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No1287『きみはいい子』~どこかむずがゆく、居心地のよくない…~

人間誰しも、トラウマがある。
心に封印した、昔の出来事。

この映画は、そういう思い出したくないことを、
思い出させてしまう映画かもしれない。
だから、とても痛い……。

映画で、何をどれくらいの時間、どう見せるかについて、
この監督は、私とは、考え方も感じ方も違う人だと感じた。

最初の方で、尾野真千子が演じる母親が、
幼い娘をずっと叩き続けるシーンがある。
奥の部屋で、娘を怒鳴りながら、叩き続ける後姿を、
カメラは、延々と長回しで撮り続ける。

正直、その長さにくどいと思った。
実際に子役を叩けるわけはなく、
“叩いているふり”であること、
叩く音がつくりものであることは、どこかしらわかるし、
ヒステリックな尾野の声も、どこか不自然に聞こえ、
つくっている感じがして、そういうシーンを
やたら、長回しで、長々と映し続けるのは、
映画にとってマイナスだと思った。

たとえ、呉美保監督が、その“時間の長さ”を撮りたかったのだとしても…。

高良健吾演じる小学校の教師が、
「家族の誰かに抱きしめられてきなさい」という宿題を出す。
翌日、宿題をしてきた子らに、その感想を言わせていくシーンは、
まるで、ドキュメンタリーのようで、
不思議な気持ちがした。

優しい気持ちになった、あたたかだった、
赤ちゃんに戻ったみたいだったとか、
それぞれに答える子どもたちの反応や表情が、
生き生きしていて、とてもよく、
映画の中で、一番いいシーン。
聞き手の高良もしゃがんで、こどもたちの目線の高さで
話を引き出そうとする。

しかし、宿題の内容自体には、違和感を覚える。
「抱きしめられる」という受け身じゃなくて、
「家族を抱きしめてきなさい」という方がいいのではないかと
思う。

先生は、子どもたちが、
「(人に)抱きしめられる」体験を持つことで、温かみを知り、
次は、(自分が、人を)抱きしめてあげられる人間になれる、と
考えたのかもしれない。

それでも…
自分を抱きしめてくれるような人がいない子どもにとって、
途方にくれる宿題でしかない。

児童虐待というのは、本当に描きにくいテーマだと実感した。

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