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No1340『だれかの木琴』~あてのない心の行き先~

いい映画を観た後は、心が身体から数センチ浮遊して、
初めて命をもらって外界に出たアンドロイドみたいに、
駅の雑踏を行き交う人たちの話し声や、
遠くから聞こえる列車の音までも、
生き生きした、新鮮に聞こえ、
自分が吸う空気まで、前と違うみたいに感じた。

大阪駅上にあるステーションシネマで映画を観て、
ひとり、孤独を感じながら、長いエスカレーターを降りていくときの、
現実に戻っていく感じが好きだ。

ベテラン東陽一監督の新作。
窓の白いカーテンの向こうから聴こえてくる木琴の音は、
音楽になろうとして、なれない音の固まり。
それは、現代社会を生きる私達の心のよう。

ストレスだらけの現代社会で、
壊れそうな危険と緊張にさらされながらも、
必死に踏み留まって、
世界と平穏な関係を切り結ぼうとする青年美容師の声にならない声。

多くを語らず、ぐっとこらえる美容師役の池松壮亮がいい。
行間の美学だ。

ファーストシーンは、彼の住む家から始まる。
スポーツ自転車を家の中から出す。
早朝のサイクリングが彼の日課なのだろうか。
朝ごはんをつくったり、丁寧な生活ぶりが伝わる。

このシーンがあるから、
最後の早朝のロングショットが心にしみる。
青年の自転車が走っているように思えた。
美容師試験を受けるために勉強している机や、人形の頭をとらえたシーンもいい。

主婦の女が、何を感じ、何を考えて、
ストーカーのように青年につきまとったのか、結局はわからない。
闇の中。
でも、説明なんてしなくていいと思う。

それよりも、何かわるいことをしたわけでもないのに、
どこか悪者扱いされてしまった青年の生き様に、心奪われる。
何もしていないのに、自分がいることで、傷つく人がいる‥、
そういうキツイ状況に追い込まれたら、
こっちだって傷ついてしまう‥‥、
でも、切れることなく、壊れることなく、懸命に日常に踏みとどまろうとする、
踏ん張って、自分なりの生活、人生を歩き続けようとする、
そんな青年の思いが、さらりと伝わり、心奪われた。

と同時に、心にさみしい穴ぼこを抱えたような女にも、少し共感する。
誰もが、みな、穴ぼこを抱えている。

だからこそ、たったひとりでいいから、
自分が愛しいと思う人の疲れた心、弱った心を、そっとあたためる毛布のような存在になれたらいい‥と
映画を観終わって思った。

職場の上司や同僚と飲んだあと、飲み足りなくて、
ひとり、狭いスナック街の路地を、ふらふら歩いていく、主婦の夫。
酔っぱらったせいか、灯りも少しぼんやりして見える(夫の主観ショットだったか、夫の背中を写し込んでいたか‥記憶が曖昧)、
そのとき、ふいに、すれ違った、帽子をかぶった美しい女。
あれ、誰?と誰もが感じる、現れ方と消え方。
そのあとの展開もいい。
この謎の女を演じたのが河合青葉。

東陽一監督の作品ということで、観ておこうと思い、映画館に急いで行って、よかった!
とても変な映画なので、なにこれ!?、と思う人もいるかもしれませんが、
私は、こういう語らない映画が好きです。

前半、主婦がつきまとってしまう姿は、ほほえましいところもあり、くすりと笑ってしまうシーンも幾つかあった。

雨の日の長靴のシーンや、踏切もいいし、
美容院で、美容師と、髪を切られる主婦との距離感もよく伝わる。
どきどきする感じ。

青年の恋人役の女の子が、ぶち切れるシーンもいい。
そのあと、二人が喧嘩するのが、橋の欄干というのも、さすが。

ひさしぶりに、美容院に行ってみようかと思った。
というか、なんだか、すごくリアリティがあって、
もう美容院に行ったような気がするから不思議だ。 

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