日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

政治家の国語力とメディアの読解力が引き越した「ナチスに学べ事件」

2013-08-03 | ニュース雑感
「ナチス・ドイツに学べ」と言ったとされた麻生発言が大問題として引き続き話題になっていますが、麻生氏の本意はどうだったのでしょうか。

氏の発言の全文が公表されたので何度か読み返してみました。しかし何が言いたいのか分かりにくい!イライラしながら全体を通して読みこんだ上で考えるに、どうやらナチス・ドイツのくだりは「国民を蚊帳の外に置いて、なし崩し的に憲法を改悪したナチス・ドイツの手口をまねよ」と言っているのではなく、中身をさておいて護憲だ軍国化だとワイワイ喧騒の中で議論をするのではなく静かに落ちついて憲法改正議論をすすめるべき、という意味で言ったものであるように解釈できるのです。
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

もちろん歴史的に見ていかなる考え方を持ってしても、手本にすべき例としてナチス・ドイツを挙げること自体が間違っているのであり、その点はいかんともしがたい麻生氏の大失言ではあります。しかしながら、よく発言を読み込んでみると、問題はむしろ考えられない例示の仕方をした政治家の最低レベルに満たない麻生氏の国語力のなさに尽きるのではないかと思えました。その意味において、分かりにくい発言の主旨をしっかりとくんで読み込むなら、国際的に問題視される類の失言であったのかどうか、私はいささか疑問に感じるところでもあります(もちろん、麻生氏の肩を持つ気はさらさらありませんが)。

とするならば、ナチス・ドイツのやり方を礼賛する恐ろしき発言であるとか、日本の右傾化、軍国化を示す発言であるといった海外からの批判はどうやら見当違いであり、その部分は日本国政府を代表する人間の発言の真意を伝える意味からも、政府として麻生氏の発言に関する一部解釈に大いなる誤りがあると反論すべき部分ではないかと思うのです。

では、そもそも先に挙げたような過激な外国世論はなぜ起きたのかと考えてみれば、恐らくは日本のマスメディアのミスリードが引き起こしたものに違いないのです。麻生発言を受けて、「麻生副首相が、改憲はナチス・ドイツに学べと発言」といった記事が配信され、さらにはその見出し記事を元に関係各国の要人にコメントを求めるといったマスメディアの取材拡散が次々と情報のうねりになって、国際的な麻生バッシング、日本バッシングになったとは言えないでしょうか。

そもそもは国語力ゼロで余計な発言をする本人が一番悪いのは確実ではありますが、その発言の本意を読み込めない読解力で、自国を国際的な批判の渦に陥れたマスメディアの報道もまた大きな問題であると思います。そしてそれがもし仮に意図的におこなわれたものであるとするなら、売国行為と言われても仕方のない報道にあるまじき由々しき行為であるでしょう。

なぜ報道が意図的であったならと申し上げたかと言えば、奇しくも麻生氏が今回問題となった発言の中で、靖国参拝に関してこんなことを言っていたからです。
「昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。」
考えようによっては、こんなことを言ったものだから言われたマスメディア側が、「あーそうですか、我々のせいですか。それじゃもう一丁」って言うんで報復行動にでも出たかのような流れとは思えませんでしょうか。

故意の報復であるか否かは証拠がないのでさておきますが、単なるバカな政治家の失言で済ますべき問題が日本国政府を国際的な批判に晒されるという必要以上に問題を大きくした責任は、間違いなくマスメディアにあると思っています。読解力不足の誤解かあるいは曲解かいずれであるにしても、メディアは自己の報道のあり方に関していま一度襟を正す必要があるのは間違いないと思いますが、いかがでしょう。

それにしても麻生氏の話は何をおっしゃっているのか、何が言いたくてどんな例え話を引き合いにしているのか本当に分かりづらい。漢字力だけでなく、本当に国語力がない方であったということが改めてよく分かりました。そこで各政党の皆様に一言、政治家センセの候補者選びの際には、最低限の国語力の有無について事前試験で合格した方のみをお選びになって欲しいと思います。国のリスク管理として極めて重要な問題なのですから。

よくは存じ上げませんが、土屋アンナさんの舞台中止騒動って要は子供のケンカでしょ?

2013-08-01 | ニュース雑感
土屋アンナさんの舞台中止騒動が話題です。私は芸能ネタのことはよく分かりませんが、なぜ小さな舞台ビジネスを巡って「訴訟だ」「反訴だ」と必要以上に過激な話になっているのか。川崎重工業の社長解任とも相通じる組織においてもよく見られるコミュニケーション不足、あるいはコミュニケーション拒絶による意見対立の悪しき表面化という問題があるように思えています。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/08/01/kiji/K20130801006333500.html

意見対立時におこなうべきことは、まず事実関係を一にした上で当事者同士間での徹底的な話し合い以外にありません。十分な事実認識の共有もしないまま、一方的に席を立つことはコミュニケーションの拒絶であり、問題の解決とは確実に逆方向に向かうモノであると理解すべきところでしょう。今回の件でどちらが先に席を立つような言動をしたのかは定かではありませんが、「法的手段も辞さない」とか「弁護士を通してください」とかの一方的な拒絶文言は、一見大人の振る舞いのように見えながら、実は事を悪化させるだけの子供の仕業にすぎないのです。

どちらが正しいのか、どちらが間違っているのか、私は存じ上げませんが、自分たちの意見対立の収束努力を怠り荒っぽい結果に導かれることが第三者に迷惑が及ぶと言うことを考えないことも大問題でしょう。川崎重工業の件に学ぶなら、組織内部でコミュニケーションによる解決がはかられずに社長を解任して恥をかくのは勝手ですが、統合話を一方的に白紙撤回された折衝相手三井造船の立場どうなるのかと言う問題は残ったわけです。

今回の件もまた同じ。一番の迷惑は舞台を楽しみにして前売券を購入していたファンの方々でしょう。ファンあってのエンタメ・ビジネスであるということを少しでも考える大人の配慮があったなら、原作者、演出者、出演者全て一堂に会しての当事者間での徹底議論がもたれてしかるべきだったのではないかと思います。安易に「法的措置」「弁護士を通じて」などの血の通わないコメント合戦に平然と持ち込むようなコミュニケーション障害気味な興行主にもタレントにも、私は明るい未来を感じません。

個人的にはどうでもいい問題ですが、コミュニケーション不足による無用な問題発生はいろいろなところにあるなと実感した次第です。