私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

衆愚

2016-05-23 22:11:06 | 日記・エッセイ・コラム
 最近、私の筆が滞りがちなので、それを助けてやろうというお気持ちからでしょう、桜井元さんという方から、中身のつまったコメントをいくつか続けて頂きました。たいへん読みがいのある内容なので、その一つをここに転載します。お読みください。
「ノースウッズ作戦」と「ホワイト・ヘルメット」 (桜井元)
2016-05-15 03:49:00
藤永先生がご紹介くださった諸々のネット情報をじっくり読んでみました。まず、ウクライナ上空での民間機撃墜に関するもののなかに、1962年に米国軍部がキューバに対して極秘裏に計画した「ノースウッズ作戦(Operation Northwoods)」のことが触れられていました。情報公開された同作戦の計画メモを National Security Archiveのサイト上で読むことができました。

ttp://nsarchive.gwu.edu/news/20010430/northwoods.pdf

キューバへの軍事侵攻を正当化するための偽旗作戦で、そこには様々な謀略が記されていました。

「グアンタナモ基地への攻撃」、「船舶の沈没」、「航空機のハイジャック」、「民間機の撃墜」、「米軍機の撃墜」、「米国を目指す亡命キューバ人を乗せた船の沈没」、「米国内のキューバ人を狙ったテロ」、「フロリダ州のほか首都ワシントンにおけるテロ」、「カリブ諸国での地下活動」などなど。これらを自作自演し、すべてをキューバのカストロ政権の仕業として非難し、国内世論や国際世論を味方につけ、軍事攻撃の正当化根拠にしていくというものでした。

F86戦闘機をミグ戦闘機のように偽装する方法や、撃墜されたと見せかけるための民間機のすりかえの方法をはじめ、パイロットがニセの遭難信号を発信したり、当該海域に機体の残骸をまいたり、ニセの葬式を行うこと等々まで、細かい謀略の手法が念入りに書かれていて、これらが米国統合参謀本部の幹部の間で合議され認可されたということに戦慄を覚えます。

国際法をここまで無視する米国こそ「ごろつき国家」「ならず者国家」の称号にふさわしく、さらに、ここまで統治機構が腐敗している米国こそ「失敗国家」の称号にふさわしいと言えるのではないでしょうか。

ところで、米国とキューバの国交正常化のニュースが流れた際、おなじみの池上彰さんがわかりやく解説をするというテレビ番組がありました。キューバ危機の歴史にまでさかのぼっての解説でしたが、「ソ連のミサイル配備」、「緊張を高めたキューバ」、「理性的に対応して危機を回避したケネディ」といった教科書的な内容でした。池上さんやテレビ局には「親米・反共」のバイアスをかけず、ありのままの米国・キューバ関係史を視聴者に伝えることを望みます。そうした番組のなかではもちろん「ノースウッズ作戦」に触れる必要があるでしょう。

次に「国境なき医師団への公開質問状」を読みました。この文書の中には様々なリンクがはられていますが、そのなかで同じ著者による「ホワイト・ヘルメット(White Helmets)」について書かれた記事に当たることができました。その名のとおり白いヘルメットをかぶり、勇敢にも戦場を駆け回り、瓦礫に埋まる人々を救出する民間の救助隊とされている団体です。しかし、この団体も、シリアにおけるプロパガンダの一環、巧妙な罠のようです。以下は、同記事の要約です。

ttp://dissidentvoice.org/2015/04/seven-steps-of-highly-effective-manipulators/

(要約はじめ)
Jeremy HeimansがCEOを務める国際PR企業「Purpose Inc.」が、シリアでの情報キャンペーンを2014年に立ち上げ、石油・ガス関連の億万長者Ayman Asfariの財団から資金を援助されます。このなかでホワイト・ヘルメットという団体がプロモーションされていきました。この団体はもともと英米が作ったもので、シリアの反政府支配地域の人たちに金を支払ってトルコに送りそこで訓練をさせており、その中心に元イギリス軍人で今はドバイに拠点を置く「Mayday Rescue」という会社のJames Le Mesurierという人物がいます。

ホワイト・ヘルメットは党派性はないと言いながらも実際には反政府側の支配地域で活動しており、ヌスラ戦線(アルカイダ系)と協力関係にあります。そして、アサド政権を悪魔のようにののしり、外国勢力による直接的な軍事介入を求めています。

ホワイト・ヘルメットの情報戦は巧みで、団体自身のサイトのほか、団体幹部がワシントンポストに投稿したり、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアを駆使したりしています。きわめつけは、リビアへのNATO・米軍の軍事侵攻を正当化・代弁したニューヨークタイムズの記者Nicholas Kristofによるホワイト・ヘルメット礼賛のプロモーション記事です。この記者は、「撃たれ傷つき家を破壊されたリビアの人たちは、侵攻した外国勢力を恨まず、むしろ感謝している」という記事を書いたのですが、その彼が今度はシリアへの外国勢力による軍事侵攻を扇動しています。

前出「Purpose Inc.」のCEOであるJeremy Heimansらは、このほかに、オンラインのロビーイング団体「Avaaz」というものを立ち上げました。設立資金はジョージソロス財団が出していますが、この「Avaaz」は、かつてリビアでNo Fly Zone飛行禁止空域設定キャンペーンを実施し、今ではシリアで同様の主張を展開しています。

「マニピュレーション」というものは、事実にではなく、扇情的なイメージやメッセージに依拠するものです。マスコミは善玉・悪玉を単純化し誇張して伝えたがり、大衆は疑問をもたず自分で調べてみようともしません。マニピュレートする側はそうした両者の傾向にも依拠しようとします。今日、ソーシャルメディアの発達もあり、情報は瞬く間に広範に拡散するようになりました。それだけニセ情報にだまされる危険性は大きくなっています。
(要約おわり)

このホワイト・ヘルメットに「ノーベル平和賞」を与えてはいけないと、警戒・反対するキャンペーンがあることを知りました。佐藤栄作、キッシンジャー、オバマなどへの授賞を考えると、本当に有り得ないこととも言えず、洒落にならない話です。

ttps://www.change.org/p/nobel-prize-do-not-give-2016-nobel-peace-prize-to-syrian-white-helmets

「国境なき医師団への公開質問状」は、アレッポの反政府支配地域の被害(その病院の実在自体が疑わしいのですが)と政権支配地域の被害への「国境なき医師団」の対応・姿勢の落差を非難する内容でしたが、公開質問状の(9)の項目に、両者の被害状況とされる動画へのリンクがあり(いずれもyoutube)、これらを比較してみてほしいとありました。筆者は前者の「やらせ」と後者の真実性を示唆しているわけですが、そう言われるとそのような映像に見えてきます。映像の鮮明性、現場の緊迫感、人々の戸惑いや怒りや悲しみにも差があるように見えました。

このなかでΔ瞭芦茲蓮∋訥阿貿齢制限がかかっているものでしたが、腕を失った瀕死の重傷者を担架で運ぶシーンや、幼い子どもたちを含む犠牲者の遺体が次々と映ります。検死をした医師が幼い遺体にキスをしてシートで覆うシーンや、マイクを持った記者と思われる男性が遺体安置室で悲しみのあまり泣きじゃくるシーン、一人の男性が犠牲者の遺体を前にやり場のない感情に大声をあげて叫ぶシーンには、見ていて涙が止まりませんでした。この動画は、今のシリアの現状をまっすぐに伝えています。目をそむけずに見なければいけないと思いました。

(反政府支配地域の被害)
ttps://www.youtube.com/watch?v=KqhymyjTCRw
ttps://www.youtube.com/watch?v=kYZp8oiNauw
ttps://www.youtube.com/watch?v=6R8WgsWDMDk

(政権支配地域の被害)
ttps://www.youtube.com/watch?v=-vaGwrb1r40
ttps://www.youtube.com/watch?v=Sc5UlQgn4MI&feature=youtu.be
ttps://www.youtube.com/watch?v=6RXC3Yn45l8&feature=youtu.be
■(桜井さんのコメント終わり)
 5年ほど前に、私は『気楽に英文記事を読む習慣』と題するブログ記事の冒頭で
「前回の終りに掲げた英文記事の翻訳紹介を怠りましたら、桜井元さんが、前回のブログへのコメントの形で、その内容をまことに的確適切にまとめて紹介して下さいました。桜井さんはその中で「英和辞書を引きながら、わからない単語や表現は読み飛ばしつつ、なんとか大意はつかめたと思います」と申しておられますが、これは謙遜のお言葉でしょう。しかし、ここには私たちが英文記事を気楽に読むためのコツが述べられています。あとは慣れの問題です。とにかく、うるさがらず、好奇心を持って、ネット上に溢れる英文記事に目を通してみる習慣を身につけようではありませんか。すこし努力しながら続けているうちに、頭の中の英語の語彙は殆ど増大していないのに、いつの間にか、英文記事の内容が以前より随分と楽に読み取れるようになります。言葉というものに備わっている不思議さです。」
と書いています。私の勝手な、そして、おそらく失礼な想像ですが、桜井さんは、今は、5年前とは比べものにならないような気軽さで、あれこれインターネット上の情報源を読み漁りしておられるのでしょう。世界のマスメディアがほとんど完全にプロパガンダの道具と化してしまった今、我々一般大衆が世界で進行していることの真相を嗅ぎつけるためには、英文記事を忌避せずに読みこなすことが大変必要になっていると思います。
 衆愚という言葉があります。多くの愚かな人間たち、愚かな群衆、つまり、我々のことです。その一人である私は、時折、読者の方から叱られます。私が『マスコミはWMD(マス破壊兵器)と化した』の中で、MSF(国境なき医師団)は中立性を失って米国寄りになったと書いたのに対して、特命希望さんから「何を今さら」と叱られました。
MSFは朝鮮侮辱の前科があるのに (特命希望)
2016-05-08 12:40:20
何を今さら。
フォラツェンとかいう自称「北朝鮮」を知りすぎた医者とか言う輩が10年ほど前はびこっていたでしょう? ■
 だいぶん前のことですが、9.11 (世界貿易センタービル崩壊)を偽旗作戦とはっきり認めるのを渋っていた私は、平和運動家の池辺幸恵さんからお叱りを受けたことがありました。衆愚の間抜けさ加減に苛立ちを覚えている方々も少なくないかもしれませんが、我々の大部分は愚か者としての自覚が常に必要であり、マスメディアの圧倒的な喧伝攻撃を掻い潜って、真実を把握する努力をしなければなりません。
 上掲の桜井さんからのコメントの中に、ロビーイング団体「Avaaz」のことが出ています。私のメール箱にもAvaazからのメールが送られてきます。いつも正論、正義の味方の装いなので、この団体の署名運動に参加して献金なさる方々も多いことでしょう。まさに衆愚の行為です。最近の主題は「中国・玉林市の犬肉祭」でした。なぜ豚を食べるのは良くて、犬を食べるのは悪いのか? この問題は、時を改めて考えることにします。
 ウィキペディア(日本語)の「衆愚政治」の項には興味深いことが書いてあります。
■大衆論の見地によれば、大衆を構成する個々の人格の高潔さや知性にも関わらず総体としての大衆は群集性(衆愚性)を示現する可能性がある。衆議を尽くすことでしばしば最悪のタイミングで最悪の選択を合意することがあり、リーダーシップ論や意思決定における「合意」の難しさは重要な論点となる。近代民主主義制度においては意思形成(人民公会)と意思決定(執政権)を分離することでこの問題を回避しようとするが、独裁と民主的統制の均衡において十分に機能しないことがある。■
私が特に面白いと思うのは「大衆を構成する個々の人格の高潔さや知性にも関わらず総体としての大衆は群集性(衆愚性)を示現する」という所です。これについても、日を改めて検討してみます。

藤永茂 (2016年5月23日)
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一方的核軍備廃絶(Unilateral Nuclear Disarmament)

2016-05-17 21:08:15 | 日記・エッセイ・コラム
 外国語に限らず、一つの言葉が身につく、つまり、自分の言葉になる瞬間というものがあります。私が、その意味で、unilateralという英語をはっきりと理解した時のことをお話しします。
 核武装については、2010年4月21日から5月26日にかけて、『核抑止と核廃絶』と題するブログ記事(1)〜(6)で論じましたが、その後も私の考えは変わっていません。5回目(5月19日付)の記事の一部を再録します。
**********
その頃のアメリカはソ連との冷戦とベトナム侵略戦争のドロ沼の中であえいでいましたが、丁度その擾乱の時代に、実に立派な若いアメリカ人夫妻と知り合いになりました。夫君の名前はダグラス・マクリーン、分子計算の分野では良く知られた量子化学者でした。夫婦でベトナム戦争反対の運動に身を挺し、奥さんはそのため拘束拘留されたこともあり、小学生の娘さんは小学校で、両親の“反愛国的行動”のために、イジメにも遭いました。スペインのバルセローナで量子化学の国際会議があった時、海沿いの道をダグラス君と二人で散歩中に、話題がたまたま核抑止と核廃絶に及びました。普段どちらかといえば口の重い彼が、突然、私にこう言ったのです。
「アメリカ人が勇気さえ出せば、核の廃絶は可能だ。アメリカが無条件で一方的に核軍備を廃棄してしまえばよい」
私はあっけにとられて
「そんなことをしたら、ソ連が核攻撃をかけて来てアメリカを占領してしまう」
というと、彼は
「いや、そんな事はしないだろう。出来ないだろう。ソ連がアメリカに勝つために水爆で一億の人間を殺すのなら、もし、人間というものがそんなことを実際に実行するものであるならば、そんな世界は生きるに値しない」
と答えました。私が聞いていたのは冷笑的なニヒリストの声ではなく、あくまで人間のサニティを信じて、奥さんと共に体を張ってベトナム戦反対運動に参加している男の力強い声であったのです。
 現実には絶対に起こりえないことですが、一つの空想が私の心を駆り立てます。ある日、突然、オバマ大統領が「核兵器のない世界を実現するために、アメリカ合州国は、一方的に(unilaterally)、無条件に(unconditionally)、あらゆる核兵器を廃棄する」と宣言するのです。ロシアはどう動くか。中国はどう動くか。イスラエルはどうするか。
 ダグラス・マクリーンにしたがって、人類の究極的な正気を私も信じます。オバマ大統領にそれだけの勇気があれば、世界の非核化の機運は一挙に進むでしょう。アメリカ国内ではオバマ大統領の精神病院への収容が真剣に討議され、要求されるかもしれませんが。
**********
「無条件で一方的に核軍備を廃棄する」というマクリーンの言葉はそのまま私の心の中に住み着いてしまいました。こうして unilateral という英単語が私の言葉の一つになったのです。
 私のこの思い出話を子供の夢物語みたいな核廃絶の提案として聞き流さないでください。我が友マクリーンの胸にあったものは「人類にとって核兵器とは何か」という問いに対して敢然と答える一つの思想であった筈です。
 オバマ大統領の広島訪問という、実に忌々しい政治的見世物を炯炯たる眼光で見据える日本の若者たちの中から、真に揺るぎない核廃絶の思想を確立する大思想家が出現してくれることを、私は願ってやみません。アドルノ、ベンヤミン、アレント、などなどを超える広さと深さを備えた敢然たる思想家でなければなりません。

藤永茂 (2016年5月17日)
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マスコミはWMD(マス破壊兵器)と化した

2016-05-07 22:16:27 | 日記・エッセイ・コラム
 人生90年を閲して、今、しきりに思うことは、人間世界の強者たちが、集団として、弱者たちに対して示す余りもの残忍さです。彼らは、自己の利益と快楽を追求するためには、世界中の無辜の民を数限りなく殺戮するのに何らの躊躇もしません。強者とは、歴史的にヨーロッパという一語に象徴される人間集団であり、現世界で具体的には、米国を牛耳る権力者集団です。
 2016年4月30日付の『マスコミに載らない海外記事』にPaul Craig RobertsのFrom The Archive: MH-17(過去記事から、MH-17の話題)が訳出されています。そこには:
■ マレーシア旅客機MH-17がウクライナ領空で撃墜されてから、ほぼ三年だ。アメリカのジョン・ケリー国務長官は、即座に、アメリカはロシアが関与している完璧な証拠をもっていると発言した。ケリーは決して“証拠”を公表しなかったが、これはアメリカ国務長官が、またもや世界にウソをついたことを示している。
ブラック・ボックスは無傷で回収された。ところが、調査は、独立した国際機関、国際民間航空機関(ICAO)の手から奪われ、多数の犠牲者がオランダ人だったからという理由のアメリカ政府の主張で、オランダにまかされた。
本当の理由は、アメリカ政府にとって、オランダを支配するのが容易だからだ。三年たっても、結論報告はいまだに出ていない。その間に、アメリカ政府は、プロパガンダによって、ロシア分離主義者と、プーチンのせいにするのに成功した。 ■
とあります。
 この撃墜で殺された乗客・乗員の総数は298、そのうちオランダ国籍は192でした。この惨劇が米国による偽旗作戦であったという発言はネット上に多数ありますし、

http://www.dcsociety.org/2012/info2012/140808.pdf

Paul Craig Roberts がアーカイブという適語を使って我々の注意を喚起するように、3年も経てば、大抵のことは真偽がはっきりしてくるものです。もし米国が「ロシアが関与している完璧な証拠をもっている」ならば、今日までそれを発表しない理由が一体あり得るでしょうか?
 サダム・フセインのイラクがWMD(核兵器、化学兵器)を持っているという大嘘を理由にして、イラクという国を破壊し、サダム・フセインを殺してしまったことは、世界史に永久に書き込まれましたが、その歴史の中には、NYT(ニューヨーク・タイムズ)を始めとするマスメディアが一斉にこの侵略戦争を支持し、子供達だけでも百万のオーダーの虐殺が結果した事実も含まれています。
 リビアが今どうなっているかをご存知ですか? ほんの数年前(2011年)まで、国家としてアフリカ大陸で一番うまく行っていたリビアは、私の感覚では、言語道断の傲慢さと不潔さに溢れる幾つかの虚偽宣伝のもとに、文字どおり抹殺されました。この侵略戦争が始まって間もない頃、このブログで『リビアとハイチで何が見えるか』と題して6回連続で書きました。その(5)から、まず少し引用します:
■ カダフィが兵士たちにバイアグラを与えて反政府の女性たちの集団レイプを行なわせたというニュースを米国国連大使スーザン・ライスが国連で公式に取り上げたことをガーディアン紙が報じたのは4月29日でした。スーザン・ライスがあまりにも汚らわしく思えて、取り上げる気にもなりませんでしたが、6月8日になって国際刑事裁判所(ICC)の主席検事ルイス・モレノ‐オカンポが同じ罪状に加えてカダフィ自身もレイプを実行した疑いでカダフィを告訴したことを知って、もはや黙過できなくなりました。無法国家アメリカの暴虐もここに極まったと言わなければなりません。
 1990年の第1次湾岸戦争へ米国世論を駆り立てた事件として、米国下院の委員会で15歳のクエイト人女性がイラク軍兵士の野蛮行為の証言をしたことがありました。ボランティアの看護婦だった彼女は、サダム・フセインの兵士たちが産院に乱入して、保育器をひっくり返して赤ん坊たちを床に落として殺してしまうのを目撃したと証言したのです。ところが、後で、これは大変なヤラセであり、その女性は当時ワシントン在住のクエイト大使の娘でワシントンを離れたこともなかったことが明るみに出てしまいました。
 去る3月26日、リビアの首都トリポリの最高級ホテル「リクソス」のダイニング・ホールに一人の若いリビア人女性が飛び込んで来て、リビア政府の警備要員たちが二日間にわたって彼女を集団レイプしたとホテルの客たちに訴えました。このホテルには、リビア政府の指令で集団的に多数の外国人記者が宿泊していました。彼女の名はEman el?Obeida、3月28日のFT.com (Financial Times) には彼女の写真と詳しい話が出ています。また、心理学者Seham Sergewa博士なる人物が出てきて、レイプの犠牲者140人のインタビューを行なったと言い、これが最も具体的な証拠になっているのですが、アムネスティ・インタナショナルの女性要員が犠牲者に会わせてくれと言っても「もう何処にいるのか分からないから、無理だ」との返事しかしないようです。これら二人の女性たちもクエイト大使の娘さんのように誰かに頼まれての偽証言者である疑いが濃厚だと思われます。実は、カダフィのバイアグラ事件の方も、それが捏造されたものであることが、複数の国際人権団体によって、すでに示されているのです。■
 ご存知のように、スーザン・ライスは、今は、オバマ大統領の最高の側近の一人です。当時の米国国務長官ヒラリー・クリントンの発言について、私は次のように書きました:
■カダフィとカダフィのリビアは、その明瞭な実像を私が見据えることが出来る前に、the dustbin of history の中にその姿を消そうとしています。しかし、このリビアで、アメリカの臆面もない虚偽性が白日の下に晒されました。それを証する第一級の歴史的資料をお目にかけましょう。それは米国の対リビア、中東、北アフリカ政策を正当化することを目的とした国務長官ヒラリー・クリントンによる公式声明です。訳出は、稿を改めて次回に行ないます。

# 『Sexual Violence in Libya, the Middle East and North Africa』

Press Statement
Hillary Rodham Clinton
Secretary of State
Washington, DC
June 16, 2011

声明の訳文を以下に転載します:
■ 『リビア,中東、北アフリカにおける性的暴力』
 公式報道声明
 ヒラリー・ローダム・クリントン
 国務長官
ワシントン,DC
6月16日、2011年

米国はリビアでの大規模レイプの報道に深く憂慮している。3月26日、トリポリのホテルにエマン・アル・オベイディが駆け込み、カダフィの警備隊員にレイプされたことを勇敢に暴露して以来、他の勇気ある女性たちも彼女たちが経験した恐怖の残忍性について進んで証言してきた。最近、国際刑事裁判所は、リビアでのレイプは広汎かつ組織的に実施されているというショッキングな証拠を取り上げるに到った。この件について、罪を犯した者どもを逮捕して裁くために綿密な捜査が求められる。
 我々はまた中東と北アフリカの全域にわたって、民主的改革要求の声をあげる人々を脅迫し罰するために、政府が性暴力を用いているという報告を深く憂慮している。レイプ,暴力による脅迫、セクハラ、さらにはいわゆる“処女テスト”さえが、この地域全体の国々で生じている。これら言語道断の行為は基本的な人間の尊厳の侵害であり、地域全般にわたって勇敢に表明されている民主主義的願望と正面衝突するものである。                        
 カダフィの警護隊やその地域の他の集団は婦女子に対する暴力やレイプを戦争の道具として、人民を分裂させようと試みており、米国はそれを最強の言葉で抗議非難するものである。それは基本的人権を尊重し、暴力のない社会で生活することを希求するすべての人々に対する公然たる侮辱である。我々はすべての政府が直ちにこれらの犯罪行為申し立ての透明性ある捜査を実行して、有罪が判明した者に対して犯罪の償いを要求することを強く促すものである。■
このような傲慢不遜の虚言を臆面もなく全世界に向かって発する女性が米国次期大統領になる可能性が十分あります。恐ろしいことです。
 シリア侵略戦争の初期、9月23日付のこのブログの記事『8月21日にサリンを使ったのは』で、私は次のように書きました:
■ 8月21日、シリアの首都ダマスカスの郊外で、サリンを使って千人以上の一般市民を殺したのは、政府側か、反政府側か。日本を含めて世界の主要メディアは政府側を示唆する口ぶりですが、私は反政府側だと確信しています。■
この場合も例に漏れず、米国は「アサド政権が自国民を虐殺するのを許せない」としてシリアの制空権を奪取しようとしましたが、ロシア政府の介入で何とか制止されました。現在では、サリン・ガスを使ったのは反政府側(米国側)であったことが、ほぼ最終的に立証されています。
 現時点のシリアで、またもや同類の企みが進行中です。シリア北部の大都市アレッポで、MSF(国境なき医師団)が支援する病院が空爆を受け、2人の医師を含む十数人が死亡した事件です。まずMSFの公式報道と典型的な記者報道を読んでください。

http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000331.000004782.html

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20160429-00057182/

アレッポ市についてMSFの公式報道には次のように書いてあります:
「アレッポ市は常に紛争の最前線に置かれ、空爆が起きる以前から状況は最悪の様相を呈していた。推定25万人が今も市内に残り、最近数週間は激化する爆撃と戦闘にさらされている。」
個人記者の記事にも同じようになっています。一般の読者がこれを読めば、シリア最大の都市アレッポ(戦前人口約230万)の90%がどこかに行ってしまったと思うでしょうが、現在でも80%以上の市民が政府の管轄地域で居住しています。これだけからも、MSF(国境なき医師団)が、もはや、国境を超えた中立公平の医師団ではないことが強く臭ってきます。このアレッポの病院攻撃については、ネット上に多数の記事が出ていますので出来るだけ広く漁っていただきたく、その一つとして、Rick Sterlingというカナダ人が書いたMSF宛ての公開質問状を紹介します。

http://dissidentvoice.org/2016/05/about-bias-and-propaganda-on-syria/#more-62556

タイトルは
“About Bias and Propaganda on Syria Open Letter to MSF/Doctors without Borders”
です。それは
「MSF会長ジョアン・リュー様
あなたの団体は人々の尊敬を集め強い影響力を持っています。多数の良き人々がMSFのために働き、支援していることを私はよく存じています。しかしながら、シリアにおけるあなた方のお仕事の独立性とその影響について、お尋ねいたしたく存じます。客観的に見ると、あなた方は、ある地域では援助の手を差し伸べていますが、他の地域では害を及ぼしているように、私には思われます。」
という文章に始まって、13の事項について詳細な質問が述べられています。
リック・スターリングは明らかにシリア政府贔屓の考えを持った人ですから、それを十分意識して、この人の意見を読む必要がありますが、MSFという今では強大な国際的NGO団体の支援資金のソースが圧倒的に反アサド政権の立場を取っている事実は何人にも否定できませんし、この資金源の性格がMSFの中立公平性を損なうであろうことも、これまた、否定できません。
 今、シリア政府とロシア政府に対する熾烈な宣伝戦争の中核の一つになっているアレッポのMSF病院攻撃事件についての私の判断は、バイアグラ事件、サリン・ガス事件などと同じく、またしても米国側の仕組んだ偽旗作戦事件だということです。今度の場合は、宣伝戦の手口も仲々手が込んでいます。2015年10月3日、アフガニスタンのMSFのクンドゥーズ病院を米空軍が爆撃しました。誤爆だったのでしょうが、米空軍は素直に認めて謝罪することを渋り、空軍内での処罰もいい加減なものでした。ところが、アレッポのMSF病院攻撃事件が起こるや否や、米国政府は「クンドゥーズ病院の場合、我々は素直に罪を認めて謝罪した。ロシア政府とシリア政府は我々のように素直に己が罪を認めて謝罪すべきだ」と声高に叫び出したのです。西側のマスコミは声を揃えて合唱を始めていますから、これはロシアとシリアが犯した許すべからざる戦争犯罪だと、西側の一般大衆は思いこむでしょう。米国は、これを口実に、シリアの代理戦争テロ軍団に地対空ミサイルを含む大規模な武器増強補給を行おうとしています。
 シーモア・ハーシュ(Seymour Hersh, 1937~)という高名な調査報道ジャーナリストがいます。ベトナム戦争中、1969年、ソンミ村虐殺事件を報じて一躍有名になりました。1968年、カナダに移住したばかりだった私は、米国雑誌『ザ・ニューヨーカー』に掲載された記事を切り抜いて、今も書斎のどこかにその切り抜きを保存しているはずです。彼はこれまで数々の重要なスクープ記事を発表してきました。シリアのサリン・ガス事件についての記事もその一つです。

http://www.strategic-culture.org/news/2016/04/28/seymour-hersh-hillary-approved-sending-libya-sarin-syrian-rebels.html

その“偉大なる” シーモア・ハーシュもとうとう米国のマスメディアから締め出しを食らったようです。

http://www.counterpunch.org/2016/05/06/when-liberals-run-out-of-patience-the-impolite-exile-of-seymour-hersh/

藤永茂 (2016年5月7日)
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核廃絶は政治を超える

2016-04-19 15:52:49 | 日記
 何びとであれ、原爆犠牲者の御霊に捧げる祈念は、何よりも先ず罪を謝することでなければなりません。米国が日本に謝罪するのではなく、殺した側、殺す側の人間が、殺された人間に対して謝罪するのです。そして、私たちの誰もが容易に「殺す側の人間」になりうることを常に意識していなければなりません。
 バラク・オバマは、明らかに、殺した側、殺している側の人間です。仮にオバマ大統領が広島を訪れたとして、その彼の脳裏を占める想念を推察してみるのは決して無駄な作業ではありません。
 2009年4月5日、チェコのプラハで核廃絶に関する演説を行いました。「プラハ演説」です。原文とその和訳は下の記事にあります。

http://www.nikkei.co.jp/senkyo/us2008/news/20090423u0c4n000_23.html

https://www.whitehouse.gov/the-press-office/remarks-president-barack-obama-prague-delivered

この麗々しい演説は、米国の新大統領バラク・オバマにその年のノーベル平和賞をもたらしました。
 この成り行きについて、私は、2010年2月17日付のブログ記事『[号外]オバマ大統領は反核でない』で人々の注意を喚起し、そこに秘められた恐るべき欺瞞を指摘しましたが、オバマ大統領が核廃絶を謳いあげた行為があまりにも政治的な欺瞞であったことは、その後の事態の展開でますます明らかになっています。まずは、ブログ記事を再録するので読んで下さい。
++++++++++
昨年の4月22日のブログ『オバマ大統領は本当に反核か?』で、オバマ大統領と現政権が本当に反核かどうか、大いに疑わしいと述べましたが、ここに来て、オバマ大統領は反核でないことが、決定的に明らかになってきましたので、“号外”的な意味を込めて、報告したいと思います。日本の反核運動が、この“大いなる欺瞞”に引きずられる事のないことを、祈っています。
 少し復習をして頂くために、昨年4月22日のブログ記事の始めの部分を再録します。:
*****
『オバマ大統領は本当に反核か?』

 心の一番奥底で核兵器が良いものだと思っている人はおそらく居ないでしょう。核兵器のない世界の方が核兵器のある世界より、原則的に、好ましいと考えない人はおそらく居ないでしょう。しかし、この基本的レベルから離れたところで、つまり、条件付きで、核兵器禁止を唱える政治家には、厳しい目を向けなければなりません。
 今、机の上に2009年4月6日付けの西日本新聞からの切り抜きがあります。4月5日オバマ大統領がチェコの首都プラハで核兵器の廃絶を唱えた演説についての記事です。「核廃絶へ包括的構想」、「核廃絶米外交の主流に」、「核超大国の変化期待」、「長崎の被爆者:廃絶へ強い後押しに」と記事が並んでいます。
 私たちがここで先ず思い出さなければならないのは、2007年に、あの核抑止論の急先鋒だったキッシンジャーが急に核廃絶を言い出したことです。西日本の記事には、
■ オバマ大統領の演説は2007年以来、シュルツ、キッシンジャー両元国務長官らが「核なき世界」を提案し、世界の賢人たちを巻き込んで広めている動きを反映した。演説の起草に参加した核軍縮専門家の一人は「核なき世界はもはや平和屋の見果てぬ夢ではない。米外交の主流が唱えている」と力説。■
とあります。ソースは(ワシントン共同)、「世界の賢人」は、おそらく、「pundits of the world」といった文章の和訳でしょう。これらのパンディットたちの考えていること、彼等が頭の中に描いていていることは、「長崎の証言の会」の皆さんが胸に抱いておられること、希求しておられることとは、殆ど何の重なりもない事ではないかと、私は強く危惧します。キッシンジャーが実に恐るべき人物であることは皆さんの殆どがご承知の筈です。
 同じ記事の中にオバマ大統領の演説の内容がまとめてあります。
(1)核兵器のない世界に向け具体的な措置取る
(2)米、ロシアの核兵器は最も危険な冷戦の遺物
(3)世界核安全サミットを1年以内に開催
(4)ロケットを発射した北朝鮮はルールを再び破った
(5)包括的核実験禁止条約の批准目指す
(6)兵器用核分裂物資生産禁止条約の交渉開始目指す
(7)テロリストの核兵器獲得は最大の脅威
(8)核物質の安全性を4年以内に確保
(9)イランの脅威が存在する限り米ミサイル防衛(MD)計画進める
オバマ大統領が一個の人間として核兵器反対であるかどうかは、ここで議論しても何の意味もありません。もしそうでなかったら、悪魔です。アメリカの大統領としての今回の行動は全く政治的なものです。そのようなものとして受け取らなければ、私たちは判断の誤りを犯すでしょう。彼のほとんど唯一の関心事はアメリカとアメリカ国民の安全と世界でのアメリカの地位の保持です。シュルツ、キッシンジャー両元国務長官の関心事と全く同じです。核兵器の開発と保有に関する世界情勢が変化していて、このままでは昔よりアメリカが危うくなってきたことに対する反応です。世界と全人類の平和のためにオバマ大統領が乗り出して来たなどと早とちりをしてはなりません。彼は人々が喜びそうなことを言いながら、実は、別のことの実現を狙う魔術師です。核兵器を実際に使ったアメリカが、核兵器のない世界を目指して、主導権を握るという大見得はいいのですが、オバマ大統領の本当の狙いは上の(4)から(9)に滲み出ています。
***** (再録おわり)
 今回は、上述した、2009年4月5日、オバマ大統領がチェコの首都プラハで核兵器の廃絶を唱えた演説を促した、というよりも、この大いなる反核欺瞞の有機的一部として立案された反核演説が立脚したと思われる、キッシンジャーほか3名がウォール・ストリート・ジャーナルに発表した三つの論説について、やや詳しく見てみようと思います。
 三つの論説の著者は、いずれも、次の4名:キッシンジャー(1973年から1977年まで国務長官)、シュルツ(1982年から1989年まで国務長官)、ペリー(1994年から1997年まで国防長官)、ナン(上院軍事委員会の前委員長)で、これから先、簡単のため、「四人組」と呼ぶことにします。
 「四人組」の第一論説は2007年1月4日にウォール・ストリート・ジャーナルが「キッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナンが核兵器なしの世界を呼びかけ」という賑々しい見出しで掲載されました。内容は、冷戦とその終結に至る歴史のかなり詳しい復習と、その後の核兵器拡散の状況の記述を含み、長文の論説ですが、その結語には、次のような麗々しい文章があります。:
■ Reassertion of the vision of a world free of nuclear weapons and practical measures toward achieving that goal would be, and would be perceived as, a bold initiative consistent with America’s moral heritage. (核兵器のない世界のヴィジョンとその目標に向かっての実行可能の諸方策を、いま改めて主張することは、アメリカの道義的伝統に一致する大胆な先導行為であり、また、そのようなものとして認められるであろう。)■
 「四人組」の第二論説は、2008年1月15日のウォール・ストリート・ジャーナルに、「キッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナンが核兵器なしの世界を再び呼びかけ」という見出し付きで掲載されました。それは
■ 核兵器、核技術、そして核物質の加速的拡散が、われわれに行動を促す所まで運んで来た。これまでに発明された最も恐るべき兵器が危険な人間たちの手に渡る大変高い可能性に、われわれは直面しているのである。■
という文章で始まります。「四人組」の本当の関心事が顔を出し始めたと見てよいでしょう。これに続いて、「四人組」の第一論説に、ゴルバチョフを始めとする世界中の賢人からの反応があり、米国内でも、マドレーヌ・オールブライト、リチャード・アレン、ズビニュー・ブレジンスキー、ロバート・マクナマラ、コリン・パウエル、などなどの多数の要人が論説の趣旨への支持を表明したことが報告されています。(私の目には、危険人物のリストのように思われてなりませんが。)また、世界の核弾頭の95%を所有しているアメリカとロシアの然るべき関係も論じてあります。この第2論説も長い論文で、興味のある方は、是非原文をご覧下さい。ただ、時間的には、オバマ大統領がチェコの首都プラハで核兵器の廃絶を唱えた演説(2009年4月5日)とオバマ大統領のノーベル平和賞受賞(2009年12月10日)は、この「四人組」の第二論説(2008年1月15日)と、次に取り上げる、問題の第三論説(2010年1月19日)との間に位置していることを指摘しておきます。キッシンジャーはノーベル平和賞の前の受賞者として、受賞者の候補を推薦する権利を持っています。オバマ大統領のノーベル平和賞受賞もキッシンジャーが打った国際的大芝居の一幕であったとしても特別びっくり仰天するほどのことではありません。
 ところで、次に取り上げる「四人組」の第三論説にこそ「四人組」の真の意図が臆面もなく姿を現して来ます。まずその前半を、タイトル部分を含めて、省略無しに翻訳しましょう:

『我々の核抑止力を護るには』
兵器数の減少に当って、我が備蓄核兵器の信頼性を維持することが必要。

G.P. シュルツ、W.J. ペリー、H. A. キッシンジャー、S. ナン

 われわれ4人は、核兵器に依存する度合いを減らし、核兵器が潜在的に危険な人間たちの手に拡散することを阻止し、そして、究極的には、世界を脅かすものとしての核兵器に終止符を打つというグローバルな努力を支持するために、志を同じくして集まったのだったが、今や、他の多くの人々がそれに参加してきた。われわれは、明白な、そして、脅迫的な新事態を認識するからこそ、そうするのである。
 核兵器、核技術、そして核物質の加速的拡散が、われわれに行動を促す所まで運んで来た。これまでに発明された最も恐るべき兵器が危険な人間たちの手に渡る大変高い可能性に、われわれは直面しているのである。
 しかし、核兵器類を縮小して核兵器なしの世界というヴィジョンを実現すべく努力しながらも、われわれは、われわれ自身の核兵器の安全性、防護性、信頼性を維持する必要を認識する。核兵器が意図も無しに起爆しないように安全である必要があり、正式許可のない連中は使用できないように防護されていなければならず、そして、他の国々が核兵器を持っている限り、われわれの必要とする核抑止力を供給し続けることが出来るように、われわれの核兵器が信頼性を持ち続けるようにしなければならない。この事は、これら三つの項目のどれか一つが失敗した場合の極端な結果を考えるとき、厳粛な責務である。
 過去15年間、これらの任務は我が国の核兵器製造工場と三つの国立研究所(カリフォルニアのローレンス・リヴァモア、ニューメキシコのロス・アラモス、ニューメキシコとカリフォルニアのサンディア)の技術者と科学者によって成功裡に果たされて来た。優れた才能に恵まれた人々のチームが、ますます強力で精巧な装置を用いて、備蓄された核兵器に求められる高基準を満たしていることを保証する諸方法を生み出して来た。これらの科学者たちの業績のお蔭で、国防相とエネルギー相は、1995年にこの保証プログラムが始められて以来、毎年、アメリカの備蓄核兵器の安全性と防護性と信頼性を保証することが出来た。
 とりわけ、三つの国立研究所は、現存する核兵器の寿命を延長することに収めた成功について賞賛されるべきである。彼等の研究は核爆発の科学的理解についての重要な進歩に導き、地下核爆発テストを不要のものとした。
 それにも関わらず、二人の前国防相ペリーとシュレシンジャーが先導する戦略体制委員会が同定したように、前途には問題が控えている。昨年国会に報告書を提出したこの委員会は、核兵器の基盤施設の修繕と近代化のための相当の額の投資と三つの国立研究所に対する財源増加を強く要請している。

以上は、この「四人組」ウォール・ストリート・ジャーナル第三論説の前半の、省略無しの翻訳です。ここまで来ると、2007年1月4日にウォール・ストリート・ジャーナルが「キッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナンが核兵器なしの世界を呼びかけ」という派手な見出しで掲載した「四人組」の第一論説、2008年1月15日の第二論説の下敷きになっていた彼等の本音が、臆面もなく、表面に浮上しています。約言すれば、彼等は「核兵器のない世界を実現するためには、現段階では、まず、アメリカの核軍備を増強する必要がある」と主張しているわけです。
 第3論説の後半には、彼等の本音は、いよいよ醜い顔を現します。つまる所は、アメリカの安全を守るということなのです。核拡散を防ぎ、核兵器、あるいは、核兵器に使える核物質が危険な人間たちの手に渡ることを防ぎたいのです。そのためには国防費が、何ものにも優先されるべきだとまで言います:
■ Providing for this nation’s defense will always take precedence over all other priorities.■
「他のすべての優先事項」の中には、もちろん、今ひどい状況にあるアメリカの医療保険制度も入っている筈です。現在4千5百万人の貧困層のアメリカ人が保険料を払えず、制度にカバーされていませんが、そのために一日あたり平均で約百人の人たちが、適切な医療を受けられず、死んでいると見積もられています。アメリカの安全性の保障とは、一体誰のための保障なのでしょうか。
 いや、横道にそれず、本題を追いましょう。上の「四人組」の第三論説がウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された2010年1月19日の時点で、論説の中で強調されている、核軍備に対する予算の増額は既成の事実であったことを、まず、指摘しなければなりません。広島・長崎の原爆を製造したロス・アラモス研究所のあるニューメキシコ州の現地新聞によれば、オバマ大統領は2011年度の核兵器関係予算として70億ドルの増加を計上しています。ナショナル・キャソリック・リポーターという新聞(2010年2月9日)には、ジョン・ディア神父がつぎのように書いています。:
■ 『オバマとその死の事業』
ニューメキシコはこのニュースで沸き立っている。間もなく、このあたりのきびしい風景の中に、ピカピカに新しい、最高技術水準を誇るプルトニウム爆弾製造工場が立ち上げられるだろう。予算書類に署名し、このプロジェクトに祝福を与えたオバマ大統領は、一年前プラハで、核兵器なしの世界を目指す声明をしたその人だが、実のところ、彼の新しい予算をもってすれば、ロナルド・リーガン以来のどの大統領よりも核兵器の生産を増強することになるだろう。
ここに、ジョージ・W・ブッシュさえも上回る偽善の一編がある。新しい核兵器施設のプランを立てる一方で、軍縮をうたい上げる。希望のヴィジョンを高く掲げるその舞台裏で、希望の死を確実のものとする。これぞ、ジョージ・オーウェル風の悪夢だ。
付け加えるまでもないだろうが、核兵器の製造屋たちは大喜びしている。(以下省略)■
 しかし、私に最も強い印象を与えたのは、「Bulletin of the Atomic Scientists (原子科学者公報)」という大変権威のある定期出版物に掲載された、2010年2月4日付けのグレッグ・メロ(Greg Mello)による論文『The Obama disarmament paradox (オバマ軍縮パラドックス)』です。日本でも、反核関係の方々の多くは読んでおられると思いますが、一般の方々にも是非読んで頂きたいものです。以下には、その始めの部分を訳出します。:
■ 昨年4月、プラハで、オバマ大統領は、大幅の核軍縮を公約したものと多くの人々が解釈した講演をおこなった。
しかしながら、今や、ホワイトハウスは核弾頭出費の歴史で大きな増額の一つを要請している。もしその要請の全額が認められると、核弾頭出費はこの一年で10%あがり、将来にはさらなる増額が約束されることになる。オバマの大盤振る舞いの最大の目標であるロス・アラモス国立研究所は、1944年以来最大の、22%の予算増加を見ることになるだろう。とりわけ、新しいプルトニウム“ピット”製造工場コンプレックスに対する出費は2倍以上にのぼり、今後10年間、新しい核兵器の生産に打ち込むことを明確に示している。
こうなると、オバマ大統領の予算と彼の核軍縮ヴィジョンとは矛盾しないだろうか?
答えは簡単である:オバマがそうしたヴィジョンを持っていた、あるいは、一度だって持ったことがあった、という証拠は何もない。彼はプラハでその趣旨のことは何も言わなかった。そこでは、彼は、“核兵器のない世界を求めたい”という彼の思い入れについて語っただけだ。あの抽象のレベルでは、とても新味があるとは言えない漠然とした希求に過ぎない。その一方で、彼は、アメリカ合州国は“如何なる敵対行為をも抑止し、我々の同盟国の防衛を保障するための安全に守られた有効な核兵器の備蓄を維持するであろう”と言明した。■
 術語の説明一つ。プルトニウム・ピットというのは、水素爆弾(熱核爆弾)の中にある起爆装置で、これで核分裂を起こして、そのエネルギーを使って水素の核融合反応を起こさせます。
 上の論文の著者グレッグ・メロは、1989年、ロス・アラモス・スタディ・グループ(LASG)を創設し、以来、核軍縮とそれに連関する諸問題についての信頼できる情報をジャーナリズムに提供する仕事に従事している、元水理地質学者です。ニューメキシコ州環境庁の上級役人を務めた経験も持っています。LASGのウェブサイト(http://www.lasg.org/)を見ると、オバマ政権による核兵器関係予算の急激な増大の詳細が分かります。
 グレッグ・メロの上掲の文章をもう一度読んで下さい。プラハ講演で、核廃絶を悲願としてきた日本人の心をメロメロにしてしまったバラク・オバマという人物が、政治家として、稀代の大嘘つき、稀代のコンフィデンス・マン(コン・マン、詐欺師)であることを、これほど冷徹な筆致で断定した文章は、ざらには見当たらないでしょう。
 実は、このロス・アラモス国立研究所の増強と新しいプルトニウム“ピット”製造工場コンプレックスは、アメリカの産軍共同体がブッシュ政権に対して強く求めていたのですが、反対意見も根強く、足踏み状態が2007年、2008年と続いていました。それが、オバマ大統領の出現で、一挙に前に進んだのです。今にして思えば、キッシンジャーを先頭とする「四人組」の論説シリーズも、この状況と大いに関係があったかも知れず、また、真の源泉は、2007年あたりから、いよいよ緊迫の度を増して来たイラン/イスラエル問題にあったのでしょう。オバマ大統領のプラハ講演とノーベル平和賞受賞も、こうした一連の流れの中に位置されるべき事件であったのだと思われます。

藤永 茂 (2010年2月17日)
++++++++++
私がこの記事を書いた時点以後のオバマ大統領の核軍備縮小に関する実績は、レーガン大統領以後、最低のパフォーマンスであると伝えられています。その上、オバマ大統領は老朽化した核武装を近代化するのに、今後30年間で100兆円以上が必要だとして、来年度の核武装関連予算として2兆円以上の巨額の予算を計上しています。単なる保守近代化ではなく、まったく新しい核爆弾の飛行テストなども行われています。

http://www.nytimes.com/2016/01/12/science/as-us-modernizes-nuclear-weapons-smaller-leaves-some-uneasy.html?action=click&contentCollection=Europe&module=RelatedCoverage®ion=Marginalia&pgtype=article

 私見ですが、広島も長崎も、オバマ大統領を進んで招致すべきではありません。たとえ彼が何らかのギミックで広島、長崎で原爆犠牲者慰霊のポーズをとったにしても、彼の脳裏に政治的な計算以外のものがあるはずがありません。彼には慰霊の資格がありません。「米国大統領の来訪そのものが、世界の反核運動の促進に、ひいては核廃絶に役立つ」という考えがあるとすれば、私はそれにも反対します。核廃絶を政治の場の問題として考えていては、核廃絶は達成できないでしょう。
 核問題は文明の問題、我々の大部分がその中で息づいている文明の問題です。理論物理学者ロバート・オッペンハイマーが嘆いたように、「核軍備をゲーム理論的な勝ち負けの問題としてしか考えない文明」の問題であります。この問題を考える度に想起するのは故鎌田定夫氏(1929〜2002)の「原爆体験の人類的思想化を」(『ヒロシマ・ナガサキ通信』122号)と題する一文です。その数行を引用します:
「あの戦争と原爆によって真に魂の危機を体験したか否か。真に死者と被爆者の立場に立ってあの悲劇を受けとめ、思想化し得たか否か、その根本が問われているのだ。
 日本人として、あるいはアメリカ人としての総括、思想化に止まらない。まさに人類的な総括、真に深い人間的な立場に立つ『ヒロシマ・ナガサキ』の世界化、人類的思想形成への実践がいま要求されていると言わねばならない。」
これに関して、以前、私は次のように書いたことがあります:
「原爆地獄の劫火の中で被爆者が立ち会った筆舌に尽しがたい表象は人間性の深淵に盤居する絶対悪の現前したものではなかったか。鎌田定夫氏の「原爆体験の人類的思想化を」という問いかけを心に思い浮かべる度に、この絶対悪を断固として拒否し、その廃絶を目指すことが、この問いかけに答えることではないかという想いが、私の心の中で、募って来ています。」
 朝日新聞(2016年4月12日朝刊)に『謝罪なし 日米の思惑』という見出しで大きな記事が出て、その中に「広島の平和記念公園を訪れた主な各国要人(広島市調べ、肩書は当時)」の一覧表があります。国名だけ挙げますと、核保有国(フランス、中国、旧ソ連、米国、イスラエル)、非核保有国(フィンランド、メキシコ、アイルランド、ペルー、パラオ、ネパール、ニュージーランド、ケニア、ウクライナ、マラウイ、チリ、オーストラリア)となっています。この中に、キューバが見当たらないのは一体どういう事情からなのでしょうか? ゲバラとカストロの広島訪問について、次のブログ記事で私の想いを綴りました。ご覧ください。

『広島訪問;ゲバラ、カストロ、そして、オバマ』

http://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/45330f10f4e345c7219c0c8932d3534b


藤永茂 (2016年4月19日)
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治さなくてよい認知症

2016-04-09 21:40:02 | 日記・エッセイ・コラム
 今年2月5日夜8時ごろ、埼玉県小川町腰越の自宅で介護中の妻(77)を殺害したと自ら110番通報をしたKさん(83)は、8日殺人容疑で逮捕されました。台所で首を刺されて亡くなった妻の遺体に、夫に抵抗したような痕跡はなかったようです。刃物は刃渡り約12センチ、さや付きの小刀で、ふだん鉛筆を削るのに使っていたものでした。Kさんの首にも切り傷があり、県警は無理心中を図ったとみています。
 県警によると、Kさんは逮捕後、留置場でおかゆを少し食べるほかは、水やお茶しか口にしようとせず、衰弱が進んだので、14、16日に病院で診察を受け、17日に入院しましたが、ここでも食事を拒み、23日午前9時50分ごろ、死亡が確認されました。逮捕時に「認知症の妻の介護に疲れた」と話した後、取り調べに応じなかったそうです。15日間にわたって食事を拒否した理由も、ついに黙したままでした。
  近所の人達によると、奥さんが認知症になったのは2〜3年前で、Kさんはヘルパーも雇わず、自宅で妻の介護を一人でしていましたが、「5、6分前のことも忘れてしまう」と漏らし、殺害前日の2月4日、疲れた様子で「数日間入院して点滴を打ってもらった」と話していたそうです。 買い物などの外出にも二人で連れ添って歩くような夫婦でした。奥さんは絵を描くのが趣味で、デパートで個展を開いたこともあったそうです。NHKニュースの内容は次のyoutubeで見ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=jpHcMJSVWKA

 厚生労働省の調査によると、介護が必要な65歳以上の高齢者がいる世帯のうち、介護する人も65歳以上の「老老介護」世帯の割合は、2013年には5割を超えました。
 私自身が老老介護の日々を数えていることもあって、Kさんのことが他人事とは思えず、この事件報道の後、新聞に出る主要週刊誌の広告に注意を払っていましたが、取り上げた記事は見当たりませんでした。
 昔、『ハネケの<白いリボン>』と題する記事を掲げたことがありました。それを再録します:
**********
 昨年の暮れ、私のブログを読んで下さったウイーン在住の近藤英一郎という方から、次のようなコメントを頂きました。:
−−−−−−−−−−
もしお時間がお有りでしたら、ミヒャエル-ハネケの<白いリボン>という映画をご覧になって下さい。
ハネケは、昨今のオーストリアが誇れる唯一の人物です。
日本で上映中のようなことを耳に挟みましたので。
16年間中欧で暮らして、ヨーロッパ人(様々な階層の)の、芯部底部にたびたび触れ、その時の、何ともいえないザラッとしたグロテスクな感触がそのまま描かれているので、心底、驚愕しました。
日本の能の様な印象でした。

映画がお好きのようですので、お知らせ致しました。

佳き新年を
近藤英一郎(在ウィーン)
−−−−−−−−−−
 映画<白いリボン>が2月末から一週間福岡でも上映されましたので観に行ってきました。
 この黒白の映画から受けた印象は大変つよく重いもので、ここでうまく要約して報告することは出来ません。これから長い間こころの中で反芻を続けることになると思います。人間が他の人間に対して如何に残酷でありうるか、何故これほどまで執拗に残忍であり得るか、その行為はどのような契機で触発されるか、この映画を観た人は、自分の胸の奥深くで、こうした問いに苛まれ続けることになります。
 映画を観た直後の日曜の夜、NHKの大河ドラマ「江(ごう)」を観ながら、しきりに<白いリボン>のことを想っていました。この大河ドラマをつくっている人たちとハネケとの間には気の遠くなるような距離があります。単なるエンターテインメントと真の芸術の差だと言ってしまえばそれまでですが、NHKのドラマの非戦反戦のメッセージの嘔吐を誘う浅薄さを私は嫌悪します。この粗雑なフィクションで我々視聴者をマニピュレート出来ると考えるほど、このドラマの制作者たちは我々一般日本人を馬鹿にしているのでしょうか。映画<白いリボン>でハネケはナチズムの発祥基盤の問題を意識していたという解釈は可能でしょうが、そうであるにしても、ハネケのメッセージの重さと真摯さには我々ひとりひとりの魂を真っ向から打ち据えてくるものがあります。少しふざけた物言いを許して頂くとすれば、男女同権、反戦平和と言ったお馴染みのお題目についても、<白いリボン>の方が「江(ごう)」より百倍も有効なプロモーション効果を発揮するに違いありません。

藤永 茂 (2011年3月9日)
**********
 『白いリボン』は2009年カンヌ映画祭バルムドール受賞作ですが、ハネケは2012年にも『AMOUR』という作品で同じ賞を受賞しました。タイトルは『愛』、フランス語の映画です。主役は音楽家老夫妻、妻アンヌはピアノの先生、優秀な愛弟子のピアノ・リサイタルに出席して、幸せな気持ちで帰宅したその翌朝、食卓でアンヌが突然放心状態に陥り、夫ジョルジュをひどく驚かせ、狼狽させます。放心状態はしばらくして消えますが、何も憶えていない。入院検査の結果、脳に血液を送る血管の血栓を取り除く手術を受けますが、失敗の確率は極めて小さかったはずの手術が不幸にも失敗し、右半身不随になって帰宅します。入院中に何か強く不快な経験をしたのでしょう、帰宅直後、妻が夫に問答不要で誓わせたことは「再入院させない」ということでした。こうして、老夫による老妻の在宅介護が始まります。半身不随に加えて、認知症症状も容赦なく進行します。結局、ベッドで上向きに寝ているアンヌの顔を枕で覆って、ジョルジュはアンヌを窒息死させます。夫は妻の枕もとに花びらを撒き、部屋を締め切り、(おそらく)外出してどこかで自らも命をたったものと思われます。そのように、映画は終わっています。
 角川書店2013年発売のDVDビデオにはミヒャエル・ハネケ監督のインタビュー(18分)が付録として付いています。大変興味深い内容ですが、その中でハネケは、この映画は介護という社会問題についてでも、病気についてでも、死についてでもなく、愛についての映画だと、はっきり語っています。
 このビデオを私は発売後まもなく買い、デスクトップPCで観て強い感銘を受けました。私の老老介護的生活はすでに始まっていて、このハネケという芸術家の洞察力の深さに打たれたのでした。その頃から、認知症患者の介護というテーマが一種の流行りになり、あれこれの言説が流布され、多くの単行本も出版されるようになりました。幸いなことに、新聞の書評か何かの縁で、私は、上田諭(さとし)著『治さなくてよい認知症』(日本評論社、2014年)、という良書に巡り会いました。この著書を貫いているものは、ハネケの『アムール』と同じ、人間に対する厳しく揺るぎない「愛」です。『治さなくてよい認知症』というタイトルの意味を全面的に正しく理解するためには、実際に読んでいただく必要がありますが、誤解を恐れずに言えば、ここには「脳」の問題と「心」の問題があるということです。世上いかに多くが語られているにしても、現状では「脳」を治療する確かな方法は存在しないことをまず認識しなければなりません。しかし、「心」については、我々にできることがあります。本書の170頁から数行を引用します:
「認知症(アルツハイマー病)とは、原因不明で脳の神経細胞が脱落し脳機能が低下する病気ですが、それは病気の一側面でしかありません。もう一つの重要な側面は、自信がなくなり、自尊心が傷つき、周囲との交流が少なくなってしまい、孤独感や疎外感を感じるという精神的な側面です。これは病気ではなく、むしろ正常な心の反応というべきものです。」
介護する立場にある人々からは「いや、そうではない。脳機能の低下が正常でない心的反応を生む」という声が上がるでしょう。「性格までが変わってしまった」という人もあるでしょう。ジョルジュも、アンヌについて、そう思った瞬間があったに違いありません。こうしてジョルジュの前に「愛」の問題が大きく立ちはだかります。
 今度のKさんの事件の後、私は再びハネケの『アムール』と付録のハネケのインタビューのDVDを観ました。一回目と二回目の間の2年間に得た認知症介護の私的体験は、この芸術作品がそれを観る者に与えようとするメッセージをよりよく感得することを可能にしてくれたと思います。インタビューでハネケは「愛する人が苦しむのをどう見守るか」を描いたのだとも言っています。ラテン語に「倫理がなければ美学はない」という言葉があるとも教えてくれます。しかし、私がこの芸術作品について言えることは、「これは愛について語っている」というハネケの言葉を繰り返すこと以外にありません。これ以外に要約のやり方がないのです。
 埼玉県小川町のKさんの事件に戻ります。悲惨な事件と呼んで仕舞えば、それまでです。しかし、この事件を知って、身につまされる思いをした老人の中には、自ら食を絶って不帰の旅路についたKさんを悼む気持ちに、いささかの称美の念を含めた人もあったのではありますまいか。死んだアンヌは、ごく普通の面立ちでジョルジュの前に現れて、外出に誘います。美しい「道行き」の場面です。

藤永茂 (2016年4月9日)
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