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日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

70年代懐かし洋楽曲7~9

2011-07-24 | 洋楽
今回は、私のブラコン初体験時期のお気に入り3曲を紹介します。

7.「夜汽車よ!ジョージアへ…/グラディス・ナイト&ザ・ピップス」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=C4Vfxq7Hs_I&feature=related

中坊の私がラジオで聞いて「うーん、名曲だぁ」と染み入ってしまったのがこの曲。楽曲のよさもさることながら、はじめはゆるゆるスタートしながら徐々に盛り上げて、しまいにはぐいぐい引き込んでしまうグラディス・ナイトのボーカルの素晴らしさにノックアウト状態でした。人生で初めて買ったブラコンのシングル盤です。雑誌で写真を見て驚いたのは、てっきり太っちょのオバさんだとばかり思っていたのが、小柄なグラディスの風貌。こんな体のどこからこんなにソウルフルでパンチの効いた歌唱が出てくるのか、本当に不思議でなりませんでした。今だに彼女の代表曲として、またほかのシンガーにも歌い継がれる名曲として燦然と光り輝いています。中坊時代の私の眼力もたいしたものです。それと、邦題も素晴らしいですね。「!」と「…」の使い方は、その後パクらせていただいてます。


8.「ロッキンロール・ベイビー/スタイリスティックス」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=0vrVGzDmIm4

一転してこちらはノリの良いソウルナンバーというより、タイトルのとおりロックンロールのソウル版?曲調は確かに3コードのロックンロールですが、ファルセット・ボーカルが確実にブラコンを感じさせる実に不思議なナンバーです。同名タイトルのアルバムからのファースト・シングルでした。当時はスタイリスティックスは日本の一般ピープルレベルではまだまだ無名状態。この後、同アルバムからの第二弾シングル「誓い」が大ヒットして日本でも一躍人気ソウル・ボーカル・グループにのし上がるわけです。「誓い」後はご存知のとおり、ラッセル・トンプキンスJRのファルセット・ボーカルを前面に押し立てたバラード一辺倒の展開に。彼らのバラード路線、どれも代わり映えしない暑苦しい感じが個人的には興味がわきません。たまにはこの手のノリのいい楽しいやつとバランス良くやったらいいと思うのですが…。ちなみに当時、ラッセルのボーカルは絶対に女性だと思っていました。


9.「1000億光年の彼方/スティーヴィー・ワンダー」
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=yIE6unjkXmc&feature=fvsr

おなじみスティーヴィー・ワンダーです。スティーヴィーはこの当時すでに日本で人気アーティストで、「迷信」「サンシャイン」が特に大ヒットしました。その後は「ハイヤー・グラウンド」とか「悪夢」とか「迷信」パターンの曲が主流だったのですが、アルバム「ファースト・フィナーレ」からの「悪夢」に続く第二弾シングルがこの曲でした。忘れもしない試験勉強中の深夜、FMから流れてきたのこのバラードの旋律の美しさとスティヴィーのボーカルの素晴らしさに本当に感動して聞き入ってしまいました。先のグラディス・ナイトもマイケル・ジャクソンもそしてこのスティーヴィーもそうですが、いかにもブラコンチックなリズミカルなナンバーもちろんいいのですが、黒人の極めつけはやはりバラードですね。アメリカでは「レゲ・ウーマン」(レゲエじゃなくて“レゲ”って言うのが時代を感じさせます)がA面でしたが、日本のみこちらがA面。バラード好きな国民性を読んだ、当時のレコード会社のファインプレーだと思います。

私の名盤コレクション8 ~ All American Boy/Rick Derringer

2011-07-18 | 洋楽
★All American Boy/Rick Derringer

1.Rock and Roll, Hoochie Koo
2.Joy Ride
3.Teenage Queen
4.Cheap Tequila
5.Uncomplicated
6.Hold
7.The Airport Giveth (The Airport Taketh Away)
8.Teenage Love Affair
9.It's Raining
10.Time Warp
11.Slide on over Slinky
12.Jump, Jump, Jump

“100万ドルのギタリスト”ジョニー・ウインターが70歳を超えて遂に初来日が実現し、4月の震災後間もない東京でライブを決行しました。ウインター・ファミリーのプロデューサー兼プレイヤーとして、70年代に活躍したのがリック・デリンジャー。ジョニーの弟エドガーとも長く行動を共にし、ソロとしてもコンスタントに活動を続けるマルチなアーティストでもあります。その彼の73年の初リーダーアルバムが「All American Boy」です。

もともと彼は60年代に、「ハング・オン・スルーピー」のヒットで有名なマッコイズというポップグループの中心メンバーとして活躍。60年代末~70年代初頭にまずエドガーとの共演&プロデュースを手掛け、その後兄のジョニーのプロデューサー兼ギタリストとして活躍します。マッコイズのメンバーをジョニーと合体させたバンド、ジョニー・ウインター・アンドでは、彼の代表曲となる最高にキャッチーな「Rock and Roll, Hoochie Koo」などの楽曲を提供しその才能の片鱗を見せました。その曲を1曲目にフィーチャーし、満を持して制作された初リーダアルバムがこの作品なのです。

一言で言って彼の最大の特徴はマッコイズ時代から脈々と続く天性のポップ感覚であり、その点を活かしプロデューサーとしても活躍します。特にジョニーやエドガーのアルバムでは、ほっておくと重たく堅い方向に向きがちなウインター兄弟の音をポップ感覚豊かな作品に仕上げています。この「All American Boy」はそんな彼の魅力が満載で、ハードロック、R&Bからスワンプに至るまで、その幅広い音楽性を披露しつつそこを貫くポップな感性を十二分に味わう事ができるのです。

彼はプレイヤーとしてはマルチであり、このアルバムでもドラム以外ほとんど自身の演奏によるものです。マルチ・プレイヤー兼プロデューサーと言うと、トッド・ラングレンあたりが思い浮かびますが、そうやって考えてみると6.「Hold」あたりではどことなくトッドを彷彿とさせるメロディーラインとアレンジである点も面白いです。歌モノロックよし!インストよし!バラードよし!で間違いなく彼の最高傑作です。

おまけでこの作品とセットで聞きたい同じ路線の、この時期出されたジョニーとエドガーのリック・プロデュース作を。
★「Saints&Sinners / Jonny Winter」

「All American Boy」で自信を深めたリックがジョニーをポップにプロデュースした74年の作品。したがっていつもの重たいブルーズロックをベースにした暑苦しいジョニーではなくカバーモノも軽めで、ある意味軽やかで最も耳馴染みの良いジョニー作品ではないでしょうか。ジョニー・ファンには評判のよろしくないアルバムですが、心地よく聞けるアメリカンロック・アルバムです。

★「Shock Treatmet/The Edgar Winter Grup」

同じく74年、弟エドガーのバンドのギタリスト兼プロデューサーとして制作したアルバム。上記2作路線の集大成とも言えます。ここではもう一人、後にソロとしてもチャートをにぎわすダン・ハートマンがベース&ボーカルで参加しており、エドガー、リック、ダンの三人が織りなす個性の融合がハード&ポップ・ロックの名作を作り上げました。エドガーの最高傑作であると同時に、リックのプロデュース作の最高峰でもあります。70年代洋楽ファン必聴の1枚。

※三作ともジャケット写真に風が吹いているのは、同じコンセプトを意識した結果でしょうか?

70年代懐かし洋楽曲4~6

2011-07-16 | 洋楽
4.ゲット・ダウン/ギルバート・オサリバン
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=bECOCwMliCE


これもけっこう洋楽デビュー後早い段階で買ったシングルでした。深夜放送でさかんにオンエアされていました。「アローン・アゲイン」で有名なオサリバン氏、この曲はかなりロックっぽくて好きでした。この手の曲が少ない彼ですから、今でもライブのアンコール定番曲です(また秋にビルボードに来るようです)。アメリカではこの辺までしか売れなかったのですが、日本ではこの後、スティーヴィー・ワンダー風の「ウー・ベイビー」、モロにオサリバン節に戻った「ホワイ・オー・ホワイ」「ハピネス」とヒットを連発していました。原田真二クンがデビューした時に、「あっ、オサリバンだ!」って思いました。歌い方もよく似ています。


5.フリー・エレクトリック・バンド/アルバート・ハモンド
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=Lep0Fzq6omM


シンガー=ソングライターでもう一人、アルバート・ハモンド。「カリフォルニアの青い空」で大ブレイクした彼、その後が今一つで当時は“一発屋”ぽかったのですが、なんとか2発目をと先のオサリバン氏と同じくちょっとロックっぽい路線で出したのがこの曲でした。でも、残念ながら売れなかった。いい曲ですよね。大好きでしたけど。当時の新作アルバムの1曲目に入っていました。リアルタイムで郵便貯金ホールで見た来日ツアーの1曲目でもありました。カッコ良かったですよ。少し発音がラテン系ですよね。巻き舌っぽくて顔もエキゾチックで、エンゲルベルト・フンパーティングにも似ているような。この曲のイメチェンは失敗でしたが、この後同じアルバムから日本独自にシングルカットされた、例の「落ち葉のコンチェルト」が大ヒットする訳です。これで“一発屋”の汚名返上。80~90年代はスターシップやAOR路線シカゴの作者として活躍しました。シカゴの全米№1「ルック・アウェイ」は彼の作です。


6.僕はロックン・ローラー/ミッシェル・ポルナレフ
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=hZqiQr67Rus&feature=related


ついでにもう一人、シンガーソングライター系の人のアップテンポなヤツを。ミッシェル・ポルナレフって、超有名?フランス人でフレンチポップとか言われて、脱シャンソンの新路線の息吹をアジアに伝えてくれた人でした。派手なグラサンで顔を隠していたのですが、アイドル的にすごっい人気ありましたよね。日本の売れる洋楽は今も昔もほとんどが英語ですが、この人は当然フランス語。「シェリーに口づけ」とかしびれましたし、今聞いても名曲です。アメリカ志向の強い人でもあり、「愛の休日」とか「愛の願い」とか歌詞に英語を入れて歌ってもいました。これは、マスターコピーを日本に運ぶ飛行機がハイジャック&爆破され発売が延びたアルバム「ポルナレフ革命」からの第2弾シングル。明るく軽快で、英米モノとは違う上品さがあって好きでした。英語はなし、歌詞も少なくて「テュバ・テュバ・・・」言ってます。

70年代懐かし洋楽曲1~3

2011-07-09 | 洋楽
個人的に思い入れのある洋楽アルバム企画「私の名盤コレクション」と並行して、アルバム紹介だけでは漏れてしまう個別の楽曲を70年代に絞って紹介していこうと思います。選曲ソースは、私のipodに登録されている「70年代」というプレイリストからです。毎回シャッフルで再生しながら2~3曲を取り上げてみます。いざ、スタート。(当時のシングルジャケットと、試聴できるようにYOUTUBEのURLも可能な限り貼っておきます。)

1.ブラザー・ルイ/ストーリーズ
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=Tv7SSoUVPQk

洋楽聞きはじめの頃、シングル盤で購入しました。「全米1ヒット」とかいう謳い文句で、夜9時以降の中波ラジオ洋楽放送帯や深夜放送とかで盛んにかかっていました。けっこう黒っぽい歌でボーカルもソウルフル。確か人種差別問題を扱った曲だったと記憶しています。後に同じ曲をホット・チョコレートがやっているのを聞いて、それがオリジナルだったと知り、黒い曲調に納得しました。近年、ストーリーズの安価なベスト盤CDを購入しましたが、この曲以外に聞くべきものなし。“一発屋”で終わった理由がよく分かりました。日本では確か、これもカバーの「マミー・ブルー」とかが次のシングルとして発売されていたような。ある意味スリー・ドッグ・ナイト的バンド?


2.レッツ・プリテンド/ラズベリーズ
★YOUTUBE → www.youtube.com/watch?v=vTELLAzVtxg

これも同じ頃。はじめてラジオで聞いた時、いい曲だなぁと思うと同時に絶対女性ボーカルだとばかり思っていました。解説を読んで男性と知ってビックリ。ハスキー・ボイスでかっこいいなと改めて感心。これがエリック・カルメン氏との出合いでもありました。イントロなしのいきなりの“歌はじまり”がけっこう斬新でしたね。でもあまり売れなかった。日本では発売元が東芝で強力にプッシュしていたようで、ラジオでのオンエア率は高かった。本国アメリカでは、アルバム「明日を生きよう」からの第二弾シングルってことで、確かギリギリTOP40入りぐらいが最高位だったような。その後にベイシティ・ローラーズでリバイバル・ヒットしましたが、本家ファンとしてはちょっと複雑な気分でしたね。


3.僕のコダクローム/ポール・サイモン
★YOUTUBE → http://www.youtube.com/watch?v=pLsDxvAErTU&feature=related

これまた同時期でしょうか?ポール・サイモンってサイモンとガーファンクルのサイモンなんだ、と知った曲。当時はS&Gは「明日に架ける橋」の印象が強く、ポールは“コンビのダメな方”って誤った認識だったのでけっこう驚きました。タイトルの「コダクローム」が何だか分からず、NHKのFMでアナ氏が「これはNHKでは放送できません」とか言っていたのを聞いて、余計に「何だ?」となった。調べまくってどうやら「コダクローム=コダック・クローム」、コダックの写真フィルムかと知って納得でした。NHKは、山口百恵に「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」と歌わせていた時代ですからね。心地よい音と流れるようなメロディラインが大のお気に入りで、S&Gよりソロの方がいいんじゃないと思った訳です。英語を習い始めた頃のつたないヒアリング力でよーく耳を傾けて聞くと、「♪アイ・ガラ・ナイコン・キャメラ・・・」とかが聞きとれて、「ウン?もしかしてニコンのカメラって言ってる?」とかがやたら嬉しかったり。「ニコンってすごいんだ」と思ったりもしました。

※当時はシングル盤は皆日本オリジナルジャケットでしたから、ものによっては時代を感じさせるダサさもあり(特に文字フォント)、これはこれで懐かしいですね。

私の名盤コレクション7 ~ Tupelo Honey/Van Morrison

2011-06-26 | 洋楽
★Tupelo Honey/Van Morrison

1. Wild Night
2. (Straight To Your Heart) Like A Cannon Ball
3. Old Old Woodstock
4. Starting A New Life
5. You're My Woman
6. Tupelo Honey
7. I Wanna Roo You (Scottish Derivative)
8. When That Evening Sun Goes Down
9. Moonshine Whiskey

ヴァン・モリスンです。この人ほどキャリアのある大物でありながら、日本で全く人気のないアーティストも珍しいです。ヘレン・レディ他の「クレイジー・ラヴ」とかロッド・スチュワートの「ハヴ・アイ・トールド・ユー・レイトリー」とかの作者でありながら、それすらもあまり知られていないかもしれないという寂しい状況です。一般的な代表作は、アルバムでは「アストラル・ウィークス」「ムーン・ダンス」あたりでしょうか。「ムーン・ダンス」からのシングル「ドミノ」は全米でトップ10ヒットにもなっています。私の彼との出合いは、70年代当時ワーナーのサンプラ―的2枚組アルバム「ホット・メニュー」なるオムニバス盤でした。確か980円とか、破格の値段だったように記憶してます。そんなことをしてでも、洋楽を一般に浸透させて売上を伸ばそうと言う時代だったんですね。

そこに入っていたのがこのアルバムの1曲目を飾っている1. 「Wild Night」でした。ラジオの影響もあってヘレン・レディがけっこう好きだったので、中でもお気に入りだった「クレイジー・ラブ」の作者として彼の名前を知ってはいました。でも全く違う作風に驚き、しびれました。「かっこいいな~。この男らしいボーカル」。「ホット・メニュー」収録曲では断トツのお気に入り。当時の音楽情報量の少なさでは、この「ホット・メニュー」の解説書記載の内容以外に入手できる情報もなく、彼のレコードも置いているレコード屋さんなどほとんどありませんでした。私がアルバムを見つけたのは、まだ静かだった原宿竹下通りにあった輸入盤店「メロディ・ハウス」だったと思います。当時の自分にはアルバムで聞くと難解で、比較的とっつきやすい1.「Wild Night」とタイトルナンバーの6.「Tupelo Honey」を中心に繰り返し繰り返し聞いたものでした。「Tupelo Honey」が「クレイジー・ラヴ」にメロディがよく似ているのはご愛敬ですね。

A・B面それぞれのトップを飾る先の「Wild Night」「Tupelo Honey」、共にかなりベタなラヴ・ソングなのですが、それもそのはず、この当時彼は歌手で女優のジャネット・プラネットと結婚したばかりだったのです。と言う訳で、アルバム・ジャケットは表も裏も見開きもラブラブ写真のオンパレード。新婚の友達の家に遊びに行って、新婚旅行の写真を見せられてるみたいな十分「ごちそうさま」な気分な訳です。しかもこの後すぐに二人は離婚しちゃうのでして、「やめときゃよかったんじゃないのこれ?」って感じがアリアリで、アートワーク的には“残念”な作品ではあります。そんなこともあってか、本人はもとより一般的にあまり評価は高くないのですが、宗教的なバックボーンも含めて難解な曲も多い彼としては明快なラブソングが中心の分かりやすい作品に仕上がっているのです。「アイルランド出身でアメリカで活躍中」という、まさにそんな当時の流れが音楽的にも反映された感の強い、私にとっては実に心地よい名盤であります。

来日は無理なんすかね。何しろ気分屋でドタキャンなんて日常茶飯事らしいですから、呼び屋は怖くてブッキングできないのかもしれません。ちなみにオムニバス・アルバムの「ホット・メニュー」ですが、他にもアーロ・ガスリーとかドクター・ジョンとかマナサスとかライ・クーダーとか、当時「これ誰の趣味?」って感じの濃いモノが入っていたように思います。私なんかはレコード会社の狙い通り、このレコードがすっかり洋楽の深いところにはまるキッカケのひとつになっちゃったような気がします。

メリサ・マンチェスター、ビルボード公演

2011-06-12 | 洋楽
70年代に活躍したアメリカの女性シンガー・ソングライター、メリサ・マンチェスターがビルボード・ライブで来日公演を開催してくれました。BBLオフィシャル・ページ記載のセットリストは以下の通り(「ミッドナイト・ブルー」がないので私が見たのはちょっと違うみたいです)。

Billboard Live TOKYO 2011.6.7

1.Better Days & Happy Ending
2.Through The Eyes Of Love
3.Just Too Many People
4.Angels Dancing
5.Be My Baby
6.I Know Who I am
7.Come In From The Rain
8.Let's Face The Music And Dance
9.From This Moment On
10.Whenever I Call You Friend
11.You Should Hear How She Talks About You
12.Son Of A Preacher Man
13.Something Wonderful
14.Don't Cry Out Loud
-Encore-
15.Someday We'll All Be Free

メリサ・マンチェスターと言えば、私などは75年のアルバム「麗しのメリサ」とヒット曲「ミッドナイト・ブルー」「哀しみにさようなら(上記の3。当時のタイトルは「ニューヨークの谷間で」でした)」がすぐに頭に浮かんできます。一般には78年の大ヒット「あなたしか見えない(これも当時のタイトルは「哀しみは心に秘めて」でした)」で有名。ただし、日本ではリタ・クーリッジと伊東ゆかりのバージョンで売れたために、メリサの名前は意外に知られていないのかもしれません。その後では、ケニー・ロギンスと共作しケニーがなぜかメリサではなくスティーヴィー・ニックスとデュエットして大ヒットした「二人誓い(上記の10)」、80年代に突如ユーロ・ビートに乗せてヒットさせグラミー賞に輝いた「気になるふたり(上記の11)」などが、彼女の代表作です。

彼女を語る場合にはとにかく歌唱力でしょう。ベッド・ミドラーと彼女のバック・アップをしていたバリー・マニロウに見出され、プロの世界に出たと言う経歴からも、並みではない歌唱力がうかがい知れるところです。そんな彼女も御年59歳。でもその歌声は衰えるどころか長年のキャリアで円熟味を増し、本当に素晴らしいものでした。今回、彼女以外のメンバーはキーボード&ギターの男性とパーカッション&ボーカルの女性の2人だけといういわばアンプラグドな構成であり、彼女のボーカルの力量がもっとも問われる形でしたが、聞いている我々にごまかしの効かない状況下でまっすぐにその歌声が届いてきました。スティーヴィー・ワンダーに憧れてこの世界に入ったと言うだけあって、ところどころに黒っぽさをにじませつつも、時にしっとりと時にパワフルに1曲の中でも緩急をつけた絶妙のボーカル・テクニックには本当に魅せられてしまいました。

今回は本人のトークによれば、代表曲と最近曲をとりまぜたセットリスト。私は過去の曲しか知らないのですが、未知の曲も含めて全く違和感のないステージ構成でした。逆に「今でも変わらずいい曲をいい形でやっているのだな」と思わされ、むしろ最近の作品の方に関心を持たされたほどです。自信の持ち歌以外にも、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」なんてスペクター・サウンドの超有名曲を彼女なりの解釈で聞かせる場面もあり、長年この世界で生きてきたショーマンシップの一端にも触れた思いでした。毎度申しあげますが、アーティストのステージの善し悪しはやはり「現役感」に尽きると思います。ルックス的には、もちろん私が知る70年代のメリサとは随分と違ってはいましたが、その歌声やパフォーマンスにおいて「現役感」満載の素晴らしいステージであったと思います。
→今のルックスはこちら
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=7648&shop=1

個人的には、「哀しみにさようなら」のアンプラ・バージョンに鳥肌でした。なにしろこの曲、遠い昔にテレビで初めてメリサを見た時に魅せられた曲ですから。こうして35年以上の時を経てまさか生で、しかもあのサイズのハコで聴くとことができようとは・・・。ホントいい時代になったものだと思います。今の時代と長く「現役」を続けてくれているアーティストに感謝です。ただ余談で、少しばかり残念な話を。震災の影響で中止となる外タレ公演も多いのですが、ショックだったのは同じビルボードで5月半ばに予定されていたカーラ・ボノフとJDサウザーの共演が、4月半ば震災騒ぎが一段落した時点で中止になったこと。JDはその後8月の単独来日をすぐに再ブッキングしたので、カーラ・サイドの意向であるのは明らかです。理由は原発でしょう。誠に残念。どんな風評が「六本木でも日本に行くのは危険」と彼女を躊躇させたのか。国内ですら正確な情報が流されていない現状の問題の一端を、こんな形でも垣間見た気がしました。

私の名盤コレクション6 ~ Down On The Farm/Little Feat

2011-06-05 | 洋楽
★Down On The Farm/Little Feat 

1. Down On The Farm
2. Six Feet Of Snow
3. Perfect Imperfection
4. Kokomo
5. Be One Now
6. Straight From The Heart
7. Front Page News
8. Wake Up Dreaming
9. Feel The Groove

私は74年にジョン・セバスチャンの「Tazana Kid」でローウェル・ジョージを知り、75年友人とのレコード交換で手に入れた「ディキシー・チキン」で彼のバンドであるリトル・フィートのファンになり、78年に生フィートを見て感動にうち震えました。そして79年は、フィート・ファンにとって決して忘れることのない悲しい年となりました。その年の春、リトル・フィートが解散宣言をしたとラジオで耳にし、ほぼ同時にローウェル・ジョージがソロ・アルバムを発表。フィートのラスト・アルバムが出るかもとの話を聞いた矢先の6月29日、彼の訃報が飛び込んできました。それがリアルタイムだったのか記憶は定かでありませんが、ショッキングであったことはこの上なし。前年78年9月にはザ・フーのキース・ムーンが逝ったばかり。共に遠因はドラッグ過多。当時はまだそんなミュージシャンの生き様が当たり前の時代でしたから、彼らの死は我々ロック・フリークにとってある種“英雄の戦死”的な捉え方をしていたようにも思います。

フィートのラスト・アルバムとして本作がリリースされたのはその死の4カ月後、79年10月でした。一般的に評価の高い前々作「ラスト・レコード・アルバム」や前作「タイム・ラブズ・ア・ヒーロー」における、ローウェルの存在感の低下とフュージョン路線への移行は、ローウェル・ファンの私には決して喜ばしいことではなく、なんとも食い足りなさを感じていたのです。そして、大きな期待感はなかったものの、追悼盤と帯に記された本作に針を落とした時にはあのローウェルのフィートが帰ってきたと妙な安心感を覚えたものです。このアルバムにおいて前2作で色濃くなってきたフュージョン性は薄く、恐らく残されたメンバーたちが残されたセッション音源を仕上げるに際して、誰の異論をはさむ余地もなく無言のうちにローウェル色に染められた作品づくりに至ったのだろうと思うのです。

タイトルの「Down On The Farm」って「農場に帰ろうぜ!」って話で、まさしく前2作がビル・ペインやポール・バレル主導でやや都会的になってきことからローウェル路線への回帰を謳っているようにも思えるのです。タイトル曲は、まるでローウェルとバンドの結末を予知して書かれたかのようでもあり、かえって皮肉な印象が漂います。そもそもリトル・フィートはザ・バンドの後継バンド的に捉えられる部分も多く、南部の泥臭いスワンプ臭漂う独自のグルーブこそが彼らの真骨頂であったはず。後期のフュージョン方向への音楽的発展は音楽界への影響も含めて専門家的には高い評価が得られるのでしょうが、やはりフィートは泥臭くあって欲しいのです。再結成フィートが88年に「レット・イット・ロール」で登場した時歓喜したものの、このアルバムと聞き比べてその物足りなさに寂しさを覚えたのも事実。このアルバムの世間一般での評価がいかに低くとも、個人的には追悼の意も含め決して忘れ得ぬまさに「私の名盤」であるのです。何よりフィートらしい演奏は1.「Down On The Farm」、最もローウェルらしいのは4.「Kokomo」。ジャケット裏の「Produced By Lowell George・・・With A Little Help From His Friends」の表記が泣かせます。

余談として、ジャケットデザインがまた秀逸です。例によって今は亡きネオン・パークのイラストですが、ジャケット的にはこれが最高傑作ではないかなと。彼の独特のイラストもまた、フィートとローウェルのブランドづくりに一役買っていました。本作は数ある洋楽の名ジャケットの中でも、個人的には確実に5本指に入る“名盤”です。本作はオールスタッフが渾身の想いをこめて作り上げた、ローウェル追悼の記念碑なのです。

私の名盤コレクション5 ~ Northern Lights Southern Cross / The Band

2011-05-29 | 洋楽
★Northern Lights Southern Cross / The Band

1. Forbidden Fruit
2. Hobo Jungle
3. Ophelia
4. Acadian Driftwood
5. Ring Your Bell
6. It Makes No Difference
7. Jupiter Hollow
8. Rags And Bones

ディランとくればザ・バンドに触れない訳にはいきません。75年のザ・バンドのアルバム、日本タイトルは「南十字星」です。ザ・バンドは60年代にホークスとしてディランのバックを務め、ディランのオートバイ事故後の隠遁期にはディランをルーツミュージックに目覚めさせあの「ベースメント・テープス」をともに作り上げ、英米の音楽界に密かなルーツ・ミュージック・ブームを巻き起こした“震源地”でもあったのです。あのエリック・クラプトンが、クリームを辞めたくなったのもデレク&ザ・ドミノスでアメリカ人メンバーたちとスワンプを手掛けたのも、彼自身がザ・バンドをやりたかったが故だったのです。ザ・バンドの名作と言えば、ディランとの“地下室セッション”の成果であるデビュー作「ミュージック・フロム・ビッグピンク」と、それに続く兄弟作品のような第二作「ザ・バンド」。この2枚は世が認める歴史的名盤であります。そのことに異論はありませんが、彼らを語る上で欠かせないもう一つの名作がこの「南十字星」なのです。

75年と言えば、ディランとのアルバム制作「プラネット・ウエイヴス」を経て復活ツアーを終えた後に、ディランの元を離れた時期でもありました。初期の名作「ビッグピンク」と「ザ・バンド」はそれぞれ68年、69年のリリースであり、音楽界のフィクサー的存在であったディランを陰で支えた60年代の彼らを象徴するような作品でありました。対照的にこのアルバムは、70年代に入ってビートルズの解散というターニング・ポイントを経た音楽界は、多種多様なクロスオーバー的な音楽交流の中から新たな時代の到来を感じさせるいくつもの流れが登場し、それらの流れを吸収しつつザ・バンド的ルーツ感をうまく70年代風に成立させたものなのです。ここにもはやディランの影はなく、独自のスワンプ・グルーヴを身にまとい70年代のアメリカンバンドを体現する自信に満ち溢れた姿のみがあるのです。

全曲ロビー・ロバートソンのペンによる楽曲ですが、その質の高さはそれまでのどのアルバムの比ではないと思えるほどに素晴らしいレベルにあります。アレンジも恐らくはほとんど彼の意向によるところが大きいのでしょう。この後のバンドの行く末からうかがわれる彼の嗜好とルーツに固執する他のメンバーたちとの音楽の方向性の違は明らかであり、全曲を自身の曲で埋め尽くすことによりロビー色一辺倒の新たなザ・バンド像を作り上げようとしたのではないかと思えるのです。本当のザ・バンド・ファンはむしろロビーが抜けた後の再結成ザ・バンドを支持する声も根強くあるのですが、私はこのアルバムはこのアルバムで70年代という音楽激動の時代に確実に60年代の残党バンドが、70年代と言う新しい時代に確実な足跡を残したと言う意味において意義深い作品であると思ってやまないのです。たとえそれが解散に向けての動き出しとして商業的に計算し尽くされたロビーの策略のアルバムであったとしても・・・。

3人のボーカリストの使い分けも実にお見事。3人が交互にリードをとる4「Acadian Driftwood 」などは、アメリカ南部を追われるカナダ人たちの故郷に寄せる哀愁を漂わせた彼らの境遇にもなぞられる内容が、ロビーが考えたバンドの大団円に向けた戦略的な楽曲と言う事だけでは片づけられない名曲です。他にもニューオリンズ的ラグタイムを70年代風ロックにアレンジした3「Ophelia」、今は亡きリック・ダンコの哀愁漂うボーカルをフィーチャーした6「It Makes No Difference 」、後のマイケル・マクドナルドのAORキーボードの登場を予感させるような7「Jupiter Hollow」など聞かせどころ満載の大傑作アルバムです。個人的にはリリース当時FMラジオの新譜紹介で初めて耳にしてその素晴らしさにブツ飛び、歴史的名盤が生まれる瞬間に立ち会うというのはこういうことかと実感したのでした。

私の名盤コレクション4 ~ New Morning / Bob Dylan

2011-05-15 | 洋楽
★New Morning / Bob Dylan

1. If not for you
2. Day of the locusts
3. Time passes slowly
4. Went to see the gypsy
5. Winterlude
6. If dogs run free
7. New morning
8. Sign in the window
9. One more weekend
10. Man in me
11. Three angels
12. Father of night

今回はボブ・ディラン。私の名盤は、70年リリースの「新しい夜明け」です。ロックに転向し絶賛された名作「ブロンド・オン・ブロンド」の後、モータ・バイク事故により隠遁生活に入り、復帰後は期待を裏切るフォークアルバムやカントリーアルバムをリリースしファンの批判を買ったディランが、「復活」との賛辞を持って迎えられたアルバムです。その割には現在ではなぜか軽く扱われ、あまり取り上げられることがないのがちょっと不思議。現在のディランにも通じる作品として、見直されるべき素晴らしいアルバムです。個人的には洋楽の道に迷い込んだ時点でディランの“最新盤”であった作品でもあり、その意味でもけっこう感慨深いものもあるのです。

1「If not for you 」は、ジョージ・ハリスンにも取り上げられたカントリー・フォークの名曲。ジョージとのセッションもあったのに(後にブートレッグ・シリーズで陽の目を見ました)、アルバムのコンセプトを重視したのか共演テイクを没にして取り直したバージョンが採用されています。アルバム構成としては、「ブロンド・オン・ブロンド」で確立されたフォーク・ロック的ナンバーを発展させたものと、新たなルーツ探訪とも言えそうなナンバー。フォーク・ロック系の代表が、タイトルナンバーの7「New morning 」 や2「Day of the locusts」、10「Man in me 」など。どれも素晴らしい。アル・クーパーのオルガン・プレイが実に現在のディランのキーボードワークに近く、今のバンド・アンサンブルの基本形は実はこの時代に培われたものなのではないかとも思えるのです。ちなみに「Man in me 」は昨年の日本公演でもやっていました(メロディは例によって全く別モノ)。

一方新しい試みと言えるのは、ワルツに挑戦した美しい5「Winterlude」、なんと驚きのディラン・ジャズ6「If dogs run free」(女性のスキャット が時代を感じさせます)、本格的ブルーズの9「One more weekend」。実に前向きな挑戦姿勢がディランの70年代のスタートを告げているかのようでもあります。恐らく、隠遁生活期を経ていろいろな人たちのとの交流から生まれた新たなディランの姿がここにあるのでしょう。つまり、ディラン流ルーツ・ミュージックへの回帰とそれを受けてのスワンプ・ロック化への流れがここにあるのです。事故後不評を買ったアルバムはいわばルーツへの回帰であり、それを受けたこの時期のジョージとの接点やこのアルバム・リリース直後のバングラディシュ・コンサートへの出演、さらにはレオン・ラッセルを迎えてのレコーディング等々は、一層のスワンプ傾向に向かう“ニュー・ディラン”なのです。その狭間に位置するこのアルバムこそ、ある意味その後のディランの原点でもあるように思えるのです。

現在のディランにも通じる本作の画期的な特徴は、ディランが特徴的なピアノを弾いており、ギターよりもむしろピアノを自身のメイン楽器で使用してる点でしょう。そして次作ザ・バンドとの初正式共演作「プラネット・ウエイブス」で一度スワンプ路線に決着をつけ、その後はしばし誰もが認めるディランらしいギター中心作に戻ります。一般にこのアルバムの印象がやや薄く、名盤とさせない理由はこのあたりの過渡期的イメージによるのかもしれません。ジャケットの哲学的な表情の名盤然としたディランの写真といい、楽曲の水準やアレンジの心地よさといい、ビートルズ解散後の“新しい時代”に入ったことを示唆する、70年代の初頭を飾るにふさわしいエポックメイキングな作品としてもっともっと評価されてていいハズなのですが・・・。

※ちなみにこのアルバムのアウトテイクの一部は、後にアルバム「Dylan」に収録されて発表されます(アルバムは契約の関係でCBSがディランの意向に反してリリースしたため、現在は完全廃盤です)。そこには、プレスリーやジョニ・ミッチェル、ジェリー・ジェフ・ウォーカーらのカバーなどもあり、ディランがこの時期にルーツミュージック探求の延長としてかなり幅広いチャレンジしていたことが分かります。ただこれらのカバー曲は出来が良いにもかかわらず、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」のカバーなどを入れて不評を買った「セルフ・ポートレイト」の二の舞は避けようと思ったのでしょう、本アルバムには収録されませんでした。本アルバムへの正しい理解を一般からも得るたもめにも、本セッションの全貌をぜひブートレッグ・シリーズやデラックス・バージョンでリリースして欲しいですね。

私の名盤コレクション3 ~ Hearts And Bones / Paul Simon

2011-05-08 | 洋楽
★Hearts And Bones / Paul Simon

1. Allergies
2. Hearts and Bones
3. When Numbers Get Serious
4. Think Too Much
5. Song About the Moon
6. Think Too Much
7. Train in the Distance
8. Rene and Georgette Magritte With Their Dog After the War
9. Cars Are Cars
10. Late Great Johnny Ace

83年10月リリースのポール・サイモンのアルバム。ハッキリ言って全く売れなかったです。でもすごくいい曲揃いのアルバムです。それまでも「ひとりごと」とか「時の流れに」とか、良いアルバムは結構出していたこの人ですが、なんか今ひとつ詰めが甘いというか…。個人的には「ひとりごと」も大好きです(特に「アメリカの歌」なんて涙モノ)。でも、アルバム全体でみると多少不満が残る。このアルバムは売れませんでしたが、楽曲の充実度では全作品中抜けていると思っています。そう、そもそもこのアルバムは、サイモン&ガーファンクル名義でリリースされる予定で「Think Too Much」というタイトルまでアナウンスされていたのです。当然、ポールの曲作りにも相当力が入っていたことでしょう。でも、結果的にはS&Gではなく「S」のソロでのリリースとなりました。

83年10月というリリース時期ですが、さかのぼること2年前の9月にS&Gはセントラルパークで再結成コンサートを開催し、ポールはその前年大失敗した主演映画とサントラ盤「ワン・トリック・ポニー」の汚名返上を見事になし得たところでした。その盛り上がりの勢いを駆って、S&Gはツアーに出ます(日本にも来ました)。そしてそのツアーでもここに収められた新曲のいくつかは披露され、往年のファンの間ではツアー終了を待たずしてS&G再結成アルバムのリリースが待望の存在となっていたのです。ツアーは83年8月一杯で終了。しかし待望久しい再結成アルバムはついぞリリースされることはなく、ポールのソロとして本アルバム「ハーツ・アンド・ボーンズ」が10月にリリースされたのでした。これ以上にファンの期待を裏切ったアルバムもないでしょう。「ポールがわがままを言ってアーティを排除した」と真しやかに囁かれ、さらにひどい噂では「再結成の人気を独り占めしたくてソロアルバムに変更した」などとまで言われる始末。「Think Too Much」と「Hearts And Bones」の収録曲が仮に同じであったとしても、ファンからすればそれは似て非なるアルバムであり、本作のセールス的な惨敗は至極当たり前の流れであったのです。

しかし中身の水準は素晴らしいレベルです。S&Gを意識して作られた楽曲は、いつになくバラード曲も多く、メロディメーカーとしてのポールの面目躍如ともいえる内容なのです。ポールの民族音楽的な曲への関心の高まりがS&Gを解散に追い込み、ソロ以降も事あるごとにそのような楽曲を書いてきたポールは、この“失敗作”を境に決断をはかり民族音楽路線(「グレイスランド」「リズム・オブ・ザ・セインツ」等々)へと大きく舵を切る訳で、このアルバムはS&Gファンの期待にこたえるべく作られた最後のメロディアス路線の作品でもあったと言えるのではないかと思うのです。私なんぞ、ポール・サイモンファンの一人としては、アーティの甲高い声はない方が楽曲の良さが断然映えると思ってもいる訳でして、S&G用に作られたメロディアス路線の曲の数々がこうしてポールひとりの歌声で聴けることはむしろ喜ぶべきことであり、このアルバムは再結成騒動があったからこそ生まれた素晴らしい1枚であると思っているのです。

捨て曲なしの素晴らしいアルバムですが、中でも白眉は「Train In The Distance」。ポールの独特のかったるい歌い回しと歌詞に登場する彼一流の例え話が実にマッチしていて、ソロとして確実に5本指に入る名曲でしょう。タイトルナンバーの「Hearts And Bones」は彼お得意のストーリー仕立てのラブソング。ラストの「The Late Great Johnny Ace」はジョンFケネディ、ジョン・レノンとの対比でR&B歌手ジョニー・エイスのことを歌い、恐らくは米国の拳銃所持法を批判的に捉えた歌に仕立て上げているのでしょう。重苦しい雰囲気の中にも強い意志を感じさせる、美しいナンバーです。それにつけてもジャケットのダサさ加減はいかがなものか。センスの悪い服装にピンボケ写真。一般的に名盤と成り得ない理由は、こんなところにもあるのかもしれません。でも騙されたと思って聞いて欲しい隠れた名盤です。

※04年リリースのS&G「オールド・フレンド・ライブ」のスタジオ収録ボーナス・トラック「シチズン・オブ・プラネッツ」は、本アルバムのアウトテイクS&G収録バージョンです。