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No1125-2『かぐや姫の物語』~表情豊かな人物と、野山の美しさ~

子どもをもつ親が見たら、きっと我が子の小さい頃が思い返されて
たまらなくなるだろう。

かぐや姫がうまれたばかりの
赤ん坊のときのシーン。
ころころところげまわって、
とっても可愛い。
はいはいしている時も
くるんくるんと、回ったり、伸びをしたり、
床から落ちそうになって、
ばあやが、すごい勢いで駆け寄る気持ちがよく伝わる。

冒頭から、どのシーンも、まるで一枚の絵をみているような
見事な構図。
ロングショット(遠景)の時には
手前に映る草花の美しさが心に止まるし、
翁が、竹林を歩くとき、翁の身体にさす竹の影まで
丁寧に描かれる。

宮崎駿監督の作品とは異なる
淡いスケッチのような絵が心地よい。
ぼかしたタッチの絵から情感が豊かに伝わる。

前半のかぐや姫こと「竹の子」とあだなされた少女は、
山の少年たちといっしょに
野山で駆けまわる。
生き生きと輝いていてすばらしい。

新しい屋敷で、色とりどりの着物をもらい喜びかけまわったり、
ショックを受け、傷ついて疾走する怖い顔(予告)。
すごい勢いで走るヒロインに
芯の強さ、意思の力を感じる。

姫が等身大のひとりの悩める少女として描かれていて、
現代の私たちに十分通じるものがある。

かぐや姫を「高貴な姫」に育てようと、
まいあがってしまう翁も憎めないが、
ばあやの包み込むような、あたたかい愛情がいい。

お屋敷で、かぐや姫につかえる、パタリロのような口もとの
小柄な召使の女性が、なんともユニーク。
ラストといい、存在感があって大活躍。

映画は、脇の人物も
表情豊かに繊細に描いていく。

かぐや姫が
山にいた少女時代に、皆といっしょに慕っていたお兄ちゃんのすて丸。
「すて丸兄ちゃん」と姫が呼ぶ声に想いが伝わる。

二人は、離れ離れになって何年も経ってから、
懐かしの場所で再会する。
二人が同じ方向を向いて、並んで草刈りをしてみる。
いいなと思う。
同じ方を目指して、肩を並べて生きていきたい…、

でも、できない、遅すぎると嘆く姫の
切ない想いと哀しみが一挙にあふれだす。

月の世界をどう感じるかは、
きっと人それぞれ。
予告にある「姫の犯した罪と罰。」というのは、いろいろ受け止め方があるし、
わかっても、わからなくてもいいと思う。
(正直、私はわかるような、わからないような…
でしたが、わからなくても、気になりません。)

ここからネタバレです(といっても解釈は人それぞれなので)~

 

 

 

この映画を観終わって、
私は、なんだか、竹取物語というおはなしが
娘を早くに亡くした夫婦のためにあるような気がした。

親にとって、子に先立たれることほど
悲しいことはない。

だから、娘に死なれた老夫婦が
こんな物語を紡いだ。
娘は月からやってきて、
月に帰って行ったのだと。

子のない老夫婦のもとに
かぐや姫がやってきたシーンでの
夫婦のよろこびようは
子を授かることのよろこびに包まれていた。

そうして、
子を亡くすことの悲しみにひきさかれることになっても、
決して子どもの思い出、記憶は、心から消えることはない。

二階堂和美さんの歌「いのちの記憶」は
はじめ、片想いの女の子の想いに私はとってしまったけれど、
親が、亡くした子を思う歌とよむと、しっくりくるし、
先に逝く子の側の思いともよめる。

どこまでも奥行のある映画。

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