日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

柔道に見る「国際化」対応ということ~ロンドン五輪マネジメント的雑感③

2012-08-09 | 経営
ロンドンオリンピック前半戦。注目の柔道は、男女合わせて金メダル1個という史上最低の戦果に終ったという点が、一部メディアで話題になっています。

日本で生まれた格闘技柔道がオリンピック競技として初めて登場したのは、1964年の東京オリンピック。68年メキシコでは一旦正式競技から外れたものの、72年ミュンヘン大会で復活。以降柔道競技国数と競技人口の増加を受けて、柔道はオリンピック競技として完全に定着をしています。日本の金メダル獲得数は、女子競技が正式種目になる前のソウル大会で斉藤仁選手の1個ということはあったものの、女子競技が正式種目になった92年バルセロナ以降は最低でも3個。それが今回は女子の1個のみで男子は遂に0という結果に、なんとはなしに「戦犯探し」のような様相まで呈しているのです。

そんなムードを受けてか、今週日本に帰国した柔道代表選手団はまるでお通夜状態でした。唯一の金メダリスト松本薫選手が、メディアの帰国報道の救世主的存在といった状況。もしこれがなく男女とも金0などということになっていたら、一体どうなっていたのだろうかと。まさか、メディアで袋叩きはないでしょうが、銀メダリスト銅メダリストだけでは全く無視で報道されずだったのかなとか、考えただけでもおぞましい感じがしています。男子選手団にしても、少なくともメダリストは4人いた訳ですが、笑顔禁止令か(?)とも思えるこわばった表情の帰国風景は、頑張った選手たちが少しかわいそうな絵ずらではありました。

落ち着いて考えみれば、男子銀2銅2、女子金1銀1銅1の合計メダル数7は、普通の競技で考えるなら全然恥ずかしい数字ではないハズなのだと思うのですが、やはり柔道という日本生まれの競技である点が胸を張ることを許さないのでしょうか。私はおそらくその原因として柔道関係者が発しているのであろう、柔道における「金以外はすべて価値なし」的な考え方が今でも本当に有効なのか、やや疑問に感じております。

以下、競技としての柔道に詳しくないので、誤った記述がありましたらご指摘いただければと思います。

柔道は近年のルール改正により、「JUDO」という別競技になったのではないかと思っています。前回の北京大会の時にも話題になっていた、行きすぎたポイント制の是非。ハッキリ申し上げて、素人目には柔道着を着たレスリングにしか見えず、私が高校時代に体育の授業で習った組み手を基本として「技を競う」競技であるはずの柔道は、今の国際ルールでは全く通用しないように思えるのです(特にSIDO2回で有効1カウントは異常!)。なかなか組まずにポイント狙いに走る外国人選手、他方伝統的な日本柔道を基本にしつつ今のルールになんとかあわせようと苦心惨憺の日本選手たち。見ていてかわいそうなほどの、柔道とJUDOの違いを感じさせられました。

例え日本生まれのモノであっても国際化した段階で別モノになっていく。生まれた国の伝統や習俗にこだわっていたなら、置いてけぼりになり負け戦を強いられて行く。「国際化」とはそういうものなのではないかと。日本の伝統と誇りである「技術力」にこだわるが故の「モノづくり日本」の凋落とも共通する何かが、そこにはあるように感じられます。世界の伍して戦っていくためには、時にはプライドやこだわりを捨て過去との決別が求められる場面もあるのではないのかと。

すなわち、日本柔道は伝統武術としてのこだわりを捨てて、国際競技としての「JUDO」として新たな再出発をすべき時にきているのではないかと思われます。もしかすると既に再出発を果たしているのかもしれません。だとするなら、男女合わせて7個のメダルを獲得した日本選手団にはもっと称賛を与えてしかるべきでありましょうし、代表選手団は胸を張って帰国をして欲しかった。日本柔道が国際化の一途をたどる競技ルール変更を前向きに受け入れることで「国際化」の意味合いを正しく認識し、4年後リオデジャネイロでの「JUDO」としての更なる飛躍をすることに期待したいと思います。