アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

500NATIONS

2009-02-11 15:31:56 | インポート
ケビン・コスナー(Kevin Michael Costner)監修の500NATIONSにはまっています。
日本語字幕がないのが残念ですが、ロバート・ウイットマーさん(道北センター館長・アイヌ民族委員長)が、翻訳のお手伝いをされたので手元にコピーはあります。VHS全8巻ウイットマーさんよりセンターに寄贈戴きました。字幕や吹き替えの技術をどなたかお持ちでしたらやりたいですね~。英語ですが、以下のURLに少々、紹介が載っています。
http://us.imdb.com/title/tt0111868/

最初のヨーロッパ人が北米にたどり着く以前からこの地域には500あまりのNations(国)が存在し、東海岸から西海岸へ、中南米から北極へ北米大陸全体に300以上の言語が話され何千万人もの人々が住み暮らしてきたとのこと。
この8シリーズにおいてこの500NATIONSがどのように生きてきたかを先住民族の皆さんに紹介していただき、ロケ地も歴史上重要な出来事の現場で、また目撃をした者の真の声も撮っているというではありませんか。すごい内容です。

ひとつ要約を紹介。

1492年クリストファー・コロンブスを将官とする三隻の船が8週間でバハマ列島からキューバへ、そして現在のハイチとドミニカ共和国がある島、カリブ海で2番目に大きい島にたどり着きました。彼はその島をヒスパニョーラとなずけました。当時その島にタイーノ民族が住んでおり、統治者ワカナガリーに治められていました。
クリスマスイブの夜です。海岸線を航行しているとき、サンタマリア号が座礁してしまいました。そのことを知ったワカナガリーは船の荷物を降ろすために町中の人々を大きなカヌーで船へと向かわせ、丁寧にそして一生懸命に手伝いました。
コロンブスは船乗りと貨物を救ってくれたお礼にワカナガリーに赤いマントをプレゼントしました。これをタイーノ民族は地位を重んじる物として受け取りました。
その返礼としてワカナガリーは自分の頭にかぶっていた金の王冠をコロンブスにあげました。
ワカナガリーにとってこれはお互いに尊敬し認めあうことを表す公平な交換でした。そして、これによって対等な交易が始まると思っていました。
しかし、コロンブスにとって王冠は権力を表すものでした。これによってワカナガリーが自分の土地と民族をスペインに渡したと考えました。(第三巻より)


なんて勝手な・・・・。その後はご存知の通り、虐殺が始まります。


1990年の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でアカデミー賞の最優秀映画賞と最優秀監督賞をとったケビン・コスナーは、チェロキー族、ドイツ、アイルランドのミックスルーツを持っておられるようです。

今日は、「チ・カラ・ニサッタ」でつくった有識者懇への提言の賛同者になって頂くようにと、MLやDMで数百人にメールさせて頂きました。協力頂ければ幸いです。

なお、このblogを見てくださっている皆さんはすでにご存知かと思いますが、わたしたちアイヌ民族情報センターのURLが下記に移りました。
今までHPを管理してくださっていた斉藤成二さん(札幌富丘教会牧師)に感謝。
管理を引き継いでくださったのは難波真実さん(士別教会牧師)。彼はどんどんHPの内容を充実させてくださっています。感謝です。

そこで、「チ・カラ・ニサッタ」の提言文もこの数ヶ月HPに掲載することにしました。全文を見ることが出来ますのでご覧下さり、賛同者になって頂ける方はメールいただければ幸いです。

実はわたしはHPをつくれません。かろうじてblog投稿はできるので活動日誌や報道紹介、イヴェント情報など全部違う会社の無料ブログでつくり、HPにリンクさせてもらっているという状態です。

アイヌ民族情報センターの新しいURL
http://www.douhoku.org/ainu/

そうそう、この活動日誌ブログのコメントを書く際に、書き込み者のメールアドレスとURLを記入するところがありますが、URLは書かなくともコメントを書けます。どうぞ、ご利用下さい。




旭川へ向かう途中の峠。キツネをよく見かけます。
左上に見える矢印は雪にうまった道路の端を指す標識。雪国ならではのものですね。

今日はのどの痛みは和らぎましたが咳がでます。皆さんもご自愛下さい。