世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

海から豚がやって来た!!

2005年06月10日 | Weblog
終戦後の疲弊しきった世の中。人身も荒れ果て荒廃し夢も希望も無くした人々の群れが巷に溢れていた。天皇を元首とする大日本帝国から主権在民の一大価値の大転換。全ての価値観の変動に無目的に「生きる糧」だけを求めて巷界隈を彷徨っていた。「ララ物資」がせめてもの救いだった。そんな世相の混沌とした時機(期)に救援の手が差しのべられた。「ハワイの同胞から 繁殖牛550頭」・・・という新聞「うるま新報」(現<琉球新報>の前身)の見出しである。1948年8月の紙面で報じられた。1945年敗戦から3年目の出来事である。歓喜の声が怒涛の様に全島を席捲した。それだけ食い物に困っていた当時が偲ばれる。飽食の使い捨ての現在の日本とは考えられない雲泥の差である。ましてや団塊の世代以後の年代の人には想像すら出来ない「貧困の時期」だったのである。戦前1944年の頃は11万頭いた豚が戦後は1千頭に激減していた。『豚小屋<方言名・・・フール>から豚が消えた。』との知らせにハワイ県人会は「沖縄救援会」を立ち上げ故郷沖縄へ550頭の豚を送り届けた。衣料品やヤギ、日用品なども送り届けられた。希望喪失と疲弊し切った民心に天使の贈り物が送付され絶望から立ち直るキッカケを与えてくれた。かような沖縄の苦難の歴史を後代にも伝えたいとの「執念・思い」からミュージカルを公演する事になった。題して<<ミュージカル「海から豚がやってきた」。>>・・・地元は元より遠くロスアンゼルス公演も予定されている。過酷な歴史の内に秘めたホットな同胞の温かさ・温情を知らせる一端として一大ミュージカルに仕立てたのである。公演の成功とウチナーンチュの強かさ(したたかさ)を世界とウチナーンチュ自身にも伝えていきたいものだ。・・・