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日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

70年代懐かし洋楽曲13~15

2011-09-11 | 洋楽
中学時代に大好きだったグラムロック“BIG3”の74年頃の隠れた名曲を。

★「ザ・グルーバー/Tレックス」
YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=iiOnPw73vkc&feature=fvwrel

出ました我らがマーク・ボラン率いるTレックス。「20世紀少年」でおなじみ「20センチュリーボーイ」の次のシングルがこれ。ここいらからだんだん勢いがなくなってきたんだよね。でもこれは良い曲でした。大好き。2番の途中から同じフレーズの繰り返しになるのがイマイチなんだけど、イントロの「T・R・E・X」なんて自分たちの名前言っちゃうあたり、かなりナルってます。シングル盤のジャケが3つ折りで、解説にはそれまでのヒット曲の日本でのチャート(文化放送の「オールジャパンPOP20」=DJみのもんた)最高位時の1~20位がすべて掲載されいて、情報が少ない時代に長い間宝物状態でした。まずはこのチャートに出ている曲をすべて聞こうと頑張っていたのを思い出します。肝心のTレックスは、この後半年ぐらいブランクがあってシングル「トラック・オン」をリリース。急速に人気が下降線をたどったのでした。マークもミッキーも前メンバーのスティーヴも「今は亡き」と言う訳で、再結成はあり得ません。


★「スクィーズ・ミー・プリーズ・ミー/スレイド」
YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=w64KIEsy8xU&feature=related

スレイドの代表曲「カモン!」の次に出されたのがこの曲。曲調とかほとんど前曲の路線なのに売れなかった。悪くないんですよ全然。このバンドの良さは、シングル曲はどれもメロディラインがかなりしっかりしていて、かつサビが合唱出来ちゃうっていうあたり。この曲が出たあと実現した唯一の日本公演も、終始大合唱だったと記憶しています。懐かし~。ボーカルのノディ・ホルダーは、丸いミラーを一杯貼りつけたシルクハットで登場(このハット、後にかまやつひろし氏がマネてました)、まぶしかった。おかっぱ頭でフライングVを弾くディヴ・ヒルは、その愛くるしい動きを見れただけで感動でした。この来日時あたりが彼らのピークだったような。この後日本ではほとんど売れませんでしたから。最近はスレイドⅡなるバンド名で活躍しているそうですが、オリジナルメンバーは曲作りにかかわっていなかった2人とか。なんとかオリジナル4人で元気なうちに再結成して欲しいです。もう一回見たいな、あの楽しいライブ。


★「ヘル・レイザー/スイート」
YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=U1j-neXQQeE&feature=related

お次はスウィート。なぜかこの当時の日本語表記はスイートです。大ヒットナンバー「ブロック・バスター」の次のシングル故、どうもこの曲も前曲の陰に隠れがちで現在ではあまり語られることがないようです。グラムというよりもかなりハードロック寄りな肌触りが好きでした。この曲もそうですが、基本的にチン&チャップマンの楽曲を歌わされたアイドル路線だったのですが、この後オリジナル路線に転換して自立し「フォックス・オン・ザ・ラン」とか「アクション」等のヒットを飛ばします。その意味では、グラムブーム後も活躍した数少ないバンドと言えます。確かグラム後に日本にも来ていたと思います。見なかったですけど、ステージはどうだったのでしょう。その後、離合集散を繰り返しながら今もやっているメンバーがいるようですが、ボーカルとドラムが亡くなってしまったようで、オリジナルメンバーでのライブは聞けません。グラムロック・ファンとしては見ておけばよかったかなと、少々後悔です。


ちなみにデビッド・ボウイは、個人的にはグラムに分類しておりませんので今回登場しません。悪しからず。

私の名盤コレクション11 ~ Ernie Graham/Ernie Graham

2011-09-03 | 洋楽
★Ernie Graham/Ernie Graham

1. Sebastian
2. So Lonely
3. Sea Fever
4. The Girl That Turned The Lever
5. For A Little While
6. Blues To Snowy
7. Dont Want Me Round You
8. Belfast

「知る人ぞ知る名盤」とか、「隠れた名盤」とかの形容詞よく耳にしますよね。長年にわたってたびたび音楽雑誌やその筋の方々にそんな形容詞で語られ続け、21世紀になってようやく聞くことがかなったアルバムがこれです。アナログ時代には渋谷や新宿あたりのマンションの一室にあった中古盤店を何軒も血眼になって探したもののなかなか巡り合えず、ようやく見つけた時には自分の予算とはひとケタ違う高値のプライスに涙をのんであきらめたことも。2002年に突然自主製作的に紙ジャケ化され(紙ジャケの出来は褒められたものではありません)、確か200枚とか300枚とかの限定リリースのニュースを聞きつけ、あわててネット通販を申し込みようやく手にしたというシロモノです。

アーティストの名はアニー・グレアム。日本語表記ではグラハム?アイルランド出身のシンガー=ソングライター。彼名義のアルバムはこの一枚のみ。購入時点で予備知識はなかったものの、長年切望しようやく聞けた“名盤”は期待にたがわぬ素晴らしいものでした。正確に言えば音や旋律や歌声が私の趣味にあったということなのかもしれません。一言で言うなら“癒し系のディラン”という感じ(自分で言ってみてなんですが、“癒し系のディラン”って「冷たいカレー」みたいなもので、なんかあまり良さそうに思えませんが・・・)。とにかく、ホッとする何かがここにはあります。

アイルランド出身と言えば、ヴァン・モリスン、U2、ホット・ハウス・フラワーズ、ギルバート・オサリバン等々、彼らは寒い冬をじっと耐え越してきたどこか陰のある歌や演奏がウリでもあります。しかしながら、アニーの歌はどちらかと言えばメインは「春」のイメージ。陽だまりのような暖かな印象がそこここから感じられます。“陽だまりミュージック”としてはメジャーキーの曲1、2、4、5、7。1. 「Sebastian」や2.「So Lonely 」は本当に素敵です。1のアコースティクな感じの弾き語りは、まさに“癒し系のディラン”。2の安っぽいエレキ・ギターなんかはもう最高にヘタウマで、思わずニヤけちゃいます。このあたり繰り返し聞いてみると、どこかで聞いたことがあるような、ないような。吉田拓郎のアルバム「伽草子」の雰囲気に似ている。そうか、“癒し系のディラン”は日本では拓郎であったのかと、妙に納得です。

4.「The Girl That Turned The Lever 」7.「Dont Want Me Round You」あたりは、ザ・バンドの趣き(7のキーボードは「おっ、松任谷正隆?」って感じですが)。 最後は自身の故郷を歌った8.「Belfast 」。ここには“陽だまりミュージック”はなく、アイルランドの背負った宿命を歌った実にアイルランド人らしい歌で幕を閉じます。このアルバムがリリースされたのが71年。残念ながら注目されることなく、次のアルバムが企画されることもありませんでした。78年に突如シングル盤を出しますが、パンクの風が吹き荒れ始めていた時代背景が悪くまたもや不発。これで彼は音楽の道をあきらめ、オリエント急行の車掌になったそうです。しかしアルバムは時を経て「知る人ぞ知る名盤」として語り継がれ、CDでの再発売が熱望されていた矢先の2001年、彼は病に倒れ音楽界に復活することなく55歳の若さでこの世を去ったそうです。そしてこのアルバムは伝説になったのです。

私の名盤コレクション10 ~ Italian Graffiti/Nick Decaro

2011-08-28 | 洋楽
★Italian Graffiti/Nick Decaro

1 UNDER THE JAMAICAN MOON
2 HAPPIER THAN THE MORNING SUN
3 TEA FOR TWO
4 ALL I WANT
5 WAILING WALL
6 ANGIE GIRL
7 GETTING MIGHTY CROWDED
8 WHILE THE CITY SLEEPS
9 CANNED MUSIC
10 TAPESTRY

またまた最近の再紙ジャケ化が嬉しい、マニアックな1枚を。ニック・デカロ。プロデューサー、アレンジャー、シンガー、ソングライター…、様々な顔を持つ才人です。このアルバムは、74年にリリースされた彼のセカンド・ソロ作。プロデューサー兼アレンジャー的センスでの当時の彼の発想、「カーペンターズのようなポップ・ミュージックにジャズやソウルのエッセンスを加えて、大人の音楽の味わいを表現したい」とは、まさしく新感覚。本作が後のAORの原点と言われる所以はまさしく、彼のこのコンセプトにあるのです。しかもプロデューサーは旧友トミー・リピューマ。あのマイケル・フランクスやジョージ・ベンソン、スタッフらをこの2~3年後に次々と世に送り出し、AORの誕生を支えた重要人物です。

コンセプト通り、全曲珠玉のカバーナンバーをクルセイダースのウェルトン・フェルダー、デビットTウォーカー、ハービー・メイソン等々ジャズ界の一流どころをメインに据え、見事な大人の世界を作り出しています。選曲がまた渋い。当時はまだ無名だったステーヴン・ビショップが書いたボサノバ・ナンバー1「UNDER THE JAMAICAN MOON」は、とにかくおしゃれ。スティービー・ワンダー作の2曲2「HAPPIER THAN THE MORNING SUN」6「ANGIE GIRL」あたりは、まさに初期AORの手触り感一杯で、明らかに2~3年後のジョージ・ベンソンやマイケル・フランクスに直結、という印象がバッチリ感じられるのです。特に後者のサックス・ソロなんぞは、74年ではありえない大人感です。

ジョニ・ミッチェルの名作「ブルー」収録の4「ALL I WANT」、トッド・ラングレンのデビュー作「ラント」からの5「WAILING WALL」、ランディ・ニューマンの8「WHILE THE CITY SLEEPS」あたりは、音楽界でも突出した超個性派3人の楽曲を見事な“大人アレンジ”で再演。ニックの個性で原曲イメージを塗り変えるカバーではなく、旧友でプロデューサーのトミー・リピューマとの共同作業の下、楽曲のオリジナリティを活かしながら縁取りを変える、当時はまだ誰も踏み入れたことのない新しい世界への確実な第一歩がここには記されているのです。一言付け加えておけば、あえてブラック系や個性派アーティストの曲ばかりを選んだことが、実はこの後のAORの成立にも大きくかかわってもくるのです。

ただ74年当時ではあまりにも早すぎた感は否めず、リリース当時にはこの作品が大きな話題になることはありませんでした。もちろん私も当時の日本ではリアルタイムでこのアルバムを聞くことはなく、知ったのは20年も後の事ではありましたが、「74年にこんなアルバムがあったのか」と本当に驚かされたものです。確かに、その後のAOR全盛時代の作品群に比べると、ニックのヘタウマ・ボーカルのせいもあってか、洗練されきれていないイナタさもあるのですが、それがまた今聞くと適度に“いい味”感を漂わせてもいるのです。このアルバムの後は、ニックは主にプロデューサーやアレンジャーとして活躍し、90年代には阿川泰子や山下達郎などとも仕事していましたが、残念ながら92年に持病の心臓発作で53歳で亡くなっています。AORの誕生を語る上では絶対に欠かすことのできない名盤です。

★J-CAST~大関暁夫連載「営業は難しい~ココを直せばうまくいく!」更新しました。
http://www.j-cast.com/kaisha/2011/08/29105546.html
インデックス
http://www.j-cast.com/kaisha/column/kokonao/index.php

私の名盤コレクション9 ~ The Eyes Of An Only Child/Tom Jans

2011-08-21 | 洋楽
★The Eyes Of An Only Child/Tom Jans

1 Gotta Move
2 Once Before I Die
3 Where Did All My Good Friends Go?
4 Inside of You
5 Struggle in Darkness
6 Out of Hand
7 Lonesome Way Back When
8 Lonely Brother
9 Directions and Connections
10 The Eyes of an Only Child

アメリカのシンガーソングライター、トム・ヤンス75年のセカンドアルバム。雑誌のリトル・フィート特集などでエグゼクティブ・プロデューサーがフィートの故ローウェル・ジョージであると知って、以前から聞きたいと思っていた1枚です。紙ジャケで再発されてようやく聞くことができました。と言う訳でリアルタイムでは全く聞いていなかった作品ですが、とにかく1回聞いただけでゾッコン惚れこんでしまい、即「私の名盤」入りです。

メンバーがスゴイ(あくまで個人的価値観ですが)!まずリトルフィートから、上記ローウェルと私が最大級に賞賛するピアノのビル・ペイン、さらにパーカッションのサム・クレイトン、再結成フィートでギターを弾くフレッド・タケット、孤高のスワンプ・ギタリスト、ジェシ・エド・ディヴィス、ジャクソン・ブラウンの片腕であるスライドの名手デヴィッド・リンドレー、さらにベースにチャック・レイニー、ドラム陣にはジム・ケルトナーにジャズ畑からハービー・メイスン、さらに当時新進気鋭のセッションドラマーであった故ジェフ・ポーカロ(彼だけは南部臭が薄い分、やや浮いて感じます)…、とにかく一般的にスゴイと言えるか否か分かりませんが、私には確実に物凄いメンツが集まったアルバムです。ちなみにローウェルはミュージシャンとしては、控えめにアコーステック・ギターのみで参加しています。

音楽的ルーツは、ところどころにR&Bの影響は感じられるものの、スワンプと言うよりはカントリー。聞くところによればファースト・アルバムは、カントリーをベースにしたかなりフォーキーなノリとか。対してこのセカンドは、もろカントリーではなく先の一流のミュージシャンで上下左右をがっちり固めて“フィート的”を基本とした、本当に素晴らしい作品に仕上がっています。1「旅に出よう」はタイトルナンバーの10「子供の目」と対をなすローウェルと共作のハイウェイ・ソング。佳曲揃いの10曲中でも白眉の1曲です。「子供の目」とともに、シンガーソングライター、トム・ヤンス面目躍如のメロディーと風景が浮かんでくるような表現が見事な旅路へ誘う歌です。このあたりは、同時期にローウェルが共作した、ジョンBセバスチャンの「タザナ・キッド」の中の名曲「フェイス・オブ・アパラチア」とも共通する世界ですね。

2「死ぬ前に」4「きみの中にいるとき」6「手にあつまって」あたりはメロディは完璧なカントリーでありながら、ベタなカントリーに流れないアレンジが実に冴えています。8「孤独な兄弟」はAOR的名曲。3「死ぬ前に」5「暗闇での苦しみ」9「間違った方向」あたりはイメージ的には「ラスト・レコード・アルバム」あたりのフィートの演奏に近く、共に演奏面で聞きどころ満載。特にビル・ペインのピアノ、キーボード類とスライド・ギターのデヴィッド・リンドレーのスゴイこと。ビル・ペインのキーボード・アレンジはこの先フィートで爆発し、解散の一因ともなった前衛的な匂いも漂わせています。ローウェルが敢えて自分でスライドを弾かずにやや手癖の違うデヴィッドに任せた意図は何だったのでしょうか。人の手を借りた強烈な自己主張に何か深い含みを感じさせられもしますが、本人亡き今では知る由もありません。ちなみに当のトム・ヤンスも84年、35歳の若さでローウェルの後を追うようにドラッグのオーバードースでこの世を去っています。

ローウェルのソロ作よりもよほどフィートっぽい、フィート・ファン必聴の名盤です。

70年代懐かし洋楽曲10~12

2011-08-14 | 洋楽
今回は女性シンガーを懐かしんでみます。

10「アンジー・ベイビー/ヘレン・レディ」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=UQKyGt_I5L4


この人、70年代前半から半ばにかけて全米ではヒットを連発。ラジオ関東の「全米TOP40」ではけっこう常連でした。代表曲は「デルタの夜明け」「私は女」…、個人的には「歌のある限り」で引き寄せられたかな。この曲は74年のアルバム「フリー&イージー」からの第1弾シングルで、見事全米�1に輝いています。日本でもチョイ売れしたと記憶しています。作者は自身も「アンダー・カバー・エンジェル」の大ヒットを持つAORの旗手アラン・オディです。そのせいでしょうか、以前に比べてサウンドもAOR風味の効いた都会派になってかなりおしゃれになりました。アルバム的には本曲と争う白眉レオン・ラッセルの「ブールバード」収録の次作「さめた心」がベストと思いますが…。ちなみにジャケットの“金太郎スタイル”は、当時ワースト・ドレッサーに選ばれたという“お墨付き”のセンスの悪さです。


11「辛い別れ/アン・マレー」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=mhZQaRdR5WA&feature=related


カナダの女性シンガー。「スノー・バード」がデビューヒットで、その後もケニー・ロギンスの「ダニーの歌」とか「ラブ・ソング」とか、どちらかと言うとカントリー系の曲で名を馳せていた方です。その辺までが70年代前半のお話で、その後しばらく鳴かず飛ばずの時期があって、78年に突如この曲で大人の女性シンガー的風情で見事カムバック!全米№1という彼女最大のヒットを記録しました。自身もアルバムをリリースしているAOR系コンポーザーのランディ・グッドラムの作になるこの曲、私は受験時代に文化放送の「100万人の英会話」なる番組の「今月の歌」で聞いてしびれました。本当に名曲です。彼女はその後余勢を駆っての“大人路線”で2~3曲のヒットを出しますが、徐々に尻すぼみ状態に…。ここまでいい曲を出してしまうと後がキツイですよね。ちなみに作者ランディ・グッドラムの幻のアルバム「フールズ・パラダイス」が、近々紙ジャケで出るそうです。隠れた名盤ですのでこちらも注目です。


12「ハイヤー・アンド・ハイヤー/リタ・クーリッジ」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=-DJXeglQgkc


70年代初頭にはスワンプ軍団の紅一点“デルタ・レディ”として、レオン・ラッセルらと行動を共にしていたリタ・クーリッジが、これまた77年にいきなりAOR的なイメージ・チェンジで大ヒットを飛ばしたのがこの曲でした。確か全米2位まで上った彼女最大のヒットであると記憶してます。日本では「みんなひとりぼっち」(ボズ・スキャッグスの超有名曲)とか「あなたしか見えない」とかの方が有名なのかもしれませんが、彼女の昔を知る人からすれば断然こっちの方がらしい訳です。レオンはじめスワンプ&アメリカンロックの錚々たる男どもと浮名を流した時代から、クリス・クリストファースンとの結婚期を経てたどりついた新境地だったのかもしれません。ちなみに現在のご主人は、音楽とは無関係の日本人だそうです。最近はジャズっぽいこともやっていて、これはこれでなかなかです。