世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

親鸞と浄土真宗と絶対他力と歎異抄!

2008年04月19日 | Weblog

“善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや”・・・あまりにも有名な一文

である。高校時代に文学の授業で教わった。親鸞の「悪人正機説」の文であ

る。「歎異抄」は鎌倉時代の仏書で親鸞の言行録である。昨今も書店には、い

ろいろな、その解説書が溢れている。・・・親鸞が開祖の「浄土真宗」は日本最

大の伝統仏教教団である。信者は1300万人(2万か所)を要する。これまでタ

ブー視された妻帯もでき妻の恵信尼(えしんに)に子供もできた。妻帯は当時

の仏教界には晴天の霹靂であり一大スキャンダルだった。その法度を破った

のである。革命児 親鸞!と言われる所以である。さて、彼が開祖の“浄土真

宗”は結婚も許され肉食も認められた革新的な出来事で急速に流布していっ

た。「浄土真宗」は<絶対他力>を宗旨とする。法然の弟子となった親鸞は“た

だ念仏を唱えるだけで往生できる、阿弥陀仏が救ってくれる”と説いた法然の

意思を継承し更に推し進めて“あらゆる自己の計らい(自力)は必要がないと

し、自らは何もぜず、ただ 阿弥陀仏 さえ信じていればよい、とする<絶対他力

>を徹底した。師の法然自身は戒律を守り結婚もせず肉食もしなかったが弟

子には妻帯も肉食も許し、ただ、念仏を唱えて暮らすように、と説いた。戒律を

守らなくても極楽へ行けると説いた。親鸞は師 法然の教えに従っただけであ

る。親鸞は生涯、弟子もとらず宗派も持たなかった。ただ、自分の子孫を残し

た事から世襲による「本願寺」の継承が始まった。これも当時の仏教界では異

例であった。信者を増やした「本願寺」は大きな武力抵抗勢力(室町時代)とな

った。しかし織田信長に敗北してからは勢力も弱まり江戸時代になると徳川家

康によって東西に二分された。それが今日の京都の「西本願寺」と「東本願寺」

である。<絶対他力>といい<歎異抄>といい親鸞の説く仏説は平易で分か

りやすく心底まで届く。今日の喧しい世相に一石を投じる価値ある仏典、古典

である。再度、精読したい一書である。・・・親鸞が「浄土真宗」を開祖するまで

の波乱に満ちた半生は割愛する。類書を読まれたし。・・・次回は”日蓮上人

“について記す。