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フォロー・ミー

2010-09-26 | つれづれなるままに



「美の仕分け」の日に、ソールの赤いエナメルのパンプスをアップしましたが、
今日画像のと同じ、クリスチャン・ルブタンのものです。

この、赤いソールのパンプス、街で見かけたことのある方は、
赤がアイ・キャッチャーとなって
目がそこに行ってしまうように思われませんでしたか?

ルブタン特有の(最近マネブランドもあるようですが)このレッドソール、
「フォロー・ミー シューズ」と言います。
蠱惑的な女性が、ちらりと振り返りながら「ついてきて・・」
と囁くような、というイメージのネーミングだそうです。


今日のルブタン、ヒールは軽く12センチはあるでしょう。
おまけに甲にかかる部分はやく2センチ、指の半分は見えている状態。
こんな靴で歩けるのかって?
そもそも、この豹柄のパンプスを履くような場所があるのかって?

ご安心ください。
一度も履いたことはございません。

履きもしない、というか、履けもしない靴を何故持っているのか、
という説明は後にして、この、ハイヒール、というもの、
わざわざ少しのスタイルアップのために、この纏足のようなものを
女性というものはどうしてあえて履くのでしょうか。



このルブタンと、セレブリティ着用率の高さでは双壁と言われる
「マノロ・ブラニク」というブランドがあります。
セレブリティは(わたしは『セレブ』という言葉が大っ嫌いなんだぜ)
この靴を「顔で笑いながら瀕死の思いで我慢して履く」と言われます。

マノロ13足、ルブタン6足。
売るほどとは言いませんがそれなりの数持っているわたしに言わせると、
全く、とんでもない履き心地です。
どれもこれも、

「走るときはダメ」
「電車に乗るときはダメ」
「長い間立っているときもダメ」


じゃあいつ履くんだ?
運転手つきのリムジンでパーティに行ってすぐ帰ってくるときか?
雑誌のグラビア撮影のときか?
という代物です。


そして、特にこの豹柄ルブタンを、履けもしないのに、何故持っているか?
については・・・。
う~ん。何故だろう。
強いて言えば「女でいるためのお守り」かなあ。
多分今後も履くことは無いような気がします。



忘れられない話を。
大戦の頃、女性スパイを尋問するとき、わざわざ靴を脱がせて
はだしで男性の前を歩かせ精神的屈辱を与える、
ということがあった、というのを聞いたことがあります。

アメリカでは今空港のセキュリティチェックで、
総員靴を脱いで裸足でゲートをくぐらなくてはいけません。
ゴム草履がファッションである大半のアメリカ人には
痛くもかゆくもないのでしょうが、少なくとも何十年前のヨーロッパでは
寝室でしか脱がない靴を脱いで足を男性の目にさらすということで、
特に女性のプライドはずたずたになったもののようです。

今のところあそこで靴を脱がせる国はアメリカだけのような気がします。

ヨーロッパ人がアメリカ人を馬鹿にする原因の一つに
こういうところがあるように思えるのですが、どうなんでしょうね。


某ファッション評論家いわく
「ヒールの高さは『女度の高さ』に比例する」

そうかな?という気もちらっとしないでもないのですが、
男性でありながら女度の錬成に命を賭けている風の
某有名メイクアップアーティストなどは
「10センチ以下はローヒール」と言っていますね。
彼にとってはこれも、分かりやすく「女」でいるための
一つの修行なのかもしれません。


まことに、ファッションとは、お洒落とは、
愚か者の行為であることよなあ、と嘆息せずにいられません。

真冬にギリシャ神話風薄着のドレスを着て
肺炎になった帝政ナポレオン時代の女性。
コルセットを着用し続けて圧迫によるうっ血で
内臓を無茶苦茶に傷めたヨーロッパやアメリカの女性。
はては30センチの長さになるまで首にリングをはめ続けるアフリカの女性に、
足の骨を砕いて包帯を巻き10センチの纏足を作る中国の女性。
お洒落のために身を削る例は古今東西どこにでも見られます。

彼女らすべて
「今綺麗でいられたら命が短くなっても構わないわ!」
という心意気だったのだと思います。

「お洒落のために我慢なんか絶対しない!
ハイヒールでよたよた歩くなんて馬鹿馬鹿しい!」
と言えるあなた、エリス中尉はあなたを心の底から羨ましく思います。

でも、自分がそうなろうとは多分一生思わないだろうとも。

履き心地のよいぺたんこの靴でいつもすたすた歩くだけの人生では、
何か女として大切なものの一つを置き去りにしそうではないですか。
さらに、一歩歩くのもふらつくハイヒールを我慢して、
しかし涼しい顔でエレガントに歩く瞬間も時々はなければ、
女として産まれてきた甲斐がないと思います。

もちろん、命を縮めるまで頑張る必要はありませんが。