日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

サムスンの敗訴と竹島問題~韓国の“盗人文化”について

2012-08-31 | その他あれこれ
本日は少しばかり過激な提案をしてみようかと思います。テーマは韓国の国民性や国民文化についてです。何かと話題の竹島問題、これまでは詳細な事実関係を自分なりにも調べる時間がなく、聞きかじりの過去経緯だけから余計な事を言うのはいかがなものかとの考えの下、この問題には一切触れずにきました。しかしここに来て、韓国を代表する一大国家的企業であるサムスンが米カルフォルニア北部連邦地裁で、アップルの特許を侵害したとして約826億円の賠償を命じられたとの話を受け、本件の裏にある本質的な問題を考え、竹島を占拠する韓国という国の文化実態を国際世論に広く知らしめるべきなのではないかと思いPCに向かいました。

サムスン敗訴の内容詳細は各所で報道済みではありますが、主な特許侵害指摘内容は①ピンチによるズーム②タップによるズーム③iPhoneに関するデザイン特許④iPhoneのホーム画面デザイン特許、であります。今回のこの内容がより重要性が高いと思うのは、これら特許侵害とし指摘されているものすべてが、専門的な知識なくしては分からない内部構造の技術的特許にかかるものではなく、一般的な利用者なら誰でも見た目で分かるデザインや操作性の部分についてであるということです。言ってみればサムスンのスマホは、先行のヒット商品の良いとこ取りした“盗人”モノマネ品であると言われたという意味であるのです。

専門的な技術特許にからむ特許侵害の場合には、特許の存在を知らなかったとか意図せぬ特許侵害であったとかいったケースも多いわけですが、今回の上記①~④のようなデザインや操作性に関するものは、iPhoneを見て使ってそれを模倣したのは明らかなわけですから、言ってみれば完全に“確信犯”であるのです。何年か前のこと、iPhoneの後追いで初めて出されたNTTドコモのサムスン製ギャラクシーを見た私は、確実に「ここまでマネしていいの」と感じたことを思い出します。しかし、その後何機種も同様のiPhone模倣版が次々出されていくうちにその意識は薄れました。iPhoneのデザインや操作性がまるでスマホの一般に認められたディフェクト・スタンダードになってしまったかのような錯覚に陥ってしまっていたのでしょう。今回の北部連邦地裁の判断は、そんな忘させられていた重要なことを思い出させてくれたのです。

繰り返しますが今回の賠償命令で、モノマネ製品製造“確信犯”サムスンは明らかな“盗人文化”であると明言されたのです。サムスンは韓国という国を代表する国家レベルの大変な大企業であります。日本でその存在を例えるならトヨタあたりがそれにあたるのでしょうか。我々日本人が、もしトヨタが誰が見てもこれはベンツだろうというデザインの車を、ベンツマークと見間違うマークを付しレクサスとして販売し、ベンツからモノマネを告訴され賠償命令を受けたとしたらどう思うでしょうか。恐らくは、国内世論の大半は「トヨタの“盗人精神”は日本の恥!」「マネではないオリジナリティで正々堂々世界に挑め!」と、反省を促し出直しを鼓舞する、それが日本文化であるように思うのです。

しかしながら韓国メディアの多くは、今回の件でサムスンを擁護し、「負けたのは訴訟の場が敵地アメリカであったから」「次は間違いなく違う結果が出る」としていると聞きます。先に述べたように、今回の訴訟が専門性の強い技術特許領域ではなく、デザインや操作性という見た目や使い勝手に係る明らかなモノマネ訴訟であるのにもかかわらずです。これはもう、韓国という国自体が持つ“盗人文化”を雄弁に語るもの以外のなにものでもないと言えると思うのです。

であるのなら、日本ははからずもサムスンの敗訴により露呈した韓国の悪しき文化の存在を、この機会にもっともっと様々な形で国際世論に訴えるべきなのではないのかと。例えば、これまでも液晶テレビや携帯電話の世界でも、日本の複数の家電メーカーは韓国勢から受け続けてきた明らかな模倣に対して、無益な争いは好まないといういたって日本的な“お人よし”対応で、見過ごしてきたと聞きます。今こそ「いいわ、いいわ」でやり過ごしてきたものを呼び起こして「“盗人”許すまじ」の精神で糾弾し、韓国に脈々と流れる“盗人文化”を世界に広く知らせるべき時なのではないのかと思うのです。

竹島問題は、そんな韓国の“盗人文化”を日本の官民が一体となり広く世界に知らしめることで国際世論の盛り上がりを醸成し、両国国民性に対する正しい国際的理解の下、あるべき解決に向かわせるべき問題なのではないかと思うところです。