アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

『アイヌ民族否定論に抗する』その2

2015-02-14 12:46:03 | 日記
『アイヌ民族否定論に抗する』(岡和田 晃,マーク・ウィンチェスター)を少しづつ読んでいますが、前回の小林氏が引用している1970年出版の『アイヌ民族誌』(アイヌ文化保存対策協議会編 第一法規)の中で高倉新一郎氏が執筆した文書に依拠して、「民族問題としてのアイヌ問題は、1960年代で終わったのだ」と記しているところで、榎森さんの指摘の以下の部分、
「むしろこの時期は、アイヌ民族の復権運動が高まりつつある時期で、高倉氏は、アイヌ民族の復権の意義を理解することが出来なかった結果、こうした意味の文章を書いたのであって、日本の研究者が高倉氏と同じ見解を共有していたわけではない。しかも、この文献に収録されている文章の多くは、アイヌ民族を「研究の対象」として観て北研究者の文章であることを指摘しておく必要がある」
を、ざっくりと調べて紹介してみます。

例えば、榎森進さん著『アイヌ民族の歴史』(草風館)の「第10章 立ち上がるアイヌー戦後編」を参照すると、戦後民衆主義の社会的動向を背景として、アイヌ民族が「民族」と自らを称し、未来への期待を込めた新たな活動を開始する部分など、ワクワクしてくる記述が続きます。これは以前の活動日誌に書いた札幌自由学校「遊」での竹内 渉(わたる)さん(北海道アイヌ協会事務局長)のお話を聞いた時も感じました。
さて、1960(昭35)年4月、北海道アイヌ協会が再建されると共に、翌1961年4月、北海道ウタリ協会と改称するなど、アイヌ民族の組織が強化されたのに伴い、北海道が「北海道アイヌ協会」に対して同協会の運営資金を助成しはじめたことや、厚生省が同協会に対して「不良環境地区改善事業」の一環として補助金を支給しはじめます。この辺りをみて高倉氏のあの発言があったのかと推測しますが、榎森さんは小川正人さんの指摘を引用し、以下のように書いています。
「この頃各地のコタンから道に対して生活条件改善の訴えが出されていたという事実から推して、自分達の生活を護り築こうとする切実な意識がその基盤となっていたとみるべきであろう(小川正人『先駆者の集い』解説、『アイヌ史・活動史編』)」。

各地のアイヌ民族が自分たちの生活を護り築こうと切実な思いで訴えるという動きがあった結果、道が動いた、と。


阿寒湖のまりも祭の一風景(2014年)

さらに、「民族意識の高揚と多様な活動」(『アイヌ民族の歴史』第10章 p524ff)には、「北海道百年」認識に対する批判的な見解や運動があったことが多数、記されています。
1970年7月発行のアイヌ民族の同人誌『北方群』創刊号の巻頭文(向井喜美恵)の内容は胸を打ちます。『北方群』第2号(1972年)の巻頭言「ウタリに対する不当差別の告発を」には、HBCテレビドラマ『お荷物小荷物』によるアイヌ差別に対し、北海道ウタリ協会石狩(札幌)支部が抗議して放映中止と謝罪をさせた。このような不当な差別に対し直接行動を取りはじめたのは画期的なことだ、と記述していることを紹介しています。
また、『日高文芸』6号掲載「対談・アイヌ」発行(1970年)しかり、同年6月に若いアイヌの女性達中心で手作り新聞『アヌタリアイヌ(われら人間)』発行も、民族意識の高まりと様々な活動として紹介しています。『アヌタリアイヌ』には、北海道電力が伊達市長和に建設予定の火力発電所建設に反対するアイヌの漁民たちの座談会(創刊号)、「シャクシャイン供養祭」やクナシリ・メナシの戦いで処刑された37名のアイヌを供養するためのイチャルパ(先祖供養祭)の様子を伝える記事、連載では「エカシとフチを訪ねて」(13回)の聞き書き、和人の研究者の批判、アイヌ宣言としてのメーデー参加の記事など、重要な記事が満載だ、と。

また、70年代後半になると、30年ぶりに国政選挙にアイヌの青年成田得平さんが立候補。これは1947年第22回衆議院議員選挙の際、辺泥和郎、大河原徳右衛門、川村三郎の3名が立候補した以来(いづれも不当選)。しかし、その後、アイヌ人口の多い地域を中心に町村議会議員に当選するアイヌも次第に増え、30年ぶりの立候補となった。結果は不当選となったが、全国の得票を分析すると、「成田がこの選挙において社会的弱者や少数者を尊重する政治の実現を訴えたことが得票に結びついた」と榎森さんは評価しています。

これらに加え、「北大での差別抗議との闘い」(1977年)や、「北大医学部の人骨問題」、「肖像権裁判」の闘いのように、アイヌ民族は60年代以降も、様々な場や機会を活用して、アイヌ民族の民族としての尊厳とアイヌ文化を護る運動を積極的に行っていると榎森さんは指摘しています。

小笠原信之さん著『アイヌ近現代史読本』(緑風出版)第6章「民族復権の新しい波」や、宮島利光さん著『アイヌ民族と日本の歴史』第9章「アイヌ民族復権への道」も参考になります。宮島さんの「アイヌ民族の歴史略年表」の1972年には
「この頃、アイヌ民族の復権運動が盛り上がり、各地にアイヌ主体の運動組織が結成される。道庁、初めて「ウタリ生活実態調査」実施」とあります。

ところで、『アイヌ史』(北海道アイヌ協会・北海道ウタリ協会)全5巻をポンと寄贈して下さる方はおられないでしょうか。

JR留萌本線の途中にある恵比島駅。NHK朝ドラ『すずらん』で舞台になり、それ以来、観光用に「明日萌駅」となっています。
最近、留萌本線はよく吹雪で止まります。

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