日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

遂に“生”事業仕分けに参戦!第三弾後半戦を見る

2010-11-16 | その他あれこれ
本日機会に恵まれ、五反田TOCで開かれている政府の事業仕分け第三弾後半戦二日目を“観戦”してまいりました。

お世話になっている会社が同じビル内にオフィスを構えている関係で、行きがけに午前の部終盤1時間半ほどを生“観戦”したものです。私にとって事業仕分けは昨日も事務所仕事の合間にネットで中継を見るほどの関心事であったのですが、コンサートではありませんがやはり“生”は臨場感が違う!発言者一人ひとりの表情を追い掛けながらの“観戦”では、官僚の勝手さ図々しさ加減が一段と生々しく伝わってきたのでありました。

私が“観戦”したのはBグループ。長妻前厚生労働大臣を仕分け人の中心に据え、勝間和代氏が評価者として加わったグループです。私はちょうど11時頃会場入りして環境省の「水環境保全活動」(家庭排水による河川汚染防止啓蒙活動等)と「エコツーリズム総合推進活動」(自然観光資源説明者による説明を受けつつ、自然観光資源の保護と理解を深めるツアーの促進)の判定作業でした。前者は一部再計上“ゾンビ”ありの新計上予算。後者は再計上金額増の“焼け太り予算”でした。結果を先に申し上げれば、前者は廃止、後者は予算計上見送りとの結論でしたが、そんなことより生やりとりで衝撃的であったのは、改めて強く感じさせられた仕分け人および評価者との受け応えにおける官僚の一般民間人との感覚的なズレの大きさでした。

とにかく終始「効果が見えないムダ遣い」「丸投げ見積のズサンさ」「民間や他省庁とのダブりを一切気にしない勝手さ」ばかりが目立ったやりとりでした。「効果が見えないムダ遣い」の代表格は、「啓もう活動に活用する」以外の具体的使い道も決めぬまま進められる「環境省の水環境保全活動」における“お水坊や”なるキャラクター制作予算700万円。これには仕分け人も呆れ顔で質問していましたが、官僚の「ですから、啓もう活動に資する予算であり…」と全く動じない金銭感覚にはただ驚くばかりでした。金銭感覚と言えば「丸投げ見積のズサンさ」はさらにひどく、「5名での会議2回でコンサルティング費用180万円也」などという見積内容まで飛び出し二の句が継げないほど驚かされました。「民間や他省庁とのダブりを一切気にしない勝手さ」に関しては、あらゆる問題で全く意に介していない様子であり、民主党政権成立から1年、官僚の意識改革は何ひとつ進んでいないという感を新たにしたのです。

本日はわずか1時間半ばかりの観戦でしたが、この中でよく分かったことは次の3点です。
①官僚は、予算計上の段階では投資の効果目標を明示せず、結果責任を誰もかぶらないようにはじめからしている
②官僚は、都合の悪い質問を受けるとはぐらかしで論点のズレた回答をわざとして別の議論に持ち込もうとする
③官僚は、仕分けの結論がどうなろうとも、「関係ねーよ。どうせ強制力ないんだから」と涼しい顔をしている
①は、費用対効果を考えない投資であり民間では到底考えられない非常識です。
②は、官僚は政治家を完全にバカにしてなめきっているように思えました。
③は、今回メディアでも騒がれている最重要ポイントですが、この点を改善しないと仕分けは結局民主党のパフォーマンスと言われて終わってしまうのです。早急に閣議決定するべきと考えます。

こんな調子ですから、何よりもまず官僚の意識改革を根本から行わない事には、せっかくの事業仕分けも全く徒労に帰してしまうとの思いをより一層強くさせられます。会場には政治家先生と有識者の方々の力強い言動が飛び交ってはいたのですが、私にはその場を覆う空気は何とも空しい雰囲気が漂っているように感じられたのでした。

※後で知ったのですが、ちょうどその時間蓮 議員がAグループを視察したとか。そっちも覗けばよかった…?彼女、一応事業仕分けの象徴的存在ですからね。ちょっと残念。

エリザベス女王杯GⅠ

2010-11-13 | 競馬
明日は秋の牝馬№1決定戦、エリザベス女王杯GⅠです。

人気は3歳牝馬三冠馬⑤アパパネ。一方の古馬には今年はウォッカのような堂々たる馬が見当たらずやや小粒な感じが否めませんが、中では牡馬とのGⅡ戦で2勝、しかも前走は別定戦でGⅠ馬オウケンブルースリを退けた⑨メイショウベルーガには注目が必要でしょう。

オリジナル「GⅠ理論」からは⑤アパパネの3歳GⅠ3勝はかなり強力。一方の⑨ベルーガにも牡馬混合古馬GⅡ2勝で、牝馬限定GⅠ戦2勝に匹敵する評価を与えて良いと思います。順当ならこの2頭の競馬でしょう。「GⅠ理論」上の穴馬はとしては、クラシックGⅠ勝馬③レジネッタ⑦サンテミリオン⑰リトルアマポーラ、牝馬GⅠ2着馬⑩ヒカルアマランサス⑮ムードインディゴは注意が必要です。さらには昨年2着④テイエムプリキュアにも、単騎逃げが見込めるここでも要注意です。

今回⑥スノーフェアリー⑯アーヴェイの2頭が参戦する外国馬は常に拾得判断に困る存在です。⑥スノーのGⅠ2勝2着1回はかなりの実績ですが、GⅠ戦では人気薄の伏兵馬の方が激走するケースも多くむしろ⑯アーヴェイに魅力を感じます。

という訳で、軸はここが目イチ勝負で古馬混合GⅡ2勝の⑨。
相手本線は、前走が休養明けかつ出遅れもあり参考外で今回名手デムーロに手替りのオークス馬⑦サンテミリオン、次に腐ってもGⅠ馬③レジネッタと⑰リトルアマポーラ。さらに人気薄外国馬⑯アーヴェイ。今年の3歳の強さは認めつつも、前走が大目標だった⑤アパパネ、⑫アニメイトバイオは抑えまで。オッズを見ながらそれぞれ馬連か馬単またはワイドで買います。

ただでさえ難しい牝馬戦に、外国馬も入り乱れて一層難解な一戦です。

良書紹介~「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則」

2010-11-11 | ブックレビュー
当ブログのビックレビュー関連で、「新刊ばかりでなく、自己啓発やマネジメントで役に立つ本があったら教えてほしい」という声がありましたので、これから時々取り上げてみます。基本は、現在でも容易に書店で手に入るもの、名著で文庫本化されて入手しやすくなったものということで。

★「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則~ジム・ドノヴァン(ディスカバー・トゥエンティワン1,300円)」★

自己啓発本のハシリとも言える名著です。アメリカでは99年に発刊され翻訳版は翌年日本発売。以来、最近調べたところでは50刷近くまで行っているようで、ビジネス書としては大ベストセラーかつロングセラーの部類に入ると思います。この本を一言で言うなら、今まで成功できずにいる人を成功に導く指南書であり、若い人からマネジメント層に至るまで年齢階層関係なく誰にでもあてはまりかつ実践可能な前向き人生取り組み法が説かれています。中身を一部紹介すると、「今すぐはじめる」「行動をおこす」から始まって、「自分を否定しない」「ネガティブな態度をやめる」「感謝の気持ちを持つ」、さらには「できると信じる」「夢を壊す人を避ける」「理想を自分に言い聞かせる」「今こう変わると決める」「とにかくゴールを設定する」「完璧にできなくても気にしない」「きちんと計画を立てる」「必ず優先順位を決める」「自分の望みを何度も確認する」「夢とゴールの日記をつける」…等々、小見出しを読んでいるだけでも、「あー、自分はけっこうできていないな」と方向修正をかけてもらうとともに、「こんなところに自分が迷路に迷い込む原因があったか」との気づきを与えてくれたりもするのです。

見開き1ページ単位、全74の項目からなっており、本書の使い方は人それぞれにいろいろあると思います。弊社では、内外支援スタッフの啓蒙等にもこの本は使わせてもらっていまして、一日1項目ずつ声に出して読む。それと各項目ごとに「成功への提案」なるそれぞれのテーマに沿った一言アドバイスが書かれているので、それをノートに書かせるようにしています。書いた提案について自分でよく考えて出来ていないモノがあれば、どうできていないのか事例や自分の状態を書き込む。克服するために何をしてみるかを書き、そして定期的に見直してその項目が克服できれば二重線で消す(消した後もまた元に戻っていないか、定期的なチェックは繰り返します)。その積み重ねで一つひとつの貴重なアドバイスを確実にものにしていくように自己に仕向けていくのです。本書の中にもたびたび出てくることですが、声にして話すこと(自分の耳で自分が話すことを聞くこと)と書くことで、自分の方向感は不思議なほどに明確化されるものです。まさしく自己の「見える化」なのですが、自分の弱点や克服すべき課題点を書いて目で見て、声にして耳で聞くことで、より一層明確に意識をして前にすすませることができる訳です。

もうひとつ、この本を読んで分かること。神田昌典氏、勝間和代氏、本田直之氏、小宮一慶氏などのカリスマ・コンサルタントが、若手読者に対してこうあるべきと「成功者」として見せている行動指針の基本形のほとんどが本書の中に包含されていることに気がつかされます。これは別に彼らが本書のエッセンスを利用して著作をしたためているというわけではなく、成功に向けて歩む個人のあるべき基本行動や基本スタンスにかかわるあらゆる要素が本書には詰め込めれているということなのだと思います。それでありながら本書は、実に平易であっけないほど簡単に読破できる書き様であり、気負って本書を手にした人は肩透かしをくらうかもしれません。だからこそ、じっくり1項目づつかみしめながらあるいは、事あるごとに何度も振り返り開きながら一つひとつを確実にものにしていくべき良書であるのです。

本書には先のカリスマ・コンサルタントたちだけでなく、成功した経営者たちから直接耳にした「成功の秘訣」とダブるものたくさん盛り込まれています。立ち読み時点では「こんな当たり前の事柄の羅列がなぜ名著?」と思われるかもしれませんが、まずは騙されたと思って読み、必要に応じて書き、さらに大切なことは読んだ内容を「実践」することです。この本がなぜこんなに長きにわたって売れ続けているのか、それは「実践」して初めて分かると思います。

※本書は、トヨタ自動車前社長・張富士夫氏の愛読書としても有名です。

“球界の宝”松井秀喜36歳よ、そろそろ日本球界に恩返しを

2010-11-10 | その他あれこれ
アメリカ大リーグエンゼルスの松井秀喜選手が、エンゼルスからの契約更新オファーがなされず、来シーズンの所属チームが未定となっています。現在は他球団からのオファー待ちという状態ではありますが、簡単に言ってみれば所属球団から「来期はいらない。お好きにどうぞ」と言われた訳でこれは自由契約になったのと同じようなものです。かつて日本球界を代表したスーパースターとしては、なんとも寂しい秋風が吹いているように思います。

そもそも彼は自身の希望で「大リーグ、それもニューヨーク・ヤンキースでプレーがしたい」と訴え、02年オフにフリーエージェントを行使。相思相愛のヤンキースからのオファーを受けて大リーグに活躍の場を移したのでした。その後、日本時代ほどの大活躍はできなかったものの比較的順調にヤンキースで主力を務めます。しかし06年のプレー中の左腕骨折アクシデントで思わぬ転機を迎えることとなり、選手としての活躍にはやや陰りが見えてきました。それでも復帰後は守備機会は減りながらもチーム貢献し09年には念願の「ヤンキースでワールドシリーズ制覇」を果たしますが、運命は冷酷なもので、そのオフにはチームから「契約更改せず」を通告され本年エンゼルスに移籍をした訳です。

そしてそのエンゼルスとも1年で契約は終了。現在、本人の胸中はどうなんでしょうか。=ここからは勝手なことを言わせていただきます=本人は昨年ヤンキースとの契約終了時にも「日本に戻るという選択肢はない」というようなことを言っていたと聞きますが、今もそうなのでしょうか。もともとが「憧れのヤンキースでなければ、大リーグに行く意味がない」とまで言っていた彼です。その憧れの球団から“お役御免”を言い渡され、さらに希望した訳ではなく“受け皿”的に名乗りを上げ収まった移籍先からもわずか1年で同様の扱いを受けるとは…。松井選手本人も大変なショックを受けていると思いますが、日本の多くの野球ファンも同じ気持ちでいるのではないでしょうか。

「日本に戻るという選択肢はない」という松井選手の思いが、彼のプライドから発せられているものであるとするなら、私はむしろ今のような大リーグチームを毎年1年契約で転々とさせられる事の方が、彼のブランドイメージを下げることになるのではないかと思うのです。彼ほどのスーパースターはそう簡単に登場するものではなく、選手としての才能や独自の存在感は日本球界の財産でもある訳です。そんな彼のブランド価値が、このまま野球選手としての晩年に向け下降線をたどったままエンディングを迎えることだけは避けなくてはいけないないのではないでしょうか。彼自身には、松井秀喜個人としてだけでなく、「日本球界の宝」である松井秀喜の在り様をよく考えて欲しいと思うのです。

私が提案する彼の進むべき道は、これからの現役最後の数年間は日本球界に戻って、下降一途の球界活性化に今一度寄与して欲しいというものに他なりません。今日本球界は毎年大量の大リーグへの人気選手流出で、深刻なスター不在状況です。ヤンキースで4番を務めた男が、球界の人気復活にひと肌脱いで望んで日本球界に舞い戻る。こんな素敵なシナリオもあっていいのではないでしょうか。今の彼があるのは日本球界とそのファンの後ろ盾あればこそのもであり、「ゴジラ=松井」のブランドは彼一人で作り上げたものではないハズです。現在彼は36歳。あの甲子園を沸かせた年齢から同じだけの年月が経過しています。彼を育て大きくはばたかせてくれた日本球界に対して、そろそろ恩返しを考えても悪くない時期でもあるのです。これは彼ほどの大選手であればこそ願う事でもあるのです。

松井君、ぜひ来シーズンは日本に戻ってプレーをしてください。それもできればパリーグの楽天あたりで活躍してくれたら、古巣巨人との交流戦も含め大変盛り上がるような気がします。あなただからこそ求められる日本球界への恩返し、心からお待ち申し上げます。

ドコモVSアップル~スマートフォン戦争の行方を占う

2010-11-09 | ビジネス
今年急激な伸長を見せるスマートフォン市場。国内の携帯電話は急速にスマートフォンへの乗り換えが進んでいます。昨日はNTTドコモが冬春モデルを発表し、この冬のボーナス商戦へ向けた役者が出揃う形になりました。国内ではソフトバンクが独占販売するアップル社Iphoneの独走を止められるのかが注目。ドコモVSアップル(ソフトバンク)の対立構図を軸に、この冬以降の日本のスマートフォン市場の行方を占ってみます。

まず、この冬のドコモの新機種の目玉として既に10月発表で店頭にもお目見えしているのが『GALAXY S』『GALAXY Tab』。今回発表の機種はシャープ製の『LYNX 3D SH-03C』東芝製の『REGZA Phone』などの高機能スマートフォンがメインで、これらは『GALAXY』も含めてすべてOSにはアンドロイドを使用。完全にIphoneを意識したつくりとなっており、これまでの高機能携帯電話をさらにグレードアップする機能が各種搭載されています。これらドコモのスマートフォン各種の機能面でのメインは、ネット閲覧はもとより、1000万画素レベルの高精度カメラ、3D映像機能、おサイフ携帯、ワンセグ(以上、機種による搭載の違いあり)などなど。ハード面では新高機能テンコ盛り状態であります。

対アップル戦略上からは、ハード面以上に重要なのはソフト面であろうと思われますが、その点はどうなのか。その目玉となるのはAppストアに対抗した「ドコモマーケット」の開設でしょう。これは12月6日にオープンだそうで、現段階でその中身については詳しくは存じ上げないのですが、アプリ、書籍、音楽等々のダウンロード販売事業を提携先との共同事業を含めてドコモがその威信にかけて展開する一大ビジネスになると思われます。ソフト面でのサービス提供がスタートすることで、ようやくこれまでの“スマートフォン・モドキ”状態からは脱却がはかれることになるのでしょうが(ちなみに、携帯大手のもう1社auなんぞはまだまだソフト部門までとうてい手が回らない状態で、今秋の新機種発表でも無料通信Skypeとの全面提携が精一杯の“スマートフォン・モドキ”状態です)、これで「ドコモマーケット」が充実すればIphoneに追いつき、追い越せるのか、と言うと私はかなり疑問に思っています。

問題点その1は、今回の機能アップが依然として一部のマニアを喜ばせるだけの「高機能携帯」の延長線という印象が強い点。ワンセグでテレビが見れる、お財布携帯で電子マネーが使えるぐらいは、これまでの延長でいいとしても、1000万画素レベルカメラや3D映像機能がスマートフォンを求めるユーザーのどれほどの人間が必要とするでしょうか。この点はどうも、高性能開発競争がユーザーニーズを越えてなお継続するという日本の技術開発風土のいけない風潮がまだまだ残っていると思わされるのです。マッキントッシュを出発点とするアップル社の基本的技術開発思想、ユーザーの満足が得られるレベルの技術をいかに使い勝手良く提供するか、との差がそこに見てとれると思います。

そしてさらに大きな問題点その2は、ソフト面での充実についてもIphoneがなぜ支持されているかその本質的なポイントを捉えていない点です。これはすなわち何であるかと言えば、ただ携帯でアプリや音楽がダウンロードで買える、それだけの理由でIphoneがウケている訳ではないということ。アップルのソフト販売ビジネスモデルの根幹にあるのは、Appストアの存在ではなく機能性に優れたその管理PCソフトitunesに他ならないのです。これは携帯音楽機器市場におけるSONYの惨敗(一部で最近SONYが健闘しているかのような報道がありますが、それは携帯音楽機器販売台数に携帯電話であるIphoneの販売台数が含まれないというカラクリがあります)に学べばすぐ分かることなのです。

もちろんドコモはそんなことはとうに研究済みでしょうし、十分分かってもいるのだとは思います。しかしながら急あつらえの寄り合い所帯で、必死にIphoneの独走を止めスマートフォン市場の拡大メリットを享受しようと試みるが故の苦しいお家事情があるのだろうというのは想像に難くないことろではあります。ただ落ち着いて考えてみるに、この辺のアップルとは180°異なるビジネスモデル構築の流れは、単に日米の企業文化の違いと言うよりは、元官業の官僚的組織風土と自由闊達な創造的民間組織の違いであるようにも思えてきます(先の行きすぎた技術開発をよしとする部分もまたしかりです)。結論として、現時点ではまだまだアップルには遠く及ばないドコモのスマートフォン戦略ですが、今後の巻き返しのカギは外国資本との提携等によるドコモの組織風土の抜本改革にこそあるのかもしれません。

B級グルメ選手権~結果報告

2010-11-07 | その他あれこれ
本日熊谷市で行われた地元の新名物を決める「熊谷B級グルメ選手権」、弊社スタジオ02の出品「“カレーなる”熊谷きゃべろーる」は惜しくも優勝ならず。残念な結果に終わりました。

優勝したのは地元「熊谷うどん」にホルモン煮を併せた「熊谷ホルどん」。優勝得票は約280。当社は健闘むなしく6位でしたが、得票は238。上位拮抗の激戦であったことをうかがわせました。でも優勝チームとのこのわずかな得票差から見ると、もともと東京出身熊谷に本拠を移してわずか4年、地元に飲食店舗・人脈・地盤を持たない当社としてはかなり健闘したとほめてあげていいのではないかと思います。「味」「オリジナリティ」「コンセプト」では絶対に負けないとがんばってきました。会場の皆さんの反応からも、決してこれら3点で負けた訳ではなさそうですが、結果的には今ブームの「ホルモン系」と数少ない地元の食メニュー「熊谷うどん」の根強さに負けたと言う感じがしています。

と言いますのも、1位がホルモンのうどん、2位がホルモンの小麦粉包み、特別賞が焼うどんと、3つに共通する特徴が「ホルモン」または「うどん」でその両方を兼ね備えた「熊谷ホルどん」が優勝したと言う訳です。これは仕方がないです。我々のメニュー作りの中で、「ホルモン」「うどん」はむしろ全国に向けた新しい街づくりの軸となるべき「B級グルメメニュー」としての目新しさに欠き、眼中には全くなかったのですから。とは言え、我々が作り上げた基本コンセプト、“暑い=HOT=辛い”をベースにした「“HOTタウン熊谷”~カレーなる街づくり」は、今回の結果からはまだまだ時期尚早であったかなという感も強くしました。時間をかけて、弊社の「40.9°熊谷辛口カレーパン」との組み合わせ戦略も含めて地元浸透策を練り上げていければと思っています。

でもとても楽しく、いろいろ勉強をさせていただきいい経験をさせていただいたと思っております。遠路当地まで応援に駆けつけていただいた皆様、周辺スタッフとしてメニュー開発から準備・仕込みに至るまでお手伝いいただいた皆様、今回は弊社の力及ばす誠に申し訳ありませんでした。この場をお借りして、皆様に御礼申しあげるとともに心よりお詫び申しあげます。「皆の夢をかなえる企業」を掲げる弊社の挑戦ははじまったばかりと思っております。これからも様々な新しいチャレンジを続けていくつもりでおりますので、引き続き皆さまのご支援のほどよろしくお願い申しあげます。

経営のトリセツ96~「尖閣ビデオ流出事件」に改めて学ぶ“見える化”の重要性

2010-11-05 | 経営
「見える化」のセミナー等でお話する際に、「“見える化”は組織内ストレスを抑える万能薬」「組織内トラブル発生はまず“見える化”不足を疑え」「組織内トラブル防止は“見える化”から」などの決め台詞があります。このところのニュースでは、まさにこの決め台詞を思い浮かべてしまう出来事が相次いで起きています。

ひとつは、昨夜来トップニュースで報じられている「尖閣ビデオ流出事件」です。先般の一部国会議員への短縮版ビデオ公開よりもさらに生々しい編集前の動画を一体誰が流出させたのか、当局の管理上に問題があったのではないか、と政府は躍起になっているようですが、残念ながら重く考えるべき論点はそこではないと思います。なぜこんな形で外に出る事になったのか、そこをもっと考えるべきなのです。なぜ?って理由は簡単です。国民にとって「見える化」させるべきものがされていなかった、さらに言えば国民が「見える化」を望んでいるモノに対してこのまま「見える化」されずに過ぎてしまう可能性が高くなったからに他ならないのです。誰がやったのかという点に関して、一部憶測で「反民主党勢力」といった言い方がされているようでありますが、今回ばかりはそうではなく「国民の声」の代表と受け止め、これまでの「見える化」不足路線を反省するべきではないかと思うのです。

政府にとっては痛手でしょう。13日からの横浜でのAPEC首脳会議を前に中国の胡主席の出席なるか否かが今後の日中関係修復のポイントになると考えているようですから、かなり厳しい横ヤリを入れられた形になったと言わざるを得ないからです。そもそも、今回の尖閣問題での政府の対中国外交には国民的不満が渦巻いており、このやり方で中国政府優位のままのウヤムヤ決着は許すべきでないと言う声はあちこちから聞こえていました。その不満がもっとも集中していたのが、件の尖閣ビデオ未公開問題だった訳です。なぜ、我が国が持っている「真実の記録」を公開して事の是非を明確化し、場合によっては国際世論の判断を待つようなやり方をしないのかと。本来見えてしかるべきものを見せないことは、まさしく「見える化」不足による国民的フラストレーションを高ぶらせ、このような「流出」という最悪の流れを起こしてしまった訳なのです。

企業経営でも同じこと。社長が何らかの理由で本来「見える化」すべき事項を見せずに経営を続けていけば、いずれ社員のフラストレーションが爆発して思わぬ事態を招き、組織内コミュニケーションの崩壊に至る危険性をはらんでいるのです。「見える化」すべき事項は会社によっても違いますが、よくあるのは「会社の財務内容」「人事評価基準」「オーナー社長による適正範囲での会社の私物化理由」などが見えない事で疑心暗鬼を生みおかしなことになっていく、そんな実例をいくつも見て参りました。思い当たる方は要注意です。尖閣ビデオのように社員が見たいと思うものあるいは当然見せるべきものを、「見える化」せぬがために、あらぬ噂や憶測に基づいた不平不満が巻き起こって会社を危機的状況に追い込みかねないのです。

さて話を戻しますと、今の民主党政権の運営において大きな「見える化」不足と思われる問題はもう1点あります。それは、「小沢氏の政治とカネ問題説明」です。この問題も早くから、国民の多くが「見える化」を望んできたものです。それがまたここに来て、小沢氏本人の口から、我田引水の理論で詭弁を弄し「政倫審への出席はしない」との開き直り発言が飛び出しました。小沢氏問題での本人説明不足に関する国民的フラストレーションは一層高まることでしょう。この状態が打開できないなら、国会空転等の好ましからざる問題に発展し国民経済にも大きな損失を与えかねないと思うのです。岡田幹事長の申し出が小沢氏にに直接断られた現在、もはや管首相の出番以外にないでしょう。しかも政倫審での説明ができないのなら、民主党も参考人招致、証人喚問に賛成せざるを得ない、との強い態度で説得にあたるべきタイミングに来ていると思うのです。

「見える化」は政治でも、行政でも、企業でも、家庭でも、運営上円滑に物事を運ぶためには本当に重要な施策です。中でも「見えてしかるべきモノが見えない」というフラストレーション状態は致命傷を及ぼしかねない最重要ポイントなのです。「尖閣ビデオ流出事件」はそんな万事に通じる大切な問題を示唆しているのです。政府もメディアも、国民は今回の件での犯人探しには関心はなく、真実を「見える化」することを重視している点を十分認識して、その言動、報道姿勢を正して欲しいと思います。

秋の「叙勲」に思う~今の時代の要否を問う

2010-11-03 | その他あれこれ
本日11月3日文化の日は、毎年政府から秋の叙勲者が多数発表されます。

「叙勲」とは何か?いわゆる天皇陛下から勲章をいただくということなのですが、「国家または公共に対して功労のある者を勲等に叙して勲章を授けること」というのが「知恵蔵」に記載の意味のようです。日本では英国に習って明治時代からはじめられた制度で、「天皇の国事行為」として位置付けられているそうです。ちなみに今年の叙勲者は4,173人。有名人では扇千景元参議院議長、漫画家の松本零士氏、女優の司葉子さんらが受章し、喜びのメッセージがメディアを通じて伝えられています。では「叙勲」の選考は誰がどんな基準でおこなうのでしょうか。

まず選考は政府の内閣府賞勲局というところが担当しているそうで、その選考基準は03年の小泉内閣時に閣議決定されたものを適用して選考がされているそうですが、詳細な選考過程等は全く公開されていません。したがって、密室で官僚と政治家のお手盛りで、政治的配慮や選挙対策への利用の意図をもって叙勲者が決められているという批判が根強く存在するのも事実であります。小泉内閣時の叙勲制度の見直しでは、「官」に偏った叙勲対象を「民」にも広げようという観点での改革が行われたのですが、個人的には「叙勲」そのものが今の世の中本当に必要であるのか、いささか疑問であると感じており、官僚制度改革並びに行財政改革を強力におしすすめるべきであるという風潮の今こそ、廃止を含めたしっかりとした見直し議論が必要なのではないかと思っています。

そもそも叙勲制度は、明治8年の「賞牌従軍牌制定ノ件」の公布による勲等と賞牌の制度制定がその礎であるとされ、当初は主に皇室の者、その後政治家、軍人、官僚などを中心として、国家発展に大きな功績が認められた者に明治天皇が国家的名誉としての勲章を付与したものであったようです(秋の叙勲日11月3日文化の日は明治天皇の誕生日です)。戦後のGHQ支配下での停止の時期を越え、様々な変更が加えられては来たものの、基本的な考え方は冒頭に示した通りの「国家または公共に対して功労のある者を勲等に叙して勲章を授けること」に変わりなく、これ自体が価値観が多様化した現在において本当に有効に機能するものであるのか、どうも首をかしげたくなるのです。

それと先にも述べた選考の不透明感や官僚のお手盛り的要素も、官僚制度改革が叫ばれる今の時代にどうなんでしょう。選考に関しては、うがった見方をするなら、例えば今回の受章者である司葉子さんは、女優として他の同年代の女優方に比べて何が叙勲に値する要素であったのか全く分かりません。私なんぞは「ああ、旦那が元国会議員だと言う点が他の女優さんにはない、“内助の功”として国家に貢献したということ?」ぐらいに思えてもくるのです。そうやって見てしまうと、こういうのはもうお止めになった方が良いのではないかと、益々思えてきてしまいます。

たいてい出世欲の旺盛な人間は、まずおカネを欲し次に地位を極めんとし、最後に名誉を欲しがると言います。まぁ大抵、おカネは地位についてくるのが一般的ですが、名誉ばかりは必ずしも地位には付いてこないのでどうにもなりません。そこで名誉を形で示す一番分かりやすいモノが、「天皇陛下から勲章をいただく=叙勲」になる訳です。私が以前勤めていた会社は旧大蔵省から事務次官が代々天下ってトップに座っていたのですが、「この程度の会社になぜ大蔵次官が天下るのか?」と若い頃は随分不思議に思ったものです。理由は簡単でした。この会社のトップは業界団体の長を必ずできる立場にあり、当時の官僚の叙勲の最高位である勲一等瑞宝章を受けるためには、単なる官僚のトップや企業のトップを務めただけでは要件不足で、業界団体の長を務める必要があったのです。そこまでして勲章が欲しいものなのかと、私の価値観では到底理解しえない官僚社会の異常な常識感覚を垣間見た気がしました。

官僚出の政治家であった故宮沢喜一元首相は、「政治家になったのは、地位やカネや権力のためじゃない。純粋に日本のため、国家・国民のためだ」と言って、「叙勲」を辞退しました。こういう感覚こそが、今の政治家や官僚の方々に求められる「常識」なのではないでしょうか。「天皇の国事行為」が違憲であるか否かとかの難しい見解や思想的な背景をもってモノを申しあげるつもりは全くありませんが、天皇から勲章をいただく「叙勲」と言うものは、今の時代に必要なのか見直し議論はあってしかるべきではないかと思うのです。予算面から見ればたかだか年間30億円程度だそうで、国家予算規模の中では小さな金額であるが故に見過ごされがちな部分ではあるのですが、透明感を著しく欠く時代錯誤的な官尊民卑の制度は官僚制度改革の象徴としても早急に抜本的見直しをして欲しいと思うところです。