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No688『心の故郷』~母を想う小僧さんの可愛らしさ~

連日、京都国立近代美術館へ。
1949年の作品(白黒)。

韓国の山寺。
階段が多くて、大変だろうが、とてもきれいなところ。
赤ん坊の頃、母親に捨てられた小僧さんは、
近所の子ども達が遊んでいるのを横目に
和尚さんに叱られながら、懸命に働く。
心の支えは、お正月にはお母さんが迎えにきてくれること。
でも、毎年、期待はあっさり裏切られてばかり。

ちょうど、息子を亡くしたばかりの若くて美しい未亡人が
寺に法事でやってきて、滞在する。
未亡人は、まだ10歳くらいの小僧さんを
可愛らしく思い、養子にしようと言い出す。
ソウルに住むお金持ちのお家で、
学校へも行けるし、喜ぶ小僧さん。
でも、運命はそう甘くはなかった。

と、筋立てはメロドラマで、アップ、切り返しが多く、
解説にあった「詩情あふれる映像」とは、
どういうのをいうのかと考えたりもした。

昨日みた、清水宏監督の『京城』からあふれる詩情を思った。
淡々として、感情移入する間もなく、
次々に通過していく、街の景色、人々の姿に
ただの映像以上の力を感じてしまう。
ちょうど、写真集のような感じで、
匿名のどこの誰かなのだけれど、すごく存在感がある。
写真と違い、動くことにより、
「過ぎ行く時間」の中での「存在」を鮮明に感じる。

とあれこれ考えつつ、
また、今日みた『心の故郷』に戻ると、
映像の詩情というよりは、
情緒あふれる物語といったほうがいい気がするとはいえ、
でも、役者さんの素直な気持ちが伝わり、
みごたえあったと思う。

小僧さんのくるくる変わる表情のなんと可愛らしいこと。
山寺での仕事が本当に嫌になっていて
お母さんとソウルに行って、学校に行きたくてしかたがない。
泣いたり、喜んだり、むくれたり…。

未亡人は本当に清楚できれいな人で
どこか哀しげな瞳をしている。
白い羽でできた団扇であおる姿の優雅なこと。
小僧さんや僧侶が、火熨斗(アイロン)を当てているのを
未亡人が手伝うシーン。
未亡人が、湯気を団扇であおると、
小僧が思わず「もったいない」と声を出してしまう。
少年には、きれいできれいでたまらない、という感情が
よく伝わる。

だから、本当の母親が夢に出てきて、団扇を持っていなかったから
山鳩をつかまえて、団扇をつくろうとした、という気持ちも
よく伝わってくる。

法事の時、ふいに小僧の本当のお母さんが現れ、
未亡人に
「どうぞ私の思いを察して、私にひきとらせて」と、
直に交渉し、ほぼまとまったところに
小僧さんが
養子になれると聞いて、笑顔満点の顔で入ってくる。
「オモニ」と言って未亡人に甘え
小学校の話やいろんなことを話す姿を目前にして
思わず何もかもをぐっとこらえて、去ってゆく母親。

とやっぱり人間ドラマの力をかみしめる。
ラストの鐘の音もいいし、
爽快な顔で決然と小さな荷物を背負って
階段を降りていく小僧さんの姿もとってもいい。

逆に今日期待の『達磨はなぜ東へ行ったのか』は
きれいな映像もたくさんあったのだけれど、
少し観念的すぎて、ちょっとついていけなかった…。

美術館での上映会は
来年度も続くということで
次回は、4月23日、24日の週末に
スイス映画の特集だそうです。
地道に続けていってほしい企画です。




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