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No433-1利重剛さん、岡本喜八監督の現場と魅力を語る(前篇)

『近頃なぜかチャールストン 』(1981)に主演、『ジャズ大名』 (1986)にも出演された利重剛さんが、8月1日、シネ・ヌーヴォの岡本喜八監督特集に来館され、トークが行われました。とってもおもしろかったので、長くなりますが、前後篇に分けてご紹介します。岡本監督の映画のおもしろさの一端でも伝われば、嬉しい限りです。
岡本監督は、なんといっても、敬愛するマキノ雅弘監督の「次郎長三国志シリーズ」で助監督をされた方で、マキノ映画の血が色濃く受け継がれていることは、その作品群を観れば観るほど、痛感します。マキノのおもしろさを、さらに喜八流に発展させていったような気もして、独自の世界が広がっています。

◎監督との出会いについて

中学のときに岡本喜八監督の『肉弾』を観て、とりつかれたように夢中になり、都内の映画館で監督の作品の上映があれば観に出かけた。高校の映研で8ミリ映画を撮っていて、ぴあに応募した『教訓Ⅰ』というブラックコメディの反戦映画が文芸座地下で上映されることになり、郵便ポストに入らないくらい分厚いファンレターを監督に送って、そこに、生意気にも、上映の案内も書き添えた。すると、ある日、いきなり監督から自宅に電話がかかってきて、「おもしろかったよ、家に遊びにこないか」と言われた。

恐る恐る監督の家を訪ねたら、監督はこう言った。
「僕は変化球監督と言われているが、自分ではミットめがけてストレートを投げているつもり。ただ、どれだけでたらめにできるかが僕の持ち味なんだけれど、君の映画を観て、君の方がもっとでたらめだと思った。これなら、僕もまだまだいけると思った。イマジナリーラインなんて関係ない。すごくおもしろかったし、これでいいと思うよ」

そして、監督は書斎から、今書いている本のシノプシスを持ってきて、一緒にやらないか、と言った。どこの馬の骨かわからない19歳の8ミリ小僧の僕に!と本当に驚いた。

その夏、監督の家に住み込んで、『近頃なぜかチャールストン (1981)』を共同脚本することに…。最初からシノプシスに沿って書いていき、岡本監督が後から追いかけて書いていく。
監督からは「若者の色を出せればいい」「一言でも二言でも拾えればいいから」と優しい言葉。しかし、監督に追いつかれないよう、あぶら汗たらしながら、とにかく必死で書いた。

結局、自分が書いた脚本のうち、決定稿で採用されたのはわずか数行。でも、監督は、「君が先に進んでいるのを見たからこそ、俺は進めたんだから」と言ってくれた。
今から振り返ってみると、自分がつくった映画を観たことが、監督の中で、新しい映画のアイデアが転がり始めるきっかけになり、それで、僕のような者に声をかけてくれたのかもしれない。

◎シナリオについて

シナリオについては、監督いわく「とにかく頭から1文字ずつ原稿用紙を埋めていくこと」
シナリオの書き方は人それぞれで、メモを書いて増やしていくとしても、とにかく最初から書いて、ラストは決めずに書く。そうすると「一筆書き」のようになる。はじめの構想の時とラストが違ってもいい。映画の求めている流れにしたがうこと、ダイナミズムになることが大切。

(このことに関連しては、森卓也さんも監督が「脚本がころがる」という言葉を使っておられたことを指摘していました)

◎撮影現場について

喜八組には、魅力的な常連役者がたくさんいたので、ぜひ役者はやってみたかった。とはいえ、いきなりの主役。実際に喜八組に入ってみて、感じたのは、皆子どもみたいで、お友だちのよう。偉そうな人がいなくて、その中に入るのはなんでもなかった。誰がスタッフで誰が役者かよくわからず、どこまでが喜八組かもわからなかった。

『近頃なぜかチャールストン』は1000万円と低予算で、とにかくフィルムがなくて苦労していた。監督の家にいると、週に1度、木村大作(最近公開の『剱岳 点の記』を初監督)キャメラマンがやってきて、「おーい、持って来たぞ~」と、まるで子どものように、16ミリフィルムを差し入れで持ってきてくれた。(すてきなエピソードですね~。)
そんな感じで、いろんな人が、お菓子とかじゃなく、弁当を差し入れてくれたのがうれしかった。(目下一番必要な食べ物ですよね)

監督の信念は「現場は楽しく、準備は苦しく」で、準備についてはあらゆる可能性、トラブルも考えて、頑張れるだけ頑張る。
俳優としては、とにかく自由にできた。監督の頭の中では、カットもわれてるし、アクションつなぎもわかっている。でも、俳優に対しては、好き勝手にやっていい。「そこは違う」とは、あまり言われなかった。「つながりにくいかから、もう1回やろうか」という程度の言い方。
監督いわく、コンテをかくのは俺の「準備」。現場に出たら、変えるのは問題ない。
順撮りしたら間に合わないから、中抜きで、片側だけ撮るのはよくあった。

『近頃なぜかチャールストン』の宣伝スチールの刑務所の写真をとても懐かしそうにみた利重さん。
「この刑務所は、実は、スタッフ室なんですよ。僕はここに寝泊りしていました」。主演だけでなく、助監督(4th)もやり、給料が安くて家まで帰る交通費がないので寝泊りしていた。

(つづく)
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