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加速する口を止めるには…見ること、観察すること…

ゆっくりしゃべることは、優しさなんだと、
その人の話す姿を見て思った。

相手にわかるように、丁寧に、ゆっくりと、物腰も柔らかく話す。
ときにユーモアもはさんだりしつつ、
相手がちゃんと話についてきているかどうか、確かめながら話す。

この3月から、仕事でお世話になっている
白髪のその人は、丸顔で、温厚な人柄だから、
よけいに、あったかさを感じさせる。
そうですね~という相槌も、にこにこしていて、
安心して聞いていられる。

その人を見ていて、
「ああ、私って、優しくないんだ・・・」と
いきなり、気がついた。
強烈なパンチを受けた気持ちになった。

1か月半ほど前の出来事。
幾人かでランチをしようと、予約のため、お店に電話をかけた。
数年前は、一人でせっせと通っていたお店だから、
電話に出た声に、あのおっちゃんだと、顔を思い出した。
でも、名乗ったこともないから、
おっちゃんは、私とはわからないだろう。

私は、いついつ、何人で、何時からで、
予約お願いしますとしゃべった。
自分では、きちんとしゃべったつもりだった。

でも、通じていなかった。

おっちゃんは、
「もう一回言ってもらえますか?
ちょっと早口すぎて、わかりませんでした」
とはっきり言った。

ショックだった。
自分では、それなりに、話したつもりだったので、
知ってるおっちゃんの声で、
「早い」とはっきり言われて、正直、こたえた。
ああ、私は、こんな、ちょっとした予約の電話でも、早口で、
きっと、今までもずっとそうで、
皆、聞き取りにくくても、言わなかっただけなんだと、気がついた。

そもそも、小さい頃から、しゃべることは、大の苦手だった。
とりわけ、人前でしゃべるなんて、絶対、だめだった。

10年以上前に、前歴がある。
仕事で、新しく入った若い人たち、5,6人に、
概要の説明をすることになった。
相手は、初々しい人たちで、怖い質問をするわけでもないから、
余裕があるはずなのに、
なぜか、人前に立って、しゃべりはじめた途端、
私の舌と口は、高速で、回り出し、
途中で止めることができなかった。

こんな早口では、誰もわからないだろうなあ、と
しゃべりながら、自分でも、はっきりとわかったし、
自己嫌悪におちいりながらも、どうしようもできず、
そのまま、猛スピードで、しゃべりまくってしまった。
あっという間の10分。
終わってから、申し訳なくて、笑ってごまかしたか、
ばつが悪くて、聞いてた人たちの顔もろくに見れなかった。
あまりに苦く、忘れられない、強烈な記憶。

だから、何かにつけ、自分が早口だという自覚はあった。

しかし、今になって、やっと気付いた。

“早口は罪である・・。”

早口をいまだに直せない私は、きっと“冷たい奴なんだ…”。

自分で自分に、やっと気が付いて、
“本当に優しくなりたいなあ”と思った。

いや、“優しくなれたらなあ”である。

話が長くなるが、
今、シネルフレという、マイナーな映画サイトで
FM守口(FM HANAKO)という、
これまた、マイナーな、地域限定のコミュニティ放送(FMラジオ)で
(インターネットなら、全国どこでも聴ける)
映画紹介の番組を持っていて、
編集長の聞き役として、毎週30分弱の番組に出ている。
私の担当は、葉書のあて先を読むのと、
相槌をうつこと。

だいたい、いつも編集長が新作映画を4、5本紹介される。
私も、時々、そのうちの1本を担当させてもらえることがある。
といっても、せいぜい4分ほどで、
ざっと私が、物語の概要とかを紹介した後は、編集長がまとめてくれたりして、
おんぶにだっこ状態。

今週初めに収録があり、初めて3本連続の新作紹介をさせてもらった。

自分なりに、はりきって、
ラジオを聞いている人が、どうしたら映画の世界をイメージできるか、
興味を持ってくれるか、
あれこれ考えて、
ノートに、何をしゃべるか、書き並べてみて
いつもよりは、念入りに準備した。

さっき、放送があった。

愕然とした。
やっぱり、早口だった…。

聞き取れないほどではない。
でも、わかりにくい。
一生懸命、しゃべろうとしているのはわかるが、
あれもこれもしゃべろうと欲張りすぎて、
かえって、話がわかりにくくなっていた。

あーあ、反省。
恥ずかしくて、まだ、友達にもあまり言えずにいる。

もともと、外向性も社会性もないほうで、
小さい頃から、教室の端っこが好きだったし、
遠足では、皆の一番うしろから、ついていくのが好きで、
高校の時、教室でコンタクトレンズを落っことしても、落っことした、といえずに
恥ずかしくて、じっとして、結局、言えなかったというお馬鹿な私である。

こもりはじめたら、こもってしまう。
今は、仕事があるから、きちんと毎朝、同じ時刻に起きて、
行くべき場所があるから、ちゃんと、外に出ていくけれど、
映画も見なかったら、
たぶん、じっと家で本ばっかり読んでいるかもしれない。

この連休も、真っ白な手帳を眺めつつ、
村上春樹の長編小説5冊にでも挑戦して、
どっぷり浸ろうかと、思ったり
どこか、ふらりと行ってみたいと思いながら、結局、出不精で、
どこにも行かないだろうなと思ったりである。

そういう性格のくせに、ラジオでしゃべるというのも、ご縁である。
人前ではないから、
まだ緊張しないはずなのに
やはり、気張りすぎた。

大切なのは、イメージだ。
悪循環の渦の中に、巻き込まれても、
よく見て、観察することで、
渦から、逃れることはできるはず。
このことは、エドガーアラン・ポーの短編小説「メールシュトレームに呑まれて」から学んだ。
渦に巻き込まれた漁師が、
自分のまわりを、渦にのみこまれていく物を
冷静に、見ること、観察すること、考えることで、
無事、渦から脱出できて、生き延びられたというお話。

私はこの話が大好きで、
「見ること」は、私にとって、大切な呪文でもある。
すぐ忘れてしまうけれど。

小説やら、音楽やら、いろんなものから、いいイメージをもらって、
自分を演じる、演出することができたらいいなと思う。

その前に、自分に気付くこと、自分をよく見なくちゃいけないけれど…。

この年になっても、昔と全然変わらない自分が、なんとも歯がゆい。
でも、どうしようもない。
今頃とはいえ、
やっと、気がつけただけ、まだましと思わなければならない。

本気で、ちゃんと直さなければ…。
前を向いて歩いていかなきゃ、と自分で自分に言い聞かせる。

そんなこんなで、いつのまにか4月が過ぎてゆこうとしている。

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コメント
 
 
 
Unknown (tamako)
2014-04-27 10:52:25
ぱらぱらちゃんは優しいよ。

相槌がとてもいい。会って話して、しばらく経ってからも、「うん、うん」ってほほえみながら、ずうっと話を聞いてくれた、あなたの残像がそばにいるみたいだもん。

私は自分が人の話を取ってしまう癖がとてもイヤ。「私が、私は」と、聞かれもしないことをどんどんしゃべっちゃう自分に気づくと、ドーンと落ち込む。

昨日、私の製本のクラスの1回目がありました。

人前でゆっくりしゃべれるには、自分が大好きで、自信たっぷりで、「みんな、見て見て!」みたいなハッタリも必要。

15人の人の注目を集めて、限られた時間で伝えるには、優しさよりも、どこか上からの目線があるように思う。

「このレベルの聴衆に、知ってること全部を言うのは無理だ」と判断したら、たとえ有用な情報でも、バサッと割愛してしまう冷酷さも必要。

あなたの早口は、少しでもたくさんの情報を届けたいという優しさの表れなんじゃないかな。

私は、あなたのように人の話を優しく聞ける人になりたいよ。
 
 
 
たまこちゃんへ (ぱらぱら)
2014-04-27 12:38:05
あたたかいコメントありがとうございます(涙)。

白髪のおじさん(ってこんな呼び方したら失礼で、紳士というべき人なんですが)は、週に1回、職場に来るぐらいの人なんですが、本当にゆっくり、かみくだくように、話される方なので、頭をがーんと殴られたような発見だったんです。
「優しいって、こういうことだったんかあ」
って感じ。
いつか書きたいなと思ってて、昨晩、いろいろ思いの丈を綴ってしまい、読んでくださり、本当にありがとうございます。

私からみたら、たまこちゃんこそ、いつも楽しい話をしてくれて、私は自分からはあまりしゃべれない方なので、いつも場を盛り上げてくれて、一緒に同席できて、屈託なく笑えて、本当に楽しかったのをよく覚えています。話をとるなんて感じは全然なくって、むしろ、楽しい方に話が移っていくという感じですよ。

製本クラス、お疲れ様です。
たまこちゃんのことだから、きっと、さぞ楽しいクラスだったのではと思います。
ちゃんと届けるためには、どうしたらいいか、なんですよね。少しずつ私もがんばります!
本当にあたたかいコメント、ありがとうです。
 
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