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「ある家族の会話」須賀敦子さんが愛した小説

昨日は、仕事から帰って、
1週間の疲れ(2日も休日あったのに(笑)!)で、
ぼーっとしていて、
かなり以前に録画した、NHKの
「プロフェッショナル 仕事の流儀」の
青森の93歳の桑田ミサオおばあちゃんが、
ひとりで笹餅を作って売っているのを観た。

笹の葉も、一人で山まで自転車で取りに行くという元気さ。
お餅の重さも手の目分量でぴったり100グラム。
「十本の指は黄金の山」という
ミサオさんの母の言葉を紹介してくれた。

ミサオさんは、幼い頃、
母とお餅をつくったことがあり、
60歳で退職後、
老人ホームにあわ餅かを届けたら、
涙を流して喜んでくれた人がいて、
それをきっかけに、お餅をつくり始め、
小さな工房もつくって、
腰が弱る近年までは、
小豆もずっと自分で栽培していたそうだ。

なんてすごい人だと思って見ていたら、
ミサオさんのおかあさんもすごい人。
夫を早くに亡くして、
4人の子どもを女手一人で育て、
貧乏で苦労しても、愚痴らなかったそうだ。

ミサオさんは、結婚して、2人の子どもを授かったが、
旦那さんが病弱で、
昼は用務員として働き、夜も内職と大変苦労していた時、
つい母に愚痴を言ったことがあった。
そのときの母のなにげない言葉を聞いて、
愚痴はやめようと思ったそうだ。

家族の何気ない言葉は、ずっとその人の心に
残り続ける。。。

前置きが長くなったが、
本作は、まさに、イタリアの
著者ナタリア・ギンズブルグさん自身の
家族の会話を主に、綴られた小説。

とにかく父が個性的というか、
昔ながらの頑固親父。

子どもや妻が、何かできないことがあると、
「なんというロバだ、おまえは!」とか、
「愚かものだ」と言って、叱りつける。
すぐ怒るし、家族は大変だ。

父も母も、完璧ではない。
感情もある。
やたら怒ったり、いらいらすることはある。
そういう姿も淡々と、率直に書いていて、
私の父と似ていると共感もでき、
すっと心に入ってきた。

本作は、
須賀敦子さんがイタリア人の夫に薦められて読んで、
自身で訳された小説。

第二次大戦中のムッソリーニの弾圧が始った頃から、
戦争が終わって、平穏な日常を取り戻す頃までの
自分の家族と、家族が交わった友人や知人との会話や、
その描写を通じて、
ひとつの時代が浮かび上がる。

父はファシズム反対の立場をとり、
兄も刑務所に入れられたりしている。
でも、そんな苦労は、さらっとしか書かれておらず、
きわめて淡泊。

自分のことも最低限しか書かれておらず、
私小説という感じはしない。

父や母が一番印象に残ったが、
好き嫌いが強いおばあさんも心に残った。

著者には、兄が3人、姉が1人いて、
父や母や兄の友人、知人も山ほど出てくるので、
カタカナの名前が多くて、覚えにくく、
その点は、少し読みにくかった。

印象的な文章を抜粋して、最後にご紹介したい。
たぶん、何年か経ったら、
小説の中身は全部忘れて、この言葉しか覚えていないと思う(笑)。

「あの遠い昔のことば、
何度も何度も口にした、あの子供のころのことばで、(略)
わたしたちの昔のつながりが、
これらのことばや言いまわしに付着した私たちの幼年時代や青春が、
たちまちよみがえる。

どこかの洞窟の漆黒の闇の中であろうと、
何百万の群衆の波の中だろうと、
これらのことばや言いまわしのひとつさえあれば、
われわれ兄弟はたちまちにして相手がだれだか見破れるはずである。

これらのことばは、われわれの共通語(ラテン語)であり、
私たちの過ぎ去った日々の辞書なのだ」

「これらの言いまわしは、
私たちの家族のまとまりの大切な土台であり、
私たちが生きているかぎり、
地球上のあちこちでたえずよみがえり、
新しい生を享けて生き続けるだろう。

それがどこのどういう場所であろうと、
だれかが『敬愛するリップマンさん』といえば、
私たちの耳には、
あの父のいらだった声がひびきわたるだろう。
『その話ならもうたくさんだ。何度聞いたかわからん』」

著者が、取り上げている言葉や言いまわしが、
いわゆる人生についての蘊蓄のある言葉とかではなく、
「ロバだ」とか、感情的な言葉であるところがおもしろい。

私の家族にも、何かそういう言いまわしがあるだろうか。

こういう形で、ひとつの小説が成立するというのは、
とても発見で、おもしろかった。

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