世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

日蓮上人と法華経と辻説法!

2008年04月20日 | Weblog

日蓮上人は1282年、波乱に満ちた生涯を閉じた(1222年~1282

年)。<南無妙法蓮華経>(なむみょうほうれんげきょう)で知られた「日蓮宗」

の開祖である。信徒数は現在537万人、約6000カ寺を要する伝統仏教教団

である。 日蓮は鎌倉時代 1222年に安房国(あわのくに)<千葉県>小湊

(こみなと)で漁師の子として生まれた。12歳で清澄寺(せいちょうじ)へ入山し

16歳で出家した。鎌倉、比叡山、高野山、四天王寺で各宗の宗義を究めた。

当時は法然の念仏を唱えるだけで往生できるという浄土教が大隆盛であった。

各宗の修行を積んだ日蓮は反発した。32歳で千葉の清澄寺で浄土宗を批判

する。鎌倉では禅宗や浄土宗を激しく批判し辻説法を展開した。様々な宗派を

学んだ後、『法華経』こそが<真の仏法>だと会得して、ひたすら「南無妙法蓮

華経」を唱えるだけで救われると説いた。・・・4月28日、清澄山 旭の森 で海

上の朝日に向かって題目を10回唱えて立教の宣言をした。これが「開宗の

日」とされている。・・・浄土宗が来世の救いを説いたのに対し「現世」でこそ、

救われなければならない、と説いた。日蓮は「立正安国論」の著書で当時の天

災や疫病は浄土宗を信仰した結果であると批判し『法華経』を信仰すれば救わ

れると、その流布に努めた。<法華経>を信仰しなければ国難が起こると主張

し外国に攻められるとも説いた。後に蒙古の襲来が現実となり的中した。『我、

日本の柱とならん』と、<法華経>こそが、日本を救う、と説いた。当時の執

権、北条時頼に働きかけ日本を<法華経>中心の仏国とする理想を説いた。

しかし鎌倉幕府は日蓮こそ、邪教である、と弾圧した。伊豆へ、佐渡へ、と二度

も流刑の目にあっている。許されて帰郷するが日蓮は襲撃にあい負傷するな

ど、ひどい目にあっている。世間の反発も大きかった。日蓮の死後、弟子達に

よって指導体制が執られた。・・・以下、省略。