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No351「映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事」

土本監督が、40年前に撮影した地を訪れ、
水俣病の患者さんや地域の懐かしい人たちに会ってゆくドキュメンタリー。
監督の作品も紹介される。
あの声が聞こえた時、とても懐かしい気がした。
つい数日前に、映画館で聞いたばかり。
『水俣ー患者さんとその世界ー』に登場する胎児性水俣病の少年の声だ。
監督と少年が、家の縁側に向かい合って、しゃべっている。
東京の海はきれいなの?。
少年が、とぎれとぎれだけど、一生懸命しゃべろうとしている。
自分の思ってること、感じたこと。
その声を聞いた時、ふうっと映画全体が身体の中に入ってきた気がした。
少年の心の中の、純粋でとっても美しいものが響いてきて、
感動すると同時に、
そんな彼の身体を蝕んでしまったのが、水俣病なんだ、ってこと
人の手によってもたらされた公害だということに
どうしようもない悲しさも感じた。

その前日に観た『不知火海』(1975年)では、海と生活する人たちを描いていた。
視察の学者たちに、水俣の海の魚を手にとり、
次々と魚の名前を紹介していく漁師さんの生き生きした表情。
魚のこと、漁のことを語るときの瞳の輝き。
海とともに生きてきたんだなと思う。

胎児性の患者さんの女の子が精神科医に自分の悩みを打ち明ける。
海の見える岩場での長回し。
一生懸命考え、悩み、生きてる姿、彼らを包み込む水俣の海。
とても淡々とした作品で、観終わってすぐには気づけなかったが、
監督の静かな思い、
水俣の人たちが海とともに生活してきた姿が伝わってきた。

今回の土本監督特集はDVD上映で残念だったが、
(やはり海のきれいさはフィルムの方が伝わる)
また次回の機会を楽しみに待ちたい。
あの少年にまた会いたいと思う。

そういえば、『パルチザン前史』(1969年)だけは
16ミリフィルムの上映で、大きな機械を観客席に持ち込んでの上映で、
迫力ありました。
学生たちが京都百万遍の交差点を占拠し、
機動隊と向かい合い、火炎瓶を投げる光景には驚いた。
安田講堂は知っていても、関西のこんな身近で
こういう闘いがあったなんて。
京都大学の時計台や、
大阪市立大学の時計台の頂上に立てこもる学生たちに
放水する水の勢いも怖かった。
学生たちの熱気、生々しい紛争の記録も、映像で観てこそ伝わるものがある。
やはり、何度でも上映し、若い人にも観てほしい。
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