ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

あるパーティにて

2012-11-10 | お出かけ
 

      


白洲次郎という人物について、夏帰国してから何冊かの本を読んできました。
この人物の非凡さ、逸話の数々が、なぜ死後30年もたって今脚光を浴びているのか。

そもそもの起こりが、歴史に埋もれたカッコいいヒーローを掘り起こして
ブームにしようとするような、メディアの仕組んだ浅薄な理由からの「白洲次郎」だったとしても、
それによってかれを知った多くの人々は、なぜこれほど白洲に惹かれるのか。

終戦後、戦争に負けた日本という国が、曲がりなりにも独立国家として世界に再び立ち、
凄まじい発展を遂げたのには、この人物の存在あってこそだったことを人々は新たに知り、
今の混迷を極める世界情勢の中で、再び「白洲次郎」のような存在を渇望しているのではないか。


そんなことを考えながらも観艦式の記事に忙殺されていた頃、TOが
「このパーティ、行く?」
と招待状を見せました。

それが、冒頭写真のパーティです。

わたしは時おりお誘いいただくこのパーティというもの、あまり好きではありません。
パーティのためにドレスを考え、そのために細々と準備したりすることは、
女性ですから決して嫌いではありませんが、会場での人々の様子、ことに
「パ―ティ・ピープル」の集う社交とも言えない空間に身を置くのが苦手なのです。

それに、よく女性誌に「今月のパーティ」みたいなページがあって、芸能人や有名人、
「お洒落モンスター(笑)」や「お洒落番長(苦笑)」のパーティファッション紹介というのをやっていますが、
はっきり言ってこういうパーティに心から楽しんで参加している人って、あまりいない気がするんですよね。
お互いをチラ見しながら品定めする視線、
酷いときには、知り合いだけで固まって話をするだけのひととき、
日本人にパーティ文化は決して根付かなかったし、これからもそうだろうと思います。

同じパーティなら個人的な誕生日や結婚披露パーティの方が
「祝う」という目的がはっきりしていて、ずっと「身の置き所」あるという意味で気が楽です。

ですからこの招待状も
「パーティねえ・・・おまけにブラックタイ?
そもそもうちは、誰も葉巻どころか煙草も吸いませんが」
と言いながらぺらっと中身を見ると、

「受賞者 M山Y男」

・・・・この名前は!

まさに今、その足跡をたどっている白洲次郎の女婿。
白洲の娘、桂子(かつらこ)さんを「白洲次郎から奪っていった男」。

こういうときにこういう話が舞い込んでくる、というのも
一種の「引き寄せの法則」でしょうか。

「これ、行きたい!M山さん見たいから」
「そう言うと思った。当日は桂子さんもお見えになるかも、だって」

白洲次郎の愛娘、桂子さんなら、さらに見たい!
はっきり言ってM山さんより見たい!

というわけで、出席の返事を出したのでした。



会場はニューオータニ。
mizukiさんの「シャンパンブランチ」のお話以降、
あまり行ったことがないこのホテルでブランチをしてみたいと思っていたのですが、
夜のパーティではありますがここに来ることが実現しました。

室内では煙草は勿論シガーも禁止。
吸いたい人は外に出て吸うためにテーブルがしつらえてあります。

 

葉巻の愛好の会などというものがあることも初耳でした。
メンバーは、定期的に集まってシガーをくゆらしているそうです。
女性のメンバーもいて、やはり彼女らもシガーを吸うのだとか。

今日のパーティは、「チョイ悪オヤジ」という言葉を、ジローラモさんを広告塔にでっち上げ、
世間に認知される言葉にしてしまった某雑誌が協賛(かな?)しています。



このやたらキャラの立ったチョイ悪ジジイ、もといおじいちゃまが会長であらせられる陶芸家のT氏。
やたらかっこいいイケメン老人です。
一目見て芸術家、という風貌ですが、このT氏、それはもう社交的な方で、
そのご人徳により周りにいつも人が集まってくる「その道の大物」でいらっしゃいます。

実は詳しくは存じ上げないのですが、M山氏の陶芸の師匠でもあるようです。
本日我々をご招待下さったのもこの方。

「何かと喫煙者には肩身の狭い世の中となって参りましたが、
煙草は嗜好品です。身体に悪いのが当たり前です。
今宵秋の夜に、月を見ながらのシガーを『モクモクと』くゆらせて下さい」

というようなことをご挨拶なさいました。

エリス中尉、煙草は全く吸いませんし、マナーを守らずに吸う喫煙者には厳しいですが、
実は、煙草というものはそれほど身体に悪いものではないのではないか?と思っています。
今までお会いした80、90歳で今尚お元気な男性が、高確率で煙草を吸っていたからで、
それもこれも「身体に悪いというのは、他のナニカとの複合的な作用」ではないのか、
とかねがね考えているのです。
何の医学的根拠もありませんが。

ましてや葉巻やパイプは、肺に決して入れずに転がすように香りを楽しむだけなので、
「身体にはそんなに悪くない」と言う説明でした。




受賞者入場。
なんと先導してくるのはバグパイプ奏者です。
二人の受賞者をエスコート、じゃなくて受賞者にエスコートされていたのは、
どうやって調達してきたのか、ミスユニバース(だったかな)の二人の女性。
何かと気合いの入ったパーティです。




ニューオータニの総料理長もなぜかご挨拶。
この日のお料理はいわゆるパーティ・ビュッフェ形式で、
「カナッペ、オードゥブル、スパゲティ、ハンバーグ」
なんていう、どちらかというとカジュアルなものなのですが、これもT先生の御威光かしら。



このパーティの気合いの入り具合はバンドにも表れていました。

 

なかなか絵になるバンドです。
ヴォーカルのエイミーちゃん(美人)は、わたしが
各楽器のソロ終了ごとに拍手していたら、よっぽど理解のある客だと思ったらしく
(というか理解はあるんですが)
後でメルアドを教えてくれ「今度お茶しましょうよ~」とお誘い下さいました。

勿論わたしが休職中の音楽関係者であることは一言も言っておりませんが、
自分自身の体験からいっても、
「聞いている人のそぶりだけで、その音楽の素養がなんとなくわかる」
ってこと、あるんですよね。

会場の隅にはこんな人がいて



黙々とこのような作品を作っては配っていました。
なんのアピールもなく、黙々と。
しかし、この表現力は凄いですね。もはや芸術です。



そして授賞式がはじまりました。
実は、M山氏がいったい何を受賞したのか、最後までよく分かりませんでした。
たぶん「最もこの一年で葉巻の似合う人物」
みたいな位置づけだったのではないかと思われます。
M山氏はこの4月に「白洲家の日々」という本を上梓したのと、
ドラマ「白洲次郎」以降、遺族に対しメディアが様々なアプローチをし、
また「武相荘」なども注目されたため、そのあおり?ではないでしょうか。



M山氏にご挨拶だけさせていただきました。
写真を見てもおわかりのように、この方もイケメンおじいちゃまです。
エリス中尉、実は腰を屈めて背を低くして写っております。

実はエリス中尉、M山氏の本をまだ読んでいません。
本を出しておられることはパーティ会場で知りました。
山ほど読んだ白洲関係のムック本などには必ず氏の随筆、回想がありましたから、
すっかり著書を読んたような気になっていましたが、この本がM山氏の処女出版ということのようです。
4月の出版、ということは、やはり二年前のNHK「白洲次郎」以降、「白洲ブーム」が起こり、
メディアが次々と遺族に談話を求め、或いは彼について語った文章を要求することが度重なり、
そんな中でM山氏が本を書く、ということに至ったのではないかと思われます。


実は、当日は桂子さんがおいでになると思っていたため、
「次郎と正子」という桂子さんの本にサインしていただこうと持っていました。
桂子さんの文章は平易で読みやすく、しかし簡潔に愛する父と母の思い出が、
ユーモアたっぷりに述べられている好著です。

「桂子様は今日はおいでにならなかったのですね」と伺うと
今日は三線(沖縄の楽器)の練習だか発表会だかで来られなかった、とのこと。

そこで桂子さんの著書にM山氏のサインをもらう、という失礼なことになってしまい、
前もってリサーチしてM山氏の本を読んでおくべきだった、と後悔しました。


ところで、M山氏も桂子さんも、「あまりにも偉大すぎる父」を持ち、
それがゆえに近づいてくる人々に対し(まあわたしもその一人だったわけですが)
戸惑いや嫌気、あるいは煩わしさなどを感じることはないのだろうか、
白洲が「父」である桂子さんはともかく、「義父」が白洲次郎である半生というのは、
ひとりの男としてどのようなものだっただろうか、
舅に一生頭が上がらないという気にはならなかっただろうか、
などという失礼かつお節介なことを少し考えてしまいました。




さて、宴もたけなわに入り、景品抽選会が始まりました。
受付でトランプのカードを一枚引くと、はさみで半分に切って残りを渡してくれます。
そのカードが読み上げられたら、当たりです。

化粧品、ライター、靴、協賛が多いのか豪華な品が次々と配られていきます。
そのうち、バカラの新作ワイングラス二脚、というアナウンスがあったとき、
全く何の気なしに
「あ、いいなあ・・・これ当たらないかしら」
とつぶやいたら、それが運を引き寄せたのか、当たってしまいました。







この後、連れ合いが「豪華シガーセット」を見事引き当て、
「夫婦で何か当たるというのも珍しいですよね」
と同席の方々に言われたのですが、ふと気づいてみれば、

「お酒も煙草もやらない夫婦二人で、ワイングラスと葉巻を当てた、と」
「猫に小判と豚に真珠・・・・?」

二人で顔を見合わせてしまいました。



この後、同テーブルの方が、ミーレの掃除機を引き当てました。
いいなあ。
どうせならもう少し待って、掃除機のときに「これ欲しいなあ」と言えばよかったかしら。



さすが社交界の雄T氏は、まんべんなく会場を回って、こうやって話しかけたり、
いろんな人を紹介下さったり、本当にホストとして最上の気配りをしておられました。
こういうホストがいないと、パーティは成功しません。


さて。

白洲次郎。

大資産家に生まれ、高校生から外車を乗りまわし、ケンブリッジに留学。
帰国後はその国際人ぶりを外交で発揮し、終戦後は吉田茂を支えて
占領下の日本で「容易ならざる日本人」と呼ばれたただ一人の男。

あらゆる大企業でその辣腕ぶりをふるっても「財界人」にはおさまらず、
問われれば「おれは百姓だ」と答える「カントリージェントルマン」。

銀髪になってもポルシェを乗りこなし、ゴルフ場では誰よりもマナーに厳しく、
容姿端麗、女性にモテまくったくせに照れ屋で、夫人によると浮気はしたことがない。
愛情深く家族を慈しみ、そして皆に愛された、
こんな人物は、おそらく一世紀に一人か二人しか現れないでしょう。


桂子さんがその著書で
「ドラマになってから特に、父の生き方やスタイルがもてはやされ、
まるで知らない人のように一人歩きして『あれは誰のこと?』という感じになってしまった。
褒めそやす皆さんにテレビの『水戸黄門』を観ている父の姿をお見せしたいものだ」
というようなことを書いていましたが、彼女にとって白洲次郎は実の父です。

身内から見るとこのような完璧な人物も隙だらけで、
むしろ「非凡な人物もこんな普通の面を持っているのだ」と感じられ、
ある意味安心させられる証言であります。

白洲家には桂子さんのほかに二人の息子がいるわけですが、
その実の息子ではなく、血の繋がっていないM山氏が、最も表に出て
「白洲次郎」を語っているように見えるのはなぜだろう、とふと思いました。

例えばこのパーティ。
葉巻の楽しさを皆で分かち合う同好会で、その閉会の挨拶が
「白洲次郎について」だったりするわけです。
白洲次郎のゴルフにおける流儀、その筋の通し方が、粋なスタイルが讃えられ、
「あんな日本人はいなかった」と言葉が結ばれるのです。

そこで女婿であるM山氏のことはなぜか語られず、皆もまたそれを当たり前に思っている。
変な言い方ですが、皆がM山氏が主人公のはずのこの会を
「M山氏の義父である白洲次郎を偲ぶ会」として認識しているように思われました。


誤解の無いように言っておけば、M山氏はやはり上流階級の出身で、
戦前から軽井沢の別荘で夏を過ごし、高校生からゴルフ場に出入りし、
メルセデスを扱う外車ディーラーのセールスを経て最終的にはS武百貨店の取締役。
世間的には十分過ぎるくらい十分、「ひとかどの人物」です。

そんなM山氏が「白洲の義理の息子」である自分に向けられる関心、あるいは
皆が自分に求めるものが「白洲次郎」であることにどう折り合いをつけてきたのか。
自分もまた「白洲次郎」がなかったらこの夜のパーティには
おそらく行かなかっただろうとわかっているだけに、わたしは、
M山氏と直接話をする機会にせっかく恵まれながらも、
ご本人を前にすると、聞きたかったことを何も口にすることができませんでした。