アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「アイヌ人物誌」紹介 その二

2009-02-05 08:25:24 | インポート
松浦武四郎の「アイヌ人物誌」(平凡社ライブラリー)の紹介その2です。

オテコマの困窮
石狩上川のアイヌ、オテコマは今年で七十余歳。幼少のころから狭義心に富み、剛勇で、山の猟にすぐれていた。夫婦の間にチキランケという娘がおり、三人で暮らしていた。
ところが、18年前、妻が三十歳のとき、一家で海岸の漁場に雇われていった頃、妻を番人に奪われた。オテコマは抗議したがその番人は自分のことを隠して支配人にオテコマの悪口を告げてひどい目にあわせたのだ。妻は何度も逃げ出そうとしたがその度に連れ戻された。
番人はオテコマさえ殺してしまえば妻を自分のものに出来るだろうと悪だくみを繰り返したが、その度に妻に知られ難を逃れた。しかし、いよいよ危険がせまり、皆で逃げるべく先にオテコマを逃がした。それが番人に知られ、逃げようと何度も試みる妻にひどいけがを負わせ、それがもとで妻は死んでしまった。
妻と娘を残して逃走したオテコマはいくら待っても妻が来ないのでひとり先に有珠の方へと行き、山々を住みかとして猟をしつつ命をつないだ。5年ほどたったある日、ふとした会話から自分のことがばれて、石狩の漁場に伝わってしまった。石狩では彼をそのままにして自分たちの非道なことがばれては困ると彼を探し出し、ウエンベツに行かせ、娘を人質として漁場に置き、そこの支配人に妾にして家には一切帰さなかった。
オテコマはその仕打ちを大いに怒り、またしてもそこを立ち退いて、名寄に行って小屋を作り、娘の解放されるのを待っていた。ところが、一行に戻されない。そればかりか風の便りに聞けば支配人はチキランケが年寄りになったので飽きがきて、他に三人の若いアイヌを妾にしたという。オテコマは彼のますますの悪事をひどく憎み、もはやこのようなところに生きている甲斐がないとウエンベツ川に身を投げようとしたところ、当時の養子が見つけて思いとどまらせたという。


「アイヌ人物誌」には、このような話がいくつも記されているのです。
明治になると国が政策としてアイヌ民族を困窮へと陥れます。(08年1月30日blog参照)
昨年の6月6日に衆参両議院にて全会一致で可決された「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」の2段落目にはこうあります。
「我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない。」
「法的には等しく」というのは間違い(ゴマカシ?)ですね。「近代化する」前からも、その後も、「等しく」ありません。
現在、アイヌ民族は自らの権利回復のために声を上げています。
アイヌ民族を含めたわたしたち草の根市民のグループ「ニサッタ」でも、有識者懇談会へ向けて提言(少なくともこれぐらいの権利をアイヌ民族に回復=元に戻すよう国に要請してください、という提言)をまとめました。現在、賛同者を求めています。
昨日の北海道新聞にも記事になりましたが、以下のわたし達の情報blogに詳しく書きましたので、ご覧頂き、ご賛同くださる方はわたし宛、ないし申込用のアドレスにレスを頂ければ幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive/

提言そのものもメールにてお送り出来ます(A4で8頁)のでご希望の方はメール下さい。

窓の外は深々と雪が降り続けています。札幌の雪祭りが今日から開幕ですね。
今日は大事な会合が突然に入り、札幌へ往復します。
明後日は名寄の道北センターで三愛塾があり、1時間ほどアイヌ民族の権利について話す機会を与えられましたので行ってきます。翌々日はその足で旭川の雪まつりで川村カ子トアイヌ記念館の川村さんたちが民族舞踊を踊られるので見学してきます。




松浦武四郎が1859年に書いた絵です。三愛塾でパワーポイントを使って「アイヌ人物誌」と共に紹介しようと思います。多気志楼「蝦夷漫画」(国書刊行会)
楽器の紹介頁ですが、「チレカレツ」というのを吹いています。聞いたことがないのですが、エゾニューでしょうか?

昨日は事務や調べ物をしていましたが、途中で免許証の入った財布がないことに気がつき、あわてて家中を探しました。三時間ほど掃除しながら探し続け、やっと発見!
大切なものをどこに置いたかも忘れてしまうほど忙しくしていることを反省しました。気をつけます。