健人の育てているあさがおを見ていてふと「祖父」を思い出しました。
夏になると祖父は、毎年あさがおを育てていました。亡くなってから早いもので18年になります。
祖父は、おけやの跡取りだったそうですが、家業を嫌って家を飛び出したそうです。自分の決めたことには、頑固だったようです。
祖父は、結構当時ハイカラな人だったようで若い頃の写真は、昔の俳優さんの高松英郎さんに似ていると周囲から聞きました。
この祖父は、とても器用な人で幼い頃、祖父が作った茶箪笥を見た記憶があります。
私が小学校3年頃になると定年を迎えたようですが、腕を買われたのか最後の仕事は、小田原の印刷工場でグラビアの仕事の責任者をしていたようです。
お酒が好きで仕事を辞めてから一升瓶を2日で飲んでしまう酒豪でした。高校生の頃から「おじいちゃんは、今日も飲みすぎて」と嘆く祖母の話を聞きながらよくお酒を隠して祖父とけんかになったこともあります。
お酒には負けてしまう祖父でしたが、自転車で祖母の買い物の手伝いや暗くなるとバス停迄、私を迎えに来てくれるような優しい人でした。
74歳で肺がんと肝硬変で亡くなるまでの1年8ヶ月の入院生活で、お見舞いに行く度に、私に「元気でね」というのが口癖の祖父、3年近くの不妊でようやく妊娠した私に、「生まれたらおぶってやるよ」と言っていた祖父でした。
残念ながらひ孫を見ることなく天国へ旅立っていたのは、上の息子が生まれる2ヶ月前でした。祖母が深い悲しみから立ち直れたのは、一筋の光であるひ孫の誕生であったことは言うまでもありません。
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