世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

稲盛和夫氏の哲学「人は何のために生きるのか」(9)

2005年06月27日 | Weblog
読解した断章の梗概を以下に連続して提示します。
第九章 「自由について」
欧米には神と悪魔が存在し悪魔が悪をなし神が救う。その事に疑問を持った稲盛氏は「悪は人間がつくりだした影である」と思念する様になった。人間が生きていくために悪をつくってしまった。悪をつくりだす基は「自由」である、と思う様になった。自由そのものは人間が発展していく基であり大事な事である。でも自由を勝手気ままに謳歌した結果として「影の悪」が生じた。だから自由の使い方を良き方向に活用すればよい、とおっしゃる。日本での少年による肉親の殺人事件や親兄弟の殺傷事件、欧米での少年による銃乱射事件等々は自由の謳歌、はき違えの結果である、と指摘される。欲望の抑制を経験せず甘やかし放題が、その原因である、とも指摘なされる。この問題の解決には「目覚め」の実践が必要だと。その為には釈尊の「六波羅蜜」の修行が欠かせない、とおっしゃる。人に尽くす「布施」、足るを知る戒律の「持戒」、耐え忍ぶ「忍辱」、働く「精進」、心を鎮める「禅定」、そして「智慧」の実施に尽きる、と解かれる。釈尊の誕生以前の狩猟時代から牧畜・農耕時代にも身を護る術を自然(環境)から学び獲得して生き延びて来た。発展途上国の子供には生きていくために生活していくために自己の欲望が抑制され「気儘な自由」が制限された。だから子供の犯罪は少ない。皆無に近い。日本では戦後教育でも「自由」が履き違えられ自主性の名の基に幼少時から躾けるべき人間としての基本を身に付けさせてこなかった。そのツケが犯罪を生んでいる。有識者やメディアの報道でも、その原因が分からずにコメントしている。真面目に働くこと、苦労すること、辛抱すること、人のために貢献することがなくなり無制限の自由が氾濫した、そのことが原因だと痛烈に批判される。六波羅蜜の生きる智慧を授けるのが必須の実践事項であるが最低、人を助ける「布施」と人間として、やってはならない「持戒」の二つだけでも身に付けさせる必要がある、と力説される。・・・