日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「半沢直樹」が示唆する「みずほ銀行事件」の根っこ

2013-10-01 | 経営
みずほ銀行が、反社会的勢力との取引が存在することを把握してから2年以上にわたり対応策を取っていなかったとして、金融庁から業務改善命令を受けました。メガバンクを舞台にしたテレビドラマ「半沢直樹」が大人気のうちに幕を閉じた折も折、ドラマの中でも登場した金融庁検査の結果としての業務改善命令の発令が現実のものとなりました。
http://www.fsa.go.jp/news/25/ginkou/20130927-3.html

本件は、直接の審査を関連の信販会社が行う提携ローンではありましたが、信販会社の保証の下で資金の出し手はみずほ銀行本体であり、当然みずほ銀行には重大な責任が存在します。しかも、今回の業務改善命令によれば「反社会的勢力との取引が多数存在するという情報も担当役員止まり」になっていたと言います。なぜこのようなことが起きてしまうのか。私はその原因は、「半沢直樹」にも描かれていた銀行の体質にこそあると思っています。

「半沢直樹」の最終回を私なりに解説した拙エントリでも申し上げましたが、最後の最後に描かれた銀行経営をめぐる諸悪の根源とも言えるキーワードは「保身」。大和田常務は自らの「保身」で策を弄し、岸川取締はその「保身」から大和田常務を裏切る。そして最後の最後に、大和田常務への意外なほどの軽い処分と半沢直樹への大半の視聴者の予想を裏切る出向辞令はすべて中野渡頭取の「保身」のなせる業であると解説いたしました。ドラマの最大のテーマは、ヒーローをヒーローたらしめない銀行の「保身文化」であったのです。
http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/4049ee1f9ff0dcf8b53c373a36bbd3cd

この銀行における「保身文化」こそが、今回の事件も含めこえまでの銀行界におけるさまざまな事件を引き起こしてきた“ガン”なのです。みずほ銀行は、その前身のひとつである第一勧業銀行時代にも今回と同じような事件を起こしています。97年に世間を騒然とさせた第一勧銀総会屋利益供与事件。当時の内部不祥事をネタに長年にわたって総会屋にゆすられた同行幹部は、「保身」から総会屋に立ち向かうことができずに総額460億円もの利益供与をしていたという、世間を唖然とさせた大事件でした。

逮捕者11人。前会長の宮崎相談役が捜査の合間に自殺をするという悲劇まで起きた、銀行界の歴史上、最悪とも言える事件でした。本店の家宅捜索を受け会見した近藤頭取は、1 0年以上にもわたる暗黒の犯罪史の原因をたずねられ「呪縛が解けず、関係を断ち切れなかった」と説明し、「呪縛」は流行語にもなりました。この「呪縛」の根底にある見えない力こそ「保身」以外の何ものでなく、今回の事件を見るにこの悪の風土は何ひとつとして変わっていないように思えるのです。

信販会社の審査を通った債務者における反社会的勢力の数は200人以上。それを知りながら見て見ぬふりを決め込んだ同行担当役員の行動は、銀行の経営の一翼を担う者として常識では考えられないモラルハザードそのものであり、またドラマ「半沢直樹」最終回に描かれた合併行東京中央銀行役員層の「保身」そのものでなのです。金融庁に付きつけられた業務改善命令は、この「保身文化」の払しょくなくして実現はあり得ないのでしょう。

銀行における「保身」はなぜ起きるのか。「半沢直樹」の拙エントリでも触れましたが、それは減点主義人事の弊害以外にありません。失敗を犯した者は出世競争からこぼれおちて行く、ドラマにも描かれたようにその行く末が「出向人事」という片道切符であり、挽回のきかない人事制度下で失敗を恐れるあまりに「保身」がはびこり、挙げ句は犯罪にまで目をつぶるという愚行が横行する文化を生んでいるわけなのです。

ドラマ「半沢直樹」の最終回を見た多くの視聴者が、そのエンディングに常識外の理不尽さと何かモヤモヤしたモノを感じた背景には、銀行界に共通の通常の事業会社とは一線を隔する減点主義人事に底支えされた「保身文化」が横たわっているのです。「半沢直樹」が世間に投げかけた銀行界の暗い闇と、それを地で行くかのような今回の事件。銀行界はそろそろ、自分たちの文化の異常性に気がつくべき時ではないでしょうか。

みずほ銀行の改善計画に人事の「加点主義」導入が盛り込まれ、銀行界の悪しき業界風土に一石を投じることにつなげて欲しいと思うにつけ、各銀行は今回の事件が持つ意味を自己に照らし合わせてしっかりと再吟味することを切に願うばかりです。