ロンドン・オリンピックまであと2週間。壮行試合やらなんやらで、徐々にオリンピックムードが高まりつつある今日この頃です。
オリンピック関連で少し前に目にしたニュースに、「義足のランナー、オリンピック代表に」というものがありました。南アフリカの陸上選手であるピストリウス選手が、同国の陸上競技リレー代表に選出され、悲願のオリンピック出場を果たすというものです。彼はカーボン義足の“ブレードランナー”として有名で、障害者の国際大会であるパラリンピックではすでに4つの金メダルを取っているというトップ・アスリートです。
前回の北京大会でもオリンピック出場が取りざたされたものの、国際陸上競技連盟 (IAAF) が「カーボン製の義足による推進力が競技規定に抵触する」として参加を却下し無念の断念となったのでした。今回の出場は、2008年スポーツ仲裁裁判所 (CAS) がIAAFの判断を覆しピストリウス選手が健常者のレースに出場することを認める裁定を下したことを受けて実現したもので、障害者スポーツが新たな歴史を刻む上で大変大きな意義を持っていると考えます。
大きな意義とは、オリンピックとパラリンピックの統合に向けての意義です。そもそも、障害者スポーツは東京オリンピック開催以前のローマ大会からオリンピックに合わせた国際大会開催を実現してきていながら、IOC(国際オリンピック委員会)によるオリンピック類似名称の使用への難色などによる“差別”扱いを受けるなど苦難の時代が続きました。そして2000年IOCとIPC(国際パラリンピック委員会)との間で協定が結ばれ、オリンピック開催都市でオリンピックに続いてパラリンピックを行うこととIPCからのIOC委員を選出することが両者間で約束され、オリンピック開催都市でのパラリンピック開催が正式に義務化されたのです。
それでもまだまだ陽の当らないパラリンピック。あくまで開催地の“義務”を脱しきれない現状のオリンピック後開催の方式のままでは、「健常者でないものの記録に何の価値があるのか」という先入観を受け続けることは確実であり、スポーツの過去の歴史における「記録的に劣る女子スポーツにどれほどの価値があるのか」という考えから女子競技導入を渋り続けた前世紀前半の女子スポーツに対する差別の歴史を、再び繰り返されるかのような気分にもさせられるところです。
女子の男子に混ざっての競技参加が認められたのは1900年の第二回パリ大会であったとか。しかしながら、女子限定の競技種目が正式にオリンピックに導入されたのは1936年であり、それまでの間は男子に伍して戦える能力のある女子は限定された競技への出場が認められたものの、女子限定の国際競技はオリンピックとは別に開催され続けるという厳然たる差別扱いが続いたと聞きます。今回の“障害者の雄”ピストリウス選手のオリンピック出場は、女子差別の歴史に置き換えるならいままだ1900年時点の状況ではありますが、障害者スポーツの評価向上に向けては本当に大きな意義を持つことであると思うのです。
オリンピックが平和の祭典である以上(もちろん、過去の政治介入などいろいろ問題が多いのも事実ではありますが)、やはり差別なく平等に能力の高いアスリートには大会への出場権利を与えるべきではないのかと思うのです。つまり、競技種目として男子、女子に加えてオリンピック障害者部門を一刻も早く設け、パラリンピック選手として差別するのではなくオリンピック選手として同じ大会に出場させ、両大会を統合することでその栄誉をたたえるべきではないのかと切に感じるのです(実施に際しての、種目の再調整やルール、出場資格等々整備すべき課題点が多数あり、難題もおおかろうことは想像に難くないところですが…)。
ロンドン大会でピストリウス選手の出場シーンでは、メディアがこぞってその栄誉をたたえることに違いありません。この機会こそ、来るべきオリンピックとパラリンピックの統合の必要を世界に人々に理解を求める絶好の機会でもあるはずです。そしてまた、2020年のオリンピック開催地に立候補している東京が、この機会にオリンピック、パラリンピックの統合を掲げてあらゆる差別のないオリンピックの実現を大会趣旨として宣言するなら、国内外のオリンピック開催に対する支持も大きく得られるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
オリンピック関連で少し前に目にしたニュースに、「義足のランナー、オリンピック代表に」というものがありました。南アフリカの陸上選手であるピストリウス選手が、同国の陸上競技リレー代表に選出され、悲願のオリンピック出場を果たすというものです。彼はカーボン義足の“ブレードランナー”として有名で、障害者の国際大会であるパラリンピックではすでに4つの金メダルを取っているというトップ・アスリートです。
前回の北京大会でもオリンピック出場が取りざたされたものの、国際陸上競技連盟 (IAAF) が「カーボン製の義足による推進力が競技規定に抵触する」として参加を却下し無念の断念となったのでした。今回の出場は、2008年スポーツ仲裁裁判所 (CAS) がIAAFの判断を覆しピストリウス選手が健常者のレースに出場することを認める裁定を下したことを受けて実現したもので、障害者スポーツが新たな歴史を刻む上で大変大きな意義を持っていると考えます。
大きな意義とは、オリンピックとパラリンピックの統合に向けての意義です。そもそも、障害者スポーツは東京オリンピック開催以前のローマ大会からオリンピックに合わせた国際大会開催を実現してきていながら、IOC(国際オリンピック委員会)によるオリンピック類似名称の使用への難色などによる“差別”扱いを受けるなど苦難の時代が続きました。そして2000年IOCとIPC(国際パラリンピック委員会)との間で協定が結ばれ、オリンピック開催都市でオリンピックに続いてパラリンピックを行うこととIPCからのIOC委員を選出することが両者間で約束され、オリンピック開催都市でのパラリンピック開催が正式に義務化されたのです。
それでもまだまだ陽の当らないパラリンピック。あくまで開催地の“義務”を脱しきれない現状のオリンピック後開催の方式のままでは、「健常者でないものの記録に何の価値があるのか」という先入観を受け続けることは確実であり、スポーツの過去の歴史における「記録的に劣る女子スポーツにどれほどの価値があるのか」という考えから女子競技導入を渋り続けた前世紀前半の女子スポーツに対する差別の歴史を、再び繰り返されるかのような気分にもさせられるところです。
女子の男子に混ざっての競技参加が認められたのは1900年の第二回パリ大会であったとか。しかしながら、女子限定の競技種目が正式にオリンピックに導入されたのは1936年であり、それまでの間は男子に伍して戦える能力のある女子は限定された競技への出場が認められたものの、女子限定の国際競技はオリンピックとは別に開催され続けるという厳然たる差別扱いが続いたと聞きます。今回の“障害者の雄”ピストリウス選手のオリンピック出場は、女子差別の歴史に置き換えるならいままだ1900年時点の状況ではありますが、障害者スポーツの評価向上に向けては本当に大きな意義を持つことであると思うのです。
オリンピックが平和の祭典である以上(もちろん、過去の政治介入などいろいろ問題が多いのも事実ではありますが)、やはり差別なく平等に能力の高いアスリートには大会への出場権利を与えるべきではないのかと思うのです。つまり、競技種目として男子、女子に加えてオリンピック障害者部門を一刻も早く設け、パラリンピック選手として差別するのではなくオリンピック選手として同じ大会に出場させ、両大会を統合することでその栄誉をたたえるべきではないのかと切に感じるのです(実施に際しての、種目の再調整やルール、出場資格等々整備すべき課題点が多数あり、難題もおおかろうことは想像に難くないところですが…)。
ロンドン大会でピストリウス選手の出場シーンでは、メディアがこぞってその栄誉をたたえることに違いありません。この機会こそ、来るべきオリンピックとパラリンピックの統合の必要を世界に人々に理解を求める絶好の機会でもあるはずです。そしてまた、2020年のオリンピック開催地に立候補している東京が、この機会にオリンピック、パラリンピックの統合を掲げてあらゆる差別のないオリンピックの実現を大会趣旨として宣言するなら、国内外のオリンピック開催に対する支持も大きく得られるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。