フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月28日(火) 曇り

2013-05-29 00:52:17 | Weblog

  8時、起床。梅雨入り間近を思わせる曇り空。5月中の梅雨入り宣言もあるかもしれない。

  朝食兼昼食は昨夜購入したセブンイレブンの商品たち(金のハンバーグステーキ、金の食パン、ポテトサラダ)と、レタス、牛乳。金のハンバーグステーキは初めて食べた。悪くはないが、「帰れま10」の出演者たちが大騒ぎしていたほどの味ではない。あの激賞ぶりは通販番組のそれと基本的に同じものであると思った。

  昼前に家を出て、大学へ。

  3限は演習「個人化の社会学」。本日は「仕事」をテーマに5名が報告。

  授業の後、事務所のNさんが異動の挨拶にわざわざ研究室にやって来られた。ありがとうございました。どうぞお元気で。

  今日はもう授業がないので(火曜日は総合講座や卒研指導のあるときとないときがある)、「トンボロ」で一服して、帰宅する。

   今日も玄関先で野良猫のなつがお出迎え。鳴き声のかわいい、愛想のいい猫なので、飼い猫にしようと画策する家も多いのだが(私の母もその一人)、そこは野良猫の矜持というか、特定の家の所有物には断固としてならないのである。


「あたしゃ、野良猫。ペットにはならないよ」

  アマゾンで注文していた本が二冊届いていた。

    木皿泉『木皿食堂』(双葉社)

    『文藝別冊 総特集 山田太一』(河出書房新社)

  冒頭の書き下ろしエッセーで山田太一は父親の酔ったときの口癖だった言葉を引いている。

  「いいか。世間てもんはな、お前になんの情も関心もない。いいような顔をする奴も、腹の中は冷たいもんだ。そう思って丁度いいんだ。そのくらいに思ってなくちゃいけない。そういうもんだ。ほっとなんかすりゃあ辛いことになる」

  人から評価されたい、人から好意をもたれたいというのは人間なら誰もがもっている欲求だが、評価されても、好意を示されても、それで「ほっと」してはいけないというのは、ずいぶんと実践的な人生の心得である。人からの評価や好意は儀礼的なものである場合もあるし、本心からのものであったとしても一時的なものであるこ場合が多いから、確かに、「ほっとなんかすりゃあ辛いものになる」。山田太一のドラマの登場人物にはそういう臆病で、懐疑的で、けれどやっぱり人からの評価や好意を求めてしまう、弱い人間が多いように思う