イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

【再掲】やる気を出して10日間に望みましょう!

2009年11月18日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
皆さん、アッサラームアライクム

久しぶりの投稿です。

今日からズ・ル・ヒッジャ月に入りましたね。あの10日間が含まれた月です。一体どんな10日間かって?とってもとっても徳ある10日間なのですよ^ー^

去年こちらに掲載したものを再掲します。
事前に載せたかったのですが、事情あってPCが使えず・・・

では明日からも多くの報奨とアッラーの御満足を得られるよう、一緒に努力しましょう!

初日から体調不良のため計画通りのイバーダが出来ず凹む伊曼より。

******************
ズ・ル・ヒッジャ月最初の10日間の徳

【1.暁において、2. 10夜において、3. 偶数と奇数において、4. 去り行く夜において(誓う)。5. 本当にこの中には、分別ある者への誓いがあるではないか。】(89暁(アル=ファジュル)章1~5節)

☆☆☆イスラームにおける兄弟姉妹の皆さん、注目してください!☆☆☆

これは人生最大のチャンスです。
アッラーとの新しい一ページを作ることが出来ます。
これはアッラーの日々の中で最も徳のある日々です。
アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《この日々(ズ・ル・ヒッジャ月の最初の10日間)に行われる善行よりもアッラーが好まれるものはない。》皆が言いました:「アッラーの預言者よ、アッラーの道のためのジハードよりもですか?」「アッラーの道のためのジハードよりもです。しかし自分自身と自分の財産を持って(ジハードに)出かけて、何も戻ってこなかった者は別です。」

教友たちが、「ジハードよりもですか?!」と驚嘆している様子に注意してください!
そうなのです、大きな大きなチャンスなのです!
この機会に、あなたのアッラーとの関係を一新してみませんか?
過去の罪を消し去るほどの数え切れない善行の報酬を得ようではありませんか。
ジハードで財産と命と魂を捧げたのと同様の善行を得ようではありませんか。
あなたの心をイーマーン(信仰)で充電する機会にしようではありませんか。
この10日間のために、あなたは何の準備をしましたか?そして何をするつもりですか?
事が述べてきたように重要であるならば、
最後の10日に勝利者になれるよう、具体的に何をするべきかを限定する必要があります。
即席に行動したり、何とかなるだろうと思わないで、どうか、目標を作ってください。
いくつか計画を紹介しましょう。お勧めするのではなく、あなたたちに義務として実行してほしい。

人生に一度でよいから、全て実行してみてください。

【クルアーン完読計画】
-主の御言葉【われが(段階を追って)クルアーンで下したものは、信者にとっては(精神的な)癒しであり慈悲である。だが不義の徒にとっては只損失の種である。】(17-82)
-アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《アッラーの書の一文字を読むと、善行一つと数えられる。善行一つは10倍にもなる。私はアリフ・ラーム・ラーが一文字とは言わない。アリフは一文字、ラームは一文字、ミームは一文字である。》
-少なくとも、この10日間で完読することは重要です。
-あなたがクルアーンを読むことで・・アーヤがあなたの心の薬になるでしょう。
-クルアーンの中からあなたの心の薬を探しましょう。全ての読むアーヤ熟考してください。
-この10日間で完読するためには、毎日3ジュズ読む必要があるでしょう。
-3ジュズ分の善行のポイントを数えてみると・・一文字10ポイントとすると・・毎日50万のポイントを得ることになります!
-さあ、毎日、クルアーンから50万ポイントを得る善行を行おうではありませんか!
-またドッキリなお知らせが。この祝福された日々に、善行のポイントは倍加されます!
-さあ、頑張りましょう!

【各礼拝に宴会を計画】
-アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《マスジドに出かける者、そこから出る者にアッラーは天国で宴会(ワリーマ)を準備してくださる。(マスジドへ)出かけ、出るたびに。》ワリーマとは、客人のための宴会です。
-宴会の計画を紹介しましょう。
-アザーンの5分前にウドゥーを済ませて家を出てください。
-そしてマスジドに向かい、マスジドでアザーンの文句を繰り返してください。そして預言者祈願をしてください。そして心を研ぎ澄ませ集中させ、スンナ・カブリーヤ(義務の礼拝前のスンナの礼拝)をゆっくりと捧げてください。その後は座ってドゥアーをしてください。アザーンとイカーマの間のドゥアーは受け入れられないことはありません。
-主があなたをお選びになり、あなたの目を涙で潤してくださったとしたら、それはどんなに素晴らしいことでしょうか!
-そしてイマームの右側に立ち、かつ第一の列で礼拝に参加してください。この礼拝はあなたにとって大きな喜びになるでしょう。礼拝後、座って、アッラーにお赦しを請い、アッラーに感謝を捧げ、かれを念唱してください。そしてスンナ・バアディイヤ(義務の礼拝後のスンナの礼拝)を捧げてください。
-確実にあなたには実りがあるでしょう。
-ウドゥーの際に罪を落とす報酬が・・
-マスジドに向かうための一歩一歩が、あなたの位を上げ、報酬になります。
-アザーンの文句を唱えることにより罪が消され、また報酬になります。
-預言者(平安と祝福がありますように)へのドゥアーは、彼の取り成しを得ることであり、また報酬になります。
-アザーンとイカーマの間に捧げるドゥアーも報酬になります。
-タクビーラトゥ=ル=イフラーム、合同礼拝、第一の列に参加すること、列の右側に立つことすべてが報酬の対象です。
-アッラーにかけて!これらは宴会に相当しませんか?アッラーにかけて!実行できるのにしない人・・こういった人に皆さんはなんと名付けますか?

【ズィクル計画】
-アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われました:《これよりもアッラーのもとで偉大な日々はありませんし、この10日間に行われる行いよりもアッラーに好ましいものはありません。ですから、この間にタスビーフ(スブハナッラーと言うこと)とタフミード(アルハムドゥリッラーと言うこと)とタフリール(ラーイラーハイッラッラーと言うこと)とタクビール(アッラーフアクバルと言うこと)を多くしなさい》
-ということで、この10日間に全般的に重要なズィクルの言葉は、スブハーナッラー、アルハムドゥリッラー、ラーイラーハイッラッラー、アッラーフアクバルです。アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は以前に、これらの言葉はそれぞれ天国では一本の木であり、これらの言葉を口にすること発生する報酬はアッラーのもとでオホド山に相当します。
-では、いつこの言葉を唱えればいいのか?と思うでしょう。
-自分自身を慣れさせるように!とアドバイスしましょう。
-お出かけ中に。
-寝るために横になっているときに。
-おしゃべりを中断して、ズィクルしてください。食事中にも。
-早めにマスジドに行って、礼拝が開始されるまでこれらを唱えてください。
-アドバイスしたとおりに実行してもらえて、あなたがそれに慣れたとしたら(毎日出来ないと想像しますが)、1000回はズィクルしたことになるでしょう。毎日4000本の木が天国に植えられたことになります。この10日間にこれを実行すれば、天国にあるあなたの庭はどのようになるか想像できますか?
-10日間で広大な土地を所有できるのです!この機会を失う者はどんなにもったいないことか!

【断食計画】
-フナイダ・ブン・ハーリドが彼の妻が預言者(平安と祝福がありますように)の何人かの妻について伝えたところによると、彼女は言った:アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)はズ・ル・ヒッジャの9日とアーシューラーの日と毎月3日と月最初の月曜と木曜に断食をされていました。
-ですので、9日全て断食してください。一日も失ってはいけません。
-もし、不正者たちがあなたを邪魔をして、「このハディースは弱い(から根拠にならない)ぞ」と言うなら、《アッラーの道のために断食した者の顔をアッラーは火から遠ざけられるだろう》というハディースがあります。この日々は徳も多いことですし、どちらにしてもあなたは得をするのです。

【ハッジ・ウムラ計画】
-マスジドでの礼拝後から日の出までの時間、そしてその後に捧げる2ラクア。アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《朝の礼拝を合同で済ませ、太陽が昇るまでアッラーをズィクルし、2ラクアの礼拝を捧げた者には、ハッジとウムラと同様の完全な完全な完全な報酬があるだろう》。
-座っている間に:
-クルアーンを読む
-朝のズィクル(ハディース根拠のズィクル)
-悔悟の更新
-密かなドゥアー
-あなたを不当な目に合わせた人たちを許す
-新しいイバーダート(崇拝行為)

【アッラーにおける兄弟計画】
預言者(平安と祝福がありますように)は言われた:《預言者でも使徒でもないのに、彼らのアッラーに与えられた地位のため、審判の日に預言者たちと使徒たちがうらやむ人たちがしもべの中に存在します。》「アッラーの使徒よ、彼らが誰なのか、教えてください。」とたずねられると、《彼らは、血族関係のためでもなく、また金銭を渡し合うためでもなく、アッラーにおいて愛し合う者たちです。アッラーに誓って、彼らの顔には光があり、彼らは光の上にいます。人々が恐れるとき彼らは恐れず、人々が悲しむとき彼らは悲しまず、このアーヤを唱えます。【見なさい。アッラーの友には本当に恐れもなく、憂いもないであろう。】(ユーヌス章62節)》

-少なくともこの10日間のうち一度だけでも友人をイフタールに招待することを提案します。マグリブの30分前にはズィクルとドゥアーを。イフタール後30分は、アドバイスをし合い、クルアーン読みに耳を傾けましょう。その後、出来る範囲で彼らに本やカセットをプレゼントするのが良いでしょう。そして、
-断食者に食事を与える報酬を得ましょう。
-アッラーへの呼びかけの報酬を得ましょう。
-善を命じ、悪を禁じる報酬を得ましょう。
-善を行うために捧げる協力の報酬を得ましょう。
-信仰が揺らいでいる人たちを支える報酬を得ましょう。

【親族訪問計画】
アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われた:《人々よ、サラーム(の挨拶)を広げなさい。そして食事を与えなさい。そして親族を訪ねなさい。そして人々が寝ている夜に祈りに立ちなさい。平安とともに皆さん天国に入るでしょう。》
また言われた:《親族関係は玉座にぶら下がり、「私をつなげる者はアッラーとつながるだろう。私を絶つ者はアッラーから絶たれるだろう。」と言う。》

-だから以下のことに注意してください。
-少なくとも一日30分間、両親に孝行になることを行ってください。
-親族を訪問すること。
-近隣の人たちに寛大に振舞うこと。
-兄弟であるムスリムに喜びを差し入れること。

【アラファの日計画】
まず、親愛なる兄弟、この日がどれほど重要か気づいていますか?アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《アラファの日の断食は、2年間(の過ちなど)を洗い流す。過去と、未来と。》

それでは一緒に数えてください。12時間の断食=24月の赦し
親愛なる兄弟、もう一度一緒に数えてください。一日は24時間。ということは、一日毎一時間=一月分の赦し
ということは、毎60分=60日
では、毎一分=一日
理性ある人がこの日の一秒を無駄にすることなど考えられますか?あなたならどうしますか?
ファジュルの30分前にマスジドに行って、この日あなたを成功させ、罪から守ってくださるようアッラーに懇願すること。

【イードの日計画】
イードの日は一年で最も徳のある日であることを知っておいてください。ということで、以下の計画を。
-サラートゥ=ル=イード(イードの礼拝)で一日を開始し、皆に幸せにまた笑顔で接すること。
-両親、親戚、友人を訪ねること。
-犠牲。それは高いなぁとあなたは言うかもしれませんが、友人と経済的に出来る範囲で羊一匹を共有するといいでしょう。

【忙しい人たちのみ】
数々のチャンスについて述べた後に、自分は忙しいからとか絶対出来ないと言う人はいないと思いますが、定期試験などで時間を取られている人がいることは知っています。
そういう人たちのために次のことをやってもらいたいと思います。
-マスジドで行われる各礼拝30分前か後、ファジュルの1時間前に以下のことを行ってください。
-各礼拝の30分前にクルアーン読みとズィクル
-毎日の断食。イフタール時のあなたのドゥアーは受け入れられます。
-ファジュル前のキヤームッライル(の礼拝)。
-自分自身に善行を禁じないこと。

いやいや・・・
この日々には、毎時間ではなく毎分、清算について思い出すようにしてください。各分が赦しに相応するのが、この祝福された日々なのです。だからこそ、信者の宝であるアッラーのもとで最も徳のある日から一分も無駄にしないでください。

私たちと皆さんの行いが受け入れられ、また成功を授かるよう、アッラーにおたずねします。

「証言」② (I先生の講話の訳)

2009年10月22日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
(「証言」①の続き)

「証言」とは、見たことに対して使う言葉です。
「誰がこのことについて証言しますか?」という問いに答える人は、「私は証言します。私は目撃しました。」と言うでしょう。
ですから、証言=目撃であると理解できます。
「ラーイラーハイッラッラー」と証言することは、「アッラー以外に愛すべき存在は無く、かれこそが最初に目を向けるべき存在であること」を、心、感情で感ずる、という意味です。

近い将来、あなたがアラビア語を習得することを、アッラーがをお望みになって、あなたがクルアーンを完読したら、あなたは(一般の)ムスリムの姿が、クルアーンの中にある描写と違うことにと気づくでしょう。
また、彼らの言葉である「ラーイラーハイッラッラー」のために、大きな行動が必要であることが分かるでしょう。

「私は、医学部に入りたい」と仮定します。
必要な手続きをし、お金を払い、教科書を買い、勉強すれば、私が医学部に入ったことを証言できますが、口先だけで「医学部に入った」と言っても意味はありません。

「私はアッラーの他に神はなく…」という言葉はとても美しいものです。
口にするだけでも美しいですが、この言葉の意味を感じられたなら、更に素晴らしいでしょう。
アッラーは、私たちを幸せにしてくださるために、私たちを創造し給いました。
私たちが本当の幸せを感じる瞬間とは、私たちの心の中で、アッラーが一番の存在になるときです。
なぜなら、かれは私たちに、この世をどのようにして生きていけばよいかを教えてくださるからです。

時々魂は、アッラーが命ずる反対のことを私にさせようとします。
アッラーは私に、「浪費しないように」と命じ給いますが、魂は「浪費しろ」と言います。
もしアッラーが私の心の中で一番の存在であるなら、魂の言うことを捨て、アッラーのお言葉を聞くことでしょう。
しかし魂が勝ってしまう場合、私はイスラームに対して間違いを犯すことになります。
また、唱えた証言がうそになってしまい、これを正さなくてはいけなくなります。
ですからムスリムは、人生の中でいつもこの言葉に気を付ける必要があるのです。

ここで注意していただきたいのは、「愛」には、「知ること」が必須であることから、
アッラーを愛するためには、かれのことを知る必要があるということです。
私たちは、「知らないもの」を愛せません。
また、知らないものについて愛そうと思いつくこともありません。
しかし知り、自分がかれ(アッラー)を必要としていると分かると、かれに執着するようになります。

小さな子供が一番愛している存在とは何でしょうか。
それはお母さんです。
なぜでしょうか。
答えは、「子供が彼女を必要としているから」です。
子供は大きくなると、小さかったときよりも母親を必要としなくなります。
変わるということです。
ではなぜ、小さいときには母親が一番なのでしょうか。
母親が、子供が必要とするものをすべて与えてくれるからです。
理由は、食事、飲み物など。「彼女を必要とすること」が、「彼女をとても愛する」、ということなのです。
子供が母親を必要としないことはありません。怯えるときに、一番に呼ぶ名は「お母さん」です。
よく、部屋で独りぼっちになって、怖いときにお母さんを呼びますね。
ムウミン(信仰者)が、「証言」するとき、この子供のように、自分はアッラーをとても必要としているのだと感じなければなりません。
これを理解するための熟考は、あまり必要ではありません。
私たちが所持しているものすべては、アッラーのものです。
私の持っている目。
アッラーが与えてくださらなかったら、私は見ることが出来なかったでしょう。
アッラーは、盲目の人を創造し給うことがありますが、人々に(アッラーの恩恵を)思い出させる以外にその理由はありません。
この耳も同じです。
もしアッラーが私に与えてくださらなかったら、私は何も聞くことが出来なかったでしょう。
この指を見てください。
アッラーは、私が何かを運ぶとき、指がこういう風に作られていると有利なことを最も御存知であるため、
私をこのように創造し給いました。
もし指が、間接の部分で曲がらなかったりしたら、私は何も運べなかったでしょう。
すべて、アッラーからのものです。
私はかれを愛しています。
私のためにさまざまなものを創造してくださりました。
唇も同じです。
コップで水を飲むとき、指のようなつくりになっていたら、私は水を飲めなかったでしょう。
体の部分の中で、自在に動かせ、大きくしたり小さくしたり出来る部分は、この唇以外にありません。
これらすべてが、私にとって、アッラーを拝めたいと思う源なのです。

病院の一室に、大きな箱型の機械があるのを見たことがありますか?
それは人工透析機(アラビア語で人口腎臓)です。
人間の腎臓の働きをするものです。どんなに大きいか気がつきますか?
私たちが今いる部屋と同じくらいの大きさの機械です。
人間と機械の間にチューブが介され、人間の血液がこの機械で浄化される仕組みになっています。
この洗浄運動は大きな疲労を伴うため、
人間の体は、週に二度しか、この機械による血液の浄化を受け付けることができません。
私たちの体の中に、この機械と同じ働きをする腎臓という器官があることはご存知ですね。
この腎臓が、一日に何度あなたの体内の血液を浄化すると思いますか?
三十六回です。
毎日です。
その上、報酬を求めることはありません。
アッラーは決して、「あなたたちの血液を浄化したのだから、報酬を出しなさい」とは仰りません。
病院で血液を浄化するにはお金を払わなければなりません。
しかも高額です。

アッラーを愛するためには、つまり「アッラーの他に神は無い」と証言するためには、かれのことをよく知る必要があります。
なんとなく語られる言葉ではないのです。
人間は誰でも、何か決断を下すとき、前もってそのことについてきちんと調べているものです。
「シリアに旅行したい。」と決めたなら、あなたはきっといろいろな準備をするでしょう。
ビザやチケット、お金、泊まる場所の確保などです。
これら全てが整えば、あなたにシリア行きは可能となります。

私が、「ラーイラーハイッラッラー(アッラーの他に神は無し)」と言うとき、自分に負わされた責任を知っている必要があります。
礼拝や斎戒を行うだけではないのです。
責任とは、アッラーが私の人生で一番大切であることです。
そして、アッラーが私の人生で一番大切であるためには、かれについてよく考えなければなりません。
かれは私に何を賜ってくださったか、私に何をしてくださったか、私に何を提供してくださったか。
この熟考の末、「私に、何が求められているのか」を考えます。
「なぜかれは私を創造されたのか?」と考えます。
食べ、飲むためだけに創造されたのでしょうか?
羊や猫も食べ、飲みます。
いいえ。人間と動物には違いがあります。
人間はアッラーによって創造され、尊厳を与えられました。
もし人間の創造が、飲食と繁殖のためだけだったならば、ほかの創造物と区別がなくなってしまいます。
人間だけに与えられた、特別な何かがあるはずです。
この特別な何かによって、人間はほかの創造物と違っていられます。
それでは、一体この特別な何かとは何でしょうか?
それはクルアーン中のアル=アハザーブ章(部族連合章)の最後の節にあります。

「本当にわれは、諸天と大地と山々に信託を申しつけた。だがそれらはそれを、担
うことを辞退し、且つそれについて恐れた。人間はそれを担った。」

クルアーンの中には、ほかにもたくさん、人間とほかの創造物を区別する節がありますが、この節が一番はっきりと、このことを説明しています。
この人間に課せられた「信託」とは一体何でしょうか?
諸天、大地、山々が辞退し、人間だけが背負うことになった「信託」。人間がもしアッラーに服従したならば、尊厳と高貴さを与えられます。
この「信託」についてアッラーは仰せられます:

「わたしの創造物全てを、あなた(人間)の役に立つようにしよう。あなたはそれら全てをわたしの服従のために使いなさい。」

「証言」① (I先生の講話の訳)

2009年10月17日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
今から紹介するハディースは、伝承された中で、イスラームの定義を最も強く説明しているものです。今回はその前部についてお話します。
このハディースの中には、気を配られない一言があるために、
多くの人がイスラームを間違って理解してしまっています。
このハディースは、

「イスラームは五つから成り立っている」

と言っており、「イスラームは五つである」とは言っていません。
この二つの表現には違いがあります。
椅子で例えてみます。「この椅子は四本の足で存在している」と、「この椅子は四本の足である」という表現の違いを考えてみてください。
「イスラームは五つから成り立っている」は、「イスラームは五要素によって存在している」という意味です。
アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒であるという証言、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼だけがイスラームというわけではありません。これらは柱であり、その下にさまざまなイスラームの要素が続きます。

では、イスラームとは何でしょうか。
イスラームとは、クルアーンとスンナ(預言者(平安と祝福がありますように)の言行録)にあることを実行することです。
もちろんその前に、すでに証言、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼が実行されている必要があります。しかし残念ながら、多くのムスリムがこのことに気づいていません。
ある人は礼拝すればムスリムになれたと思い込み、また違う人は斎戒すればムスリムになれたと思い込んでいます。
同じく、喜捨をし、巡礼を全うした人もそう思い込んでいます。
しかし、これらのことを行っただけではイスラームを実現したことにはならないのです。
これらはイスラームの存在の証明です。
人間は、生きている全ての瞬間、ムスリム(アッラーに仕えるしもべ)でいる必要があります。
四六時中、礼拝や斎戒は出来ませんが、いつでもムスリムでいなければならないのです。

前回までに、四つの要素(礼拝、斎戒、喜捨、巡礼)についてお話してきましたが、今回は一番大切な要素である、「(アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒であるという)証言」についてお話します。

ムスリムは最初に、この証言を求められます。「証言する」と「言う」には、違いがあります。証言する、とはどういう意味でしょうか。
それは「感じる」ことです。
体の中で、心で感じることです。
「ラーイラーハイッラッラー(アッラーの他に神はない)」と唱えても、それを心で感じていなければ、言っていることと心にあることが一致しないことになります。この不一致は、偽りの信仰を意味します。
つまり、イスラームは心なのです。
「ラーイラーハイッラッラー」を心で感じる。
アッラーこそ、私の人生で最も重要である、と心で感じることです。

アラビア語で、「ラーイラーハ la ilaha(神は無い)」の中にある、イラーフilah(神)という単語は、動詞「ワラハ walaha」から派生しています。
この単語は、「激しく愛すること」を意味します。
愛情には、階級があります。その中で最も高い位の愛を、「ワラハ」といいます。
すると、「イラーフ」は、「最も愛される存在」という意味になります。
「ラーイラーハイッラッラー」は、一番愛される存在はアッラー以外に無し、という意味になります。
しかし、私がこの言葉を口にしながら、もし心の中にアッラーよりも愛している存在があった場合、嘘をついたことになります。
そうならないよう、「ラーイラーハイッラッラー」と唱える前に、よく考えてください。
真実について。
あなたはこの言葉の意味を証言するのか、あなたの心の中にこの言葉は存在するのか?
アッラーは、あなたの心、あなたの夫、子供、友人、食べ物飲み物、服、財産の上におられます。
私は、責任を持たずにこの言葉を口にすることで、アッラーの御前で嘘つきになってしまうことを本当に怖れます。
この思考こそが、「証言」なのです。

シャアバーン月の断食

2009年07月25日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
シャアバーンに際して

 今日でシャアバーン月3日です。紹介するには少し遅れましたが、シャアバーン月に任意の断食が奨励されることを以下に載せます。
 ラマダーンに備えて、精進しましょう。
 アッラーのお力添えがありますように。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【ハディース①】
ウサーマ・イブン・ザイドは言った:アッラーの使徒よ、私はあなたさまがシャアバーン月ほど違う月に断食されるのを見たことがありません。彼は言われた:《その月こそが、人々が忘れがちなラジャブとラマダーンに挟まれた月。その月に諸々の主に全行為が上げられるのだが、私は自分の行為が断食している間に上げられるのを好む。》(アブー・ダーウードとアン=ナサーイー他が出典)

※しもべの行いは毎日、一週間分の行いは月曜日と木曜日、一年分の行いはシャアバーンにアッラーに提示されることについて二つ見解があります。
1.この「行いの提示」には英知があり、アッラーには隠されるしもべの行いなど何もないけれども御自身の好きなしもべにそれを知らせ給います。
2.一日分の提示は細かく、一週間分の提示、一年分の提示・・と間隔が大きくなるにつれて、提示されるときの詳細度が大まかにります。

【ハディース②】
 アーイシャは言った:アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、シャアバーン月を断食する月として好まれ、ラマダーンに続くようにして断食されました。(アブー・ダーウード他出典)

【ハディース③】
 アーイシャは言った:アッラーの使徒(平安と祝福あれ)は、断食を解かれないのではと私たちが思うほどに断食をされ、また断食しないのではないかと私たちが思うほど断食されないこともありました。また、ラマダーン以外の月に断食を一ヶ月で完結されることを見たことがありません。そしてシャアバーン月以上に断食されたのを私は見たことがありません。(アル=ブハーリーとムスリム出典)

※ムスリムによる他の伝承には、「彼はシャアバーン月に少ししか断食されなかった」ともあるため、シャアバーン月に多く断食していた年があり、そうでなかった年もあったということでしょう。もしかすると、シャアバーン月の断食をムスリムたちに義務だと思わせてしまうのを避けるためだったかもしれません。イブン・ラジャブという学者は、「ラマダーンに入って突然の断食で疲れてしまわないよう、体を徐々に慣らしていくという目的のシャアバーン月の断食が奨励されるのかもしれない」と言っています。

 これらのハディースから、シャアバーン月の断食の得がどれほど大きいものか分かると思います。ハディースに倣い、一月全部を断食するのではなく、その多くを断食するのが良いです。また、ラマダーンが始まる前の1,2日間はハディース(アル=ブハーリー出典の、ラマダーンの一日か2日前に断食をしてはいけない。その日にすでに断食をしている者は別で、その者は断食を済ませること、というハディース)に基づき、断食をするべきではありません。

お金がなくてもサダカは出来る

2009年07月24日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
【ハディース】
 アブー・ザッル(アッラーのご満悦あれ)は言った:アッラーの使徒(平安と祝福あれ)の仲間のある人たちが、預言者(平安と祝福あれ)に次のように言った:アッラーの使徒よ、裕福な者たちは報酬を先取りしています。彼らは私たちと同じように祈り、私たちが行うように断食します。そして彼らの余分なお金をサダカしているのです。彼は言われた:《アッラーはあなたたちにサダカするものを与え給わなかったのか?まことにあなたたちがタスビーハ※を一つするたびにそれはサダカとなり、タクビーラ※も、タハミーダ※も、タハリーラ※もサダカとなる。善を勧めることもサダカであり、悪を禁じることもサダカである。あなた方の性交もサダカとなる。》人々は言った:アッラーの使徒よ、私たち
の誰かが欲望をもってそれを行ったら、報酬があると言われるのですか?彼は言われた:《もし彼が禁じられた方法で行ったなら、罪を負うではないか?合法な方法で行ったなら、それに対して彼は報酬を得るのだ。》アル=ブハーリーとムスリム伝承

 ※タスビーハ:スブハーナッラーという文句
  タクビーラ:アッラーフアクバルという文句
  タハミーダ:アルハムドゥリッラーという文句
  タハリーラ:ラーイラーハイッラッラーという文句

●善行において競い合いたい教友たち
 預言者(平安と祝福あれ)に詰め寄った多数の教友たちは、マディーナに移動した貧しいムハージルーンと少数のアンサールです。ムハージルーンの多くが貧しい理由は、マッカにすべてを置き去りにして、逃げるようにマディーナにやって来たことです。彼らは以前に預言者(平安と祝福あれ)より聞いた、「サダカは(信仰の)証である」という言葉を、貧しいがために実行できず、つまり、自分達が信仰を明かせることができずにいることに不安とやるせなさを感じていたわけです。裕福な信者は自分達と同じように礼拝と断食をこなし、余分なお金をサダカしていては、競い合うことなどできません。そこで彼らは、アッラーに近づくための競争を行いたい一心で、集まって預言者(平安と祝福あれ)に窮
状を訴えたのでした。彼らは施すお金がないことを悲しみ、涙を目に溜めました。私達には、彼らが達した位に到達するために必要なサダカを施せません、しかし私達も彼らが得た位に到達したいのです、と。
 彼らの言葉を受け止めた預言者(平安と祝福あれ)は、善行の門は大きく開かれていること、またサダカをした人と同じ報酬を得られる行いがあることを説きました。アッラーは責任以上のことをしもべに負わせ給わないのです。預言者(平安と祝福あれ)は言われました。「アッラーはあなたたちにサダカするものを与え給わなかったのか?そうではないだろう。あなたたちには実に数多くのサダカが示されている。」
 預言者(平安と祝福あれ)はまず、「ズィクル」が自分自身に対する最良のサダカであることを説明されました。余分なお金がないならば、至高偉大なるアッラーを賞賛しなさいということです。一言一言に報酬があり、「バーキヤトッサーリハート(永遠に残る善行)」という名で知られているものです。「だが永遠に残る善行こそは、主の御許では報奨において最も優れ、また希望(の基礎)としても最も優れたものである。」(洞窟章46節)にあるように、その徳の大きさははっきりしています。
 次に預言者(平安と祝福あれ)が示したサダカは、「勧善懲悪」です。自分にできる範囲で行うもので充分です。人々に善いことを勧め、害を制することに対する報酬は、金銭をサダカする者の報酬に劣らないどころか、さらに優れているものでしょう。《すべての親切はサダカである》というムスリム伝承のハディースがあります。イスラーム共同体は、人類に輩出された最も優れた勧善懲悪をする団体なのです。
 またアッラーは私達に、「正しいニーヤに基づいて」朝に昼に行っていることに対しても良い報酬を準備し給いました。その一つを、《家族と妻に対する男性の扶養は、サダカである》というムスリムなどが伝承したハディースに見出すことができます。ほかに、《アッラーの御顔を求めて扶養のために出したものに対する報酬はかならず発生する。あなたの妻に運ぶ、一口の食べ物に対してもだ。》(アル=ブハーリーとムスリム出典)というハディースもあります。

胸を開くための条件

2008年12月02日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
アッサラームアライクム ワラフマトゥッラー

同胞の皆さん、皆さんの心の状態はいかがですか?
苦しんでいませんか?
私は、苦しいです。
↓を参考に、少しでもさっぱり出来ますように。
アーミーン
もとはこちら
 ゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜

イブン・カイイム(アッラーの慈悲あれ)が述べた、胸を開くために最も重要な条件:

1 タウヒード(唯一神性)。それの完成度や、強さ、増幅度によって、人の心の爽快さは決まります。至高なるアッラーは仰せらました:【أَفَمَن شَرَحَ اللَّهُ صَدْرَهُ لِلْإِسْلَامِ فَهُوَ عَلَى نُورٍ مِّن رَّبِّهِ】(アッラーが、胸を開きイスラームとし、主からの御光を受けた者が(そうでない者と)同じであろうか。)(39-22)、【فَمَن يُرِدِ اللّهُ أَن يَهْدِيَهُ يَشْرَحْ صَدْرَهُ لِلإِسْلاَمِ وَمَن يُرِدْ أَن يُضِلَّهُ يَجْعَلْ صَدْرَهُ ضَيِّقاً حَرَجاً كَأَنَّمَا يَصَّعَّدُ فِي السَّمَاء】(凡そアッラーが導こうと御望みになった者は、イスラームのためにその胸を開く。だが迷うに任せようと御考えになった者には、その胸をまるで天に登ろうとするかのようにしめせばめる(もがき苦しめる)。)(6-125)そのため、導きとタウヒードが胸を広げるために最も重要な条件であり、多神と迷いが胸を狭め、苦しめる原因であると言えます。

2 アッラーがしもべの心に投げかける光―それはイーマーン(信仰)の光―です。それは胸を開き、広くし、心に喜びをもたらします。この光がしもべの心から失われると、苦しくなります。そして最も狭く、困難な牢獄へと変化します。

 アッ=ティルミズィーが彼の「ジャーミウ」の中で預言者(平安と祝福がありますように)について伝えたことによると、彼は言われました:《「光が心に入ると、広げられ、ゆるみます。」アッラーの使徒よ、その兆候は何ですか?と彼らが言うと、「永遠の世界に帰ること、欺瞞の世界に背を向けること、死が降下する前にそのための準備をすることです。」》。そのためしもべは光の分け前に応じた胸の開きを得ます。感覚的な光と感覚的な闇も胸を開き、また苦しめます。

3 知識。知識は胸を開き、広くし、現世よりも広大になることもあります。無知は苦しみと制限、閉鎖を継承します。しもべの知識が深まるたび、胸は開かれ、広くなりますが、全ての学問が対象ということではなく、アッラーの使徒から受け継がれてきた有益な知識がその対象です。その持ち主たちは、最も胸が開かれ、広い心を備え、良く行儀をわきまえ、善良な生活を送る人たちです。

4 至高なるアッラーに帰ること。心の底からのかれへの愛。かれに接近すること。かれへの崇拝に至福を得ること。これ以上にしもべにとって胸が開かれることはありません。その気持ちといったら、ああ、このような状態で天国にいることが出来たら、きっと私は素晴らしい生活の中にいるのだろうなあ、と口走ることでしょう。マハッバ(親愛)は、心の開放、魂の安泰、心の至福に驚くべき影響を与えます。感覚を持つ人しかそれを知ることはありません。マハッバが強く激しくなるたびに胸は広がり、開かれます。胸が狭められるのは、このこと(心の開放)に無関心な暇な人たちを目にするときだけです。彼らを目にすることは困惑であり、彼らと交わることは魂が出す高熱となります。

 胸が狭められる最大の原因は、アッラーに背くこと、心がかれ以外に傾倒すること、かれを念唱することに不注意になること、かれ以外を愛することです。アッラー以外のものを愛した場合、それで罰せられます。また他を愛したために彼の心は閉じ込められます。彼以上に不幸で心が疲労して欠けた者は地球上に存在しないでしょう。マハッバは2種類あります。マハッバ、それは現世の楽園、自我の喜び、心の歓喜、魂の至福、栄養、薬であるどころか、魂の命であり、喜びです。それは心の底からのアッラーおひとりへのマハッバです。傾倒力と意志とマハッバ全てをかれにささげることです。

 またマハッバは、魂の苦しみ、心の閉塞、胸が狭められることでもあります。マハッバは痛みと不幸と苦しみの原因なのです。それは、至高なるお方以外へのマハッバです。

5 どんな状態にあっても常にズィクルすること。ズィクルは胸を開き、心に至福をもたらす驚くべき影響力を持ちます。無関心は、胸を狭め、苦しみをもたらす驚くべき影響力を持ちます。

6 創造物に誠意を尽くすこと。持ちえる財産や地位で彼らを益することなどの誠意。寛大な誠意者は人々の中で最も胸が開かれ、自我が満たされ、心が至福で満たされています。誠意を持たない吝嗇者の胸は狭く、不幸な生活を送り、誰よりも苦難を抱えています。アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)はサヒーフの中で吝嗇者と施しをなす者を例えられました。鉄で出来た盾を付けた二人の男の話です。施しを気にし、施しをするたびにこの男の盾は広く、大きくなり、服を引きずって出来た跡も消えてしまいました。そしてケチな男が施しに悩むと、鎖の一つ一つは動かず、盾は大きくなりません。これが、施しをする信者の胸が開かれる例と吝嗇者の胸が狭められる例です。

7 勇気。勇気は胸を開き、心を広くします。臆病者は、最も胸が狭く、心が包囲されている者です。彼には喜びも楽しみもありません。家畜が得るような至福や楽しみ以外彼にはありません。魂の喜びと楽しみと至福と感嘆は、全ての臆病者に禁じられています。同様にそれらは吝嗇者にも禁じられています。また、至高なるアッラーに背く者、かれを想うことに無関心な者、かれとかれの美名、性質、教えに無知な者、かれ以外に心を奪われている者すべてにも禁じられています。この至福と喜びは墓の中で大きな庭園に変わり、あの苦しみと閉塞感は墓の中で罰となり監獄に変わります。しもべが墓にいるときの状態は、胸の中にある心の状態のようです。安楽と罰、監獄と自由。(以下省略)

8 心の欠点、つまり心を狭め苦しめる悪い性質を心から追い出すこと。人間が胸を開放する条件を準備しても悪い性質を心から追い出さなかったら、胸は開かれることはありません。(以下省略)

9 余分な視線、会話、嗜好、交友、食事、睡眠を捨てること。これらは痛みと不安に変わるからです。心の中にある不安は心を制限し、閉じ込め、締め付け、苦しめます。現世と来世の苦しみの多くはそれからやってくるのです。これらの災難を弓で突かれた人の胸がどんなに窮屈であることか・・・・どんなに不幸な生活を送っていることか・・・・どんなに悪い状態にあるか・・・・どんなに胸が狭められているか・・・。喜ばれる性質を弓で突かれた人の生活がどんなによいものか。その人の関心事はそれ(喜ばれるし性質)と共にあったのです!そのため、至高なるお方の言葉【إِنَّ الْأَبْرَارَ لَفِي نَعِيمٍ】(敬虔な者は、必ず至福の中にいる。)(82-13)から多くの分け前があるでしょう。また、【وَإِنَّ الْفُجَّارَ لَفِي جَحِيمٍ】(罪ある者は、きっと火の中にいるだろう。)(82-14)からも多くの分け前があるでしょう。この二つの間にはアッラーしか数えることの出来ない多くの階級があります。

 つまり:アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は胸が開かれるため、心を広くするため、目の喜びのため、魂の命のための性質全てを完璧に備えた創造物であったということです。(以下省略)

 追従される最も完全な創造物とは、彼らの中で完全に(胸が)広がっている人です。彼に追従する度合いによってしもべの胸は開かれ、目の喜びを得、魂の喜びを得ます。彼(預言者)こそ、最も胸が開かれた方、お名前が高く掲げられた方、重荷を背から降ろされた方です。彼に追従する者には追従する程度に応じた分け前があるでしょう。

 このように、彼の追従者にはアッラーが彼らに準備してくださっている分け前、彼らに対する保護、応援、愛情があるのです。それは追従の程度によるので、減ったり増えたりします。善いものを見出したならアッラーを讃えてください。それ以外を見出した者は自分以外を責めてはいけません。

 アッラーの使徒ムハンマドと彼の一族と教友にアッラーの祝福と平安がありますように。

やる気を出して10日間に望みましょう!

2008年11月28日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

アッサラームアライクム ワラフマトゥッラー

インシャーアッラー、明日からズ・ル・ヒッジャ月に入ります。
以下は、シリアの母校の先生から届いた転送メールより抜粋した、ズ・ル・ヒッジャ月最初の10日間を成功に導くためのアドバイスというか計画書。
全てを完遂することはおそらく無理だろうと思いますが、とりあえず訳しました。マスジド云々は男性に向けられたアドバイスです。女性はお家で頑張りましょう。

☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆

ズ・ル・ヒッジャ月最初の10日間の徳

【1.暁において、2. 10夜において、3. 偶数と奇数において、4. 去り行く夜において(誓う)。5. 本当にこの中には、分別ある者への誓いがあるではないか。】(89暁(アル=ファジュル)章1~5節)

☆☆☆イスラームにおける兄弟姉妹の皆さん、注目してください!☆☆☆

これは人生最大のチャンスです。
アッラーとの新しい一ページを作ることが出来ます。
これはアッラーの日々の中で最も徳のある日々です。
アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《この日々(ズ・ル・ヒッジャ月の最初の10日間)に行われる善行よりもアッラーが好まれるものはない。》皆が言いました:「アッラーの預言者よ、アッラーの道のためのジハードよりもですか?」「アッラーの道のためのジハードよりもです。しかし自分自身と自分の財産を持って(ジハードに)出かけて、何も戻ってこなかった者は別です。」

教友たちが、「ジハードよりもですか?!」と驚嘆している様子に注意してください!
そうなのです、大きな大きなチャンスなのです!
この機会に、あなたのアッラーとの関係を一新してみませんか?
過去の罪を消し去るほどの数え切れない善行の報酬を得ようではありませんか。
ジハードで財産と命と魂を捧げたのと同様の善行を得ようではありませんか。
あなたの心をイーマーン(信仰)で充電する機会にしようではありませんか。
この10日間のために、あなたは何の準備をしましたか?そして何をするつもりですか?
事が述べてきたように重要であるならば、
最後の10日に勝利者になれるよう、具体的に何をするべきかを限定する必要があります。
即席に行動したり、何とかなるだろうと思わないで、どうか、目標を作ってください。
いくつか計画を紹介しましょう。お勧めするのではなく、あなたたちに義務として実行してほしい。

人生に一度でよいから、全て実行してみてください。

【クルアーン完読計画】
-主の御言葉【われが(段階を追って)クルアーンで下したものは、信者にとっては(精神的な)癒しであり慈悲である。だが不義の徒にとっては只損失の種である。】(17-82)
-アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《アッラーの書の一文字を読むと、善行一つと数えられる。善行一つは10倍にもなる。私はアリフ・ラーム・ラーが一文字とは言わない。アリフは一文字、ラームは一文字、ミームは一文字である。》
-少なくとも、この10日間で完読することは重要です。
-あなたがクルアーンを読むことで・・アーヤがあなたの心の薬になるでしょう。
-クルアーンの中からあなたの心の薬を探しましょう。全ての読むアーヤ熟考してください。
-この10日間で完読するためには、毎日3ジュズ読む必要があるでしょう。
-3ジュズ分の善行のポイントを数えてみると・・一文字10ポイントとすると・・毎日50万のポイントを得ることになります!
-さあ、毎日、クルアーンから50万ポイントを得る善行を行おうではありませんか!
-またドッキリなお知らせが。この祝福された日々に、善行のポイントは倍加されます!
-さあ、頑張りましょう!

【各礼拝に宴会を計画】
-アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《マスジドに出かける者、そこから出る者にアッラーは天国で宴会(ワリーマ)を準備してくださる。(マスジドへ)出かけ、出るたびに。》ワリーマとは、客人のための宴会です。
-宴会の計画を紹介しましょう。
-アザーンの5分前にウドゥーを済ませて家を出てください。
-そしてマスジドに向かい、マスジドでアザーンの文句を繰り返してください。そして預言者祈願をしてください。そして心を研ぎ澄ませ集中させ、スンナ・カブリーヤ(義務の礼拝前のスンナの礼拝)をゆっくりと捧げてください。その後は座ってドゥアーをしてください。アザーンとイカーマの間のドゥアーは受け入れられないことはありません。
-主があなたをお選びになり、あなたの目を涙で潤してくださったとしたら、それはどんなに素晴らしいことでしょうか!
-そしてイマームの右側に立ち、かつ第一の列で礼拝に参加してください。この礼拝はあなたにとって大きな喜びになるでしょう。礼拝後、座って、アッラーにお赦しを請い、アッラーに感謝を捧げ、かれを念唱してください。そしてスンナ・バアディイヤ(義務の礼拝後のスンナの礼拝)を捧げてください。
-確実にあなたには実りがあるでしょう。
-ウドゥーの際に罪を落とす報酬が・・
-マスジドに向かうための一歩一歩が、あなたの位を上げ、報酬になります。
-アザーンの文句を唱えることにより罪が消され、また報酬になります。
-預言者(平安と祝福がありますように)へのドゥアーは、彼の取り成しを得ることであり、また報酬になります。
-アザーンとイカーマの間に捧げるドゥアーも報酬になります。
-タクビーラトゥ=ル=イフラーム、合同礼拝、第一の列に参加すること、列の右側に立つことすべてが報酬の対象です。
-アッラーにかけて!これらは宴会に相当しませんか?アッラーにかけて!実行できるのにしない人・・こういった人に皆さんはなんと名付けますか?

【ズィクル計画】
-アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われました:《これよりもアッラーのもとで偉大な日々はありませんし、この10日間に行われる行いよりもアッラーに好ましいものはありません。ですから、この間にタスビーフ(スブハナッラーと言うこと)とタフミード(アルハムドゥリッラーと言うこと)とタフリール(ラーイラーハイッラッラーと言うこと)とタクビール(アッラーフアクバルと言うこと)を多くしなさい》
-ということで、この10日間に全般的に重要なズィクルの言葉は、スブハーナッラー、アルハムドゥリッラー、ラーイラーハイッラッラー、アッラーフアクバルです。アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は以前に、これらの言葉はそれぞれ天国では一本の木であり、これらの言葉を口にすること発生する報酬はアッラーのもとでオホド山に相当します。
-では、いつこの言葉を唱えればいいのか?と思うでしょう。
-自分自身を慣れさせるように!とアドバイスしましょう。
-お出かけ中に。
-寝るために横になっているときに。
-おしゃべりを中断して、ズィクルしてください。食事中にも。
-早めにマスジドに行って、礼拝が開始されるまでこれらを唱えてください。
-アドバイスしたとおりに実行してもらえて、あなたがそれに慣れたとしたら(毎日出来ないと想像しますが)、1000回はズィクルしたことになるでしょう。毎日4000本の木が天国に植えられたことになります。この10日間にこれを実行すれば、天国にあるあなたの庭はどのようになるか想像できますか?
-10日間で広大な土地を所有できるのです!この機会を失う者はどんなにもったいないことか!

【断食計画】
-フナイダ・ブン・ハーリドが彼の妻が預言者(平安と祝福がありますように)の何人かの妻について伝えたところによると、彼女は言った:アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)はズ・ル・ヒッジャの9日とアーシューラーの日と毎月3日と月最初の月曜と木曜に断食をされていました。
-ですので、9日全て断食してください。一日も失ってはいけません。
-もし、不正者たちがあなたを邪魔をして、「このハディースは弱い(から根拠にならない)ぞ」と言うなら、《アッラーの道のために断食した者の顔をアッラーは火から遠ざけられるだろう》というハディースがあります。この日々は徳も多いことですし、どちらにしてもあなたは得をするのです。

【ハッジ・ウムラ計画】
-マスジドでの礼拝後から日の出までの時間、そしてその後に捧げる2ラクア。アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《朝の礼拝を合同で済ませ、太陽が昇るまでアッラーをズィクルし、2ラクアの礼拝を捧げた者には、ハッジとウムラと同様の完全な完全な完全な報酬があるだろう》。
-座っている間に:
-クルアーンを読む
-朝のズィクル(ハディース根拠のズィクル)
-悔悟の更新
-密かなドゥアー
-あなたを不当な目に合わせた人たちを許す
-新しいイバーダート(崇拝行為)

【アッラーにおける兄弟計画】
預言者(平安と祝福がありますように)は言われた:《預言者でも使徒でもないのに、彼らのアッラーに与えられた地位のため、審判の日に預言者たちと使徒たちがうらやむ人たちがしもべの中に存在します。》「アッラーの使徒よ、彼らが誰なのか、教えてください。」とたずねられると、《彼らは、血族関係のためでもなく、また金銭を渡し合うためでもなく、アッラーにおいて愛し合う者たちです。アッラーに誓って、彼らの顔には光があり、彼らは光の上にいます。人々が恐れるとき彼らは恐れず、人々が悲しむとき彼らは悲しまず、このアーヤを唱えます。【見なさい。アッラーの友には本当に恐れもなく、憂いもないであろう。】(ユーヌス章62節)》

-少なくともこの10日間のうち一度だけでも友人をイフタールに招待することを提案します。マグリブの30分前にはズィクルとドゥアーを。イフタール後30分は、アドバイスをし合い、クルアーン読みに耳を傾けましょう。その後、出来る範囲で彼らに本やカセットをプレゼントするのが良いでしょう。そして、
-断食者に食事を与える報酬を得ましょう。
-アッラーへの呼びかけの報酬を得ましょう。
-善を命じ、悪を禁じる報酬を得ましょう。
-善を行うために捧げる協力の報酬を得ましょう。
-信仰が揺らいでいる人たちを支える報酬を得ましょう。

【親族訪問計画】
アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われた:《人々よ、サラーム(の挨拶)を広げなさい。そして食事を与えなさい。そして親族を訪ねなさい。そして人々が寝ている夜に祈りに立ちなさい。平安とともに皆さん天国に入るでしょう。》
また言われた:《親族関係は玉座にぶら下がり、「私をつなげる者はアッラーとつながるだろう。私を絶つ者はアッラーから絶たれるだろう。」と言う。》

-だから以下のことに注意してください。
-少なくとも一日30分間、両親に孝行になることを行ってください。
-親族を訪問すること。
-近隣の人たちに寛大に振舞うこと。
-兄弟であるムスリムに喜びを差し入れること。

【アラファの日計画】
まず、親愛なる兄弟、この日がどれほど重要か気づいていますか?アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は言われています:《アラファの日の断食は、2年間(の過ちなど)を洗い流す。過去と、未来と。》

それでは一緒に数えてください。12時間の断食=24月の赦し
親愛なる兄弟、もう一度一緒に数えてください。一日は24時間。ということは、一日毎一時間=一月分の赦し
ということは、毎60分=60日
では、毎一分=一日
理性ある人がこの日の一秒を無駄にすることなど考えられますか?あなたならどうしますか?
ファジュルの30分前にマスジドに行って、この日あなたを成功させ、罪から守ってくださるようアッラーに懇願すること。

【イードの日計画】
イードの日は一年で最も徳のある日であることを知っておいてください。ということで、以下の計画を。
-サラートゥ=ル=イード(イードの礼拝)で一日を開始し、皆に幸せにまた笑顔で接すること。
-両親、親戚、友人を訪ねること。
-犠牲。それは高いなぁとあなたは言うかもしれませんが、友人と経済的に出来る範囲で羊一匹を共有するといいでしょう。

【忙しい人たちのみ】
数々のチャンスについて述べた後に、自分は忙しいからとか絶対出来ないと言う人はいないと思いますが、定期試験などで時間を取られている人がいることは知っています。
そういう人たちのために次のことをやってもらいたいと思います。
-マスジドで行われる各礼拝30分前か後、ファジュルの1時間前に以下のことを行ってください。
-各礼拝の30分前にクルアーン読みとズィクル
-毎日の断食。イフタール時のあなたのドゥアーは受け入れられます。
-ファジュル前のキヤームッライル(の礼拝)。
-自分自身に善行を禁じないこと。

いやいや・・・
この日々には、毎時間ではなく毎分、清算について思い出すようにしてください。各分が赦しに相応するのが、この祝福された日々なのです。だからこそ、信者の宝であるアッラーのもとで最も徳のある日から一分も無駄にしないでください。

私たちと皆さんの行いが受け入れられ、また成功を授かるよう、アッラーにおたずねします。


ズ・ル・ヒッジャ月の徳

2008年11月27日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーミ

アッサラームアライクム ワラフマトゥッラー

もうすぐ、ズ・ル・カアダ月が終わり、おそらく29日からズ・ル・ヒッジャ月に入ります。
ズ・ル・ヒッジャ月には多くの徳があります。去年、それらをまとめたものがありますので、ぜひ参考にしてください。

ハッジに行かれる予定の方に、アッラーのご加護と祝福がありますように。
私のことを思い出したら、ドゥアーしてください。
私も皆さんにドゥアーしています。

伊曼


ドゥアーが受け入れられる時間、状態、場所

2008年11月27日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

こちらも、ムスリムの砦からの抜粋。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

1 ライラトゥル=カドゥル(ラマダーン月最終10日間の奇数日のどれかが相当)

2 夜の最終部の間

3 定められた礼拝(一日5回)の直後

4 アザーンとイカーマの間

5 毎夜のひと時

6 定められた礼拝への呼びかけの際

7 慈雨降下の際

8 アッラーの道のための戦いで整列した兵士が移動する時

9 金曜日のひと時

  ※正しい意見は、金曜日の最後のアスル刻か、フトゥバ(説教)と(合同)礼拝の時間である。

10 純粋なニイヤ(意志)を持ってザムザムの水を飲むとき

11 サジダ時

12 夜中に目が覚めた時。またこの際にするといいと伝えられたドゥアーをする時

13 タハーラ(ウドゥーを保った)の状態で眠り、夜中に目が覚めたときのドゥアー

14 「ラーイラーハ イッラー アンタ スブハーナカ インニー クントゥ ミナッ=ザーリミーン(崇高なるあなた以外に神はありません。私は本当に不義の徒でありました。)」が唱えられたドゥアー

15 誰かが亡くなった後にする人々のドゥアー

16 アッ=タシュフドゥ アル=アヒール(礼拝時の最後のタシャッフド)のアッラーへの賞賛と預言者(平安と祝福がありますように)への平安祈願のあとにするドゥアー

17 祈られれば応えられ、求められれば与えられるアッラーの偉大なお名前でのドゥアー

18 ムスリムが兄弟であるムスリムを思ってするドゥアー

19 アラファの日にアラファでするドゥアー

20 ラマダーン月にするドゥアー

21 ズィクルの会にムスリムたちが集まった際

22 災難時に「インナー リッラーヒ ワインナー イライヒ ラージウーン アッラーフンマ アジルニー フィー ムスィーバティー ワ アフリフ リー ハイラン ミンハー(私たちはアッラーのものであり、いつかかれの許に帰り行く身です。アッラーよ、私の災難によって報酬をお与えください。またこれよりも善いものを私にお授けください。)」とドゥアーするとき

23 心がアッラーに近づき、忠誠心が高まるときのドゥアー

24 不正者に権利を奪われた者のドゥアー

25 親の子を思ってのドゥアー、または子に対する悪いドゥアー

26 旅行者のドゥアー

27 断食者が断食を解くまでにするドゥアー

28 断食者が断食を解く際にするドゥアー

29 窮地に立たされた者のドゥアー

30 公正なイマームのドゥアー

31 親孝行の子のドゥアー

32 ウドゥー後にする、伝えられた文句でのドゥアー

33 投小石(巡礼儀式の一つ)の後のドゥアー

34 投中石(〃)の後のドゥアー

35 カアバ内でのドゥアー

36 サファーでのドゥアー

37 マルワでのドゥアー

38 アル=マシュアル アル=ハラーム(ムズダリファで行うマグリブとイシャーを合わせた礼拝)の際のドゥアー


ドゥアーに際してのマナーと、受け入れられるための条件

2008年11月26日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

ヒスヌ=ル=ムスリム(ムスリムの砦)というドゥアー集に載っている「ドゥアーに際してのマナーと、受け入れられるための条件」を抜き出してみました。次回はインシャーアッラー、「ドゥアーが受け入れられる時間、状態、場所」を抜き出してみようと思います。

゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜

1 アル=イフラース リッラー(アッラーに忠誠を尽くすこと)

2 アッラーへの賞賛と預言者(平安と祝福がありますように)への祈願で(ドゥアー)を始め、(ドゥアー)を終えること。

3 決心してドゥアーをし、受け入れられると確信すること。

4 懇願し、急がないこと。

5 ドゥアーに心をこめること。

6 安泰のときも困難のときもドゥアーをすること。

7 アッラーおひとり以外に頼まないこと。

8 親族、財産、子供、命に悪いドゥアーをしないこと。

9 ドゥアーをするときに、大きくも小さくもない低い声を出すこと。

10 自分の罪を認め、それからの赦しを求め、恩恵を認め、そのことをアッラーに感謝すること。

11 ドゥアーの言葉に無理に韻を踏まないこと。

12 へりくだること、畏敬、望み、恐れを持つこと。

13 悔悟と共に不正を退けること。

14 3回ドゥアーすること。

15 キブラを向くこと。

16 ドゥアーのときに、両手を挙げること。

17 容易であれば、ドゥアーの前にウドゥーをすること。

18 ドゥアーで限度を越さないこと。

19 ドゥアーをする者が他人にドゥアーをする場合、まず自分自身にドゥアーをすること。

20 アッラーの美名と崇高なるかれの性質によって、またはドゥアーをする者の善行によって、または生きている善人のドゥアーよってアッラーに懇願すること。

21 食べるもの、飲むもの、着るものがハラールであること。

22 罪や親類との縁を切るようなことをドゥアーしないこと。

23 善を命じ、悪を阻止すること。

24 全ての悪行から遠ざかること。