世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

稲盛和夫氏の哲学「人は何のために生きるのか」(10)

2005年06月29日 | Weblog
読解した断章の梗概を以下に連続して提示します。
第十章 「若者の犯罪について」
まさか、あの子が?!異口同音に驚きの言葉を発する。おとなしく真面目で控えめな、あの子が・・・どうして!?近所の人や知人は表情を曇らす。家庭環境もよく経済的にも恵まれているケースの子の犯罪である。しかも他人や肉親をも一緒くたに殺す。常識では考えられない事件が多発している。貧しい時代の日本の子供達は親や兄弟との日常の接触の中で自分を抑える術を身に付けた。一個のスイカを5人兄弟で過不足なく分配して食べる。労働でも各自の分担が決められ、その通り仕上げた。怠ける事が許されなかった。幼少の頃から自制心が養われた。現代は、どうか。少子化で1人か2人でスイカ1個を自由に独り占めして食べる。自由で満足するまで(満腹するまで)食べる。自由の歯止めがきかない。貧しい頃の日本では家庭の中で兄弟関係の規律があり社会人としての基本的なルールが自ずと身に付いた。最近の若者の心の荒廃が指摘されているが識者は対策として「心の大切さを伝える」とか「カウンセリングする」とか、あるいは「病んだ心を治療する」云々・・・と通り一遍の答しかしない、と嘆かれる。”どうすれば心の教育ができるか”が分かってない、と指摘される。青少年の問題で最初に考えるべき事は「心というものをつくるために何をなすべきか」であり、基本となるのは「われわれ人間は自己の欲望を抑え、辛抱し、そして働くということが、心をつくるために必要なことだ」ということを教えることです、と解かれる。青少年の問題で、もう一つは「学校教育の問題」がある、とおっしゃる。・・・「自由な個性を育てる」とか「自主性を尊重しよう」とか「教え込むのではなく、自発的にやらせましょう」という教育・・・その様な教育では”人間の心をつくる事”ができない、と警鐘をならす。人間としての肝心の「やってよいこと」と「やってはいけないこと」の区別を教えていない事になる。豊になった現代社会だからこそ「人間としてやってよいことと悪いこと」をきちんと子供のときに教えなければならない、と力説された。慧眼である、と私も思う・・・