国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

日露同盟と船曳建夫氏の「国際日本」「大日本」「小日本」「中庸国家」モデル

2007年02月02日 | 日本国内
『右であれ左であれわが祖国日本(船曳建夫著)』は、戦国時代以後の日本の歴史から三種類の日本の国家モデルを取り上げ、明治維新後の日本の国家像もこれらのモデルの組み合わせとして説明できると主張している。 1.国際日本モデル:キリスト教への理解、南蛮貿易、関所廃止と楽市楽座に代表される信長の政策 2.大日本モデル:キリスト教弾圧、南蛮貿易・朱印船貿易、朝鮮出兵に代表される秀吉の政策 3.小日本モデル:仏教・神道による管理(宗門人別改帳)と鎖国に代表される家康の政策(ただし、確立されたのは家康の死後) 船曳氏は今後の日本の取るべき方針として、上記の3つのモデルはいずれも困難な壁にぶつかっていると分析した上で、世界に対しては「大日本」であり続ける努力を行い、国内的には「小日本」の内に秘めた強さを保つという目標を立て、欧米のみならずアジアをも「国際日本」の舞台とする、という3つのモデルのいいとこどり、悪く言えば三兎を追うとも言える意欲的な「中庸国家」という主張を行っている。具体的には、米国及び欧州・ロシアと緊密な関係を維持し、米露を敵に回す日中同盟は避け、日中間の友好関係維持を目指すと共に紛争へのシミュレーションを怠らないことを挙げている。もし米露が東アジアへの関心を失った場合は小日本の穴熊戦法になるという。更に、台湾への親近感を政治的カードとして使うべきでないこと、インドは日本から遠く、対中牽制の効果は期待すべきでないことも主張している。第二次大戦の敗戦については、1920年代以降の大日本モデルの破綻と位置づけ、第三の道はなかったかと問うている。 日本は日露戦争直前に日英同盟と日露協商の二つの路線の間で選択を迫られ、結局日英同盟を選んで日露戦争に突入したという歴史がある。日露協商を強く主張した伊藤博文は日露戦争直後にロシアとの友好関係樹立を目指して秘密会談に向かう途中で暗殺されているが、これは英国=国際金融資本陣営によるものではないかと想像する。そして、その後国際金融資本が実行したロシア革命により日露同盟の可能性は失われてしまう。 将来中国が強大化した場合、ロシアはシベリアを奪われる危険があり、日本の助けを心の底から望んでいるはずだ。私は、伊藤博文が望んでいた日露協商モデルが最も理想的だと思う。 . . . 本文を読む
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