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搭乗員お洒落事情~こだわりのマフラー

2010-09-01 | 海軍


     

アメリカンヒーローはマントをなびかせる。

戦後日本のヒーローはマフラーをなびかせる。



いま思いついたこの事実、我ながら核心を突いていると思うのですが、どうですか?

「Mr.インクレディブル」ではマントにこだわって失敗する過去のスーパーヒーローの話が出てきます。
マントを翻すのがアメリカンヒーローの象徴。
 日本のスーパーヒーローは月光仮面を除いて皆長いマフラーをなびかせて登場します。
ムキムキマッチョなアメリカンヒーローならいざ知らず、日本のヒーローにマントは滑稽な気がします。
そのかわり、日本のヒーローものの悪役はなぜかマント着用が多いですね。




マフラーが戦後の日本人にとってなぜ「かっこいいもの」の象徴だったのか。
いきなり無謀な仮定をしますが、それは
戦闘機搭乗員のマフラーに憧れた戦中の記憶が受け継がれていたのではないでしょうか?

「おばあちゃんが『飛行機乗りの白いマフラーがかっこよくてねえ』と言ってた」
という話を聞いたことがあります。
当時のおぜうさん方の憧れの的だった白マフラーの搭乗員。

中西立太著「日本の軍装」(大日本絵画)によると、陸軍搭乗員もちゃんと白マフラーをしています。
しかし、余計なお世話ながら、陸軍の飛行服の襟はフラットに近いシャツカラーで、
わが愛してやまない海軍のオープンカラーに比べるとマフラーが全く目立ちません。
海軍のつなぎも元々の仕立てはシングルカラーなのですが、こちらはダブル打ち合わせになっており、
ほとんどの搭乗員は上までボタンやファスナーを止めず、襟を大きく開けてマフラーを出しています。
(上画像全員の着方・・・といっても二人同一人物ですが)

身びいきではなくやっぱりファッション的なセンスは海軍に軍配が上がる気がします。


いつの時代も
「かっこよくありたい、それであわよくばモテたい」
という若い男子の欲望はあまり変わらない、と「海軍さんはMM」の項で書きましたが、
皆さん、やはりマフラーに萌える当時の女子の気持ちに答えて、そのアイテムには
非常に強いこだわりをお持ちだったようです。

搭乗員が巻くマフラー。

飛行時、見張りのためにしょっちゅう動かす首を固い飛行服から守る、高高度での防寒、風除け、
あるいは海に着水した時に脚に結び付けフカ除けにする(フカは身体の大きい生物を襲わない)、
また、負傷の際には包帯の代わりとして血止めにも使える、という実用目的がありました。

坂井三郎中尉がガダルカナル上空で負傷してしまったとき、三角巾を風圧で全部飛ばしてしまい、
マフラーで血止めをして帰ってきたのは有名な話です。
従軍画家で、ラバウルに来て三日目、傷ついた坂井飛曹長の帰還を目撃した林唯一氏は
その著書「爆下に描く」で

「飛行機が着陸してきたとき風になびくマフラーが血に染まっていてまるで軍艦旗のようだった」

と語っています。

マフラーの材質はシルク(羽二重)、色は白、というのが基本です。
使わなくなったパラシュートをリサイクルすることもあったようです。

この搭乗員服に白のマフラー、というスタイル、どこから始まったのかは知りませんが、
ファッション的に見ても完璧なスタイルだと思います。
全体的にダークな飛行服の襟元に白というハイライトを持ってくることによってそこに目が集まり、
バランスがよく見えます。
現代のファッションでも、「コーディネートに困ったら顔の周りには白を持ってくること」
というセオリーがあるくらいです。
白がレフ板の役目をするので、顔色が明るく見えるんですね。

ところがこの「憧れの」白マフラー、誰でもしていいというわけではなく、飛行機の練習過程では
「お前らにはまだ早いわっ」
と言われてしまったもののようです。

島川正明飛曹長の「サムライ零戦隊」(光人社NF文庫)には

「白いマフラーの格好いい先輩を見るにつけ、自分もやりたいのだが、
先輩たちに生意気だと言ってどやされでもしようものなら大変と、
飛行服に隠れる程度にしてちらつかせ、一人前気取りで訓練に励んだ」


という記述がありますし、土方敏夫大尉も
「教習が終わって白いマフラーができるようになった」と書いておられます。

なぜ「ジャク」が白いマフラーをしたら「生意気」だったのか、よくわかりません。
格好なんて気にしてる場合か、って言うことでしょうか。
ジャクの間はマフラーなしだったのか、それとも他の色ならよかったのか・・・。

(追記:その後ある部隊の写真で「訓練中の隊員はマフラーなし」とことわられているものを発見しました。
色モノなんてとんでもない、ジャクはマフラーそのものが禁止だったようです)



実は寒さよけ、という目的だけなら官給の毛糸のものがあったのですが、
こちらをして写真に写っている人はめったにいません。
確かに私が見ても
「あったかいかもしれないけど(*´・ω)(ω・`*)ネー 」
というものなので、スタイリストの多い搭乗員には人気がなかったようです。
だって、俺たち飛行機乗りなんだぜ!こんなかっこ悪い毛糸のマフラーなんてできるかよ!
ってところでしょうか。(たぶん)

そのうち、戦争も後半になってくると、部隊によっては色とりどりのマフラーが流行り出します。
「赤、青、紫、緑、黄、紺など、あらゆる色があった」
ということで、マフラーの「お洒落」にこだわっていた搭乗員たちの様子がうかがえます。
部隊によってユニフォームのように色を決めているところもあったとか。

たとえば菅野直大尉の新撰組ではおそろいの紫のマフラーをしていました。
理由はというと、「紫電改」の紫。
 三四三空が九州の賀屋基地に進出になり、松山を離れることになったとき、
それまでの松山市で隊員の行きつけとなっていた料理屋「喜楽」の若女将今井琴子さんが
餞別として贈ったものです。
隊員の考えた好きな文句と、手分けして作業をした女学生の名前が刺繍されていたそうです。

現在、松山の「紫電改展示館」には、杉田庄一上飛曹の列機として飛んだ
笠井智一上飛曹のマフラーが展示されています。

「新撰組

ニッコリ笑へば 必ず墜とす

笠井智一」

これは、杉田上飛曹の「座右の銘」で、部隊の合言葉だったそうです。



そして、鴛渕孝大尉はあくまで白いマフラーにこだわり続けたそうです。
何かその人柄をあらわしているように思えます。


ところで、笹井少尉の有名な飛行学生時の写真、この飛行服の襟元にしているマフラーは
何色だったのでしょうか。
飛行服よりダークなこの色、おそらく黒か深緑、クリムゾン(暗い赤)のどれかだと思われますが。




参考:最後の撃墜王 碇義朗 光人社NF文庫
   爆下に描く 林唯一 中公文庫
   海軍予備学生零戦空戦記 土方敏夫 光人社