日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№86~“天才スティービー”が完成された作品

2009-10-04 | 洋楽
スティービー・ワンダー<70年代の100枚>2作目の登場です。

№86   「トーキング・ブック/スティービー・ワンダー」

72年秋にリリースされたヒット曲B1「迷信」は、ポピュラー・ミュージックの歴史を変えたと言っても過言ではない1曲でした。もともと交流のあったスーパー・ギタリスト、ジェフ・ベックのために書かれたというこの曲、明らかにそれまでのスティービーとは一線を画するファンキーでロックなナンバー。当時はまだ音楽界でも導入初期段階であったシンセサイザーによる印象的なリフは、シンセ音楽の計り知れない可能性を示唆するとともに、その後の音楽シーンに多大な影響を及ぼすことになるなど恐ろしく衝撃的であったのです。

そしてもう1曲、このアルバムからの第2弾シングルがA1「サンシャイン」。こちらは一転、ミディアムテンポのソフトなラブ・バラードです。ここには、いわゆるモータウン・ミュージックとは異なるイメージの、まさに“Black Or White”の垣根を越えたメロディの美しさ、表現の柔らかさがあります。「迷信」と「サンシャイン」この好対照な2曲の名曲の誕生により、スティービー・ワンダーはビートルズなきあとの70年代の音楽シーンの“ポール・ポジション”にいることを、すべての音楽ファンに認知させたと言ってもいいでしょう。

アルバム「トーキング・ブック」は、彼にとっては実に17枚目のオリジナルアルバムであり、60年代前半のリトル・スティービー・ワンダーの時代から数々のヒットを放ってきた彼が、“第2のレイ・チャールズ”と言われた時期を経て確実に大きな存在になってきたことを世に示したのでした。そしてまた、その“ステップ・アップ”第一弾にしてあまりにも完成されたオリジナルな音楽スタイルは、大変な衝撃であったのです。「迷信」「サンシャイン」は共にシングル・チャートの№1を記録。アルバムは最高位3位と№1こそ逃したものの、翌73年のグラミー賞では5部門を独占する快挙を達成し、その後のアルバムを出せば必ずグラミー受賞となる先駆けともなったのです。

なにしろ驚異的なのは、このアルバムでスティービーは、ほとんど楽器の演奏とアレンジを自身の手でおこなっていることです。この後、本作との3部作となる「インナー・ビジョンズ」「ファースト・フィナーレ」、さらにそれを受けての集大成的大作「キー・オブ・ライフ」とグラミー受賞の名作リリースが続く訳ですが、それらのプロト・タイプはすでにこのアルバムにおいて、彼一人の手によって完成されていたと言えるのです。そういった意味からも、60年代から“天才”と言われ進化を続けてきた彼のオリジナル・スタイルは、ここに正式に完成をみたと言っていいのではないかと思うのです。

繰り返しますが、当時はじめて「迷信」を耳にしたときの衝撃はすさまじいものがありました。そしてこの頃、海の向こうのミュージシャンの多くが口にしていたことが、「スティービー・ワンダーはタダモノではない。彼を追いかけろ」ということでした。一例をあげれば73年には、あのキャロル・キングが「ヒューマニティ」で、「アローン・アゲイン」のギルバート・オサリバンまでもが「ウー・ベイビー」で、明らかにスティービーの「迷信」のオマージュとも言えるシンセ・リフ・アレンジを導入しているのです。「迷信」とアルバム「トーキング・ブック」は、スティービー・ワンダーを人種の壁を越えたスーパー・スターの座に押し上げた、70年代に大きな存在感を残した重要な1枚であると言えるのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿