今年の2月くらいから途中、Enid Blytonなどを挟みながらAstrid Lindgrenの本を読んだ。読んだ本は
・やかまし村シリーズ
・ピッピシリーズ
・ミオよ、わたしのミオ
・はるかな国の兄弟
私は子どもの頃もそこそこ本を読んだと思うけれど、ピッピのような有名どころには手を出していないのでLindgrenすべて初読みだった。
やかまし村シリーズは、仲のいい近所の友達と学校に行ったり遊んだり、の読みやすい本だった。子どもの時に読むと楽しいだろうし、大人になってから読んでも自分の子供時代を懐かしく振り返って楽しく読める本だと思う。
ピッピは有名なので期待して読んだけれど、大人になって初めて読むとピッピの大人をちょっと小ばかにした感じが気になった。子どものころに読んだのなら、面白いしピッピが大好きになったと思うけれど、普通に学校に行って普通に就職した私にはところどころイマイチだった。
泥棒やピッピの家を買いに来た感じの悪い大人に対する態度は「よくやった!」と思ったけれど、サーカスの団長さんや学校の先生に対する態度はどうかと思うし、街の金持ちが「成績の良い子どもにご褒美をあげる」というのも、クラス全員の前で質問をして答えられなかったら隅に行かせる、というやり方自体は問題だと思うけれど、小さい弟妹がいる児童にはご褒美がその分多くなったり、食べるものが十分でなく標準の体格に達していない児童は家に招いて(おいしくはないけれど栄養価の高い)スープを食べさせたり、と、やっていること自体は悪くはないと思うが、ピッピは気に入らなかったよう。
そんな感じでところどころ「鼻につくな」と思って読んでいた私は、ついに翻訳の問題(ドイツ語の問題)にまでかみついた。その街の金持ちがピッピに「船酔いのスペルを言って」と課題を出した。ドイツ語ではwie schreibt man 'Seekrank'?(船酔いはどう綴りますか?)ここで、manは特定のだれかではなく、一般的な人を指す。
ピッピは間違った綴りを言い、街の金持ちに「違うわよ」と言われ、ピッピは『でも、あなたは「私」がどう綴るかを聞いたけど(du wolltest wissen, wie ich es schreibe)』と答えた。いやいやいや、質問の主語は「man」で「du(あなた)」ではないよ。
英語ならHow do you spell seasick?と金持ちが質問し、ピッピがこの「you」を「あなた=自分」と解釈し、「私はこう綴ります」で話は通るので、翻訳の問題なのはわかっていたけれど、突っ込まずにはいられなかった。
ミオよ、わたしのミオは、ファンタジー。子どもの時に読むとなかなかの冒険ファンタジーだと思うけれど、大人になってから読むと、主人公のBoの現状が辛すぎて妄想の世界に入っちゃったのではないか、と心配になる本だった。
はるかな国の兄弟も、死後の世界のファンタジー。眉目秀麗で優しい兄が、病弱で死期が迫っていた弟を火事から助けるときに死んでしまい、その数か月後、弟も死に、死後の世界で兄弟で弾圧者と戦う。敵味方結構な人数が死に、兄も死にかける。最後に兄弟が取った行動は児童書の結末としていいのだろうか…と心配になった。
さらに、夫が行方不明になり、二人の子どもに先立たれたお母さんは死後の世界で一度も話題にならず、一番気の毒に思った。
私がドイツ語の本を読み終えると、一応ソクチくんに「読んだら?」と薦める。このはるかな国の兄弟も薦めたけれど、
悲しい話だから遠慮する
と言われた。
『私、「楽しい話を読みたい」とリクエストして、お薦めされた本がこれだったんだけど』と苦情を言ったら、『悲しい話って忘れてたんだよ』と言われた。次は楽しい本を読みたい。
・やかまし村シリーズ
・ピッピシリーズ
・ミオよ、わたしのミオ
・はるかな国の兄弟
私は子どもの頃もそこそこ本を読んだと思うけれど、ピッピのような有名どころには手を出していないのでLindgrenすべて初読みだった。
やかまし村シリーズは、仲のいい近所の友達と学校に行ったり遊んだり、の読みやすい本だった。子どもの時に読むと楽しいだろうし、大人になってから読んでも自分の子供時代を懐かしく振り返って楽しく読める本だと思う。
ピッピは有名なので期待して読んだけれど、大人になって初めて読むとピッピの大人をちょっと小ばかにした感じが気になった。子どものころに読んだのなら、面白いしピッピが大好きになったと思うけれど、普通に学校に行って普通に就職した私にはところどころイマイチだった。
泥棒やピッピの家を買いに来た感じの悪い大人に対する態度は「よくやった!」と思ったけれど、サーカスの団長さんや学校の先生に対する態度はどうかと思うし、街の金持ちが「成績の良い子どもにご褒美をあげる」というのも、クラス全員の前で質問をして答えられなかったら隅に行かせる、というやり方自体は問題だと思うけれど、小さい弟妹がいる児童にはご褒美がその分多くなったり、食べるものが十分でなく標準の体格に達していない児童は家に招いて(おいしくはないけれど栄養価の高い)スープを食べさせたり、と、やっていること自体は悪くはないと思うが、ピッピは気に入らなかったよう。
そんな感じでところどころ「鼻につくな」と思って読んでいた私は、ついに翻訳の問題(ドイツ語の問題)にまでかみついた。その街の金持ちがピッピに「船酔いのスペルを言って」と課題を出した。ドイツ語ではwie schreibt man 'Seekrank'?(船酔いはどう綴りますか?)ここで、manは特定のだれかではなく、一般的な人を指す。
ピッピは間違った綴りを言い、街の金持ちに「違うわよ」と言われ、ピッピは『でも、あなたは「私」がどう綴るかを聞いたけど(du wolltest wissen, wie ich es schreibe)』と答えた。いやいやいや、質問の主語は「man」で「du(あなた)」ではないよ。
英語ならHow do you spell seasick?と金持ちが質問し、ピッピがこの「you」を「あなた=自分」と解釈し、「私はこう綴ります」で話は通るので、翻訳の問題なのはわかっていたけれど、突っ込まずにはいられなかった。
ミオよ、わたしのミオは、ファンタジー。子どもの時に読むとなかなかの冒険ファンタジーだと思うけれど、大人になってから読むと、主人公のBoの現状が辛すぎて妄想の世界に入っちゃったのではないか、と心配になる本だった。
はるかな国の兄弟も、死後の世界のファンタジー。眉目秀麗で優しい兄が、病弱で死期が迫っていた弟を火事から助けるときに死んでしまい、その数か月後、弟も死に、死後の世界で兄弟で弾圧者と戦う。敵味方結構な人数が死に、兄も死にかける。最後に兄弟が取った行動は児童書の結末としていいのだろうか…と心配になった。
さらに、夫が行方不明になり、二人の子どもに先立たれたお母さんは死後の世界で一度も話題にならず、一番気の毒に思った。
私がドイツ語の本を読み終えると、一応ソクチくんに「読んだら?」と薦める。このはるかな国の兄弟も薦めたけれど、
悲しい話だから遠慮する
と言われた。
『私、「楽しい話を読みたい」とリクエストして、お薦めされた本がこれだったんだけど』と苦情を言ったら、『悲しい話って忘れてたんだよ』と言われた。次は楽しい本を読みたい。
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