、遺骨収集事業の話を伺ったとき、笹氏は

「骨の事しか考えていない、って良くいわれます」

と笑いながら答えていました。


こうするべきだ、こうならねばならないと口で言うのは簡単ですが、
誰かがやらねばならないことを、実際に行動できる人間はそう多くありません。
この事業に実際に携わったボランティアの学生さんたちを含め、

彼らの実行力に対し、わたしたちは、ただありがたさに頭を垂れるばかりです。


戦後69年目に、ようやく帰還するガダルカナルの将兵たちの御遺骨。
彼らはようやく日本の土に還ることができるのです。

英霊たちの御霊にとっていつまでもそこが安らかに眠ることのできる
平和な安寧の国であることを願って止みません。