東京電力が、1兆200億円の赤字決算と社長の引責辞任を発表しました。
今回公表された赤字額は震災後処理のまだまだ入り口にすぎません。福島第一原発の終息までにかかる費用が一体いくらになるのか。加えて損害賠償の範囲やその額の決定に関しては、かなりの曲折と膨大な支給額が予想されるような状況でもあります。これらの総負担額については現段階ではまったく見えていませんが、今回発表の前期の赤字分を除いて低く見積もっても数兆円規模と言われています。この数兆円をどうまかなっていくのか、あるいはいけないのか。それに関するシミュレーションらしきものは、今回の発表では全く触れられてはいませんでした。
社長人事に関してはさらなる不透明感を感じさせられました。清水社長は今般引責辞任し、無給の顧問として引き続き原発事後対応にあたるとか。退任の弁を述べる中で、東電の企業風土の問題も口にしました。恐らくはメディアや福島第一原発の避難民から浴びせられた、自身の震災後の言動に対する痛烈な批判も踏まえてあえて述べたのでしょう。組織風土改革が必要であるとの認識を示しながらも、後任は内部昇格の水野常務。なんとも矛盾を感じさせる人事です。しかも水野氏は副社長を飛び越えての会長直系の飛び級人事とか。外部からのトップ招聘ではなく、あくまでも内部昇格による、しかも官僚組織的な派閥人事を感じさせるトップ交代は、なんとも“しっくりこない感”満点の発表でありました。
この会見から感じさせられるのは、「問題の根源は東電にあらず」のモヤモヤ感です。万事政府からの指示とお伺いの結果の言動と想像がつく状況下、威張り散らしハッキリ姿が見えている黒子がいながらいないフリを決め込むモヤモヤ感です。例えば、福島第一の事故後は実質政府の管理下にありながら、政府は表に出ず東電をあくまで一民間企業として責任追及の矢面に立たせている訳で、なんとも理不尽。毎度申しあげますが、原子力エネルギー政策はとりもなおさず国家政策の下すすめられたものであり、確かに災害時対策として東電側に免れ得ない重大な過失があったとしても、上に立つ責任者たる国がリーダーシップをとって動かないで何が出来るのでしょう。企業組織で言うなら上司了解の下、部下がとった行動が取引先との間に大問題を引き起こしたような事態において、上司が文句は散々言いながら「俺は知らないよ。お前がすべて責任をかぶれ」と部下を突き放しているようなものです。だからこそ、このハッキリしない東電の発表に国の責任逃れを感じさせる胸糞の悪いモヤモヤ感が充満している訳なのです。
被害者への補償問題にしても、予想される膨大な金額を前に立ち尽くす東電を突き放すのは被害者の不安をいたずらに煽るだけではないのでしょうか。補償対象は政府が勇み足的に行った、強制退去措置や出荷規制をした食品関連の風評被害補償が多額を占めているのにもかかわらずこの態度。しかもご都合主義的に東電を突き離しておきながら、「金融機関は債権放棄を検討すべき」などとますます世間を経済的混乱に陥れかねないような無責任極まりない発言をしたり・・・。政府民主党の当事者意識の薄さには、毎度の事とは言いながら驚かされるばかりです。補償問題の国民負担の有無議論以前の問題として、東電と一体となっての金銭面についての対応策を真剣に検討すべき段階に来ているのと思うのですが、いかがでしょうか。もちろん、その大前提として実質管理下にある東電トップ人事を国も当事者として関与しつつ刷新し、第三者の目を入れて内外のあらゆる改革に大ナタを振るうべきではないのでしょうか。
福島第一原発の問題をしっかりと終息に向かわせる事は、日本の再生にとって不可欠な最優先課題であるハズです。そしてその福島第一原発の問題には、物理的対応と経済的対応の二つの側面があるのです。今の政府の対応を見るに、物理的な側面に関しては指揮権を発動しつつも執行責任を東電に押し付けた逃げ腰対応に見受けられますし、経済的側面に関しては“我関せず”ともとれる無責任ぶりです。物理的、経済的両側面とも、我が国復興の重要なポイントであると言う認識を持って、積極的な関与とリーダーシップある対応が望まれるところです。政府が責任逃れの及び腰でこの問題に対処し続ける限り、このモヤモヤ感は解消されることはなく、我が国の浮沈のカギを握る早期復興への道のりは険しくなる一方であると思うのです。
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→ http://www.j-cast.com/kaisha/2011/05/19095947.html
今回公表された赤字額は震災後処理のまだまだ入り口にすぎません。福島第一原発の終息までにかかる費用が一体いくらになるのか。加えて損害賠償の範囲やその額の決定に関しては、かなりの曲折と膨大な支給額が予想されるような状況でもあります。これらの総負担額については現段階ではまったく見えていませんが、今回発表の前期の赤字分を除いて低く見積もっても数兆円規模と言われています。この数兆円をどうまかなっていくのか、あるいはいけないのか。それに関するシミュレーションらしきものは、今回の発表では全く触れられてはいませんでした。
社長人事に関してはさらなる不透明感を感じさせられました。清水社長は今般引責辞任し、無給の顧問として引き続き原発事後対応にあたるとか。退任の弁を述べる中で、東電の企業風土の問題も口にしました。恐らくはメディアや福島第一原発の避難民から浴びせられた、自身の震災後の言動に対する痛烈な批判も踏まえてあえて述べたのでしょう。組織風土改革が必要であるとの認識を示しながらも、後任は内部昇格の水野常務。なんとも矛盾を感じさせる人事です。しかも水野氏は副社長を飛び越えての会長直系の飛び級人事とか。外部からのトップ招聘ではなく、あくまでも内部昇格による、しかも官僚組織的な派閥人事を感じさせるトップ交代は、なんとも“しっくりこない感”満点の発表でありました。
この会見から感じさせられるのは、「問題の根源は東電にあらず」のモヤモヤ感です。万事政府からの指示とお伺いの結果の言動と想像がつく状況下、威張り散らしハッキリ姿が見えている黒子がいながらいないフリを決め込むモヤモヤ感です。例えば、福島第一の事故後は実質政府の管理下にありながら、政府は表に出ず東電をあくまで一民間企業として責任追及の矢面に立たせている訳で、なんとも理不尽。毎度申しあげますが、原子力エネルギー政策はとりもなおさず国家政策の下すすめられたものであり、確かに災害時対策として東電側に免れ得ない重大な過失があったとしても、上に立つ責任者たる国がリーダーシップをとって動かないで何が出来るのでしょう。企業組織で言うなら上司了解の下、部下がとった行動が取引先との間に大問題を引き起こしたような事態において、上司が文句は散々言いながら「俺は知らないよ。お前がすべて責任をかぶれ」と部下を突き放しているようなものです。だからこそ、このハッキリしない東電の発表に国の責任逃れを感じさせる胸糞の悪いモヤモヤ感が充満している訳なのです。
被害者への補償問題にしても、予想される膨大な金額を前に立ち尽くす東電を突き放すのは被害者の不安をいたずらに煽るだけではないのでしょうか。補償対象は政府が勇み足的に行った、強制退去措置や出荷規制をした食品関連の風評被害補償が多額を占めているのにもかかわらずこの態度。しかもご都合主義的に東電を突き離しておきながら、「金融機関は債権放棄を検討すべき」などとますます世間を経済的混乱に陥れかねないような無責任極まりない発言をしたり・・・。政府民主党の当事者意識の薄さには、毎度の事とは言いながら驚かされるばかりです。補償問題の国民負担の有無議論以前の問題として、東電と一体となっての金銭面についての対応策を真剣に検討すべき段階に来ているのと思うのですが、いかがでしょうか。もちろん、その大前提として実質管理下にある東電トップ人事を国も当事者として関与しつつ刷新し、第三者の目を入れて内外のあらゆる改革に大ナタを振るうべきではないのでしょうか。
福島第一原発の問題をしっかりと終息に向かわせる事は、日本の再生にとって不可欠な最優先課題であるハズです。そしてその福島第一原発の問題には、物理的対応と経済的対応の二つの側面があるのです。今の政府の対応を見るに、物理的な側面に関しては指揮権を発動しつつも執行責任を東電に押し付けた逃げ腰対応に見受けられますし、経済的側面に関しては“我関せず”ともとれる無責任ぶりです。物理的、経済的両側面とも、我が国復興の重要なポイントであると言う認識を持って、積極的な関与とリーダーシップある対応が望まれるところです。政府が責任逃れの及び腰でこの問題に対処し続ける限り、このモヤモヤ感は解消されることはなく、我が国の浮沈のカギを握る早期復興への道のりは険しくなる一方であると思うのです。
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