日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

四万十市で41℃を記録~「日本一暑い街」は名誉か不名誉か?

2013-08-12 | ニュース雑感
本日、四国の四万十市で最高気温41度を記録し、我が熊谷が07年に作った40.9度を塗り替えて観測史上最高気温となりました。拙ブログのタイトルにも入っているので、この件さっそく取り上げておきましょう。

メディアからも何本も電話が入りました。「四万十市に抜かれちゃいましたが、いかがですか?」って。第一報を聞いた時には、「あー抜かれたか」って確かにちょっと残念な気がしたのは否定できないところです。でもよくよく考えると、「日本一暑い街」はある意味メディアによって必要以上に連呼された不名誉な冠であって、それを脱がせていただいたことは嬉しいと受け止めていいのではないかと思っています。

思えば私は06年に熊谷に転居してまいりまして、翌07年に「日本一暑い日」を経験しました。確かに生まれも育ちも東京である自分にとっては、大変な暑さの連続で、転居の際に連れてきた東京育ちの家電たちは次々とお亡くなりになりました。07年が冷蔵庫、09年がエアコン、10年はテレビ。すべて8月に突然壊れるという、明らかな“暑害”でした。

メディアの報道も「日本一」の冠を授かった07年を境に、一気に過熱しました。梅雨明け、猛暑、異常気象…理由はどうあれ、あらゆる高気温ネタ取材はまず熊谷へ。駅前ロータリーは連日各局のテレビカメラが行きかい、道行く市民もテレビニュースのインタビューには慣れっこと言った感が強くなってきました。

しかし07年以降そんな夏を幾度か過ごす中で、徐々に気がつかされたのは、「暑い=熊谷」は決してプラスに働いていないということでした。メディアはおもしろおかしく取り上げてくれ、はじめは「我が街がテレビに取り上げられた」と喜んでいた市民がだんだん慣れっこになっていくにつれ、「なんか変だぞ」と一部の人間は気がつき始めたのでした。

「HOTな街をHOTな食べ物で元気にしよう!」と構想を重ね昨年立ち上げた街おこしプロジェクト「くま辛」は、実はそんな思いから生まれたものでした。毎年毎年夏が来るたびに、「暑い、暑い」とばかり取り上げられ続けた熊谷は、気がつけば「日本一行きたくない街」になっていたんじゃないのかと。

小職は飲食店主たちに賛同を呼び掛け、市も巻き込んで、「暑いから行きたくない街」に定着しつつあったこの街を「暑いけど行きたい街」にしようよと立ちあがったわけです。約60店舗というこの街に規模としてはたくさんの加盟店が集まった陰には、店主の皆さんの間に行くのを敬遠される街のままでは先行きに希望が持てないという、相当な危機感が募っていたのだと思います。

別に本気で責める気はないのですが、やはりメディアの影響力って大きいですね。友達に「遊びに来ませんか」と夏にお誘いすると、決まって「涼しくなったらね」と避けられてしまうわけで、「それじゃ毎日ここで暮らしている僕らは何者?」って感じにもなってしまいます。そんな折々に、「不名誉な日本一」をメディアのおかげで随分と印象付けられてしまったものだなと思うわけです。

報道する側のメディアに悪気はないんでしょうけど、知らず知らず悪影響を及ぼしてもいるんだっていうことにも、これを機にちょっと気がついてもらってもいいのかなとは思います。でも全然気づいていないみたいです。次々と入る「日本一陥落」に対してコメントを求める電話に、「かえってよかったんじゃないですか。メディアにかぶせていただいた不名誉な冠がようやく外れるわけで」と答えると、決まって皆さん「はー、そうですか…」とピンとこない様子で実に残念そう。きっと「本当に悔しいです!」と力一杯言って欲しいのでしょうね。

四万十市さんはこれから大変ですね。しばらくはメディアで取り上げられる機会も増えて、街の人たちは「おらが街は有名になった」と嬉しく思うことでしょうが、それもつかの間、マスメディアが連呼する「日本一暑い街」という不名誉な冠が観光客を遠ざけてしまうのじゃないかなと。暑いことだけでも大変なのですが、「日本一暑い」と言われ続けるのも実は大変な重荷なのです。

熊谷は往年のキャンディーズ風に言えば(例えが古くてすいません)、今日を境に「普通の暑い街」になれたわけで、これからも「普通の暑い街」としてのHOTな街おこしは続けていくわけです。でも、これを機に全然メディアに取り上げられなくなっちゃったりすると、やっぱりキャンディーズのように「普通の生活」にもの足りなくなって、やっぱり「日本一」に戻りたーいってなっちゃうのかな。

追伸:あっ、ブログのタイトル、どうしますかね。「日本一熱かった街」?「日本で二番目に熱い街」?