前回の小林氏が引用している1970年出版の『アイヌ民族誌』(アイヌ文化保存対策協議会編 第一法規)の中で高倉新一郎氏が執筆した文書に依拠して、「民族問題としてのアイヌ問題は、1960年代で終わったのだ」と記しているところで、榎森さんの指摘(前回Blog参照)の後半の部分。
「この文献に収録されている文章の多くは、アイヌ民族を「研究の対象」として観て北研究者の文章であることを指摘しておく必要がある」
この部分を少し、「肖像権」裁判の内容から補足説明しておきます。
「肖像権」裁判とは内藤美恵子さんが1964年、詩人・郷土史家・アイヌ研究者である更科源蔵が北海道阿寒国立公園川湯温泉で原告を写真撮影し、その一枚を原告の承諾を得ないで1969年出版の『アイヌ民族誌』に掲載したこと、出版社の第一法規も被告が提供した写真を原告の承諾なしに本に掲載し、全国に頒布した等を「肖像権」の侵害と名誉毀損で東京地裁に損害賠償請求の提訴をしたものです。
内藤さんの提訴理由の三点の要点をわたし流に述べると以下の通り(榎森進著『アイヌ民族の歴史』p555参考)。
①『アイヌ民族誌』の内容は、アイヌ民族を「滅びゆく民族」として、全般にわたって紹介したものであり、その方法は、身体的特徴を解剖学的に紹介するなど人間をあたかも標本のように扱っているが、アイヌ民族は滅亡することなく民族の誇りを持って現に存在し、内藤もその一人であること。これを一方的に「滅びゆく民族」として決めつけ、民族の誇りを著しく傷つけるものであること。写真を無断で掲載されたことにより、内藤は自己の身体的特徴等を解剖学にさらされた上、「滅びゆく民族」の烙印を押されたこと。
②しかも、『アイヌ民族誌』は北海道百年事業の一環として出版されたものであり、この百年事業はアイヌ民族に対する同化政策の歴史であったことから内藤も含むアイヌ民族として反対をしてきた。しかし、本に掲載されることであたかも同化政策に賛成する立場をとるものとして印象を流布されたこと。
③内藤は、アイヌ民族としての誇りを公然と傷つけられ、更にあたかも同化政策に賛成の立場をとるかの如き誤った印象を公然流布され、その名誉を毀損されたこと。
その後、被告更科が1985年に亡くなったため、更科氏の告訴をとり下げ、翌年に『アイヌ民族誌』の監修者・執筆者である高倉新一郎(北海道大学名誉教授)と犬飼哲夫(同)を告訴。最終的には1988年に和解。その条件は第一法規が原告に100万円を支払う。被告らが連盟で原告に対し「おわび」を提出するというもの。同年、9月の「おわび」には「貴殿の誇りを傷つけましたことは、誠に遺憾であり、陳謝します」と記され、実質的な勝利となります。
裁判の詳細は『アイヌ肖像権裁判・全記録』(現代企画室)にあります。わたしたちアイヌ民族情報センターも裁判支援をしました(当時、わたしは道外でしたので関わっておりません)。
この度のヘイトスピーチ問題に関連することとして、小林よしのり氏への批判に触れ、小林氏は『アイヌ民族誌』の中で高倉新一郎氏が執筆した文書に依拠して、「民族問題としてのアイヌ問題は、1960年代で終わったのだ」と記していることから、今回の肖像権裁判の紹介となったわけですが、『アイヌ民族誌』の監修者・執筆者である高倉新一郎氏の書いていることは「高倉氏個人の見解であり、歴史学研究者の共通した見解ではない」(榎森)し、内容に関して裁判を起こされ、「おわび」を書かねばならない問題作であったものを小林氏は引用したと言うことでしょう。
「肖像権」裁判での「滅びゆく民族」としての決めつけと、今回のヘイトスピーチ「アイヌ民族、いまはもういない」の共通性と「誇りを傷つけられた」ということが重なっているように感じます。以前にも書きましたが(2015/01/31)、国連勧告にてヘイトスピーチは「告訴」の対象になる犯罪であり、公人は制裁されなくてはならない、と述べているのですからアイヌ政策推進会議でしっかりと議論して、国が訴えないといけないことですね。

チカップさんの作品集
内藤美恵子さんこと、チカップ美恵子さんのことは、当Blogで繰り返しご紹介させて頂きましたが、当センターでは『アイヌ・モシリの風』(NHK出版)、『アジア・太平洋の先住民族 権利回復への道』(ヒューライツ大阪)、『風のめぐみ』(お茶の水書房)、『カムイの言霊』(現代書館)、『チカップ美恵子の世界 アイヌ文様と詩作品集』、『森と大地の言い伝え』(北海道新聞社)、『福音と世界』(信教出版)1995年2月号「アイヌとして生きる」、チカップ美恵子アイヌ文様カレンダー(1999年~2005年)等を所蔵しています。
また、NHK出版社は増刷がかなわない在庫を裁断するとのことで、『アイヌ・モシリの風』の在庫を引き取って欲しいとの内部依頼があり、在庫を買取って収益なしで販売しています。加えて、チカップ美恵子アイヌ文様カレンダー(1999年~2005年)の在庫も、あまりにいい刺繍と写真ゆえ、格安でお分けしています。
個人的には、アイヌ文様カレンダーの2005年版に、わたしも関わらせて頂き、チカップさんの写真選びのこだわりや真剣さに触れられたことは、いい想い出になりました。感謝!

まりも祭で撮った阿寒のフクロウ