NHKや民放の討論番組、ワイドショウ等で同じ議題で論じられてきた。突
っ込んだ議論もなされた。その是非と問題点も議論された。<再び・又か>と
いう感じで視聴した。国会の場で 法に則り 正式に討論されると・・・?!・・・視
聴した国民は白けたのでは? 民放番組より内容が低い様に感じたからだ。
福田首相は終始、平身低頭、時には“ごもっとも”と <頷く事> しきりである。
小沢党首にエールを送る場面さえあった。そういうレベルの内容も、さることな
がら迫力も欠けた。期待はずれだった。党首討論の見直しを痛感じた。形式的
に続行することの無意味と税金の無駄遣いを避けるべき事を認識させられた。
それよりも与野党間の議員による白熱した議論をした方が、よっぽど生産的
だ。懸案の「新テロ特措法」だって法案成立が確実である。石破防衛相はイン
ド洋上での海上自衛隊に活動・出動再開の命令を出す準備を既にしている。法
に則り粛々と衆院議員3分の2以上で議決する事が決まっている。これも<白
ける事>しきりである。それ等は審議、議論、討論の時間の空費である。その
儀式?の必要性は後述する。与党議員が官邸や閣僚間で質疑応答したりする
のも同類で迫力がない。初めに<結論有りき>だからだ。見え透いている。他
方、かの<ねじれ国会>の是非が問題視されているが、むしろ議論伯仲、真
の国会論議に値する。そこから国民に寄り添った生命・安全・安心の生活、医
療介護、年金保証、福祉等に寄与できる討論、論議になるからだ。“法に則っ
た”という大義名分の国会議論<儀式>(衆議院の多数による法案成立が既
定事実)を政府・閣僚、与党議員は議論(儀式)を遂行しながらも ある面、精神
的に余裕綽綽(よゆうしゃくしゃく)と臨んでいる。そこが野党議員との明確な相
違だ。共和制、民主主義は数の論理が先行する。衆参議員の多数を獲得しな
ければ理想、理念、政策も実現できない。与党議員が参院で与党法案が否決
された時、<数の横暴だ>と捲くし立てていたが、かつての数による法案可決
を続行して多数の法案を成立させたのは、どの党だったのか、疑いたくなる。
国会討論を得てはじめて議決に付さないと法案が成立するかどうかも分からな
い、という国会(論議)になれば真の民主主義が定着したと言えるのではなかろ
うか。そういう国会の在り方、状態を切望する。・・・
付記:このブログを記述中「新テロ特措法」再可決されたとの報道がなされた。