アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「浦幌からの盗掘されたアイヌ遺骨の返還裁判の和解成立」

2017-04-19 09:49:58 | 日記

浦幌アイヌ協会が原告となって浦幌町愛牛というところから北大が盗掘して持っていき、ずさんな「管理」をしていた遺骨についての返還に関する和解が3月22日に成立しました。

和解内容は大きく2つ。一つは、個人の特定ができない遺骨について、2017年6月1日以降、原告側が受け入れ準備が整い次第、返還するという内容。氏名が特定されない遺骨の数は63体(51+12)です。二つめは、氏名が特定可能な遺骨13体については、7月末日以降、北大がインターネットで公告をし、その結果、祭祀承継者が名乗り出ない場合には、こちら(原告)に来年以降、引き渡す。もし、祭祀承継者が名乗り出た場合は、こちら側・原告側と協議をする、という内容。

北大が2013年に出した「北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書」(以下、『報告書』)には、愛牛地区からのは64体とあるので訴訟では64体の返還を求めていたのが、和解条項では12体が加わり、返還合計が76体となったのです。

この12体は発掘の目的、場所、日時も不明。前回の浦河町杵臼墓地への埋葬時もそうでしたが、このように遺骨の数が増えることは『報告書』 P.182にも書かれているのです。 

(注2)一覧には、部位の接合部分が欠けているため、一個体として特定できた人骨に整合できない人骨は含まれていない。一個体で一部位のみの場合、複数個体で同じ部位のみが集合している場合、二部位以上の複数個体が混在している場合は、照合調査が継続中である。 

要は、『報告書』は、調査途中であり、今回のようにまだまだ人骨は出てくるよ、と。以前にも指摘している通り、遺骨の管理がずさん過ぎて、骨がバラバラになってしまっているのが北大には484箱もあるのです。杵臼で急に増えた中箱一箱分もそれで、わたしも中を確認しましたが、大小さまざまな遺骨が収められていたものの、一人分か複数分かも、果ては、すでに一個体として数えあげられている頭骨の一部かもわからないのです。

北大側がわかるのはその遺骨の一部がどの地域から発掘したかだけのようです。研究材料として頭骨だけが欲しくて、他の遺骨も盗掘したものの、どうでもよかったので箱にまとめて突っ込んでいたということでしょう。ひどい話です。

そのような遺骨が484箱も(しかもどれほど大きい箱かも不明)あるのですから、返還の際に、次々と遺骨数は増えることでしょう。

和解後の記者会見の報告は「北大開示文書研究会」の浦幌事件をご覧ください。

浦幌での63体の遺骨返還の準備が進められています。今年は別に紋別での4体、そして、昨年から一年間、北大が告示していた4体中の返還を申し出なかった遺骨も加わります。

 

さる、3月18日に、平取町・二風谷生活館にて「平取「アイヌ遺骨」を考える会」(木村二三夫・井澤敏朗共同代表)主催で『先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ』学習会がありました。発題も豊かなもので、参加者110名と盛会でした。

この講演録は「北大開示文書研究会」のブログさまよえる遺骨たちに掲載されています。

その際、このブログで前回にご紹介した土橋芳美さんの著書『痛みのペンリウク−囚われのアイヌ人骨』で記したペンリウク首長の頌徳碑を小川隆吉エカシと共に義経神社で見てきました。

ちょうど、著者の土橋さん、そして著書の推薦を書かれた花崎皐平さんらとお会いしました。

 

ブログの字を大きくし、テンプレートを春にしました。


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