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映画「アメリア 永遠の翼」~ラストフライト

2014-10-04 | 映画

     

映画「アメリア 永遠の翼」最終回です。

アメリアとフレッド・ヌーナンの乗ったエレクトラ号と、
沿岸警備隊のアイタスカ号の通信室は、互いを捕捉するため
絶望的な交信を繰り返していました。


アイタスカが受信するエレクトラの無線は非常に強い感度でしたが、
逆にエレクトラは全くアイタスカの電波を捉えることが出来ないのです。



このシーンは飛行しているエレクトラ号を実際にに空中で撮影
・・・・したのはいいのですが、よく見ると機体に
撮影をした飛行機の機体が写っています。 

 

今アメリア機はアイタスカ号の上空にいるはずなのです。
フレッド・ヌーナンがきっちりと方位を特定し、
現在位置も正確であったはず・・・なのですが・・。

もう今の彼にはナビとしてする仕事はなにもありません。
ただ無線がつながることを祈るだけです。 



アメリアの声ははっきり聴こえているのに、
向こうにはアイタスカからの送信が全くとどかないのです。

アイタスカは何度も周波数を変えて送信しますが、
その変えた周波数もエレクトラ号に届くことはありませんでした。 

 




「アイタスカ、
こちらキング・ハウ・エイブル・クィーン・クィーン。

そちらの声が聞こえません。島も見えません。
当機の位置を確認願います。
ハウランド島まで100マイル」



アイタスカ号のトップデッキからは発煙筒が炊かれます。
通信士は何度も何度も呪文のように

「キング・ハウ・エイブル・クィーン・クィーン」

と呼びかけますが、アメリアには聴こえません。
聴こえなかった、というのは「おそらくそうであっただろう」
という後世の推測です。

もし少しでも聞こえていたらはすぐに返答があったはずだからです。

因みにこのころ無線はまだ未公開の装置で、イヤハート機には
政府から特別に搭載を許されて装備されていました。

極秘の装置であった故に、このとき使用された
無線航法探知器と誘導電波発信器は、電波が微弱で、
それゆえ通信が困難であったと言う説があります。




このとき、ジョージ・パットナムはどういうわけか

「イヤハート機との通信に成功した」

という知らせを受けています。
間違いだったのか、一瞬聞こえただけのアメリアの声を以て
通信成功としたのか、それはわかりません。


いずれにせよ、ジョージ始め一同はこの知らせに安堵の色を浮かべます。

 

イヤハート機からの通信が入るたびに一喜一憂する通信士たち。
ハンサムな若い水兵とこの髭の海曹の演技も見物です。

 

アイタスカ号の艦長も通信室に現れ、

「方向探知機はどうなっている?」

などと気遣います。
海曹はバッテリー切れをしていること、そして

「一晩動いていたのでもう使えません」

と報告します。
これも極秘の、未発表の装置であったため、だれも
そのケアに知悉していなかったということです。



呼べども呼べども一向に通信は入ってきません。

ついに涙ぐむアメリア。



視界にはただ太平洋が茫と広がっているばかり。

いつもは空からその美しさに感嘆しつつ上を飛んだ海は、
このときの彼女に取ってあまりにも広く、果てしなく、
絶望の色をして見えたことでしょう。



このときの様子は同時中継されていました。

ラジオ放送に聴き入るジーン・ヴィダル。



ヌーナンはこれから起こる最悪の事態に恐怖と絶望で

呼吸も困難になっています。



そのとき、アメリアの声をアイタスカの通信室が捉えました。


「当機は157°~337°の交線上にいます。
現在南北線状を飛行中!」

やったぞ、とばかり顔を見合わせてアメリアの声が切れるなり
無線のマイクに飛びつき、


「聞こえます!聞こえます!そちらは聞こえますか?」

 

しかしその必死の呼びかけもイヤハート機には届きません。

その飛行機は、たった一機、太平洋の上を飛んでいきます。

わたしがこの映画をもっとも評価するのがこの部分です。

彼女の絶望の表情と迫り来る海面を写すだけで、
それ以上の描写をせず、襲い来る悲劇については観るものにその描写を任せ、
余韻を残すこの手法は秀逸です。



すでに残存燃料で飛行できる時間は過ぎました。

呆然とするパットナムとそれを見守る周りの人々。

 

海曹は相変わらず呼びかけを続けますが、もはやそれは

生存を信じている人のものではありません。
あきらめと深い憔悴とが、その力のない声に漂います。








最後にアメリアの残したその姿が写真や動画で現れます。

左は最初の大西洋横断のときのパイロット、ストルツ飛行士。



日本に来たこともあります。
彼女は日本でも「パットナム夫人」として人気がありました。


 

フレッド・ヌーナンと。
後ろはおそらく事故機となったロッキード・エレクトラでしょう。



そして、ジョージ・パットナム。
パットナムはアメリカの夫として有名になりましたが、
企業人としても真に実績のある実力者でした。




女性パイロットを旗を揚げ率いるアメリア。
この写真のアメリアのポーズは

「民衆を率いる自由の女神」

そっくりです。




翼の上を降りて来る姿が動画で残されています。

右側にいるのはジョージ・パットナム。

男たちは彼女に同時に手を差し出します。

今度飛行機から降りたとき、その手をしっかりと握って
そのまま自分の懐に彼女を抱きとめたまま離さない、
二人はそう約束したはずだったのです。



パットナムはアメリアの死後2年経った1939年、

「アメリア死亡宣言」

をして再婚しています。
アメリアがそもそも2番目の妻であったわけですが、
その3番目の妻も6年後には離婚、4番目の妻とは添い遂げましたが、
それは彼が1950年に亡くなるまでの5年間というだけのことです。


 

実は映画未公開シーン集には、パットナムの妻が登場しています。
ジョージ・パットナムは1929年、つまりアメリアと知り合って1年後に
このドロシーと離婚しています。
この妻は19歳下の男性と不倫をしたため(!)このときには
すでに仲は険悪だったということです。



凱旋パレードのとき。

 



アメリアに皮肉の一つも言ってみたりとか。



「わたしたち、もうおしまいね」
 

 

映画では妻の登場シーンは全てカットされていました。
プロデューサーが女性(しかもアメリア役をしたヒラリー・スワンク)
なので、この辺情け容赦ありません。


さて、果たしてアメリアが生きて帰ってきていたら、二人は

一生を添い遂げる平穏な結婚生活を送れたでしょうか。

有名人である妻のプロデューサー兼パブリッシャーとして、パットナムは
世間体と便宜上決してアメリアを手放すことはなかったでしょうが、

アメリアはもし帰って来られたら引退して飛ばないつもりをしていたのですから、
彼女の方にパットナムを必要とする「理由」はもはやないのです。

このパットナムの結婚歴や、アメリア自身の「結婚は夢を叶えるための手段」
という言葉を穿った考えで捉えると、彼らのその後の結婚生活は決して

「ハッピーエバーアフター」とはならない可能性が高かったのではないでしょうか。


つまり「アメリアとジョージの物語」は、アメリアの死によって

最高に美しい形で幕を降ろしたということになります。



アメリアとヌーナンを乗せた「エレクトラ号」が消息を絶った後、

アメリカ政府は、沿岸警備隊、アメリカ海軍、そして
隣接していた地域を依託統治していた日本からは帝国海軍が協力し、
それらで組織された捜索隊は、当時で考えうる限りの手を尽くし
彼らの行方を探しました。

帝国海軍からは 水上機母艦「神威」(かもい)と艦載機、
海洋調査船「甲州」が参加しています。

しかし、何もその痕跡を見つけることは出来ませんでした。

アメリアの遭難は未だに謎に包まれたままです。 

 


(終)