アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「『売れる』西部劇映画のレシピ」を読んで

2009-01-26 19:42:46 | インポート

朝にこのblogを見て出勤するのが日課だと言ってくださる方や、毎日見て下さる方のために出来るときに出来る限りの情報をUPしていきたいと、今年も願っているわたしです。

さて、
「先住民族の10年News第148号」にある松井健一さんの「北米先住民族の『文化的主権』マニフェスト16」をもっと読みたいと思いました。

テーマは「『売れる』西部劇映画のレシピ」で、西部劇映画で先住民族はどのように描かれているかが書かれていました。
現在、わたしたちアイヌ民族情報センターでは、アイヌ民族を含む世界の先住民族に関連するテレビ放映されたニュースや番組、そして映画を資料として収集しています。映画などもそれなりに集まってはいましたが、このNewsに紹介されているもののうち「折れた矢」「ダンス・ウイズ・ウルブス」「スモーク・シグナルス」のみ。
「馬と呼ばれた男」「小さな巨人」「モホークの太鼓」「駅馬車」「シャイアン」「ジェロニモ」「サンダーハート」など知らないものばかり。明日は火曜日ですので早速TUTAYAの半額日にあわせて借りて観たいと思います。

松井さんは、西部劇では先住民族は悪役として描かれていることを指摘。この「悪役先住民族」に共通している特徴を以下に挙げています。
①暴力的で落ち着きがない。
②白人ヒーローが苦労して築き上げたものを心なく破壊する。
③そのような場面では感情の露出が激しく、雄たけびをあげる以外の台詞がない。
③台詞があったとしても、憎しみと怒りに満ちた言葉だけ。

なるほど・・・・。ヒーローを引き立てる悪役ぶりを発揮させているのですね~。
これらを無意識に観て、白人開拓者は善で先住民族は悪の破壊者と刷り込まれていったのですね。“暴力的で落ち着きのない激しい雄たけびと憎しみしか語らない人たち”=野蛮人=先住民族という図式から解放される必要がありますね。

もうひとつ、これらの映画で先住民族が果たす重要な役割は、「本物」の儀式や踊りを披露することだと松井さんは紹介し、そのことが批判されていることも述べています。
う~ん。儀式や踊りは大変神聖なものでしょうから映画で観るものではないのでしょう。まして商業用映画で扱うべきではないというのは分かるような気がします。
つい先日「エメラルド・フォレスト」を観て、よかった、踊りなどの儀式も観ることが出来てよかったなどと書いた後、あらためて紹介してくださった小田さんのブログを読み直したら誇張もあるとのことを知り、複雑な思いになりました。無批判に観てしまっていたことを考えさせられました。
このシリーズはもっと読みたいです。


映画といえば、はたまた事務仕事をしながら「ファースト・フード・ネイション」を観ました。
最後の場面で牛肉工場のコンベアーに牛が次々と乗せられ、され、逆さに吊るされて頚動脈を切られて血抜き、足を切られて皮をはがされ、内臓を取られと処理され、次第にハンバーガーのミートになるまでが映像に流れてきたのを見ながら、これまたいろいろと考えさせられました。千松くんのように一対一でちゃんと格闘して得た肉を感謝して喰うのがやっぱり本当なのかな、と。(1/17 blog参照)


今日は一日で30センチ積もった雪を何度か投げながら、教会事務やアイヌ奨学金の事務をしていました。午後にはお客さんたちが訪ねて来てくれました。
近所の小学3年生の女の子達がちょくちょく遊びに来るのです(彼女たちのことは6/24blog参照。その後も、秋のフリマもお客さんに手品の芸を披露するわ、クリスマスでも一芸を披露してくれるわで、とても協力してくれています)。
今も時々、遊びに来ては、一緒に最近流行っているという「だるまさんの一日」や、鬼ごっこ、かくれんぼをして遊びます。




北方民族博物館の展示物。アイヌ民族ではない北方民族のイナウと熊の頭蓋。
イナウが独特ですね~ (どこの民族か忘れてしまいました)


ペウレ・ウタリの会~インカルシペ・アイヌ民族文化祭

2009-01-26 06:17:33 | インポート
24日(土)は、小金湯のピリカ・コタンで行なわれている会合に参加しました。

午前中は第13回ペウレ・ウタリの会に参加。ペウレとはアイヌ語で“若者”の意味。
この数年は少数で開催されたようですが、今回は午後にウタリ協会札幌支部開催のインカルシペアイヌ民族文化祭もあったためか(関係者談)、多くの若者達が集っていました。

田澤 守さん(樺太アイヌ協会会長)の上手な司会進行により、各グループに分かれての話し合いを行ないました。先住民族としての権利を自分の声で訴えようというもので、わたしの参加したグループも豊かな時間を過しました。
いちばんお若い16歳のKくん、そして20代~40代の数人、60代の方もおられて年齢幅も広く、内容も豊かでした。

「金持ちになりたい」、「土地を返して欲しい」、「ピリカコタンの維持を」、「トンコリを世界中に広めたい」「孫が差別なく暮らせるように」という願いなどが出されました。
また、わたしのグループは半数がアイヌ民族の機動訓練生で、現在、ピリカコタンで木彫りや刺しゅうの訓練を毎日学んでおられるとのことでした。が、その後の補償などが全くないとのこと。学びを活かせる職が広げられるよう要望が出ました。

さらに、伝統的なものを作るために山から素材を取るにも今は申請・許可が必要で大変面倒だとのこと。資源が自由に使えるようにとの要望も出ました。
アイヌのテレビ局を作るように。ピリカコタンでの就職の枠を広げるようにとの声も。
他のグループからは「鮭を自由に捕れるように」「国立・国定公園を自由に使えるように」「アイヌ文化を学び活動できる施設を」「謝罪を!」という声も。
若者の声を聞けて良かったです。




午後は、さらに人数が増え、第15回インカルシペアイヌ民族文化祭に参加させて頂きました。
はじめに上村英明さんの講演。その後、「先住権・自己決定権」「教育・文化」「土地・資源」など5つのグループに分かれ、それぞれの権利について話し合い、発表されました。
わたしは「先住権・自己決定権」のグループに参加させて頂きました。

あるフチは、先祖の土地がお酒一杯で奪われた(酒を飲ませて不当に搾取された)という話や川に流されて区画整理の時には半減されていた(しかし、抗議のしかたが分からずそのまま)、など、調査も含めて返還を求める声や、アイヌ民族の伝統を伝えることの出来る学校をつくってほしい、各地でのアイヌ墓地がほしい、などの要望が出されました。

これらのまとめをウタリ協会札幌支部でまとめて、有識者懇談会へ提言という形で送るとのこと。まとめの情報が入り次第、また紹介させて戴きます。


その後、三つのグループの歌や踊りが披露され、最後はアイヌ・アート・プロジェクトの歌にあわせてリムセ(輪踊り)で盛り上がりました。あんたも来なさいと手招きしてくださったおかげで照れ屋のわたしも加わらせて頂きました。




途中の猛吹雪の中を無事、帰宅し、翌日は日曜礼拝。
その後、酪農大学で行なわれたイヴェント「フェスティバル創楽」に行きたいと思いつつ、時間がなく断念しました。残念。