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しのぶれど 色に出にけり

2012-02-15 | つれづれなるままに

サンフランシスコのゴールデンゲート下の公園の写真です。
今日はこのような当たらずとも遠からずの画像が
無難
なので・・・・・・・・・つまり、今日語ることは、実在の人物の話だと御理解下さい。

我が家の近所には、皆が散歩に訪れる広い公園があります。
この公園があるから現在の住処を決めたようなもので、四季折々の植物が
~ことに桜の季節は~目を楽しませてくれ、住民の憩いの場となっています。

うちでは住民税の支払いの用紙が来て、その決して安くない金額を目にすると、
「あの公園の維持代は、全てうちの払った住民税でまかなわれている」
と呪文のように唱えることにしています。
するとあーら不思議、
「あの公園のためならば、これくらいの住民税、喜んで払おうじゃないか」
という気になってくるのですね。
(そうでも思わないとやってられん、ということでもありますが)


そのお気に入りの公園に、わたしは息子を学校に送り届けた後、毎朝散歩に行きます。
アメリカでも継続して行っている唯一の運動なのですが、
何ごとも決めるのが嫌いな性格ゆえ「気分が乗らなければ中止」したり、歩きに行っても、
なんだかしんどいなあ、と感じたらすぐやめてしまう、といういい加減な態度で、
だからこそ、もうかれこれ10年は続いている習慣です。

ipodでベアリングできるサングラスで音楽を聴きながら歩いていると、
ベートーヴェンではありませんが、意識的にものごとを思索する時間を持とうと思えば、
散歩をするのが一番であるとあらためて思います。

だいたい同じ時間に一定の時間歩くことが習慣になると、
そこで見かけるのもだいたい同じようなメンバーになってきます。

公園の高いところからは、お天気のいい日に富士山が見えるのですが、
その高台に、お天気のいい日は必ずやってきて、山に向かって手を合わせている老夫婦。
何か富士山に思い入れでもあるのでしょうか。
二人は、帰って行くときも、いつもまるでこれが見納めでもあるかのように何度も振り返り、
名残りを惜しむかのように最後に一礼するのです。

あるいは、公園の主である立派なカラスを何羽も従えて散歩している婦人。
彼女はドッグフードを袋に携えて散歩に来ており、カラスたちに餌をやりながら歩きます。
野良猫に餌をやる行為は禁じられていますが、カラスなら、むしろ食べ物を求めて、
ごみ集積所を荒らす狼藉ガラスが減ることになり、一石二鳥。
カラスは彼女の手から直接餌をついばむほどなついています。

伴走者と共に走る盲目のランナーもときどき見ますし、歩くことよりおしゃべりが目的の主婦、
ときどきホームレスが出張してきてベンチでご飯を食べていることもあります。

そして、愛犬家グループ。

このグループもいくつかあって、たとえば飼っている犬が全て柴犬、という「柴犬クラブ」。
何匹もの柴犬がまとまって歩いていると、犬相風体に個体差があるのがよくわかります。
(わたしはこの柴犬が大好きなので、つい人間より犬の観察をしてしまいます)

しかし何も同じ時間に犬の散歩で集合しなくても、と思うのですが、
どうも犬同士のつきあい、というものもあるようですね。
何人もが公園の広場で集まり、一定時間を過ごしたら三々五々ではなく、
ぞろぞろとこれも何故か一緒に引き上げていきます。

わたしは、学生時代始め子供を連れていく公園や学校、つるむことを避けてきた人間ですので、
万が一、犬を将来飼うことがあっても、これだけは嫌だなあと思います。

それはともかく、共通点が犬を飼っている、というだけの愛犬家グループは
独身かと思われる若い女性から、リタイアしたらしい老人まで年齢層はまちまち。
アメリカで見る愛犬家グループもだいたいこんな感じでしたが、違いがあるとすれば、
朝の時間にはあまり若い男性を見かけないことでしょうか。

毎日グループを目の端に見ていると、その構成人員もだんだん把握できてくるのですが、
わたしはグループの中に、ある「二人」を見出すようなりました。

いかにも自由業的な雰囲気を持つ中年男性と、若い女性です。
どちらも大型犬を連れていて、犬同士も仲良さそうですが、それだけでもない。
なんとなくいつその集団を見ても、その二人がひとところにいるわけです。

あるころからそのことに気づき、見るともなく、観察が始まりました。
(といっても、日中はすっかり忘れていて、散歩のときだけ思い出すという程度ですが)
少し遊び人風の髭を立てた男性は、いつもさりげなく女性の近くにいて、
傍から見ていると、下心のオーラ全開にみえます。
彼女の方もまんざらでもないらしく、何かそわそわした感じで接しているのがこれもまるわかり。


男性は独身ではないでしょう。
女性も、朝の8時にゆっくり犬の散歩に行けるくらいですから、
仕事はしていない、つまり自由業でもなければ、主婦と考えるのが自然です。

これは・・・・。


わたしはもともとこういうことが身の回りで起こっていた場合、それを知るのが誰よりも最後。
「あの二人、つきあっているらしいよ」と周りに教えてもらって、
「ええー!全然知らなかった」
と驚いては、みんなに笑われている方です。
このことは何を表わすかと言うと、わたしは、身の周りや知人の動向に関しては、
「知人フィルター」により見えない部分、死角を持ってしまうのではないかということです。
これは、よくいえば「基本的に知人を信用してしまいやすい性格である」
ありていに言えば「おめでたい人間である」とも言えます。


そんなわたしでも、通りすがりの人間関係(例えば不倫とか)は、
まるで説明書きでもついているようにわかります。
皆さんもそんなものではないでしょうか。


しかし、こんなこともありました。
ある集まりに出席したとき、出席者の一人、ある男性Aさんとわたしは知りあいでした。
知り合いと言うだけで別に特別な付き合いはありません。
その集まりには、Aさんの連れてきたという、Bさんと言う女性がいました。
ちなみにAさんは妻帯者です。

あれ?と思ったのは、Bさんのわたしに対する態度。
何か妙な電波を感じるのです。
初対面で挨拶もしないまま会が終わりになり、近くにいても声をかけて来ない。
しかし、無関心というわけではなく、わたしにどう見られているかを逆に探るような視線と、自意識が
彼女の硬い表情から感じられ、それゆえわたしは「はて?」と彼女に初めて関心を向けました。

そして、同時にAさんとBさんの関係に疑問を持ちました。
Bさんにしてみると、わたしはAさんの知り合いの「訳のわからない女」。
とりあえずAさんとの関係を探られ、また値踏みされている、そんな気がしました。
なぜ彼女がそうするのかというと、理由は一つです。


公園に話を戻しましょう。
先日都心を中心に雪が積もった日がありましたね。
あの超寒い、足下のお悪い中。
犬は喜び庭駆けまわりたくとも、ほとんど飼い主の方がめげてしまったらしく、
その日の公園にはわたしのようなジョギング、ウォーキングの人しかいなかったのですが、
こんな時だからこそチャーンス!とばかり、彼らが

たった二人(+二匹)のデートをしているではありませんか。

それがなぜ計画的な待ち合わせの結果だと分かったかと言うと、
すでに極寒の公園に一人(と一匹)でたたずんでいた男性が、
携帯電話で彼女に居場所を告げているのを聞いてしまったからです。
(またこの人の声がでかくて・・)

そしてその日を境に、その後はわざわざ公園の外れで待ち合わせ、
皆の集合時間よりすこし早く落ち合って、逢瀬を楽しんでいるようです。

これを読んでいる皆さん。(犬を飼っている人限定)
あなたの連れ合いが、やたら犬の散歩に熱心で、多少の悪天候でも、いや、むしろそんな日こそ
そわそわと「モカが出たがってるから」などと言って携帯持参で出ていくとき、
もしかしたら、このようなことが彼あるいは彼女の身に起こっているかもしれませんよ。

それにしてもこの二人、いったいどこに向かっているのでしょうか。



仲間内の中で好意を持っている異性がいて、それゆえに散歩に行くのにワクワク、
というような「ひそかな楽しみ」など、賞味期限は一瞬のこと。
運悪くどちらかが「我慢できない人」だと、無粋にもそれを野暮な恋愛沙汰に発展させて、
不倫の一つもしてしまったりするのでしょう。

一つ言えることは、皆さん。
いくら忍ぶれど、秘密の恋なんて周りはもちろんのこと、
案外、通りすがりの人間にすら見破られているかもしれない、ってことではないでしょうか。


まあ、わたしのような「身近な人間関係には鈍感」っていう人間もいることですし、
通りすがりの人間に何を思われても、知人や家族にさえバレなければ痛くも痒くもない、
という向きには、何をか言わんやですが。