アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 報告

2015-02-02 15:50:06 | 日記
さる1月30日に行われた「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」 in 東京 の報告を聞きましたのでUPします。わたしは別用があり、事務局で留守番でした。詳しくはブログ「さまよえる遺骨たち」で、近く、資料などもご覧頂けるでしょう。

講演会に先立って、各新聞でも報道された通り、日本弁護士会に人権救済の申立が行われました。当日は申立人のうち7名と弁護団4名が参加。その後、90分ほどの記者会見。NHK、朝日、道新、共同通信、毎日、東京各新聞社の10社ほどが来て、熱心な質疑が行われ、申立人も丁寧に応答していたとのこと。
続く、出前講座は盛会で主催者側も含め100名を越える参加だったとのこと。この日は朝から東京が大雪に見舞われ、事務局にも開催変更の有無の問い合わせが相次いだほどでしたが、それでも多くの方が関心を持って来られたとのこと。

講演の内容ですが、植木哲也さん(苫小牧駒澤大学国際文化学部教授)の「アイヌ民族の遺骨を欲しがる研究者」の当日配布した資料を見ながら一部を紹介します。

「遺骨を欲しがる研究者」とは露骨なテーマですが、植木さんはご自分の著書『学問の暴力 アイヌ墓地はなぜあばかれたか』にも記しているように、さかのぼること19世紀ヨーロッパで頭骨への関心(骨相学、比較解剖学、形質人類学)があったことから紹介。アイヌ民族関連では1865年に起きたイギリス人の函館領事館員によるアイヌ墓地からの盗掘事件(犯罪として処理)、そして、北海道帝国大学医学部教授の児玉作左衛門の件まで取り上げ、2014年1月までに全国12大学に個体として確認できるもの1636、内個人特定の可能性のあるもの23、個体として確認できないもの515箱という数を紹介。

次に、近年の閣議決定を含む日本政府の方針の紹介から、問題の象徴空間に遺骨等を集約する件に関して研究利用の可能性=「返還できる遺族がいないという状況になってきたときには、研究対象になり得る」(『第18回「政策推進作業部会」議事概要、2014年9月18日』を紹介。

どの時代も研究者は「アイヌ民族のため」の研究だと言う者ですが、ここで植木さんは最近の研究者の発言を紹介。
・「私が言っているように、アイヌ民族は北海道に在来の人たち、先住している、縄文時代、あるいはそれ以前にさかのぼる、〔…〕縄文時代からずーっと続いている人たちである、という、〔…〕……これはプライドになりませんかね?」(百々幸夫氏、2014年国際先住民の日記念事業「アイヌ人骨の返還・慰霊のあり方 先住民族の人権─責任と公益─」(公益社団法人北海道アイヌ協会主催、2014年8月9日 より)。
さらに、
・「(研究が)なくなったらね、アイヌが北海道の在来の人じゃなくなるんだ、っていう人が出てくるんですよ。 〔…〕それを守るために、〔…〕我々は研究を続けなければいけない」(同)。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-c835.html)

もう一人の学者の発言も引用、
・研究をしないと、「アイヌだけは「北海道の先住民族です。13世紀ごろに成立したんです」ということだけしか出てこない状態が生まれ〔...〕、私たちはもしかすると、未来に対する責任というのを放棄したことになるんじゃないかというふうに思います」(篠田謙一氏、2014年8月9日)。


ここで、植木さんは「先住民族=最初の民族」ではないことを指摘。
まず、先住民族とは、
・「先住の諸共同体、人々、諸民族とは、侵略及び植民地化以前に自身のテリトリーにおいて発達してきた社会との、歴史的な連続性を有し、〔...〕人々である。」(『先住民への差別問題に関する調査報告書』、1982年)
・「一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ以前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し...」(『アイヌ民族のあり方に関する有識者懇談会報告書』、2009年)
から定義されているように、「先住民族とは統治の時点での先住を意味すること」であり、「アイヌ民族が先住民族であることは、アイヌ民族の起源とは関係ない。民族の起源については、不明なことが多い。先住性と起源を結びつけることで、アイヌ民族の先住性に対する誤解がうみ出される危険が増す。」と。そして、「だから、研究が必要だ」というのは、不安を呼び覚ますやり方であり、「アイヌのためなのに反対される」は、暗に相手をおとしめる態度である、と。

さらに、返還請求は起源研究そのものを否定するものではない。ただし、研究はそれぞれの関係者(コタンなど)の了解を得、適切な手続きを踏まえるべきである。ところが、大学に保管されている遺骨の大半は、こうした手続きを踏まえていない。したがって、大半の遺骨(とくに返還先不明の遺骨)は研究に利用できない、と指摘。
そして、「遺骨返還に取り組まないことは、過去をそのまま放置することである。それは、現在の研究(大学、社会)が過去と同質であることを意味する。未来に向けて、そのような研究を続けてよいのか?未来に向けて、そのような研究を認めてよいのか?」と問いかけています。

植木さんの指摘を受けて、わたしも過去ブログにそのことを紹介しました(2014/12/31)。
他の講演も徐々にUPできたらと考えています。

久しぶりに冷え込みがひどかった晴れた朝の「ケアラシ」。
今日の留萌は大荒れです。

最新の画像もっと見る