ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

現代版「椿姫」

2010-09-24 | 音楽
オペラは高尚なもの、と思っている方、それは間違いです。

たしかに、それを表現するためには特殊な能力を持ち気の遠くなるほどの努力を重ねた芸術家が必要なわけですが、内容は、そのへんのドラマ、下手するとみ○もんたの思いっきりな電話相談コーナーと変わらなかったりします。

オペラが敷居の高いものと思っていたTOを一度モーツァルトの「フィガロの結婚」に連れていったことがあります。

兵隊に行かされる少年(女性歌手が演じる)に慰め半分からかい半分で歌われる「もう飛ぶまいぞこの蝶々」では
「羽飾りのイケてる帽子も、ロン毛も、もう許されないぞ!」と訳され、おまけに興味半分で少年と戯れた少女のアリアでは「○○喪失しちゃったわ」と(○○もそのまま)字幕に出たので、大いに驚いていました。

もともと中世の領主の「初夜権」が話題になっているオペラですからね。


これに限らず、オペラのストーリーの俗なことと言ったら、大抵のオペラが現代の色恋沙汰にシチュエーションを置き換えるだけであとは全く同じ、というくらいです。
三角関係。不倫。
愛憎のもつれによる殺人。
結ばれない運命に絶望して心中。
力で女性をものにしようとする権力者。


因みに、先日の「椿姫」を今風にアレンジしてみます。


菫(すみれ)は銀座のホステス。
バー「つばき」のママをしています。
お店はパトロンに出してもらったものですが、彼女はつまり雇われママ。
もともとホステスで、その美貌から有力な男性を渡り歩いていた彼女が今愛人として出資を受けている男性も、企業のオーナーです。

上司のお供で店に来て彼女に一目ぼれした大企業重役の息子有人(ゆうと)は彼女に言いより、菫もほだされて同棲するようになりますが、彼女はいつしか有人を真剣に愛するようになっていました。
ある日、有人の父親、譲治が菫のもとを訪れ、有人の妹の縁談に差し支えるから別れてくれと切り出します。

最初こそ蔑みの目で菫を見ていた譲治ですが、話をするうち彼女の真摯な思いにふれ、心から気の毒に思います。
父親の思いを汲んだ菫は身を引くことを決意。
黙って有人のもとを去ります。

驚きショックを受けた有人は、菫の店に乗り込みます。
菫は、やはりパトロンを愛していると有人に苦しい嘘をつきます。
怒りに我を忘れた有人は、そこにいたパトロンにポーカーを挑み、勝ち金を菫の顔に叩きつけますが、何故か接待でそこに現れた譲治にたしなめられます。

菫は実はがんに侵されていたのでした。

何ヶ月かして、それを有人が噂で聴きつけます。
父親に彼女のことを聴かされ、本当のことを知った彼女の元を訪れたときにはもうがんは体中に転移してたのです。


菫は「有人さんが帰ってきたのだから、先生、もう少し生きさせて」と主治医に頼みますが、実は彼女の臨終は迫っていました。
父親の譲治も「今度は娘として抱きしめにきたよ」と慰めます。

菫は自分の写真を有人に渡し、
「あなたが誰か別の人と結婚するときには、この写真を彼女にみせてね。
そして、『ぼくたちのために祈ってくれているひとだ』って言って」
と頼むのです。

彼らの見守る中、いまわの際の菫は「生きられるわ。ほら、私はこんなに元気よ」
とベッドから飛び起き、ろうそくが消える直前ひときわ明るく燃えるように、病室を飛び出して廊下を走りだします。

再び有人の胸に抱かれたとき、菫は息を引き取っていました。





前回書きましたが、このオペラの原題は「道を誤った女」といいます。
「椿姫」の「椿」とは、ヴィオレッタ(菫)がアルフレード(有人)の求愛を受け入れるとき、白いツバキの花を彼に渡して
「何故これを?」
「しおれたら返しに来てもらうため」と、会いに来る口実を作ってやることから来ています。

菫は、父親の頼みを受け入れ、身を引くとき、自分の過去を悔い
「道を誤った女には、もう真実の愛を受ける資格はないのでしょうか」
と、後悔するのです。



さて、この話ですが、菫の店で有人がみんなに責められてから、月日がたち、菫が危篤になるころどうして有人が本当のことを知ったのだと思いませんか?
特に、父親の譲治が息子と菫を別れさせておいてどうしてそれを許すようになったのかが、今一つよくわかりません。


もしかしたら、彼女が不治の病で助からないから、安心して再会を許したのでは?
最後くらい夢を見させて送り出してやりたい、というか、このまま死なれちゃ後味悪いからと考えた、というのはあまりに意地の悪い考えでしょうか。


だって、生きていたとしても、たぶん結婚、許しませんよね?