POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





(参考) 「カントーへ」- ホーチミンからカンボジアのプノンペンへは6時間ほどのバス旅。

妻「9時のバス(ホーチミンからプノンペンに行く長距離バス)に乗ったとして、国境(ベトナム・カンボジア間の国境)に着くのは2時間後の11時頃になるわよね。」
私「そうだね。」
妻「出国と入国に30分ほどかかったとして、国境を離れるのは11時30分頃よね。」
私「そうだよ。」
妻「お昼はどうなるの。何か食べ物を買って乗り込むの?」
私「その心配かい。」
妻「大事なことよ。お腹が空いてるとバスに酔うわよ。」
私「マレーシア人が国境越え(ベトナム側の「モックバイ(Moc Bai)」からカンボジア側の「バベット(Bavet)」へ)についてブログを書いているんだけど、国境から5分ほど走ったところにレストランがあって、30分ほど休憩するそうだよ。」
妻「そうなの。じゃ、そこで食事をとれるのね。」
私「そのマレーシア人は食事がハラル(Halāl、イスラム教の教えに則った食品)じゃないことを知っていて、バスを降りずに持ってきたクッキーでお昼にしたそうだよ。」
妻「ムスリム(イスラム教を信仰する人)は、食事をするのも一苦労ね。」
私「カンボジアはその90%ほどがクメール族で、仏教国だからね。」
妻「ハラルも東京じゃ見つけることもできるけど、地方では無理なのと同じね。」
私「話は脱線したけど、弁当(テイクアウト、テイクアウェイ、ターパオ(打包))にして、バスの中で食べてもいいんじゃない?」
妻「バスに乗る前に何か買っておいた方がいいかも。」
私「当日にチケットを買うならば、1時間以上後に出発する便でないと買えないから、バス出発の待ち時間に買うのもいいかもね。」
妻「そうなんだ。」
私「正しい情報かどうかわかんないけどね。」



 ホーチミン市(Ho Chi Minh City、HCMC、Thành phố Hồ Chí Minh、サイゴン)からプノンペン(Phnom Penh)へは、ベトナムの国道22号線を70kmほど、カンボジアの国道1号線を170kmほど、合わせて240km(150mile)ほどをバスで進まなければなりません。国境での手続きにかかる時間、フェリーでのメコン河渡河にかかる時間、道路の混雑状況など不安定な要素があるので、バス会社は所要時間を6時間としていますが、プラス1時間ほどは想定しておいた方がよいようです。ホーチミン市とぺノンペンの間を列車は走っていず、飛行機はこの区間を飛んでいますが、空港へのアクセスにかかる時間、チェックインやバゲージ・クレームにかかる時間を考慮に入れると、時間の節約にはならず、またバス料金の10倍以上の出費も覚悟しなければなりません。

 ホーチミン市-プノンペン間のバス運行会社は、Sapaco、Mekong Express、「クムコ・サムコ(Kumho Samco)」などのほかに数社があります。クムコ・サムコは、239 Pham Ngu Lao Street, Dist 1, HCMCのオフィス前から、07:00、08:00、09:30、11:00、13:00、15:00に、34人乗りのバスを使って、11米ドルで運行しています。



 14世紀後半は、足利幕府の第3代将軍「足利義満」(在職1368年~1394年)が活躍し、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた時代です。14世紀後半は、カンボジアにおいては、「クメール王朝(Khmer Empire、802~1431年)」が北や西に接する現在のタイに勃興した「アユタヤ王朝(Ayutthaya Kingdom、1350~1767年)」との戦いで国力を疲弊していった時代でした。



 その頃のクメール王朝の都は、「アンコール・トム(Angkor Thom、1190~1431年)」にありました。アンコール・トムは現在、世界遺産に登録されている(1992年登録)「アンコール遺跡群」の1つで、ヒンズー教の寺院であった「アンコール・ワット(Angkor Wat)」の北にあり、1辺が約3㎞ほどの正方形をしており、高さ約8mの城砦に囲まれている城砦都市の遺跡です。
 
 アンコール・ワットやアンコール・トムなどの「アンコール遺跡群」の観光拠点となっている「シェム・リアップ(Siem Reap)」から長距離バスで南へ4時間ほどのところに「カンボジア王国(Kingdom of Cambodia)」の首都「プノンペン(Phnom Penh)」があります。ベトナムのホーチミンからシェムリアップに行くには、まず東西に走る道路で西進し、プノンペンへと向かいます。プノンペンからは南北に走る道路を北進し、シェムリアップへと向かいます。L字状に道路を進むわけです。

 何本もの川の流れる湿地帯の多い地域に、「ペン(Penh)」という名の裕福であるが高齢の未亡人が、小高い丘の上にあるお屋敷で暮らしていました。あるとき、激しい雨が降り、あたり一帯が洪水に襲われました。雨が止んだので、ペン夫人が洪水の様子を見ようと、船着場へと降りていきました。そのとき、土手に向かって、流木が近づいてくるのが目に入りました(“koki tree”と言いますが何のことでしょう?)。強い波がその流木を土手へと送っていたのです。

 何かを感じたペン夫人は、近くにいた人たちの手を借りて、その流木を拾い上げようとします。大木だったので、ロープがかけられ、川の中から徐々に引き上げられます。ペン夫人はその木を覆っていた泥を拭い去ります。すると、木の幹の洞から、4体の青銅製の仏像と右手には棍棒を左手には法螺貝を持った石像(a stone statue of Divinity、「ヴィシュヌ神像」?)が1体現れます。

 発見された仏像などは、ペン夫人のお屋敷に運ばれ、一時的に安置するために、小さな小屋が建てられました。その後、お屋敷の西に土が盛られ、そこに流木から柱を作り、茅葺屋根のお寺が建てられます。1372年のことだったといいます。その「寺(temple)」に4体の仏像が安置され、石像は山の東の麓にあった「社(shrine)」に納められたといいます。

 お寺が建てられると、ペン夫人は僧侶を招き、丘の麓に住んでもらうことにしました。それ以来、このお寺は、“Wat Phnom Daun Penh”(ペン夫人の丘のお寺)と呼ばれることになり、現在では「ワット・プノン“Wat Phnom”」と短縮されて呼ばれています。“phnom”は「丘」で、“wat”は「寺」であることから、「丘の寺」ですね。「プノンペン(Phnom Penh)」という都市名は、「ペン夫人の丘」という意味なのです。 

妻「プノンペンのこと、調べ始めているのね。」
私「そうだよ。」
妻「プノンペンというプリントがあったけど、あれを読んでいるの?」
私「そう。ロンリープラネットのサイトからダウンロードしたんだよ。」
妻「いくらかかったの?」
私「3ドル46セント。300円ちょっとくらいかな。」
妻「そんなにかからないのね。」
私「日本語ではプノンペンの情報は少ないからね。」
妻「少ないということは、見るところがあまりないということなのよ、きっと。」
私「そうかもね。」
妻「でね、プノンペンからアンコールワットに行くことにした。」
私「え!」
妻「プノンペンからシェムリアップに行く手段を研究しておいて。」
私「シェムリアップって?」
妻「そこに泊まって、アンコールワットは見に行くものなの。よろしくね。」
私「…」

 次の記事からタイトルを変えなければならなくなりそうです。「カントーへ」から「アンコール・ワットへ」でしょうか。

              (この項 健人のパパ)

  


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