goo blog サービス終了のお知らせ 

アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

『アイヌ民族否定論に抗する』その3

2015-02-15 06:54:08 | 日記
また横道に入ります。
前回の小林氏が引用している1970年出版の『アイヌ民族誌』(アイヌ文化保存対策協議会編 第一法規)の中で高倉新一郎氏が執筆した文書に依拠して、「民族問題としてのアイヌ問題は、1960年代で終わったのだ」と記しているところで、榎森さんの指摘(前回Blog参照)の後半の部分。
「この文献に収録されている文章の多くは、アイヌ民族を「研究の対象」として観て北研究者の文章であることを指摘しておく必要がある」
この部分を少し、「肖像権」裁判の内容から補足説明しておきます。

「肖像権」裁判とは内藤美恵子さんが1964年、詩人・郷土史家・アイヌ研究者である更科源蔵が北海道阿寒国立公園川湯温泉で原告を写真撮影し、その一枚を原告の承諾を得ないで1969年出版の『アイヌ民族誌』に掲載したこと、出版社の第一法規も被告が提供した写真を原告の承諾なしに本に掲載し、全国に頒布した等を「肖像権」の侵害と名誉毀損で東京地裁に損害賠償請求の提訴をしたものです。
内藤さんの提訴理由の三点の要点をわたし流に述べると以下の通り(榎森進著『アイヌ民族の歴史』p555参考)。
①『アイヌ民族誌』の内容は、アイヌ民族を「滅びゆく民族」として、全般にわたって紹介したものであり、その方法は、身体的特徴を解剖学的に紹介するなど人間をあたかも標本のように扱っているが、アイヌ民族は滅亡することなく民族の誇りを持って現に存在し、内藤もその一人であること。これを一方的に「滅びゆく民族」として決めつけ、民族の誇りを著しく傷つけるものであること。写真を無断で掲載されたことにより、内藤は自己の身体的特徴等を解剖学にさらされた上、「滅びゆく民族」の烙印を押されたこと。
②しかも、『アイヌ民族誌』は北海道百年事業の一環として出版されたものであり、この百年事業はアイヌ民族に対する同化政策の歴史であったことから内藤も含むアイヌ民族として反対をしてきた。しかし、本に掲載されることであたかも同化政策に賛成する立場をとるものとして印象を流布されたこと。
③内藤は、アイヌ民族としての誇りを公然と傷つけられ、更にあたかも同化政策に賛成の立場をとるかの如き誤った印象を公然流布され、その名誉を毀損されたこと。


その後、被告更科が1985年に亡くなったため、更科氏の告訴をとり下げ、翌年に『アイヌ民族誌』の監修者・執筆者である高倉新一郎(北海道大学名誉教授)と犬飼哲夫(同)を告訴。最終的には1988年に和解。その条件は第一法規が原告に100万円を支払う。被告らが連盟で原告に対し「おわび」を提出するというもの。同年、9月の「おわび」には「貴殿の誇りを傷つけましたことは、誠に遺憾であり、陳謝します」と記され、実質的な勝利となります。

裁判の詳細は『アイヌ肖像権裁判・全記録』(現代企画室)にあります。わたしたちアイヌ民族情報センターも裁判支援をしました(当時、わたしは道外でしたので関わっておりません)。

この度のヘイトスピーチ問題に関連することとして、小林よしのり氏への批判に触れ、小林氏は『アイヌ民族誌』の中で高倉新一郎氏が執筆した文書に依拠して、「民族問題としてのアイヌ問題は、1960年代で終わったのだ」と記していることから、今回の肖像権裁判の紹介となったわけですが、『アイヌ民族誌』の監修者・執筆者である高倉新一郎氏の書いていることは「高倉氏個人の見解であり、歴史学研究者の共通した見解ではない」(榎森)し、内容に関して裁判を起こされ、「おわび」を書かねばならない問題作であったものを小林氏は引用したと言うことでしょう。

「肖像権」裁判での「滅びゆく民族」としての決めつけと、今回のヘイトスピーチ「アイヌ民族、いまはもういない」の共通性と「誇りを傷つけられた」ということが重なっているように感じます。以前にも書きましたが(2015/01/31)、国連勧告にてヘイトスピーチは「告訴」の対象になる犯罪であり、公人は制裁されなくてはならない、と述べているのですからアイヌ政策推進会議でしっかりと議論して、国が訴えないといけないことですね。


チカップさんの作品集

内藤美恵子さんこと、チカップ美恵子さんのことは、当Blogで繰り返しご紹介させて頂きましたが、当センターでは『アイヌ・モシリの風』(NHK出版)、『アジア・太平洋の先住民族 権利回復への道』(ヒューライツ大阪)、『風のめぐみ』(お茶の水書房)、『カムイの言霊』(現代書館)、『チカップ美恵子の世界 アイヌ文様と詩作品集』、『森と大地の言い伝え』(北海道新聞社)、『福音と世界』(信教出版)1995年2月号「アイヌとして生きる」、チカップ美恵子アイヌ文様カレンダー(1999年~2005年)等を所蔵しています。
また、NHK出版社は増刷がかなわない在庫を裁断するとのことで、『アイヌ・モシリの風』の在庫を引き取って欲しいとの内部依頼があり、在庫を買取って収益なしで販売しています。加えて、チカップ美恵子アイヌ文様カレンダー(1999年~2005年)の在庫も、あまりにいい刺繍と写真ゆえ、格安でお分けしています。
個人的には、アイヌ文様カレンダーの2005年版に、わたしも関わらせて頂き、チカップさんの写真選びのこだわりや真剣さに触れられたことは、いい想い出になりました。感謝!


まりも祭で撮った阿寒のフクロウ

『アイヌ民族否定論に抗する』その2

2015-02-14 12:46:03 | 日記
『アイヌ民族否定論に抗する』(岡和田 晃,マーク・ウィンチェスター)を少しづつ読んでいますが、前回の小林氏が引用している1970年出版の『アイヌ民族誌』(アイヌ文化保存対策協議会編 第一法規)の中で高倉新一郎氏が執筆した文書に依拠して、「民族問題としてのアイヌ問題は、1960年代で終わったのだ」と記しているところで、榎森さんの指摘の以下の部分、
「むしろこの時期は、アイヌ民族の復権運動が高まりつつある時期で、高倉氏は、アイヌ民族の復権の意義を理解することが出来なかった結果、こうした意味の文章を書いたのであって、日本の研究者が高倉氏と同じ見解を共有していたわけではない。しかも、この文献に収録されている文章の多くは、アイヌ民族を「研究の対象」として観て北研究者の文章であることを指摘しておく必要がある」
を、ざっくりと調べて紹介してみます。

例えば、榎森進さん著『アイヌ民族の歴史』(草風館)の「第10章 立ち上がるアイヌー戦後編」を参照すると、戦後民衆主義の社会的動向を背景として、アイヌ民族が「民族」と自らを称し、未来への期待を込めた新たな活動を開始する部分など、ワクワクしてくる記述が続きます。これは以前の活動日誌に書いた札幌自由学校「遊」での竹内 渉(わたる)さん(北海道アイヌ協会事務局長)のお話を聞いた時も感じました。
さて、1960(昭35)年4月、北海道アイヌ協会が再建されると共に、翌1961年4月、北海道ウタリ協会と改称するなど、アイヌ民族の組織が強化されたのに伴い、北海道が「北海道アイヌ協会」に対して同協会の運営資金を助成しはじめたことや、厚生省が同協会に対して「不良環境地区改善事業」の一環として補助金を支給しはじめます。この辺りをみて高倉氏のあの発言があったのかと推測しますが、榎森さんは小川正人さんの指摘を引用し、以下のように書いています。
「この頃各地のコタンから道に対して生活条件改善の訴えが出されていたという事実から推して、自分達の生活を護り築こうとする切実な意識がその基盤となっていたとみるべきであろう(小川正人『先駆者の集い』解説、『アイヌ史・活動史編』)」。

各地のアイヌ民族が自分たちの生活を護り築こうと切実な思いで訴えるという動きがあった結果、道が動いた、と。


阿寒湖のまりも祭の一風景(2014年)

さらに、「民族意識の高揚と多様な活動」(『アイヌ民族の歴史』第10章 p524ff)には、「北海道百年」認識に対する批判的な見解や運動があったことが多数、記されています。
1970年7月発行のアイヌ民族の同人誌『北方群』創刊号の巻頭文(向井喜美恵)の内容は胸を打ちます。『北方群』第2号(1972年)の巻頭言「ウタリに対する不当差別の告発を」には、HBCテレビドラマ『お荷物小荷物』によるアイヌ差別に対し、北海道ウタリ協会石狩(札幌)支部が抗議して放映中止と謝罪をさせた。このような不当な差別に対し直接行動を取りはじめたのは画期的なことだ、と記述していることを紹介しています。
また、『日高文芸』6号掲載「対談・アイヌ」発行(1970年)しかり、同年6月に若いアイヌの女性達中心で手作り新聞『アヌタリアイヌ(われら人間)』発行も、民族意識の高まりと様々な活動として紹介しています。『アヌタリアイヌ』には、北海道電力が伊達市長和に建設予定の火力発電所建設に反対するアイヌの漁民たちの座談会(創刊号)、「シャクシャイン供養祭」やクナシリ・メナシの戦いで処刑された37名のアイヌを供養するためのイチャルパ(先祖供養祭)の様子を伝える記事、連載では「エカシとフチを訪ねて」(13回)の聞き書き、和人の研究者の批判、アイヌ宣言としてのメーデー参加の記事など、重要な記事が満載だ、と。

また、70年代後半になると、30年ぶりに国政選挙にアイヌの青年成田得平さんが立候補。これは1947年第22回衆議院議員選挙の際、辺泥和郎、大河原徳右衛門、川村三郎の3名が立候補した以来(いづれも不当選)。しかし、その後、アイヌ人口の多い地域を中心に町村議会議員に当選するアイヌも次第に増え、30年ぶりの立候補となった。結果は不当選となったが、全国の得票を分析すると、「成田がこの選挙において社会的弱者や少数者を尊重する政治の実現を訴えたことが得票に結びついた」と榎森さんは評価しています。

これらに加え、「北大での差別抗議との闘い」(1977年)や、「北大医学部の人骨問題」、「肖像権裁判」の闘いのように、アイヌ民族は60年代以降も、様々な場や機会を活用して、アイヌ民族の民族としての尊厳とアイヌ文化を護る運動を積極的に行っていると榎森さんは指摘しています。

小笠原信之さん著『アイヌ近現代史読本』(緑風出版)第6章「民族復権の新しい波」や、宮島利光さん著『アイヌ民族と日本の歴史』第9章「アイヌ民族復権への道」も参考になります。宮島さんの「アイヌ民族の歴史略年表」の1972年には
「この頃、アイヌ民族の復権運動が盛り上がり、各地にアイヌ主体の運動組織が結成される。道庁、初めて「ウタリ生活実態調査」実施」とあります。

ところで、『アイヌ史』(北海道アイヌ協会・北海道ウタリ協会)全5巻をポンと寄贈して下さる方はおられないでしょうか。

JR留萌本線の途中にある恵比島駅。NHK朝ドラ『すずらん』で舞台になり、それ以来、観光用に「明日萌駅」となっています。
最近、留萌本線はよく吹雪で止まります。

『アイヌ民族否定論に抗する』榎森進さんの特別掲載

2015-02-12 19:05:21 | 日記
過日、Amazonで購入した『アイヌ民族否定論に抗する』(岡和田 晃,マーク・ウィンチェスター)。
特別掲載として、榎森進さんの「歴史からみたアイヌ民族―小林よしのり氏の「アイヌ民族」否定論を批判する」を読みましたので紹介します。

小林よしのり氏は、アイヌが「民族」であるか疑問であり、さらに「先住民族」であるかどうかについては、学問的にも「異論」があることを、文化人類学者の河野本道氏の見解に依拠して述べているようです。
それに対し、榎森さんは
「この河野本道氏の見解は、あくまでも氏個人の独自の見解にすぎず、学会の定説になっている見解ではない。氏の、アイヌの墓標の特徴を根拠にした「アイヌ文化」の地域的相違の存在の指摘以外の問題、特に「アイヌ民族否定論」は、学会では受け入れられていないのである」
と、あっさり批判。そして、「民族」の定義については、様々な見解があるが、
「日本語における「民族」という語は、一般に、言語の共通性をはじめ、宗教・芸術・衣食住の習慣・価値体系の共通性を有する特定の個別文化と、こうした個別文化を有している人間集団の構成員の同集団への「帰属意識」の存在を「民族」形成の大きな要因とみる見解が支配的である」
と述べ、こうした、現在の学会における一般的な「民族」の定義を踏まえれば、アイヌは「民族」だと説明。さらに、1457年の東はムカワ(現・鵡川)から、西はヨイチ(現・余市)にいたる地域のアイヌが一斉に蜂起した「コシャマインの戦い」をみるにいたったのも、当時の「アイヌ集団」が「民族」としての「アイヌ民族」を形成するにいたっていたからに他ならない。そうでなければ、こうした広範囲にわたる地域の「アイヌ集団」が反和人の戦いに立ち上がった理由を説明できない、と。1669年の「シャクシャインの戦い」も、東はシラヌカ(現・白糠)から西はマシケ(増毛)にいたるさらに広範囲のアイヌ民族が立ち上がったのも、明確な「帰属意識」が存在していたからこそだ、と。

また、榎森さんは「ユカラ」にも注目しています。
「ユカラという口承文芸が成立するためには、その内容を聞いて理解し、納得する人間集団の成立が前提となる。つまり、共通の言語をはじめとして、その内容を理解出来る特定の個別文化と、こうした個別文化を有している人間集団への「帰属意識」が存在していなければならないが、「ユカラ」という口承文芸が成立したということは、それを謳(うた)い、またそれを聞いて、その内容に共感する「人間集団」が形成されたことを意味しており、換言すれば、この口承文芸の成立こそ、「アイヌ民族」の形成を証明するもっとも典型的なものといえるのである」


近所の中学生女子達がバレンタインの手作りチョコを作る会を教会で行い、ひと足お先に頂戴しました。

さらに、小林氏の見解で見過ごせないこととして、1970年出版の『アイヌ民族誌』(アイヌ文化保存対策協議会編 第一法規)の中で高倉新一郎氏が執筆した文書に依拠して、「民族問題としてのアイヌ問題は、1960年代で終わったのだ」と記しているところ。高倉氏がこの本で書いていることは、「アイヌ民族問題は、もはや社会福祉問題になっている」との趣旨の内容で、これも高倉氏個人の見解であり、歴史学研究者の共通した見解ではない、と指摘。
「むしろこの時期は、アイヌ民族の復権運動が高まりつつある時期で、高倉氏は、アイヌ民族の復権の意義を理解することが出来なかった結果、こうした意味の文章を書いたのであって、日本の研究者が高倉氏と同じ見解を共有していたわけではない。しかも、この文献に収録されている文章の多くは、アイヌ民族を「研究の対象」として観て北研究者の文章であることを指摘しておく必要がある」
と書いています。
まとめると、小林氏の論理は、他人の著者内容の一部、それも小林氏の見解に都合のよい人の文章にのみ依拠して、自己の論理を展開し、自己の見解を絶対的なものとして書いているところに大きな特徴がある。したがって、彼の論理には科学的根拠は一切ない! と批判。

先日、精神科医の香山リカさんが小林氏と長時間に渡る対談をし、月刊誌「創」15年月号で、17ページもの長文の「激論」が掲載されたことが報道されました。香山さんの相手に「意見の撤廃をしてもらう」ために対談に望んだ姿勢に頭が下がります。(J-CASTニュース-2015/2/9 http://www.j-cast.com/2015/02/09227467.html )
期限切れの場合は、「先住民族関連報道ブログへ http://blog.goo.ne.jp/ivelove 
香山さんは『アイヌ民族否定論に抗する』にも執筆されていますので、榎森さんの小林氏批判を読まれて対談にのぞまれたのでしょうが、「科学的根拠が一切ない」ことは指摘されたのでしょうか。機会があれば「創」も読んでみたいです。


センタースタッフ会のあと、札幌雪まつりを見学。あまりの寒さで人形劇を観たかったものの挫折!
昨日、情報センター蔵書・映画DVD・講演テープ・民族音楽CDのリストを道内の教会・関連施設に送付しました。蔵書は789冊、関連報道や映画DVDは226本、いろいろなところに出かけて録音した講演テープ(資料付)は156本。音楽CDは60本。
センタースタッフ会で、このリストの使い方を説明する文書があったらいいのではという意見が出て計画中です。たとえば、書籍数册や数本のDVDを選んで紹介し、教会で自主学習会などに用いてみてはいかがでしょうか、というようなもの。アイヌ文化振興・研究推進機構なども利用して毎年制作しているアイヌの伝統・文化を題材にした絵本(最優秀賞作品)なども、こども用に配布できたらいいなとも考えているのですが、可能なのか今度、問い合わせてみようと思います。

「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 報告その4  

2015-02-06 17:10:18 | 日記
今回の東京出前講座は「週刊金曜日」の協賛もあり、1月30日号にて特集「日本の先住民族と憲法と」を組み、さらに、YouTube「金曜日チャンネル」に葛野次雄さんのインタビューを公開しています。
次のURLで観ることができます(6分後より)。
https://www.youtube.com/watch?v=VxwrHfW9CxI&feature=youtu.be

週刊金曜日の特集はフリーランス記者の平田剛士さんがまとめたものですが、6ページにわたって年表やコラムをふんだんに使い、とても見事です。様々な意見も豊かでとても読みやすいです。そこから、「Part3 憲法に規定されていない先住権」の部分を紹介します。ざっというと以下の通り。
常本照樹さん(北大アイヌ・先住民研究センター長・アイヌ政策推進作業部会会長)は著書でこう述べる。
「国内に先住民族が存在しているにもかかわらず、それに関する憲法規定を持たず、条約(先住民族との間に結ばれ、先住民族の地位と権利を規定するもの)もない国々もある。(略)日本尾その一例である。(略)憲法が一朝一夕になしうるものではないとしたら、さしあたり現行の憲法のもとで先住民族にとって必要な権利の実現をはかる道を追求すべきことになろう。」(「憲法の最前線あるいは最縁辺―先住・少数民族の権利」、紙谷雅子編著『日本国憲法を読み直す』収録,日本経済新聞社、2000年)

2009年の有識者懇談会もほぼ同じスタンスで、アイヌ政策が「憲法を踏まえるべきなのは当然」といった趣旨の記述があり、常本氏はその委員でもあった。政府に憲法を遵守する義務はある。その憲法に先住権の規定はない。ない以上、政府に出来ることには限界がある、というわけだ。
しかし、この意見に上村英明さん(市民外交センター代表・恵泉女学園大学教授)は、こう述べています。
「法律は人のためにある、という視点がまるで欠落していますよね。憲法に規定がないと結論づける前に、憲法でアイヌ民族の権利をどう守れるか、憲法学者たちが議論していないことこそ問題です。」
「常本氏のこの理論は、ただでさえ動きたがらない政府をまるで正当化してしまっている。」

植木哲也さんは、以下のように述べています。
「現状を肯定した上で、日本国憲法の枠内で処理しようというこの発想自体が、同化政策的です」

市川守弘さん(遺骨返還訴訟弁護団)は、こう述べます。
現在、この体内的主権(注1)を日本政府は認めていません。それこそ先住権の侵害そのものです。先住権を回復するとは、すなわちこの違法状態を是正することにほかなりません」

(注1)対内的主権とは、領域内の資源利用法を定め、メンバー間の紛争を解決し、ルール違反者を罰する、といった内部統治のための権利のこと。アイヌ民族は江戸期までは幕府に各コタンの体内的主権が認められていましたが、明治になって妨げられてしまう。

名ばかりの先住民族の状態を一刻も早く法に位置づける努力をするべきです。

この度の人権救済の申立と出前講座、それにまつわる報道で多くの反響がありました。この問題を広めたいとパンフレットを多数買って下さる方も増えましたし、中には70代の方より、ご自身の父親が児玉作左衛門と同時期に北大教授で、遺骨収集に対し批判していたのを覚えているとのことで、応援のお電話を頂いたりもしました。関心と支援の輪が広がっていっています。


sayoさんデザインの2015年カレンダーをご本人より送って頂きました。昨年も素晴らしかったですが、今年もいいです!事前にチラ見したことがあり、sayoさんに無理を言って「息子もファンなので二枚を!」とお願いしたら、送って下さいました。感謝感激。
早速、教会に飾りました。ちなみにこれはアイヌ文化振興・研究推進機構が出しているものです。
それと、以前にsayoさんから紹介して頂いたアイヌ語ボードゲーム「アイヌイタク アエスクプ」(アイヌ語で育つ)を、プレイするのを楽しみにしています(このイラストもsayoさんが書いたようです)。プレイ方法を知っておられる方がいたら一緒にやりたいです。
最近、吹雪くことが多いので、いろいろな市販のゲーム(UNOはもちろん、PIT、ワードバスケット、ドブルなど)を近所のこどもたちとやっています。このボードゲームも近々チャレンジしたいと考えています。

「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 報告その3

2015-02-05 01:52:28 | 日記
さる1月30日に行われた「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 の報告の続きです。

講演2は榎森 進さん(東北学院大学名誉教授)による「アイヌ民族の先住権を認めたくない政府」。
榎森さんは『アイヌ民族の歴史』(草風館2007年)や、もっとも最近では、『アイヌ民族否定論に抗する』(岡和田 晃,マーク・ウィンチェスター)にも、「歴史からみたアイヌ民族 小林よしのり氏の「アイヌ民族」否定論を批判する」を執筆されています。

講演では歴史の専門家として、1984年(5月27日)に北海道ウタリ協会が総会で決議した「アイヌ民族に関する法律(案)」を「アイヌ民族の歴史上画期的な内容を有した歴史的文書」と評価。
そして、その後のアイヌ民族をめぐる国内外の動向に触れ、その問題点を浮き彫りにしました。
大半をここでは略します(後日、「さまよえる遺骨たちブログ」にレジュメが掲載されるでしょうから確認下さい)。
わたしが紹介したい所は、過去ブログでも扱いましたが、2001年3月20日、国連の「人種差別の撤廃に関する委員会」が、日本政府がILO(国際労働機構)第169号条約を未だ批准していないことに対し、日本政府に最終勧告を提示したところ。
勧告の内容は以下の通り、
「締約国(日本)に対し先住民としてのアイヌの権利を更に促進するための措置を講ずることを勧告する。この点に関し、委員会は、特に土地に係わる権利の認知及び保護並びに土地の喪失に関する賠償及び賠償を呼びかけている先住民の権利に関する一般的種族に関する勧告23(第51会期)に締約国(日本)の注意を喚起する。また、締約国(日本)に対し、原住民及び種族民に関するILO第169号条約を批准すること、及びこれを指針として使用することを慫慂する」。

この勧告に対する日本政府の回答は以下の通り、
★「先住民」について。「『先住民』という言葉の定義については、国際的な定義がなく、上で述べたような意味において、アイヌが『先住民』であるかどうかについては、国際的な論議との関係において慎重に検討する必要があると考えている」。
★ILO第169号条約について。「本条約については、ILOが本来取り上げるべき労働者保護以外の事項が多く含まれており、また、我が国の法制度に整合しない規程が残されいるという問題もあるため、ILO総会での採択の票決において我が国政府は棄権したところであり、直ちに批准することには問題が多いと考えている」。

その後、ご存知の通り、2007年9月には国連総会で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を多数決で採択。賛成:143ヶ国(日本は「民族自決は国家からの分離・独立を含まない」「集団の権利は、一般に認められない」との保留を付けて賛成)。そして、2008年5月、国連人権委員会が日本政府に対し、この「国連宣言」の国内適用に向けて、アイヌ民族と対話するように勧告。同年6月6日、衆参両議院本会議で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める国会決議」を全会一致で採択。日本政府はアイヌ民族をはじめて「先住民族」と認めるのですが、相変わらずILO第169号条約を批准していません。

榎森さんは、その後の流れも追いながら、2008年に設置した「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(以下「あり方懇」と略)と、2010年に設置された「民族共生の象徴となる空間」作業部会・「北海道外アイヌ生活実態調査」作業部会の二部会の各『報告書』の問題点を指摘。

まず、「あり方懇」の『報告書』の問題点。
「あり方懇」は、2007年(平成19)の「国連宣言」と翌2008年(平成20)の国連人権委員会の日本政府に対する勧告の内容を強く意識し、2008年(平成20)6月の両議院本会議での「アイヌ民族を先住民族とすることを求める国会決議」を受けて、同年7月、官邸に設置されたものであった。したがって、「あり方懇」は、当然のことながら「国連宣言」と国連人権委員会の日本政府に対する勧告の内容及び「国会決議」の内容を真摯に受け止めた『報告書』を作成すべきであった。ところが、『報告書』の内容は、アイヌ民族の歴史を正確に記述していないだけでなく、「国連宣言」の各条文で謳っている先住民族の権利については、僅かにアイヌ文化の伝承活動との関わりで触れているに過ぎず、「国連宣言」の重要な部分を構成している土地・領域・資源に対する権利(第25条~32条。別紙資料参照のこと)をアイヌ民族に適用することを意識的に避けた内容になっているところに最大の欠陥が存在している。しかも、カナダ・オーストラリア・ニュージーランド等の政府(首相)が当該国の先住民族に対して過去の政策に関して公式に謝罪しているにも拘わらず、同『報告書』では、国のアイヌ民族に対する公式な謝罪を要求していない。

次に、「民族共生の象徴となる空間」作業部会(部会長:佐々木利和)と「北海道外アイヌの生活実態調査」作業部会(部会長:常本照樹)の『報告書』の大きな問題点。
先ず前者について言えば、歴史的経緯からして「国連宣言」に記されている先住民族の諸権利をアイヌ民族に適用する努力をした施策を提示しなければならないにも拘わらず、僅かにアイヌ民族の歴史や文化を理解するためのテーマパーク的空間を整備し、同空間内に国立のアイヌ文化博物館を新設すると共に、各大学に保管されているアイヌの人骨について、遺族等への返還の目途がたたないものは、この「象徴空間」に集約し、その慰霊を行うとし、しかも、「集約した人骨」は「アイヌの歴史を解明するための研究に寄与する」とさえ記していることである。→政府及び人類学者の意向が大きな影響を与えている。
また、後者について言えば、調査対象地域が東北地方から沖縄県までカバーしていることは評価されるが、1989年(平成元)12月の『東京在住ウタリ実態調査報告書』(東京都)によると、「在京アイヌ」のみで、514人(推定2,700人)を数えているにも拘わらず、青森県から沖縄県にいたる都府県に居住しているアイヌの人口が僅かに210人に過ぎないことである。調査方法に問題あり。



旭川に行く時に渡る石狩川。とても冷えた朝でした。

「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 報告その2

2015-02-04 08:02:06 | 日記

さる1月30日に行われた「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 の報告の続きです。順番で行くと講演2は榎森 進さんになりますが、裁判に関連する法的なことに関心がおありの方から問い合わせを頂いたので、講演3を先にいたします。

講演の3つ目はアイヌ遺骨返還訴訟弁護団の市川守弘さんによる「先住権・憲法から解きほぐす遺骨返還」。
これは、当日のレジュメもないので、聞いて来たかのような報告はできませんが、当日に資料として配られた研究論文(査読付投稿論文)『アイヌ人骨返還を巡るアイヌ先住権について』をざっくり紹介します。

北海道大学は「保管しているアイヌのご遺骨」を「祭祀承継者等」に「お渡しする」とし、その「祭祀承継者等」がだれかは裁判所に委ねると述べています。  

また、アイヌ政策推進会議の政策推進作業部会(以下、「作業部会」)は「アイヌ遺骨の返還・集約に係る基本的な考え方」(2013年6月)として次のようなまとめをしています。
1.(遺骨について)海外では、民族又は部族に返還する事例があり、アイヌ人骨もコタンまたはそれに対応する地域のアイヌ関係団体に遺骨を返還することが望ましい。
2.一方、現在、コタンやそれに変わる組織など、返還の受け皿となる組織が整備されていない。
3.このため、祭祀承継者たる個人への返還を基本とする。

政府はこの考え方に基づき人骨を「返還」するとし、返還対象とならないアイヌ人骨について、白老に計画中の「民族共生の象徴となる空間」に慰霊施設を設け、そこに収蔵する計画が進行している。

この「祭祀承継者」への返還という、もっともらしいいい方は事実上のアイヌ民族への返還拒否を意味していると市川さんは指摘。なぜならば、個体として特定される人骨のうち個人が特定されているものは全国で23体(北大では19体)しかないから。たとえ祭祀承継者へ返還されても23体のみ。残りの1612体は返還されないからだ。
また、政府の考え方へ疑問を投じる。まず、なぜ「諸外国では「民族又は部族」に返還するとされるのか、それが法的に裏付けされるのならアイヌ民族の場合も同様に捉えるべきだ、と。

論文はこのあとアメリカにおける先住権を過去の裁判判決例を交えて紹介。まとめるとアメリカの先住民族はトライブごとに自主決定権が認められている、と。その概念をもとにアイヌ民族の先住権を議論し、先住権を有すると評価できる団体、つまり主権主体は各コタンだ、としています。
「アイヌは慣習的に各コタン集団が特定の排他的支配的領域を持ち、土地を支配し、使用し、利用して来た。しかもその裏付けは各コタンが自らの法によって自立的に統治するという対内的主権であったことが明らかとなる。この主権を権原としサケ狩猟権や土地資源利用権などの土地占有、土地利用、利益の享受という先住権権限がアイヌには認められる。」

さらに、本論文の目的である当該コタンの支配する土地内に存在した当該コタンの墓地や埋葬された遺骨の管理権限もこの主権に裏打ちされた土地利用の一つとして先住権に含まれるかの検証がなされます。
まず、亡骸(遺骨)は遺族のものではなく、コタンのものであり、「祖先の祭り=粗霊祭り」はコタンの全構成員による「祀り」であった。そして、こう結論づけます。
「このような墓地及び遺骨に関する起立を持った管理行為は土地に対する利用権の一つとして先住権にふくまれなければならない。よって、遺骨返還請求権はこの管理権限の一つとして先住権に根拠づけることが出来る」

また、
「国や北大は遺骨を財産として相続対象とし、家制度を基本に祭祀継承者制度を適用しようとするけれど、それがアイヌの方規則と相容れないどころか、遺骨は明治初期のものもあるが、旧民法制定(明治31)以前に死亡した遺骨に対して死後の相続法を遡って適用するという考えになり、すでに破綻がある」、と。

国や北大が、コタンないしコタンに代わる団体がないということに対し、
「そもそも現在の事態は明治政府以降のアイヌの主権を認めない一方的侵略行為の結果なのであるから、アイヌの主権の回復こそ必要であり、主権主体であるコタンの回復は不可欠である。コタンが「存在していない」のであれば回復させるのが国の義務である」と述べています。

さて、この度の訴訟の原告のみなさんは、盗んだ遺骨をもとにあったコタンに戻せと訴えておられます。たとえば浦河杵臼の場合、過去に盗掘された場所にいつか取り返して遺骨を納めるのだと、以前に北海道ウタリ協会浦河支部が建てた供養塔があります。そこに納めたい、と。
過去ブログ参照  http://blog.goo.ne.jp/ororon63/e/6ef4b8a2b041f2184df42a172fb23ca0
他に返還請求している遺骨も、受け入れ場所は整っているのです。それでも返還しないという意味が謎です。

続けて、近日中に講演2をUPします。

月がきれいな夕べ、月につられてはじめてバンゴベに行きました。留萌の北東にある町でずっと気になっている地名です。写真はきれいではありませんが。


「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 報告

2015-02-02 15:50:06 | 日記
さる1月30日に行われた「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 の報告を聞きましたのでUPします。わたしは別用があり、事務局で留守番でした。詳しくはブログ「さまよえる遺骨たち」で、近く、資料などもご覧頂けるでしょう。

講演会に先立って、各新聞でも報道された通り、日本弁護士会に人権救済の申立が行われました。当日は申立人のうち7名と弁護団4名が参加。その後、90分ほどの記者会見。NHK、朝日、道新、共同通信、毎日、東京各新聞社の10社ほどが来て、熱心な質疑が行われ、申立人も丁寧に応答していたとのこと。
続く、出前講座は盛会で主催者側も含め100名を越える参加だったとのこと。この日は朝から東京が大雪に見舞われ、事務局にも開催変更の有無の問い合わせが相次いだほどでしたが、それでも多くの方が関心を持って来られたとのこと。

講演の内容ですが、植木哲也さん(苫小牧駒澤大学国際文化学部教授)の「アイヌ民族の遺骨を欲しがる研究者」の当日配布した資料を見ながら一部を紹介します。

「遺骨を欲しがる研究者」とは露骨なテーマですが、植木さんはご自分の著書『学問の暴力 アイヌ墓地はなぜあばかれたか』にも記しているように、さかのぼること19世紀ヨーロッパで頭骨への関心(骨相学、比較解剖学、形質人類学)があったことから紹介。アイヌ民族関連では1865年に起きたイギリス人の函館領事館員によるアイヌ墓地からの盗掘事件(犯罪として処理)、そして、北海道帝国大学医学部教授の児玉作左衛門の件まで取り上げ、2014年1月までに全国12大学に個体として確認できるもの1636、内個人特定の可能性のあるもの23、個体として確認できないもの515箱という数を紹介。

次に、近年の閣議決定を含む日本政府の方針の紹介から、問題の象徴空間に遺骨等を集約する件に関して研究利用の可能性=「返還できる遺族がいないという状況になってきたときには、研究対象になり得る」(『第18回「政策推進作業部会」議事概要、2014年9月18日』を紹介。

どの時代も研究者は「アイヌ民族のため」の研究だと言う者ですが、ここで植木さんは最近の研究者の発言を紹介。
・「私が言っているように、アイヌ民族は北海道に在来の人たち、先住している、縄文時代、あるいはそれ以前にさかのぼる、〔…〕縄文時代からずーっと続いている人たちである、という、〔…〕……これはプライドになりませんかね?」(百々幸夫氏、2014年国際先住民の日記念事業「アイヌ人骨の返還・慰霊のあり方 先住民族の人権─責任と公益─」(公益社団法人北海道アイヌ協会主催、2014年8月9日 より)。
さらに、
・「(研究が)なくなったらね、アイヌが北海道の在来の人じゃなくなるんだ、っていう人が出てくるんですよ。 〔…〕それを守るために、〔…〕我々は研究を続けなければいけない」(同)。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-c835.html)

もう一人の学者の発言も引用、
・研究をしないと、「アイヌだけは「北海道の先住民族です。13世紀ごろに成立したんです」ということだけしか出てこない状態が生まれ〔...〕、私たちはもしかすると、未来に対する責任というのを放棄したことになるんじゃないかというふうに思います」(篠田謙一氏、2014年8月9日)。


ここで、植木さんは「先住民族=最初の民族」ではないことを指摘。
まず、先住民族とは、
・「先住の諸共同体、人々、諸民族とは、侵略及び植民地化以前に自身のテリトリーにおいて発達してきた社会との、歴史的な連続性を有し、〔...〕人々である。」(『先住民への差別問題に関する調査報告書』、1982年)
・「一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ以前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し...」(『アイヌ民族のあり方に関する有識者懇談会報告書』、2009年)
から定義されているように、「先住民族とは統治の時点での先住を意味すること」であり、「アイヌ民族が先住民族であることは、アイヌ民族の起源とは関係ない。民族の起源については、不明なことが多い。先住性と起源を結びつけることで、アイヌ民族の先住性に対する誤解がうみ出される危険が増す。」と。そして、「だから、研究が必要だ」というのは、不安を呼び覚ますやり方であり、「アイヌのためなのに反対される」は、暗に相手をおとしめる態度である、と。

さらに、返還請求は起源研究そのものを否定するものではない。ただし、研究はそれぞれの関係者(コタンなど)の了解を得、適切な手続きを踏まえるべきである。ところが、大学に保管されている遺骨の大半は、こうした手続きを踏まえていない。したがって、大半の遺骨(とくに返還先不明の遺骨)は研究に利用できない、と指摘。
そして、「遺骨返還に取り組まないことは、過去をそのまま放置することである。それは、現在の研究(大学、社会)が過去と同質であることを意味する。未来に向けて、そのような研究を続けてよいのか?未来に向けて、そのような研究を認めてよいのか?」と問いかけています。

植木さんの指摘を受けて、わたしも過去ブログにそのことを紹介しました(2014/12/31)。
他の講演も徐々にUPできたらと考えています。

久しぶりに冷え込みがひどかった晴れた朝の「ケアラシ」。
今日の留萌は大荒れです。

『アイヌ民族否定論に抗する』

2015-01-31 15:24:29 | 日記
今日、Amazonから『アイヌ民族否定論に抗する』(岡和田 晃,マーク・ウィンチェスター)が届きました。読むのが楽しみです。
過日に講演された上村英明さん(恵泉女子学園大学教授・市民外交センター代表)による「アイヌ民族に対するヘイトスピーチをゆるすな 日本政府の「アイヌ政策」を検証する」がありました。前回の講演報告の補足になるので少し紹介します。

国連の人種差別撤廃条約は1965年に採択、1969年に発効した人種・民族・世系などの広範囲な差別に対抗するための人権基準で、日本政府も1995年に加入。その結果、日本政府には国内の差別状況に関する報告書を定期的に条約の監視機関である同委員会に提出し、その審査と勧告を受けることが義務づけられている。今回の委員会では、金子議員の発言は「表現の自由」ではなく、明確な「暴力」であり、法的に規制すべきだという意見が相次いだとのこと。8月29日に同委員会から日本政府(締約国)に出された「総括所見」の「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」とヘイトクライム(憎悪犯罪)」の前半に以下の文がついた。
「11 委員会は、締約国における、外国人やマイノリティー、とりわけコリアンに対する人種主義的デモや集会を組織する右翼運動もしくは右翼集団による切迫した暴力への扇動を含むヘイトスピーチの万円の報告について懸念を表明する。委員会はまた、公人や政治家によるヘイトスピーチや憎悪の扇動となる発言の報告を懸念する。委員会はさらに、集会の場やインターネットを含むメディアにおけるヘイトスピーチの広がりと人種主義的暴力や憎悪の扇動に懸念を表明する。また、委員会は、そのような行為が締約国によって必ずしも適切に捜査や起訴がなされていないことを懸念する。(第4条)」(国連文書CERD/C/JPN/CO/7-9’ 人種差別撤廃NGOネットワーク訳を若干修正)

この前半の「懸念」を受けて、次のような具体的勧告が出されました。
「人種主義的ヘイトスピーチとの闘いに関する一般的勧告35(2013年)を思い起こし、委員会は人種主義的スピーチを監視し闘うための措置が抗議の表明を抑制する口実として使われてはならないことを想起する。しかしながら、委員会は締約国に、人種主義的ヘイトスピーイおよびヘイトクライムからの防御の必要のある、被害を受けやすい立場にある集団の権利を守ることの重要性を思い起こすことを促す。従って、委員会は、以下の適切な措置を取るよう勧告する:
(a)集会における憎悪および人種主義の表明並びに人種的暴力と憎悪の扇動に断固として取り組むこと、
(b)インターネットを含むメディアにおけるヘイトスピーチと闘うための適切な手段を取ること、
(c)そうした行動に責任のある民間の個人並びに団体を捜査し、適切な場合には起訴すること、
(d)ヘイトスピーチおよび憎悪扇動を流布する公人および政治家に対する適切な制裁を追求すること、そして、
(e)人種差別につながる偏見と闘い、異なる国籍,人種、あるいは民族の諸集団の間での理解、寛容、そして有効を促進するために、人種主義的ヘイトスピーチの根本原因に取り組み、教授、教育、文化そして情報に関する方策を強化すること。」(同国連文書)
ヘイトスピーチは「告訴」の対象になる犯罪であり、公人は制裁されなくてはならない、と述べています。アイヌ政策推進会議でしっかりと議論して、国が訴えないといけないことですね。

アイヌ政策推進会議(第6回)議事概要(2014年6月2日)が下記にUPされています。その中で、アイヌ民族法の早期設置を要望する声がありました。文面から道外に住まれるアイヌ民族の方と想像します(何度も言うことですが、記録には発言者名が記されていませんので不明。おかしなものです)。
○一番希望することだけを申し上げます。昨年9月の会議でも申し上げましたが、アイヌ民族法を本当に作っていただきたい。北海道では象徴空間の話が進んでいますが、北海道外のアイヌは実質的にまだ何ら変わっていません。この現状を打破するためには、民族法の立法化の道筋を一刻も早くつけていただき、北海道内との格差というこの悲しい思いを一日も早く払拭できるようにしていただきたい。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/dai6/gijigaiyou.pdf

第18回「政策推進作業部会」が2014年9月18日に行われていますが、その議事概要によると、アイヌ民族の委員の中にも意見の相違がみられます。「北海道アイヌ協会よりアイヌ遺骨の返還・慰霊のあり方に関する同協会の考え方などについて説明」の後の質疑で、ある委員が以下の意見を述べています。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/seisakusuishin/dai18/gijigaiyou.pdf
○先ほどの説明内容は北海道アイヌ協会の会員全員の一致の意見ではないですね。一部の人たちがこういうものを出してきているだけで、これを読んだら怒るアイヌがいっぱい出てくると思う。

さらに、「北海道アイヌ協会の会員ではないアイヌの方々も多くいる」ことを知っている一委員(誰だか分からない)が「それらの方々を含めたアイヌ全体の意見を同協会として今後取りまとめるような考えがあるか」を質問しています。しかし、「議事概要」上での直接的な応答はありません。

前回に書いたことですが、アイヌ協会の会員数は2400人。全道調査での道内のアイヌ民族のみなさんは16786人中の14%の方しか会員になっていません。残りの86%の方、そして道外に住まれているアイヌ民族の皆さんの意見・要望をどう傾聴するかが問われています。

「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 の報告は後日に。本日、朝日新聞紙面に掲載されましたね。


石狩川河口からの朝焼け

「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」in東京 再度のご案内

2015-01-27 18:10:46 | 日記
先日、札幌に行った際、アイヌ民族関連の書籍4冊を購入。
『新・先住民族の「近代史」植民地主義と新自由主義の起源を問う』(上村英明著 法律文化社)
『永久保秀二郎の『アイヌ語雑録』をひもとく』(中村一枝著 寿郎社)
『わが心のカツラの木 滅びゆくアイヌと言われて』(北原きよ子著 岩波書店)
『前沢卓写真集 アイヌ民族 命と誇り』(前沢卓)
それと、今日、Amazonで『アイヌ民族否定論に抗する』(岡和田 晃,マーク・ウィンチェスター)を購入。こちらは諸情報によると本日、札幌の書店に出ていたとのこと。

今年度は個人の方の寄贈もあり、情報センター蔵書はこの一年だけでも百冊近くなり、合計786冊となりました。関連報道や映画DVDは220本、いろいろなところに出かけて録音した講演テープ(資料付)は140本。先日の上村さんの講演もストックしました。音楽CDは60本。それなりに資料が充実してきています。年度末に道内の全教会・関連団体に所蔵書籍・映像リスト(改訂版)を配布する予定です。
今年に寄贈頂いた書物の中には、『北方文化研究報告』全巻(北海道帝国大学 思文閣出版)や、『対雁移住樺太アイヌ家数惣人別』など対雁関連の諸資料など、貴重なものばかりでした。まだ読む時間がありませんが、いつか目を通したいと考えています。

また今回、購入した書籍もどれも読むのが楽しみです。
『新・先住民族の「近代史」植民地主義と新自由主義の起源を問う』をさっそく読みはじめました。先日、著者の上村さんにサインを頂いたのですが、いつもの癖でつい書き込みをしてしまっています。
序文にあるように、本書は2001年4月に出版した『先住民族の「近代史」―植民地主義を越えるために』の復刻版として出版。著者は当時同様、今も先住民族に対する社会的関心は低く、前に扱った先住民族にまつわる諸課題は今もあるという認識で新版を編み出されたとのこと。前回の本も知らないことばかりだったので興味津々に読みましたし、このブログでも何度か参考にさせて頂いています。特に近代オリンピックと万博と先住民族との関連の章はバチェラー調査との関連で欲覚えています。
今回もより諸課題を深めています。第5章の「尖閣諸島」問題は、2014年2月に新しい論文を書かれたのを追加されたとのこと。
このブログでも今後、ご紹介したいと思います。


(画像をクリックすると拡大します)

さて、再度の「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 のご案内です。(昨日のカウントが330でしたので・・・)
詳しくはブログ「さまよえる遺骨たち」で、ご覧頂けますし、チラシもダウンロードできます。参加費500円。申込み不要。
日時:2015年1月30日(金曜)午後6時~8時50分
会場:平和と労働センター・全労連会館(東京都文京区)
プログラム
• アイヌ遺骨返還訴訟原告からのメッセージ  差間正樹さん(浦幌アイヌ協会会長)
• 講演1「アイヌ民族の遺骨を欲しがる研究者」  植木哲也さん(苫小牧駒澤大学国際文化学部教授、『学問の暴力 アイヌ墓地はなぜあばかれたか』著者)
• 講演2「アイヌ民族の先住権を認めたくない政府」  榎森進さん(東北学院大学名誉教授、『アイヌ民族の歴史』著者)
• 講演3「先住権・憲法から解きほぐす遺骨返還」  市川守弘さん(アイヌ遺骨返還訴訟弁護団)
• 他

この日、朝日新聞(以下に引用)に報道されましたように、アイヌ民族の遺骨を集め、慰霊施設をつくろうとしている政府の方針に対し、アイヌ民族の13人とその支援者計21人が日本弁護士連合会に人権救済を申し立てます。申立の文章等は「さまよえる遺骨たち」ブログに近く、掲載します。

朝日新聞 2015年1月25日13時47分
 大学の人類学などの研究用に収集されたアイヌ民族の遺骨を集め、慰霊施設をつくろうとしている政府の方針に対し、アイヌ民族の13人とその支援者計21人が日本弁護士連合会に人権救済を申し立てることがわかった。「遺骨は収集された集落(コタン)に返すべきで、集約はアイヌ民族の人権を侵害している」と主張している。
 政府は昨年6月、アイヌ民族博物館などの施設がある北海道白老(しらおい)町にアイヌ文化の復興拠点として「民族共生の象徴となる空間(象徴空間)」を設けることを閣議決定した。国立アイヌ文化博物館(仮称)などとともに慰霊施設を置く。そこに、北大や東大など全国12大学に保管されている約1600体の遺骨を集約して尊厳ある慰霊を実現、アイヌの人々の受け入れ態勢が整うまで適切な管理を行うとした。政府は遺骨の身元が分かれば遺族に返還する方針だが、判明しているのは23体だけで、今後の返還が課題になっている。
 申し立てをするのは浦幌アイヌ協会会長の差間正樹さん(64)らアイヌ民族の13人とその支援者。「アイヌ民族はコタンで先祖を慰霊する風習がある。政府が白老町に集約し、個人にしか返還しないというのは、アイヌ民族の宗教上の権利を侵害している」などと訴えている。差間さんは「先祖の土地に返して欲しい」と話している。
 弁護士連合会が調査し、人権侵害にあたると判断すれば「勧告」や「警告」を出して是正を求めるが、法的な強制力はない。
 アイヌ民族の間では、遺骨が大学に保管されたままであることへの反発が根強く、白老への集約を歓迎する声がある。一方、一部の遺族は「無断で盗掘された」などとして、北大を相手に返還を求める裁判を起こしている。遺族は特定できなくても、収集場所がわかっている遺骨は集落に返還するよう求めている。申し立ては、収集した大学の責任をあいまいにしたまま遺骨を集約する方針に一石を投じるものになりそうだ。
 内閣官房アイヌ総合政策室は「申し立てについてコメントはできないが、地域(集落)への返還については慎重に検討している」としている。
http://www.asahi.com/articles/ASH1S4STNH1SIIPE00N.html


とても綺麗な朝焼けでした。

講演「2014先住民族に関する国連特別総会と国際人権基準の浸透―ヘイトスピーチから森林認証制度まで」

2015-01-24 14:53:50 | 日記
昨日の1月23日にインカルシペ アイヌ民族文化祭 アイヌ民族シンポジウムに親子で参加して来ました。
メイン講演は上村英明さん(恵泉女子学園大学教授・市民外交センター代表)による「2014先住民族に関する国連特別総会と国際人権基準の浸透―ヘイトスピーチから森林認証制度まで」でした。
北海道新聞も取材し、今日の紙面に載りました。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/587914.html

上村さんは2014年にあった重要な事を分かりやすく3つのポイントにわけて説明。
ひとつは「世界先住民族会議」の報告、二つ目は「ヘイトスピーチ」に関すること、最後は「森林認証制度」に関すること。

ひとつめの世界先住民族会議(WCIP)は、2014年9月22~23日に行われた。
この背景は1993年に国際先住民年があり、1995年から2004年に(第1次)世界の先住民の国際10年、翌2005年~2014年に第2次世界の先住民の国際10年のプログラムが国連で行われ、最終年の2014年に今までのまとめの会議がニューヨークの国連で開催され、文章が出た。まとめると以下の通り。
①国連先住民族権利宣言(2007)を中心とする権利保障の強化と国連機関などによる実施と監視。
②先住民族の国際社会における新たな地位の検討の開始(先住民族が「準国家」としての地位を認める検討が始まった)

ふたつめのヘイトスピーチに対しては、国連人権条約機関による日本政府定期報告書の審査があり、人種差別撤廃委員会(人種差別撤廃条約:8月20~21日)より、ヘイトスピーチを行った個人および団体を捜査し、適切な場合には起訴する事、また、ヘイトスピーチをした公人および政治家に対する適切な制裁を追求することが勧告されていると紹介。
このことを、この度の金子発言(2014年8月)に当てはめると、これは単なる「言葉の暴力」ではなく、捜査や起訴の対象となる「犯罪」であり、金子が政治家であるゆえに「制裁」の対象になる。誰が対応しなければならないかと言うと、アイヌ民族ではなく、官房長官であり国家機関(中央政府・地方政府)にある、とのこと。国際的にも日本政府もアイヌを先住民族と認めているのだから、一連のヘイトスピーチは政府が対処しなければならない。
日本政府はこの勧告がこたえたようで、自民党は「ヘイトスピーチ対策等に関する検討プロジェクトチーム」を設置(8月28日初会合)。内容はあやしいものゆえ市民がきちんと監視しないといけないが、動き始めた事はたしか。そして国だけではなく個々の市町村が取り組まねばならない。

なお、アイヌ民族に関する人種差別撤廃委員会の勧告は以下の通り。
a アイヌ政策推進会議および他の協議機関におけるアイヌ代表者の人数を増やす事を検討すること、
b 雇用、教育そして生活水準に関して、アイヌ民族とそれ以外の者の間で依然として存在する格差を減らすために講じられて措置の実施を迅速化し、向上させること、
c 土地と資源に関するアイヌ民族の権利を保護するための適切な措置を採択し、文化と言語に対する権利の実現に向けた措置の実施を促進すること。
d 政府のプログラムや政策を調整するために、アイヌ民族の状況に関する実態調査を定期的に実施すること。
e 前回の委員会の総括所見のパラグラフ20においてすでに勧告されたように、独立国における原住民及び種族民に関するILO169号条約(1989年)を批准することを検討すること。

以上のことで分かることは、なんらアイヌ民族への施策は十分ではないということ。もっと迅速にやるべきだ、と。


今年こどもたちに配った手作りアドベントカレンダー
(市販のお菓子だけではなく、ハリーポッタの百味ビーンズの鼻くそ味やゲロ味なども入れた)


もう一つの話題は、森林認証制度(FSC)の認証基準の改定(2012年)の紹介。
この制度とは適正に管理された森林から算出した木材およびそれを利用した製品に、これを認証し、認証マークを付与する国際的な基準制度。その原則の項目に以下の、「先住民族の権利」が加わったとのこと。少し長いですが引用します。

原則3:先住民族の権利
組織は、先住民族の所有に関する法的・慣習的権利、土地の使用と管理、森林施業により影響を受ける彼らの土地および資源について特定し、尊重しなければならない。
3.2 先住民族が自身の権利、資源、土地、領土を保護するために必要な範囲内で、組織は先住民族が森林管理に優先して持つ法律上及び慣習的な権利を認識、支持しなければならない。先住民族による管理活動の第三者への委任の際には事前に十分な情報を与えられた上での自由意志に基づく合意が必要である。(3.3は略)
3.4 組織は先住民族の権利に関する国連宣言(2007)及び原住民及び種族民条約(ILO第169号条約)(1989)の規定に従い、先住民族の権利・慣習・文化を認め、尊重する。
3.5 組織は先住民族の協力の下、先住民族にとって文化的、生態的、経済的、宗教的、精神的に特別な意味を持ち、先住民族が法律上または慣習的な権利を持つが書を特定しなければならない。これらの場所は、組織とその経営層により認識され、先住民族と協議に基づき保護されることが合意されなければならない。
3.6 組織は先住民族が伝統的な知識を守り、使用する権利を支持し、伝統的な知識や知的財産を使用する際には先住民族に補償しなければならない。また、使用する際には事前の十分な情報を与えられた上での自由意思に基づく合意を通じて、組織と先住民族の間で基準3.3のような拘束力のある契約を締結しなければならない。また、これは知的財産権の保護制度と調和していなければならない。

以上の新認証基準により、FSCによる市民外交センターへの聞き取り調査が行われ、
「※アイヌ民族の承認がない森林および木材製品には、FSC認証を認められない」という結論が出されたとのこと。
今まで、アイヌ民族が木材をとると違法となっていたが、今はアイヌ民族の承認なしに北海道から伐採される木材、生産される木材製品は国際基準に照らして「違法」となる! 10月30日より、日本製紙と王子製紙が北海道アイヌ協会との話し合いを始めたとのこと。
それがたとえ、企業の土地内にある木材であっても「違法」となるのだから、国有地なども対象になるのではとのこと。
改めて、国際基準の浸透を考える必要があり、このような混乱がおこるのも日本政府がきちんと対応していないからであり、日本政府は国際的にきちんと姿勢を見せなくてはならない、と。

講演後のパネルディスカッションの内容は省略させて頂きます。


今朝の浜益の黄金山 朝焼けで輝いていました。

遺骨の研究なくしてアイヌが先住民族であることは明らかにならない?

2014-12-31 10:55:55 | 日記
北大開示文書研究会は2014年11月25日付で内閣官房アイヌ政策推進室長宛に要望書「アイヌ遺骨返還政策にアイヌの意見を反映させてください」を送りました。全文を「さまよえる遺骨たちBlog」にUPしています。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-6e54.html#comment-111323639

北大開示文書研究会HPの資料集(http://hmjk.world.coocan.jp/archives.html)に集めてあるように、くり返して要望や質問を続けていますが、何の応答もありません。一切ないのです。

過去Blogで先住民族のアイデンティティと構成員決定の権利について書きました。
http://blog.goo.ne.jp/ororon63/e/bbb8f67525b860129ed2555a3fbef4d0
重複しますが、『アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告』(以下、『報告書』)の中の、先住民族の定義とアイヌ民族が日本の先住民族であることを述べている下りを引用します。

先住民族の定義については国際的に様々な議論があり、定義そのものも先住民族自身が定めるべきであるという議論もあるが、国としての政策展開との関係において必要な限りで定義を試みると、先住民族とは、一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し、その後、その意に関わらずこの多数民族の支配を受けながらも、なお独自の文化とアイデンティティを喪失することなく同地域に居住している民族である、ということができよう。
「1 今に至る歴史的経緯」で見たように、アイヌの人々は、独自の文化を持ち、他からの支配・制約などを受けない自律的な集団として我が国の統治が及ぶ前から日本列島北部周辺、とりわけ北海道に居住していた。その後、我が国が近代国家を形成する過程で、アイヌの人々は、その意に関わらず支配を受け、国による土地政策や同化政策などの結果、自然とのつながりが分断されて生活の糧を得る場を狭められ貧窮していくとともに、独自の文化の伝承が困難となり、その伝統と文化に深刻な打撃を受けた。しかし、アイヌの人々は、今日においても、アイヌとしてのアイデンティティや独自の文化を失うことなく、これを復興させる意思を持ち続け、北海道を中心とする地域に居住している。これらのことから、アイヌの人々は日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であると考えることができる。 (3 今後のアイヌ政策のあり方 (1) 今後のアイヌ政策の基本的考え方 1 先住民族という認識に基づく政策展開 ア 先住民族であることの確認 b アイヌの人々が先住民族であるということ)


アイヌが先住民族であることは、
①アイヌが自立的な集団として居住していた 
②日本によって支配された 
③にもかかわらず独自のアイデンティティを持ちつつ居住している

からだと説明されています。

最近、「アイヌ民族の遺骨の研究なしにアイヌが先住民族であることは明らかにならない」という考えを耳にしたり読んだりしますが、問題のすり替えであることをわたしの仲間とのやり取りで気付かせて頂きました。「先住民族」とは、植民地化や侵略の時点で先住していた民族が支配を受けつつも独自性を持ち続けて来た人々であり、人骨研究や起源研究とは関係がないのです。先住性を民族の起源にさかのぼる問題のごとく説明し、人骨研究の必要性を解くと言うのはおかしいのです。

さて、北大開示文書研究会主催の出前講座「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 浦幌は、さる10月11日(土)に浦幌町商工会コスミックホールを会場に開催され、多くの方においで頂きました。
講演者の講演および、質疑をブログ「さまよえる遺骨たち」にて、音声で聞く事が出来ます(ちなみに、司会はわたくし)。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/


次回の「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 のご案内です。
詳しくはブログ「さまよえる遺骨たち」で、ご覧頂けますし、チラシもダウンロードできます。参加費500円。申込み不要。

日時:2015年1月30日(金曜)午後6時~8時50分
会場:平和と労働センター・全労連会館(東京都文京区)

プログラム
・アイヌ遺骨返還訴訟原告からのメッセージ  
差間正樹さん(浦幌アイヌ協会会長)
・講演1「アイヌ民族の遺骨を欲しがる研究者」  
植木哲也さん(苫小牧駒澤大学国際文化学部教授、『学問の暴力 アイヌ墓地はなぜあばかれたか』著者)
・講演2「アイヌ民族の先住権を認めたくない政府」  
榎森進さん(東北学院大学名誉教授、『アイヌ民族の歴史』著者)
・講演3「先住権・憲法から解きほぐす遺骨返還」  
市川守弘さん(アイヌ遺骨返還訴訟弁護団)
・他


 2014年も終わります。この一年も、多くの方にお世話になりました。ありがとうございました。活動日誌Blogの引っ越し後、今までと勝手が違い、記事や写真のアップが面倒になったことや、忙しさもあって更新が滞ってしまいました。連日、「先住民族関連報道Blog」は、頑張って更新を続け、小さいですが写真も掲載出来るようになりました。
新年もよろしくお願いいたします。


第10回口頭弁論における差間正樹さんの陳述書

2014-09-06 12:32:20 | 日記
アイヌ遺骨返還請求訴訟第10回口頭弁論(札幌地裁、2014年8月1日)における原告・浦幌アイヌ協会・差間正樹さんの陳述書は、北大開示文書研究会の以下のサイトで読むことが出来ます。
http://hmjk.world.coocan.jp/trial/trial20140801.html

陳述書には、ご自身がアイヌ民族として差別されてこられたことが述べられています。また、浦幌地区から先祖の骨が持ち去られたことを知り、毎年その骨に対する慰霊祭が北大で行われているのを聞いて、ご自身も参加するようになったこと、けれども、その当時、遺骨がプラスチックの箱に入れられていたこと、慰霊祭の時間中も隣の建物のクーラーの室外機の音がぶんぶん鳴って祈りの言葉も聞き取りにくい状況だったことが証言されています(神聖な祈りをしていることへの配慮がなかった)。
 ウタリ協会総会で批判したところ、翌年には遺骨すべてが白木の木箱に入れなおしてあったことに不思議な気持ちになったと。
 地元議会で北大の研究者の盗掘による質問をして自治体の姿勢を問うこともされながら、地元で慰霊を切望し浦幌から持ち出した64体の遺骨の返還を訴えています。
 わたしも、まだご遺骨(恐らく複数)が青いプラスチック製の箱に入れられているままの記憶があります(恐らく写真も)。そのご遺骨はその後、丁重に収められているのでしょうか。
 
 アイヌ遺骨返還請求訴訟ニューズレターの最新号 NO.10号(8/31発行)も、以下にUPされており、差間さんの陳述や、過日、紋別で行われた出前講座(7月19日)の報告等が掲載されていますのでご覧下さい。
http://hmjk.world.coocan.jp/newsletter/kokanu_ene010.pdf

なお、浦幌でも出前講座を来る10月11日(土曜日)に開催予定です。後日、詳細を北大開示文書研究会のウェブに載せます。


浜で釣った魚(ギンポ?) 煮付けはいまいち。調べると天ぷらがいいらしい。


昨日、突然、二風谷のTさんが留萌までおいでになり、ある相談を受けました。そのために、改めて萱野茂さんの『アイヌの碑』(朝日新聞社)を読み直していたら、二つのことに目が止まりました。

ひとつは、萱野茂さんと姉のとし子さんが1940年3月から二ヶ月間、留萌の鰊場(にしんば)に、出稼ぎに来たという下り(P96)です。
海に出る仕事ではなく、「カネブン橋本」というみがき鰊の製造工場で生鰊を加工する仕事をされたようです。茂さんが13才の時ですから、今の中学1年生の年齢です。このとき、ひと月ほどシャモの家に住み込み、その家のお爺さんに意地悪をされたことも。茂さんにとっては、留萌はわるい想い出の地だったようです。生前の萱野さんとは何度かお会いしていますが、留萌から来たということで気分を悪くされていたのかも….
「かねぶん橋本」関連で、今も関係者がいるかどうかを調べていますが、今のところ見つかりません。

もうひとつ、二風谷は度々、訪ねているところですが、沙流川の上流にある上貫別(かみぬきべつ)というところの話(P46ff)。上貫別は沙流川河口から約50kは慣れており、二風谷に比べると春は遅く、秋も二週間ほど早く霜が降りる土地で、湿気も多く痩せ地のため農耕に適さないなど悪条件の土地なのだそうです。それにも関わらずアイヌが住んでいるのは、新冠地方のアイヌが、御料牧場用地にと住むところを奪われて村ごと強制移住させられたからだ、と。
以前から、新冠から強制移住させられた歴史を聞いていましたが、移住地が二風谷の奥だとはじめてつながりました。
「シャモはいやがるアイヌを脅し、まるで足蹴するようにして新冠を追い出した」(萱野)こと、強制移住させられたアイヌが自然環境の悪い土地でたいへんご苦労されたことが証言に基づき記されています。

アイヌであるために差別を受け、いじめにあい、強制移住をさせられたこの歴史を忘れてはならないでしょう。
そのような苦しい歴史の中で、わたしの出会うアイヌ民族のお一人おひとりはご苦労されつつも懸命に生きておられます。


留萌っ子たちも自慢している留萌の夕日

先住民族のアイデンティティと構成員決定の権利

2014-09-04 06:26:02 | 日記
『アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告』(以下、『報告書』)をあらためて読み直しつつ、考えています。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai10/siryou1.pdf

『報告書』は、先住民族の定義とアイヌ民族が日本の先住民族であることを以下の下りで述べています。
先住民族の定義については国際的に様々な議論があり、定義そのものも先住民族自身が定めるべきであるという議論もあるが、国としての政策展開との関係において必要な限りで定義を試みると、先住民族とは、一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し、その後、その意に関わらずこの多数民族の支配を受けながらも、なお独自の文化とアイデンティティを喪失することなく同地域に居住している民族である、ということができよう。
「1 今に至る歴史的経緯」で見たように、アイヌの人々は、独自の文化を持ち、他からの支配・制約などを受けない自律的な集団として我が国の統治が及ぶ前から日本列島北部周辺、とりわけ北海道に居住していた。その後、我が国が近代国家を形成する過程で、アイヌの人々は、その意に関わらず支配を受け、国による土地政策や同化政策などの結果、自然とのつながりが分断されて生活の糧を得る場を狭められ貧窮していくとともに、独自の文化の伝承が困難となり、その伝統と文化に深刻な打撃を受けた。しかし、アイヌの人々は、今日においても、アイヌとしてのアイデンティティや独自の文化を失うことなく、これを復興させる意思を持ち続け、北海道を中心とする地域に居住している。これらのことから、アイヌの人々は日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であると考えることができる。 (3 今後のアイヌ政策のあり方 (1) 今後のアイヌ政策の基本的考え方 1 先住民族という認識に基づく政策展開 ア 先住民族であることの確認 b アイヌの人々が先住民族であるということ)


この『報告書』は、『先住民族の権利に関する国際連合宣言(以下『国連宣言』)』を以下のように評価します。
2007年9月13日に国際連合総会において、「先住民族の権利に関する国際連合宣言(以下「国連宣言」という)」が、我が国も賛成して採択された。同宣言は、政治・経済・文化 その他広範な分野にわたって、先住民族及びその個人の権利及び自由について規定しており、先住民族と国家あるいは国民の多数を占める民族とのパートナーシップの重要性を強調している。この宣言の採択までには、20有余年にわたる議論の積み重ねがあったが、最終的に圧倒的多数で採択された意義は大きい。また、採択後に、反対国の中でも同宣言を支持する動きが見られるようになっていることにも注目すべきであろう。なお、この宣言の採択に当たっては、アイヌの人々も様々な働きかけを行っている。 (2 アイヌの人々の現状とアイヌの人々をめぐる最近の動き (2) アイヌの人々をめぐる最近の動き1 先住民族の権利に関する国際連合宣言について )


では、『国連宣言』で、先住民族のアイデンティティと帰属意識はどう述べられているかというと、以下の通り。
第 33 条 【アイデンティティと構成員決定の権利】

1. 先住民族は、自らの慣習および伝統に従って、そのアイデンティティ(帰属 意識)もしくは構成員を決定する集団としての権利を有する。このことは、先 住民族である個人が、自らの住む国家の市民権を取得する権利を害しない。
2. 先住民族は、自身の手続きに従って、その組織の構造を決定しかつその構成 員を選出する権利を有する。【市民外交センター仮訳 改訂 2008年9月21日】


アイヌ民族は、民族組織の構造および民族集団の構成員を誰にするかを自らの方法で決める権利を持っているのです。
もちろん、民族の構成員には構成員としての義務と責任も伴うかたちで。(市民外交センターブックレット3参照)


夏休みにこどもたちと釣ったフグとウグイ キャッチ&リリース

前に書いたことと重複しますが、国連経済社会理事会は1971年、人権小委員会が先住民に対する差別の実態を調査しそれを是正する処置の提案を認めます(決議1589)。それを受けて人権小委員会はホセ・マルチネス・コーボゥを特別報告者として任命しました。コーボゥは1981年から研究をはじめ、1983年に調査結果をまとめます(以下、「コーボゥ報告書」 1986年に国連文書として発行されている)。
その第5巻379では、先住民族とは
「先住民族」が「自己の生活領域において発達した侵略前及び植民地化前の社会と歴史的連続性を有し,自己の領域又はその一部において現在優勢であるところの社会の中の他の部分と自己を異なるとみなす者」と定義されています(参照:「二風谷ダム裁判の記録」P.433 萱野茂他編集 三省堂)


また、先住民族の世界的な定義の一つとされているILO第169号条約の第1条第1項も紹介します。

第1条
1 この条約は、次のものに適用する。
 (a)独立国における種族民であって、その社会的、文化的及び経済的な条件が、

   その国民社会の他の部門と異なり、かつその地位が全部又は一部それ自身の

   慣習もしくは伝統、又は特別の法律もしくは規則によって規律されている者。
 (b)独立国における民族であって、服従もしくは植民地化又は現在の国境が画定

   されたときに、その国又は国の属する地域に居住していた住民の子孫であるために

   先住民族とみなされ、かつ、法律上の地位のいかんを問わず、自己の社会的、

   経済的、文化的及び政治的制度の一部又は全部を保持している者。

今回も引用ばかりですが、これも情報センターの役割のひとつと考えてUPさせて頂きました。
過去Blogも参照ください。
コーボゥ報告書 2007-03-01 16:15:16
http://blog.goo.ne.jp/ororon63/e/0a8c9859622b996a982a5baa4a3f7a7e

ILO第169号条約 先住民族の権利 2008-01-26 16:20:21
http://blog.goo.ne.jp/ororon63/e/4b349de2208c9b2f8afa84d02e9f0b6c


ひと夏でたくさんの体験をして成長したこどもたち

アイヌ民族差別の実態調査を実施予定

2014-08-29 06:56:04 | 日記
『バチラー八重子の生涯』(北海道出版企画センター)を手元に置きつつ、ある集会の話の準備中です。
この本の著者の掛川源一郎さんの写真展が道庁赤れんが庁舎にて特別展示されているのを昨日、見に行きました。
とてもよかったです。展示番号が間違ってないかな?と疑問に思ったところもありましたが、慌てて見たのできちんと確認できませんでしたが、画像がとてもきれいでした。「札幌国際芸術祭2014」は9月28日まで。
http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/programs/「伊福部昭・掛川源一郎」展

なかなか、ブログが更新できずに失礼しております。
全国的に、ある札幌市議の発言が問題視され、連日ニュースになっています。
そのまとめは「先住民族関連ニュースブログ」(http://blog.goo.ne.jp/ivelove)のほうにまとめています。
昨日の段階で、その市議に対し、所属する市議会の自民党・市民会議が会派離脱を勧告したとのこと。応じなければ、除名処分とする方針であることも。 北海道新聞(08/28 15:00)他で報じられていました。紙面によると(以下、引用)、
 自民党会派は同日、市内で議員会を開き、金子氏に対し、2008年にアイヌ民族を先住民族とすることを求めた国会決議を認めるか、書き込みを撤回できるか―などを確認。これに対し、金子氏は「国会決議の中身は認められない」「発言を撤回するつもりはない」などと主張した。
 このため会合後、会派幹部が金子氏に電話で「党としての見解に沿えないのであれば、会派を離脱してもらうしかない」と伝えた。これに対し、金子氏は即答しなかったが、同会派の村松正海会長は記者団に「丁寧に説得を続けてきたが、意見は変わらなかった。大変残念だ」と述べた。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/559452.html


それに先立って、管官房長官が以下の遺憾表明をしたことが報じられています。以下、引用。
■菅義偉官房長官の記者会見での発言(要旨)
 政府として6月に閣議決定した象徴空間( 民族共生の象徴となる空間 )の整備や生活向上、アイヌ政策の推進にいま積極的に取り組んでいる。このような政府の姿勢を理解されていないのは極めて残念だ。引き続き国民の理解促進に努めていきたい。さらに生活向上施策の各事業は、施策ごとに低所得者であることなど、一定の考え方や基準が設けられており、アイヌであれば誰でも便益を受けられるものではない。今回のツイッターは、そうした経緯を全く無視しており、極めて遺憾だ。
北海道新聞 08/26 08:00、08/26 08:45 更新 
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/558962.html


ちなみに、『アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告』に、以下の文があるので、引用しておきます。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai10/siryou1.pdf
アイヌの人々は、現在は、他の多くの日本人とほぼ変わらない日々の生活を過ごしている。しかし、アイヌの人々には、差別や近代以降 の同化政策を経ても、なお民族としての帰属意識が脈々と受け継がれており、民族的な誇りや尊厳のもとに、個人や団体として、アイヌ語 や伝統文化の保持、発展等に努力している人々も少なくない。 (2 アイヌの人々の現状とアイヌの人々をめぐる最近の動き (1)アイヌの人々の現状 5アイヌの人々の帰属意識)
固有の文化に深刻な打撃を受けながらも、それらを失うことなく、復興させ、保持し、さらに発展させる意思を持ちつづけているアイヌという民族が存在していることはきわめて意義深い。そして、アイヌ政策の理念を広義の文化の復興とすることは、多様でより豊かな文化を共有できるという意味で、国民一般の利益にもなるということができる。国連宣言も、文化の多様性が人類の共同財産として尊重されるべきものであるとしていることに留意すべきである。また、「民族の共生」という理念は、国際的にも追求されているものであり、国民誰もが相互に人格と個性を尊重し合う共生的かつ多元的な社会を目指す我が国においても、国民がこの理念を共有する必要がある。国民一人ひとりが、自分たちも一民族であると認識するとともに、アイヌという独自の先住民族が国内に生活していることを認識し、尊重するようになることが求められているといえよう。 (3今後のアイヌ政策のあり方(1)今後のアイヌ政策の基本的考え方 3政策展開に当たっての基本的な理念 イ 多様な文化と民族の共生)


さらに、国がアイヌ民族への差別の実態や理由を調べるために2015年に全国実態調査を行うことを決めたという報道もありました。今日は引用が多いですが、お許しを。以下、引用。
 政府は28日、アイヌ民族への差別の実態や理由を分析するため、2015年度に全国を対象とした国民意識調査を実施する方針を固めた。内閣官房の概算要求に経費700万円を盛り込む。内閣官房アイヌ総合政策室によると、アイヌ民族差別に関する本格的な調査は初めて。
 内閣府が昨年、アイヌ政策全般にわたって実施した世論調査の中で、アイヌの人々に対して現在は差別や偏見がなく平等だと思うかを聞いたところ、「平等ではない」と回答した人が33・5%に上った。
 このため15年度の調査で「どういった場面でアイヌ民族への差別を感じるか」など、アイヌ民族への意識を問い、実態把握に努める。
共同通信社 2014年8月28日(木)16時37分配信
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1210179


「アイヌ民族なんて、もういない」という発言も差別発言です。アイヌ民族の皆さんと出会って頂きたい。
8月27日に台湾基督長老教会とわたしたち日本キリスト教団の合同会議が北海道で開催され、そのプログラムの一つに旭川川村カ子トアイヌ記念館研修が盛り込まれ、お手伝いしました。
日本キリスト教団の教師が全国から30人ほど来ていたのでしょうか。そのほとんどがアイヌ民族と初めての出会いであったのではと想像します(個人的に話す時間もなく、すぐにバスに乗って帰られた)。これを機に、アイヌ民族の権利回復の働きに連なって下さるよう願っています。


留萌はすっかり秋の空です。

活動日誌Blogのお引っ越し

2014-07-08 04:32:08 | 日記
Broachブログサービスの終了に伴い、gooブログに引っ越しました。エクスポート・インポートのはじめての経験でしたが、そっくりそのままうまく移行できました。
まだ、記事の書き方や写真の掲載方法など分からないところだらけですが、引き続き活動報告をこちらで書いていきます。
Broachはプロバイダーplalaの有料でありつつサービス券で無料になっていましたが、gooブログは無料のを使うので、広告が出ますがご容赦ください。よろしくお願いいたします。

公式HP(下)からのジャンプは今しばらくお待ち下さい。
http://www.douhoku.org/ainu/

先住民族関連ニュースは、引き続きgooブログでお世話になります。
http://blog.goo.ne.jp/ivelove

近く、機関紙ノヤも発行予定です。


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/17/54cb198494741ce5ef8f638989ae8eff.jpg
留萌からのぼる朝日 増毛方面から撮影(現段階では、画像を出せないでいます…)