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日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「アップルに当面敵なし」を感じさせる“ipad狂想曲”

2010-05-14 | マーケティング
アップルの新メディア機器ipadの日本発売5月28日を前に購入予約が開始され、行列ができるなどの話題を提供するとともに、雑誌メディアでは続々ipad特集が組まれちょっとした騒ぎになっています。でもipadってそんなに新しいものなの?って個人的にはちょっと思っています。アップルの戦略を紐解くとipadは決して最新鋭のメディア機器が出たということではないという結論になるような気がするのですが・・・。

iphoneですっかりスマートフォン市場を先導する形になったアップルが、アマゾン=キンドル、SONY=リーダーにぶつけてきた新しいメディア機器がipadであるというのが当初のマスコミ発の触れ込みだったのですが、どうやら全貌が明らかになるにつれてそうではないと言う事が明確になってきました。そう、ipadはキンドルやリーダーのようなブック・リーダーではなくて“本も読める”多機能メディア機器なのですね。アップルはituneストアで音楽メディアやゲームをはじめとしたアプリケーションを販売していますが、「今度は本も読みやすいメディア機器をご用意しましたので、ぜひこの新しいアップルの機器を使ってituneストアをご利用ください」が彼らのビジネスにおける今回の狙いな訳です。

そもそもiphoneだって彼らは電話機を作りたかった訳ではなくて、ipodに電話機能を持たせることでより多くの人をituneストアに呼び込もうとした訳なのです。携帯電話の機能で戦おうなどとはハナから思っていないのです。忘れてはいけないことは、彼らの現在のビジネスのメインはituneストアでいかに買い物をしてもらうかであり、そのためにソフト開発プラットフォームを公開していかに多くの便利なアプリケーションを第三者に自発的に作らせるかである訳です。その意味でアップルの基本メディア機器は、どこまで行ってもパソコンのMACと携帯デジタルメディア機器のipodなのです。ipodだってそもそもが携帯音楽機器ではなかったのです。携帯音楽機器ウォークマンのSONYは、ipodが音楽機器ではない総合携帯デジタルメディアであったがためにipodに負けた訳です。まずは音楽ファンを取り込んでその次がスマートフォン購買層、そして今度が愛読家。ちなみに書籍のネット販売に関しては、先行し圧倒的な電子書籍数をほこるアマゾンとの共同戦線が得策という訳で、アマゾンから購入できるソフトもダウンロードできるのです。

さてさて話を戻してipadです。でそう考えてくるとやはり今回のipadは書籍購入者を新たなターゲットとしてituneストアに引き込むためのメディア機器であり、書籍を読みやすくするために画面を大きくしたipodであるということになるのではないかと思うのです。ipodは音楽鑑賞を入口にして利用者を囲い込み、ipadは読書を入口にして利用者を囲い込む、アップルのituneストア引込戦略であるのです。機器を安く提供して消耗品で儲けるという商売はコピー機器やPCプリンタなど古くからあるのですが、トナーなインクカートリッジの代わりに音楽データやアプリケーションや書籍販売で同じ形式の商売を展開している訳なのです。な~んだ、って感じでしょ。と言う訳で、ipadはどうしても画面で本が読みたいとか、大きな画面でipodやiphoneでのダウンロード・ゲームを楽しみたいとかいう人向きのメディア機器であるという感じがしております。なので私は当面購入見送りです。確かに仕事柄、多くの書籍を持ち歩く私としては、700グラム弱の薄型端末一つでいろいろな書籍を持ち歩ける利便性は魅力ではありますが、まだちょっと様子見かなと。

このように中身は決してピカピカに新しいメディア機器ではないipadが、こんなにも最新鋭機器的に注目されてしまうのは、アップルのブランドイメージのなせる技に他なりません。そのブランド・イメージは、もちろん商品やPRやIRなど様々な要素が総合した結果なのですが、忘れていけないのはその企業で働くスタッフのプライドやモラールも重要な要素になっているということです。先日ゴールデン・ウィーク期間中に銀座のアップル・ストアに出かけてみたのですが、大混雑の店内にありながらどのフロアにいってみてもスタッフの楽しそうに動きまわる姿や明るさに驚かされました。経営者の方にはぜひ一度足を運ばれることをおススメいたします。店内のスタッフと商品を見るにつけ、やはり「企業を光らせるのは人であり、その人をその気にさせるのは経営である」と、つくづく実感させられる空間であります。「当面アップルに敵なし」を感じさせられる今のアップルのブランド力は、人と商品が共に活きてこそなし得たモノであることを雄弁に物語っているのです。

プライドを捨てた?ショッピング・モール化する銀座の百貨店

2010-05-06 | マーケティング
長期低落時代を迎えた百貨店の活路はどこにあるのか、と久々に銀座の百貨店ウォッチングをしてみました。

私が百貨店ウォッチングをはじめたきっかけは、新聞記者時代に一流百貨店の広報担当が次から次へと持ってくるニュース・リリースの内容の濃さに驚き、「世のトレンドの多くを作っているのは、一流百貨店の腕利きバイヤーたちである」を実感させられたからでした。しかしながら、いろいろな流通形態が個人消費マーケットへの参入を続け、また同時に外資が直接国内に店舗を構えるに至って、どうも百貨店の存在価値は薄くなってきたようなのですが、その原因のひとつに、百貨店とそのバイヤーたちの仕入力の低下があるように思えるのです。今回久々に百貨店ウォッチングをしてみて、その点を本当に実感させられました。

何よりもまず驚かされるのが、今始まったことではないのですが、百貨店の“売り場家主化”の進展のひどいこと、ひどいこと。日本の消費のトレンドを作り続けてきたハズの銀座の百貨店でさえ、スペース貸し比率が圧倒的に増え、自社のバイヤーたちが世界各地から買い付けてくる商品の質で競い合うという姿はすっかり影を潜めてしまっています。まだ数年前まではその家主としてのスペース貸しにしても、バイヤーがコネクションをつけてきたのであろう“本邦初出店”的な店が多く、それなりに各百貨店の個性やバイヤーの力量うかがわれる場面も多く見受けられたのですが、ここにきて目立つのは一流ブランドや既存全国有名小売店の誘致合戦ばかりなのです。

中でも目を覆いたくなるほどひどかったのは銀座松坂屋です。1階スペースにはライバル店銀座三越と同じ「ティファニー」を入れ、メイン入口脇には2年ほど前から大丸東京店や東武池袋店で人気沸騰中の菓子店「ねんりんや」を配置。そして銀座4丁目側の1~5階の一角を、今若者に話題の低価格カジュアル・ウェア「フォーエバー21」にまとめ貸しするというコンセプト“0”の節操のなさには、もう松坂屋の看板は下ろして良いのではないかとさえ思わされてしまいました。この消費者の財布のヒモが硬い不況下にあって、確かに客を集めないことにはどうにもならないという商売の苦しさは分かるものの、まるで郊外のショッピング・モールを思わせられる売り場づくりには、“三河商人”の魂さえも消えうせてしまったのかと、実に複雑な思いにさせられもしました。

そもそも百貨店とその他の小売店のとの大きな違いは、バイヤーと店舗スタッフが一体となっての「関係性マーケティング」の構築にこそあったハズです。そうです単なる「小売・価格マーケティング」ではない「関係性マーケティング」戦略こそ、そのブランド力の源であり、それを支える各一流百貨店のバイヤーの目利き力と販売スタッフの付加価値力が鎬(しのぎ)を削りあうことが、消費の現場を刺激し日本の消費文化を牽引してきたハズではなかったのでしょうか。それが今や、日本を代表する消費トレンド発信の地たる東京銀座の表通りに店を構える百貨店が、それを放棄し何の問題意識もなく郊外のショッピング・モールと同じような店づくりをおこなう。一時の来店客や売り上げは多少伸びるのかもしれませんが、今後テナントの入れ替えを続け集客をつなぐのであろう戦略には銀座の百貨店のプライドはもはやもとめるべくもないのかと、哀しい気分にさせられた次第です。

私が子供の頃には、松坂屋のちょうど向かい側に「小松ストア」という小ぶりながら個性的な百貨店があり、高度成長の最中には松坂屋ともに大変にぎわっていたのを良く覚えています。「小松ストア」はその後、その売り場面積の小ささもあって伸び悩み「テナント貸し」に業態転換をしたのですが、今回見るとなんとビルは壊され更地になっていました。複雑な思いの中、この光景は私には銀座の百貨店のプライドを捨てた者の末路を見るかのような象徴的なシーンに写りました。他業態の購買力の向上や世界からのあらゆる業種の直接参入を受けて百貨店やそのバイヤーの力の見せ所が難しくなっているのは間違いのないところでしょう。そうは言っても「定価販売=百貨店の関係性マーケティングの賜物」という彼らの存在基盤を忘れ「ショッピング・センターの家主」化したのでは、早晩淘汰の波にさらされるのみではないのかと思うのです。各業界の存立の基本を忘れてはビジネスは成立しないのです。

“赤プリ”廃業が示唆する「ガラパゴス化業界」の末路

2010-05-04 | マーケティング
「シティホテル」業界に異変?建築家の丹下健三氏デザインのタワーで有名な“赤プリ”の名で親しまれている赤坂プリンスホテルが、来年3月31日限りで閉館することになったそうです。「シティホテル」の閉館と言えば、東京品川のホテルパシフィックが今年9月末での閉館を決めており、相次ぐ都内老舗「シティホテル」の閉館は単なる不況の影響という問題では片付けられない業界的裏事情を孕んでいるように思います。

今回の“赤プリ”表向きの閉館の理由は「老朽化」。しかしながらよくよく考えてみると“赤プリ”タワーの開業は83年であり、「老朽化」という言葉にはいささか違和感を覚えます。むしろ「老朽化」を理由に閉館するのなら、同じプリンス系列でももっと先に問題になるホテルがあるかと思われるのです。ならば閉館の本当の理由は何か?日本におけるバブル期をピークに繁栄した「シティホテル」というカテゴリーそのものの、競争力が低下しているということに他ならないのです。そもそも、この「シティホテル」なるカテゴリーは日本独自のものであり、長らく外資の侵略を受けずに発展してきた日本のホテル業界の“ガラパゴス化”の産物であると言っていいかと思います。「シティホテル」というと、聞こえは確かにいいのですが、「帝国」や「オークラ」に代表されるプライムなホテルではなくビジネスでもない、ただビジネスユースにも使えつつプライムなイメージで化粧をしてきた高価格ホテルこそが「シティホテル」であったわけです。

ホテル業界国際化の流れは2002年以降急加速します。フォーシーズンズ、ハイアット、マンダリンオリエンタル、リッツカールトン…名だたるグローバルホテル・チェーンたちが一斉に東京に攻め入り、そのホテル勢力地図を大きく塗り替えたのでした。彼らの狙いは世界から日本へのインバウンド・ツーリストならびに、今後世界的な成長が見込めるアジア地域へのインバウンド・ツーリストのゲートウェイ都市である東京立ち寄り需要に狙いを定めてのものだったのですが、期せずして日本の「シティホテル」のレベルの半端さを露呈する形にもなったのでした。また同時に、不況がもたらした低価格ビジネスホテルの流れも大きな時代のうねりとして業界を襲います。この中にあって一部の超一流老舗ホテルを除く日本独自の「シティホテル」群は、その中途半端なポジショニングから行き場を見失うことになったのです。まさしく産業の“ガラパゴス化”が産み落とした独自文化が、国際化と世界的不況の激流に押し流された訳です。

さらに、最近ではシティホテル並みの広さと快適さを維持しつつビジネスホテル上位レベルの価格帯で人気を集める「ビジネスホテル・プレミア」なる新業態まで登場するに至って、旧勢力の「シティホテル」は完全にその立脚基盤をも失いつつあります。バブル期から90年代には、「若い女性が彼氏と泊まりたいホテル№1」と言われた“赤プリ”がいまやその存続さえもできなくなったという時代の流れの早さは、本当に驚くべきことです。時代の流れについていけるよう変革をするにはあまりにコストがかかり過ぎる装置産業の悲しさもそこには確かにあるのですが、根本的には日本独自スタイルでの業界形成が生んだ悲劇であるということは疑いようのない事実であります。世界的に見て半端であったり不合理であるビジネスモデルはいずれは破綻をきたすのです。日本独自形態である「シティホテル」の代表格“赤プリ”の閉館は、ビッグビジネスにおける国際的基準レベルを認識することの重要性を強く物語っています。

話は飛びますが、官僚文化が作り上げたもうひとつの代表的“ガラパゴス市場”、SIMロック解除に揺れる携帯電話業界には、今後どんな展開が待ち受けているのか。日本独自の官僚文化的考え方を一刻も早く離れて国際化を念頭に早期の戦略転換をはかれと、今回の“赤プリ”の一件は携帯業界にも警鐘を鳴らしているように思えてなりません。

“高級化”マクドナルドと“低価格”吉野家~デフレを勝ち抜くのはどっちだ?

2010-04-27 | マーケティング
今月18日に渋谷から一斉に姿を消し話題を集めたマクドナルド店舗が、そろって25日にニュー・オープンしたそうです。この日新装開店したのは渋谷だけでなく都内の13店舗。内装にはフランス人デザイナーを起用して、赤や黄色を基調とした“マック・カラー”の従来デザインを黒や茶色など落ち着いた色合いに変更。ソファの導入や座席の間隔を広げることで、ゆったりすごせるような工夫が施されています。このようなゆとりを持たせた店内設計をおこなうとともに、全席禁煙、LED照明の採用、ユニホームの一新などで高級感を演出。商品価格は従来店舗より10~50円引き上げたそうです。この原田CEO=マクドナルドの戦略変更はいかなる狙いがあるのでしょう。

マックカフェ、クオーター・パウンダー、プレミアム・ロースト等々、原田氏のCEO就任以来試行錯誤を繰り返してきたマクドナルドですが、それらの実験的試行策のとりあえず第一段階での結論として今回の店舗戦略は位置づけられるように思っています。すなわち、マックカフェ、クオーター・パウンダー、プレミアム・ローストはどれも「高級化」「高価格化」路線であり、今回の店舗改革はその手ごたえをつかんだからに他ならないと言えるでしょう。ファーストフード業界はデフレの影響で価格競争が激化しており、比較的価格確保が期待できるカフェ路線への路線変更を志向しての結果と受け取れるのです。まさにマクドナルドの“スタバ化”であり、ファーストフードのカフェ化路線であります。

カフェ化路線のプロトタイプは、90年代から雨後のタケノコの如くその数が増え旧来の喫茶店を駆逐したドトールをはじめとした低価格コーヒーショップを、適度のオシャレ感と高級感で化粧をさせ、「サードプレイス(=自宅、オフィスに次ぐ第三の場所という意味)」という“くつろぎ”をキーワードにグレード感を持たせたスターバックスに代表される新カフェ戦略である訳です。果たしてドナルド君をキャラクターとして長年“お子ちゃまの味方”でやってきたマクドナルドが、“化粧”を少し変えただけで並み居る競合カフェチェーンに対抗ができるのか、また高級化路線で既存のハンバーガー戦争でライバルの後塵を拝することにはならないのか、そしてその双方がマイナスに働いて大きな痛手を被ることになりはしないのか…等々不安材料は尽きない訳ですが、アップル・コンピュータ仕込みの原田CEOはどんな思考回路を巡らせた結果の秘策であったのか一度じっくりと聞いてみたいものです。

このマクドナルドの戦略と好対照なのが、期間限定ながら牛丼並盛り380円を270円に値下げし、低価格競争に堂々参入(会社側はそうではないとは言っていますが、期間限定とはいえライバル追随は明らかです)の牛丼業界の雄「吉野家」です。業界トップの価格競争参入は、自爆的とも思えるほど強烈なインパクトはあるわけで、ある意味マクドナルドの高級化路線以上にショッキングな戦略であるとも言えるでしょう。時を同じくして果敢にも、日本のファーストフード業界を代表する業界トップの2社がとった、「高級化」と「低価格」ふたつの大胆戦略。底なしの超デフレ時代を勝ち抜くのはどちらの戦略であるのか、マーケティング的興味は尽きないところであります。

久々のタイアップ・ヒット確実?フォーティ世代を狙い撃つ資生堂CMの憎い演出

2010-04-15 | マーケティング
最近私が気になっているコマーシャルの話をします。

資生堂の「のむ、つける、IN&ON」。そうそうあの懐かしい元アイドルの40代女性4人を起用したCMです。何が気になるって、40代の“おばちゃん元アイドル”は別にどうでもいいのですが、問題はこのCMのつくりです。「♪ずっと好きだったんだぜ~」というなんとも懐かしくなるようなサウンドに乗ってキャッチーなサビのリフレイン。これって70~80年代の「揺れるまなざし」にはじまる「化粧品CM=ニューミュージック・タイアップ」全盛時代の、キメ技そのものですよね。4月1日からTVオンエアされたこのCM手法に振り向かされて、懐かしくて懐かしくて。「何?この昭和的キャッチーなCMづくりは???」って感じで、TVで流れるたびに思わず顔がほころんでしまうわけです。
(化粧品のCMタイアップ・ヒットソングって、「不思議なピーチパイ」「燃えろいい女」「微笑の法則」「マイ・ピュアレディ」「め組の女」「君の瞳は10000ボルト」「唇よ熱く君を語れ!」「サマー・ピープル」「君は薔薇より美しい」「桃色吐息」…、ホントたくさんありましたよね。「資生堂VSカネボウ」一騎打ちの時代でもありました。懐かし~い!)

肝心の楽曲を作って歌っているのは斎藤和義氏、って私も名前ぐらいしか知らないんですが、66年栃木生まれの43歳。93年「僕の見たビートルズはTVの中」でデビューしたという、“真性アフター・ザ・ビートルズ・フォロワー”だそうです。しかも“清志郎フリーク”とか。なにしろ、このCMを印象付けているこの曲に私がグッとくる理由は、やっぱビートルズ→清志郎の影響を受けつつ進化した70年代洋楽路線の音そのものだからなんですね。いやー、実によく練られたCMである訳です。フォーティ世代のアイドルたちを登場させて、その人たちをアイドルとしてあがめたてまつっていたオヤジたちに訴える楽曲を、今あえてあの時代的な手法のCM展開で活かしていく、こりゃ完全に一本取られましたな。

でもちょっと待ってくださいよ。これ資生堂の女性向け美容剤&ツールのコマーシャルでしたよね。オヤジの目と耳を惹きつけてどうするんだって感じですが…。“元アイドル”4人と同じ世代の女性陣が見て、どう感じるんでしょうかね?この4人のファンだった人向けの明らかなオヤジ受けCMのような気がするのですが、いかがなものでしょう?どなたか女性のご意見お聞かせいただければ幸いです。いずれにしても、シリコン成分が地肌を傷めたと苦情殺到して高額プロモーションが水泡に帰したシャンプー「ツバキ」以来の、資生堂入魂のCMであることには違いないでしょう。

ところで、このCMをきっかけにネットをブラブラしていたら、このBGM「ずっと好きだった」の短いプロモ・ビデオを発見!まだCD発売前だからなのか、フルバージョンは見当たりません。でも、これが短いけどスゴいのです。ビートルズ・ファンなら一見して分かるあの「ルーフトップ・ライブ」(69年に彼らのオフィスであったアップル・ビル屋上で、4人そろって人前で演奏した最後。映画「レット・イット・ビー」のラストに収録されている感動のライブシーン)と全く同じシチュエーションで、山崎くんはじめ4人がこの新曲を演奏しているのです。4人の服装、楽器、カメラアングルすべてまんま「ゲット・バック」です(特にジョージは激似)。オヤジ感涙モノ。やるなぁ斎藤!ぜひYOU TUBEで見比べてください。

★「ずっと好きだった/斎藤和義」
http://www.youtube.com/watch?v=vvFrFTIFDFA
★「ゲット・バック/ビートルズ」
http://www.youtube.com/watch?v=-6G7MkBMVxE&feature=related

ちなみにCM解説しますと、4人の元アイドルは薬丸(旧姓石川)秀美、河合その子、荻野目洋子、伊藤つかさ。薬丸と河合は専業主婦でこのCM限定での復帰だそうです。CMのキャッチは「よみがえれ、私。」。
「ずっと好きだった/斎藤和義」のCDは4月21日発売だそうです。コレ売れちゃうんじゃない?久々にオヤジがカラオケで歌えるJ-POPヒット曲誕生の予感です。

ipadとキンドルの“呉越同舟”は、「オープン・ソース」のなせる技

2010-04-05 | マーケティング
話題のipad関連の記事で気になるものを見つけましたので少々。

今朝の日経新聞の囲み記事で「アマゾン・アップル「ライバル」奇妙な共存」という見出しのモノがそれ。その記事によれば、電子書籍拡販でしのぎを削る両社、取り扱い電子書籍の数ではアマゾンの端末キンドルが45万冊に対してipadは6万冊と、アマゾン圧倒的優位の関係にあります。それでありながらアマゾンはipadでキンドルの書籍を読むためのソフトを無料配布しているとのこと。もちろんアップル側がソフトの搭載を認めていればこその事実なのですが、この協力関係は日本の常識ではちょっと不思議な感じがするかもしれません。

優位に立つアマゾンが積極的にこの動きに出ているのは当然、自社の書籍を端末がどこのものであれ多く読んでもらいたいとの狙いあればこその策。一方のアップルのipadは単なる読書端末ではなく、映画鑑賞やゲーム端末としての機能も併せ持っており、その多様性で勝るが故の端末販売促進が狙いであるという訳です。たまたま、同じ読書端末であっても売りたいものが違っていたから成立する話といってしまえばそれまでですが、日本企業同士の場合にこううまくいくのかと言えば、なかなか難しいのではないかと思ってしまいます。

このライバル“提携”を根底で可能にしているものは何かと言えば、アップルの「オープンソース化戦略」に他なりません。アップルは、ipod、iphoneにおいてもいち早くそのOSをオープンソース化し開かれたプラットフォームとすることで、誰もが自由にアプリケーションを作成できる環境を提供し「iphoneには欲しいアプリがそろっている」というCM通りの状況を作り出して大成功を納めているのです。この「オープンソース化戦略」は、昨年あちらでベストセラーになった「FREE」の世界でもあります。アマゾンがipad上でキンドルの書籍を読むためのソフトを開発できたのは、まさしくアップルの「オープン・ソース化戦略」あればこそでありますが、遠慮構わずアマゾン利用者の利便性優先でipadとの“相乗り”戦略を決断したアマゾンも、負けず劣らずなかなかデキた企業であると言っていいと思います。

それに比べて我が国のIT産業のケツの穴小さいこと小さいこと。そうです、先週取り上げた携帯電話キャリア各社が「既得権ビジネス」を守らんがために、「iモード」に代表される利用者の利便性を後回しにするような“クローズド・ソース戦略”には、心底ガッカリさせられます。欧米のことわざ「Sometimes the best gain is to lose. 」にあたるものが、日本にも「損して得取れ」という言い回しであるハズなのですが…。官僚文化の下ではそもそも「損」はその辞書にはないようで…。今ある権益を守ろう守ろうとするのは“島国根性”のようにも思われますが、携帯業界ばかりでなく我が国のビジネスそのものが“ガラパゴス化”しないか少々心配になってしまいます。

UCCコーヒーのキャンペーン告知“大炎上”にみる、恐るべきTwitterの威力

2010-02-09 | マーケティング
UCC上島珈琲が5日、コーヒーにちなんだエッセイや画像などの作品を募集する販促企画のPRを今話題のTwitter(ツイッター)を使った形でキャンペーンを実施し、一時“大炎上”するという「事件」が発生しました。UCCのTwitterキャンペーンは、ユーザーが投稿したキーワードに反応しBOTアカウントが自動でメッセージを返信するというもの。作成したBOTアカウントは11個。「コーヒー」「懸賞」「UCC」「小説」など約30のキーワードを各アカウントに振り分け、それぞれのキーワードに反応してメッセージを返信する仕組にしたと言います。

同日午前10時キャンペーン・スタートと同時にユーザーがつぶやいたキーワードに反応し、「コーヒーにまつわるエッセイとアートを募集中!エッセイで賞金200万円!アートで賞金100万円!締切間近!!」というメッセージを自動で送信。全11のアカウントからを送ったところ、Twitterユーザーがフォローしていないアカウントからプロモーション的なメッセージが送られてくる上アカウントが複数同時稼働したため、「UCCを偽装したアカウントによるスパムBOTではないか」と不審がる「つぶやき」が多数投稿され、ユーザーの間で一時大騒ぎになる展開になってしまったのです。

これに同社のネット関連統括部門が気が付き、開始から2時間弱であわてて全アカウントを停止という事態に陥ったのでした。このまま放っておけば大変な企業イメージダウンにもなりかねない事態であり、なんとも怖い話でした。この「事件」が起きた最大の原因は、UCCがTwitterに対する正しい理解をしないままPRメディアとして利用したことにあります。すなわち、Twitterというユーザーの「つぶやき」を聞きながらコミュニケートする至極人間的なソーシャル・メディアのツールをマスマーケティングの手法で利用したことに、大きな過ちがあった訳です。機械的なBOTを使ったのは、ソーシャル・メディアに対しプッシュ型のマスマーケティング手法で臨むというご法度に他ならないのです。

さらにUCCは、キーワード設定でも致命的なミスを犯しています。「コーヒー」「懸賞」「UCC」「小説」などの用語はあまりに一般的な言葉であり、これらの言葉をつぶやいた人(メッセージが送られた人)の大半がUCCコーヒーの事を思い浮かべていなかったということに加えて、その送られたメッセージが人肌の体温を感じさる「つぶやき」ではなく、完全なPR文言であったことがそれです。これで完全に、「スパムBOT?」と誤解を受けることになってしまったのです。次々現れる新しいメディアは新たなPRのチャンスでもあるものの、しっかり理解をしていないと今回のような思わぬ落とし穴が待っているという恐ろしい結果とも背中合わせであることを、この「事件」は教訓として教えてくれました。

そんなわけで、小職も大変興味津津なTwitterなのですが、現在はまだまだ勉強中です。昨年初めてTwitterのことを聞いた時に「これは使える!ビジネスにも活用出来る」とピン来てその勢いで早速Twitterデビューをしてみたのですが、なんか良く分からないフォローの動きに「これはちゃんと理解してやらないと危ない」と直感的に察知しTwitterデビューを一度取り下げました。その時の直感が囁いたモノがこうしてUCCの失敗利用として現実のモノとなった訳で、我ながら危機管理能力(というより野生の勘?)は大したものであると思った次第です(笑)。

この件ではUCCは当日午後にネット上で謝罪文を掲載しただけでなく、今日9日には謝罪会見まで開いています。ちょっとした利用ミスで、ここまで1企業を動かすというTwitterの力たるや恐ろしくも大したものです。やはり改めてバカにできない新たなメディアであると再認識させられた次第です。Twitter侮るべからず、ですね。昨年は“Twitter元年”でしたが、2年度目の今年、Twitterはどんな展開を見せビジネスユースの可能性を広げてくれるのか、当分目が離せない存在であることは間違いのないところです。

ユニクロに学ぶ“安心マーケティング”

2010-01-29 | マーケティング
昨日の続き的にいきます。

今日は「安心マーケティング」の「安心」はどうやって作るのかのお話です。その前に、「安売り」に「安心」が生まれないのはなぜかを考えてみます。昨日お話ししたように、「安売りのためのコスト削減の陰で、人員カットや賃金カットで泣いている人がいることを想像させられる」ことも理由のひとつではありますが、単なる「安売り」の“ウリ”は「価格」でしかないため「安売り」が前面に出すぎたビジネスは「価格」以外の“ウリ”が見えにくく、商品にそれ以上の「物語」が付加されずらくなることで、なんとも無機質な売られ方に終始してしまう嫌いがあるのです。そんな流れでは「安い」以外に消費者に訴える「物語」がなく、安いから買いはするものの景気悪さのイメージばかりが残ることで、「不安」心理を増長する結果になってしまうと思うのです。

この不況の時代に一人勝ちの「ユニクロ」はなぜ一人勝ちなのかと言えば、たびたび本ブログでも取り上げていますが、単なる「安売り」ではなくそこには「安い」と同時に、商品に「物語」を持たせることに成功しているからに他なりません。素材の良さであったり、開発へのこだわりであったり、「ユニクロ」の商品には個々の商品に対する“思い入れ”がしっかりした形で根付いてそれが「物語」すなわち「ストーリー性」を生むことで、他の安売り業者とは違う「安心感」を消費者に与え「買いたい」気持ちを醸成しているのではないかと思うのです。私が考える「安心マーケティング」成功のポイントは、商品や売り方に関する「ストーリー性」を持たせることにこそあるのです。

では具体的はどう進めるのかですが、不況の中にもトレンドは必ず存在するわけで、そのトレンドを読み解きながら自社の商品やサービスにいかにそのトレンドにあったストーリー性を付加させて提供していくか、という流れになるのではないでしょうか。例えば、不況下のキーワードのひとつに“巣ごもり”という言葉があります。“巣ごもり”とは、景気が悪いから遠出をしない、外食をしない、という流れを指していますが、これはすなわち家庭回帰であり家で過ごす時間が長くなることに他ならないのです。だとすれば、家にいる時間をより楽しく演出し楽しい家庭生活を想像させるような商品の開発やサービスの提供、あるいは楽しさや明るさをイメージさせるストーリー性ある売り方を演出することが、まさしく「安心感」を感じさせお金を出して「安心」を買おうとするのではないでしょうか。

「ユニクロ型の安売りは景気にとって悪である」とか「安売りでデフレを助長する低価格品の輸入は制限すべき」等の論調が、流通業者や一部メディアで盛り上がりを見せつつあるようですが、はっきり申し上げてそれは誤った判断であると思います。少なくとも「ユニクロ」は単なる価格破壊ビジネスではありませんし、価格に対して価格でしか対抗手段を考えつかない“負け組マーケティング音痴”の結論に過ぎないのです。流通業者をはじめ低価格競争に巻き込まれて頭を痛めているビジネス・パーソンは、今こそストーリー性を演出することで「価格」から脱却した“ウリ”をつくって「安心」を売る工夫をするべき時なのです。個人的には、この流れで低価格競争に終止符が打たれることこそが、景気回復のカギを握っていると思うのです。まずは各経営者が、「ユニクロ型ビジネス」が単なる安売りではないという正しい評価ができるかどうかがカギではありますが…。

デフレ・スパイラルの出口となれ!“安心マーケティング”

2010-01-28 | マーケティング
景気浮揚にからむマーケティングの話をしてみます。

一昨日でしたでしょうか、日本経団連と連合が2010年の春季労使交渉をめぐるトップ会談を都内で開き、労使間の協議が事実上始まったとの報道がありました。不況下の今年、最大の焦点は年齢や勤務年数に応じて自動的に賃金が上がる「定期昇給」(定昇)の扱いのようです。経団連の御手洗冨士夫会長は会談の冒頭で、一部企業が定昇の凍結・延期に踏み込む可能性があることを示唆し組合側をけん制すると、連合の古賀伸明会長は定昇は譲れない一線だと強調するなど、まさに主張が真っ向から衝突をみせる展開となっています。この不況下、どちらの言い分にもそれなりの説得材料はあるようには思います。従業員サイドは「生活最優先」、一方の企業は「企業の存続が大前提」となる訳で、冷静に考えれば「企業の存続」の方が強いのは否めないところです。「生活」を守る大前提の会社がつぶれてしまっては、どうにもならない訳ですから…。

何をおいてもこのような労使間に不協和音が聞こえる最大の理由は、長引く不況に他ならない訳です。ちなみに定期昇給が労使交渉のテーマになるのは6年ぶりのことだそうで、ベアどころではないただならぬ状況下に依然あることは間違いありません。となるとやはり考えなくてはいけない事は、どうしたら景気がよくなるかです。モノの価格が下がるデフレ状況は、どうも高度成長の長期インフレ時代に育った我々世代には、どこか喜ばしい感じもしなくはないのですが、喜んでばかりもいられません。なぜなら、モノの価格を下げるための最大の手段は企業の人件費の削減にある訳で、とりもなおさずデフレ傾向が強くなれば強くなるほど、国民の雇用と賃金は危うくなっていくハズですから。

それではなぜデフレになるかですが、「企業の収益が悪化する」→「給与が減る」→「より安いモノを求める」→「企業がより安いモノを提供する」→「企業の収益が悪化する」→…という循環による訳です。いわゆる「デフレ・スパイラル」ですね。では、これを止めるのにどうすればいいのかですが…。ここでもまた「企業の存続」は「生活安定」の大前提になる訳で、企業はその存続のために価格競争からなかなか逃げられないが優先します。となると、デフレを止めるのは「より安いモノを求める」を止めることに求めざるを得ません。そうは言っても景気が悪い中、なるべく財布から出ていくモノを抑えたいのは当たり前の心理であって、「みんなで景気浮揚のために安いモノを買うのを止めよう」と言ったところで、土台無理なお話。ではどうすればいいのでしょう。

「なぜ景気が悪いと安いモノを求めるのか」ですが、これは言い換えると「なぜ景気が悪いと財布から出るモノを少なくしたいのか」です。「入りが減るから」は当然あるものの、「財布から出るモノを減らしたい」大きな理由は、「不安だから」に違いないと思います。「多くの出費をすること」は「不安」です。逆に景気が良くなると人がお金をたくさん使うようになるのは、「不安」が少なくなるからに違いないのです。つまり、景気の浮き沈みが与えている最大の心理効果は「不安」と「安心」の入れ替え効果なのだと言えると思います。

さて私が何を言いたいかですが、不況下マーケティングのキーワードは実は「安心」ではないかということなのです。景気の良い時に皆があまり真剣に取り合わなかった「エコ」も、ハイブリッド・カーやエコ・ポイントに先導されて大きく浸透している理由には、実は「エコ」が持っている「安心」のイメージにもあると思うのです。他のブーム商品にもその傾向はみられます。昨年のヒット商品番付上位に出ていた「LED」も「フリー」も、やっぱり「安心」のくくりでいけるように思います。昨年末に流行のトレンド・キーワードを「軽くて明るい」だと言っていた私ですが、ここにきてそれはもっと明確な一言「安心」であると考えるに至りました。

「安心」を売るビジネスはこの不況下でもきっとうまくいくと思います。なぜならば世間の誰もが、この長引く不況下の「不安」な状態から、お金を出してでも早く「安心」に転換したいと潜在的に思っているはずですから。この積み重ねが世の中に溢れるなら、景気は少しずつ上向いてくると思うのです。企業の皆さん、価格を下げることばかりを考えるのではなくぜひ「安心」を売る工夫をしてください。安いモノが巷にあふれるのは、その陰で何人の人たちが泣いているのかと思うとかえって「不安」を掻き立てます。多くの企業が「安心」を売ることでそれがビジネスの起爆剤となり、また同時に景気浮揚の切り札となることを期待して止みません。弊社も「安心」を売るよう努力いたします。

どうでもいいことですが…。「賞」の威厳マーケティングとは?

2009-12-17 | マーケティング
今年、最も輝いた男性に贈られる「GQ Men of the Year 2009」に楽天イーグルスの岩隈久志投手、日本マクドナルドの原田泳幸社長、落語家の笑福亭鶴瓶さん、脚本家の三谷幸喜さん、歌手・俳優の櫻井翔さんが選ばれたそうです。この手の選出、お遊びですから目くじらを立てるほどの問題ではないのだとは思いつつも、明らかに同じジャンルで「もっと輝いた人がいるのに…」という受賞者選出はいかがなものかと思わされてしまいます。具体的に申し上げるまでもなくお察しかとは思いますが、一応指摘しておきます。

春のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での活躍が評価され、野球界を代表して選ばれたと思しき岩隈投手。しかし、あの時の過熱報道の主役は“日本中の熱い期待に応えた”イチロー選手だった訳で、日本の誰もが最後の最後で魅せたイチローの“プロ魂”にクギ付けだったハズです。あの場面で打順が回ってくる“引きの強さ”からして、“輝いていた”以外の何モノでもありません。もちろんWBCのMVP選びであるなら、岩隈という選択肢はあってしかるべきですが、あの時“最も輝いた男性”ってやっぱりイチローじゃないのかな、と思いますがいかがでしょう。仮に「イチローには辞退されたんだよ」ということなら、イチローに対して明らかに“輝き”で見劣りする岩隈くんを選ぶのは、むしろ失礼にあたると思います。ならば、選手と言う同じ土俵で選ばずに指導者と言う立場で原監督(WBC優勝+レギュラー・シーズン日本一)を選ぶとか、いっそのこと野球はやめてゴルフ界に目を向け最年少三大クラシック挑戦や最年少賞金王獲得で世間を沸かせに沸かせた石川遼くんを選ぶとか、いろいろ選択肢はあったと思います。

実はこの話、マーケティング的な観点での重要なことなので申し上げているのですが、このような世間から賛同が得られにくい受賞者選出は、賞の威厳を保つ意味から大きなマイナス要素であるのです。いわゆる“威厳イメージ”の問題です。レベル感は全く異なりますが、ノーベル平和賞のオバマ大統領受賞とも共通する部分です。組織においても、例えば「社長賞」に確固たる威厳を持たせようとするなら、ふさわしい者が見当たらない時や万人の納得性が得られにくい候補者の時には、選出を見送る等も励みとしての「賞」の効果を持続させる意味では重要なポイントなのです。

話を戻して「GQ Men of the Year 2009」。芸能界のお話はよく分からないので触れずに置いておきますが、実業界からの選出の日本マクドナルドの原田泳幸社長も「うーん?」ですね。もちろん、「プレミアム・ロースト・コーヒー」の大ヒットによる業績急回復の手腕は認めるところではありますが、今年の誰もが認める“最も輝いていた経営者”は、やっぱり「ファースト・リテイリング=ユニクロ」の柳井正社長をおいて他にないと思いますが、いかがでしょう。昨年来の大不況下において“一人勝ち”と言われ続けたリーダーです。もちろん景気状況の後押しもありましたが、「990円ジーンズ」の開発など追い風状況に甘んじない攻めの経営姿勢は、まさしく“最も輝いていた男”として異論のないところではないのでしょうか。少なくとも、「プレミアム・ロースト」よりも「990円ジーンズ」の方が、消費経済に与えたインパクトの大きさから考えても数段上回っていたと思いますが…。

他にも、ジャンルは正確には違いますが“モノ書き”というくくりで考えれば、三谷幸喜なら明らかに「IQ84」の村上春樹だろうとか、いろいろ異論はあるところです。要は、基本的に「今年の№1」という基準で選出する年末の賞であるなら、今年各ジャンルで誰もが認める最も大きなインパクト与えた人物を置いて、他を選ぶのはマズイということなのです。ノーベル賞の場合は、「オバマじゃなくて本当にふさわしいのは○○だろう」という万人が認める○○が見当たらないので「仕方ない」という終息方向もありえますが、「岩隈よりはイチローだろう」「マックよりはユニクロだろう」という明らに№1が別に存在する選出は、問題が大きいと思うのです。本賞の主催者ならびに同様の年間賞を主催している企業・団体は、「賞の威厳向上→主催企業・商品等のイメージアップ」というマーケティング戦略の観点から、慎重な選出対応が肝要であると思います。たかだか“お遊”びの年間賞選びと言えども舐めてはいかんのです。

三谷幸喜氏は受賞の感想を求められ、「この賞とノーベル賞は昔からの夢だったのでノーベル賞以上にうれしい。目標はオバマ大統領。今後も手を取り合って世界を引っ張っていきたい」と言ったとか。マーケティングを知りつくした彼一流の“皮肉”?だとしたら最高に冴えてます。