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バーキン片手に靖國神社

オペラ座の宰相

2010-09-13 | 音楽
趣味はなんですか?

と聞かれると「オペラ鑑賞」と答えます。
音楽関係者なら当たり前だろう、って?
そうとも限りません。
オペラ、というジャンルはクラシック好きであっても必ずしも詳しいとは限らず、演奏家ですら楽器によっては観たこともなかったりします。
しかし逆に、目の前にオーケストラの黒服の集団が並んでいるのを見ながら音楽を聴き続けることができなくても、絢爛豪華な舞台と衣装に身を包んだ歌手がお芝居をする、このオペラという総合芸術であれば大好き、という人は多いものなのです。

今なら舞台の袖に同時通訳の字幕が出ますし、たとえストーリーを全然知らずに行っても映画を見るように楽しめてしまう、もっと人口に膾炙してもいいと思われるジャンルです。

しかし、好きでもオペラを気軽に楽しむ、というわけにいかない最大の理由は「お値段」。

若いとき、清水の舞台から飛び降りるつもりで聴きに行った「フィガロの結婚」「タンホイザー」「ローエングリン」いずれも本場の引っ越し公演で、B席にも関わらず確か3万5千円だったような覚えがございます。

最近になって、ようやく年に何度かのオペラを楽しむことができるようになりましたが、
海外歌劇場の引っ越し公演になると、S席は7万円いたします。7千円ではありませんよ。
それはそうでしょう、舞台装置から、美術スタッフ、合唱のメンバーまでみんな飛行機でやってくるのです。

それも、S席といっても範囲が広いので、取るのが遅かったりすると一階席の最後尾だったり。
もっとも、C席、D席あたりになりますと、ほとんどすり鉢の中を覗き込んでいるようなもの。
歌手など豆粒にしか見えません。
最前列で小澤氏のロマンスグレーをちらちら眼下に見ながら聴いたラッキーな公演もあるにはありましたが。

もう少しオペラを気軽に見られるようにという意図で新国立劇場のオペラ公演はシーズン売りをしており、主役の歌手と指揮者のみ海外から招聘、合唱、オケ、美術は国産ですることによってチケット代を大幅に下げています。


あれは忘れもしない東京文化会館での「アイーダ」の日でした。
その日、市場が大荒れして株価が大割れ、投資をしないエリス中尉には対岸の火事でしたが、投資家たちが真っ青になったというその日の夕刻の会場。
隣の中年女性が話しかけてきて雑談していたのですが市場が大変なことになっている、パソコンを前に頭を抱えてしまった、と笑いながらおっしゃいます。

しかし、そういう方がおそらくたくさんいたのであろう当日の会場は相も変わらず満席御礼状態。
まるで霞を食べて生きているような顔でシャンパングラスを手に優雅にロビーを歩き回りさんざめく紳士淑女の群れ。
S席が七万円近くしたその日のアイーダも、S席から埋まってしまいたちどころに満席となった人気演目でした。

ホールを埋め尽くすオペラファンを目の当たりにして、まだまだ日本は大丈夫、という気になってしまったから不思議です。

世界のどこにこんな高額なチケットを争って買い求める音楽ファンがいる国があると思いますか?

名だたるオーケストラや演奏家が口を揃えて言うのは「日本の音楽ファンのレベルの高さ」だそうです。
理解が深い、マナーがいい、高いチケットでも惜しみなく買ってくれる・・・。
主に最後の理由からだとしても、東京で毎日のように世界的な音楽家がコンサートを行う国、それが日本なのです。

文化が大衆に浸透している、その層が厚い、文化のために投資を惜しまない。
それは「経済」という一面からだけでは見えてこない国力の蓄積にも通じると思うのですが、いかがでしょうか。


さて、冒頭の画像でお気づきかと思いますが、エリス中尉、かつてオペラ会場で小泉元総理に遭遇いたしました。
あれはたしか文化会館でのミラノスカラ座「ドン・ジョバンニ」。
ダニエル・バレンボイム指揮の人気オペラとあって、S席ながら二階しか取れなかったのですが、同じ階の最前列、ずっと空席だったところに二幕目から小泉氏がSPを従えてお入りになったのでした。

会場の空気がさっとそちらに向かって流れ、暗い会場の中にもかかわらず異常なオーラを放つシルバーグレーの背広。
すでにオーケストラピットに入っていたオケの団員も人々の様子に気付き会場をきょろきょろしています。
氏がオペラファンだということは知っていましたが、遭遇したのは初めてです。
総裁選に勝利した直後に現れたオペラでは会場から拍手が起こった、と聴いたことがありましたが、そのときはすでに麻生政権、「元」宰相の小泉氏に拍手は起こらず、皆ただ眺めるだけ。

実際は小泉氏が手すり近くの最前列、SPの皆さんはドアに近い最後列にずらりと並んでいました。
彼らも一緒にドンジョバンニを鑑賞している様子が微笑ましかったです。

クリントン(夫)大統領は、現役時代毎朝やたらジョギングをしていましたが、それを東京に来た時もやるもんだから、日本側の警備が大変だったそうです。
毎日付き合わされているSPは平気だったそうですが、その周りをまた警護しないといけなかったわけで・・いい迷惑ですね。

小泉元首相のSPも、何時間もかかるオペラに仕事とはいえ付き合うわけですから、クラシック嫌いでつい寝てしまう、というような人にはいろんな意味で大変な任務でしょうが、案外オペラ面白いじゃん、ということでファンになってしまった方もいるんではないでしょうか。




「どんな男も首相になると何故か顔がぴかっと輝き、自信のオーラに包まれる」と、その昔宰相を近くで見てきた某氏に伺ったことがあります。
残念ながら、民主政権下の宰相に関してはとてもそう思えないのですが、このときの小泉氏を見て「やはり一国の首相まで務めた人間というものは何か不思議な光に包まれているようだ」と改めて実感した次第です。

政界を引退し、SP無しで好きなオペラに来られるようになった小泉氏に今シーズンももしかしたら遭遇するかもしれません。