深川から始まり妹背牛を通って雨竜至る道道47号線、国道275号線との交点が終点です。
突き当たった275号線を右に行くと沼田方面、左に行くと札幌方面です。
が、どちらにも曲がらずにまっすぐ狭い道に入りすぐ左へ曲がると農業倉庫があります。
その倉庫には大きく「石狩追分」の文字が見えます。
これはここに駅があったという傍証になります。
では付近を探索してみましょう。
雨竜町は主な駅跡に石碑を建てている場合が多いのでどこかにあるはず。
車を降りて倉庫周りのそれらしき場所を見てみますが、どうも発見できません。
少し範囲を広げてみましょう。
すると、低温農業倉庫5号脇の草むらの中にありました。
その碑は草に隠れるくらい、思っていたものより小さい。
草を踏み分け、近づいてパチリ。
石狩追分駅は1931年に開業、1944年に休止となるも1956年に復活、
1972年に札沼線・新十津川ー石狩沼田間の廃止にともない廃駅となりました。
“追分”の駅名はここがかつて、交通の要衝だっただったことを示しています。
開拓時代、この地はどのような街だったのでしょう。
その様子は…調べませんが。