フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月4日(土) 晴れ

2013-05-04 23:12:55 | Weblog

  7時半、起床。

  パン(ハセパン)と紅茶の朝食。これでハセパンは食べ終わった。写真に撮ったはずだが、保存されていない。おかしいな。でも、一昨日の朝食の写真とまったく同じ構成だから、なくてもいいか。

  今日は昼食も自宅で焼きそばで済ませ、一歩も外に出ず、ひたすら原稿を書き続けていた。編集のT氏からは、「GW中でもかまいませんから書けたところから送ってください」と言われているので、夜、書き上げた分をメールで送る。

  執筆中の原稿の内容はブログに書かないことにしているので、そうすると、こういう一日はブログに書くことがない。少なくとも行動レベルでは。

  PCに向かいながら、頭の中で原稿の内容以外のことを考えている時間はもちろんあるから、それについては書こうと思えば書けるが、思考を文章化する作業を一日やった後では、種類が違うとはいえ、文章化の作業はもういいかなと気がする。

  ずっとアウトプットを続けていたので、気分転換にはインプット(本を読む、音楽を聴く、TVドラマを観る、など)の方がいい。エネルギーもそれほど使わないし。

  とかいいながら、ブログの文章を書いている。

  毎日ブログを更新しているので、更新しないで寝ることは、歯を磨かないで寝るみたいなもので、気持ちが悪いのである。

  友人のKの別荘に一泊二日で行ったときは、彼の別荘にはインターネット環境が整っていなかったし、私もノートPCを持参したりはしなかったから、ブログの更新を一日休んだ。このときは最初からそのつもりでいたので、気持ちが悪くなったりはしなかった。むしろブログを書く時間を別のこと(早寝や朝の散歩)に充てることができたので、よかったかもしれない。ただし、ブログに載せるための写真を撮ったりはしていたので、ブログのある生活から離脱していたわけではなかった。「ブログのある生活」は私の生活の基本的特徴なので、もしブログをやめたら私の生活はまったく別のものになるだろう。具体的にどのような生活なるのかはわからないけれど。撮る写真の枚数は減るだろう。睡眠時間は増えるだろう。読書の時間も増えるだろう。街歩きをして新しい店を開拓するエネルギーは低下するかもしれない。ブログの読者との交流はなくなる。総じていえば、静かな生活になるだろう。スティルライフ。もっと年を取れば、静かな生活に惹かれるようになるかもしれないが、いまはまだ、そういう気分ではない。静けさは、にぎやかな生活の中にフッと生まれるものを好む。時間についても同様で、忙中に閑ありというのがいいのであって、一日中することがない(何もやってもかまわない)という生活は、短期間であればよかもしれないが、長期にわたればあまり楽しいものではなくなるだろうと、これは確実に予測できる。

   0時をすでに40分ほど回っている。さて、寝よう。明日も一日原稿書きになるだろうか。たぶん、なるだろう。    


日が暮れる


5月3日(金) 晴れ

2013-05-04 09:11:26 | Weblog

  7時半、起床。

  ベーコンエッグ&エッグ、レタス、ホットミルク、パン(ハセパン)の朝食。

  朝食をとりながら『あまちゃん』を観る。『あまちゃん』には『桐島、部活やめるってよ』の役者が2人出ている。一人は、『桐島、部活やめるってよ』で東原かすみ役の橋本愛で、『あまちゃん』では足立ユイを演じている。もう1人は、菊池宏樹役の東出昌大で、若き日の大向大吉を演じている。東出昌大は『あまちゃん』の次の朝ドラである『ごちそうさん』でヒロイン(杏)の相手役で出演することも決まっている。引っ張り凧である。ちなみに杏は身長174センチ、東出は189センチ、朝ドラ史上一番背の高いコンビらしい。

  私には、『桐島、部活やめるってよ』のメンバーで、できたらもう1人出てほしかった役者がいる。武文(映画部の部員で前田涼也=神木隆之介の親友)役の前野朋哉にアイドルおたくのヒビキ一郎を演じてほしかった。  

  昼食は息子と食べに出る。昨日行ったばかりだが、「井戸屋」に行く。息子は定食屋が好きで、学生時代は、昼食をコンビニ弁当ですませる友人たちをしりめに大学の近所の定食屋でよく食事をしていたという。時間をとってバランスのよい食事をしたいからというのが彼が定食屋を好む理由で、つまりは定食主義者なのである。

  「井戸屋」では、私はレバニラ炒め定食+卵焼き(甘目)+しらすおろし。息子は鮪のバター炒め定食+冷奴。定食に何か一品追加するとより豊かな気分になるというのは父から息子へのアドバイス。

  食事の後、息子は駅の方へ散歩に。私は呑川沿いの道を歩いて「あるす」にコーヒーを飲みに行く。

  先日撮ったご夫婦の写真をプリントして渡す。居合わせた常連客のIさん夫婦がいい写真だとほめてくれた。


「あるす」の隣はご夫婦のご自宅


今日はブルーマウンテン

  今日はマスターからコーヒーの話をたくさん聞いた。マスターが「あるす」を開店したのは50歳近くになった頃だったが、開店の準備のためにカフェで修業をしようとして「店員募集」の張り紙がしてあるカフェを何軒か尋ねたのだが、どこでも断られた。それで料理学校の珈琲の講座に3か月通ったのだが、その頃の話を聞いた。1980年頃の話だ。すでにカフェは斜陽産業の仲間入りをしていた頃で、講師をしていた女性はコーヒーについての著書もある有名な人だったが、「カフェの将来は明るくありませんよ」と言われたそうだ。

  たしかに現在、個人経営のカフェはきびしい状況におかれている。食事とは別に、一杯500円前後のコーヒーをカフェで飲むという習慣をもっている人は少ないだろう。「あるす」にしても、私はここで、常連客のIさん夫婦以外の客を見たことがない。

  でも、と私は思うのだが、一人になるための場所としてではなく、社交のための場所として、地元の商店街にある個人経営のカフェはこれから見直されてくるはずだ。問題は、そうしたカフェのマスターやマダムはみな高齢で、見直されるのをのんびりと待ってはいられないことだ。

  「あるす」を出て、自宅に戻る途中で、今夜の夕食のおかずに「魚亀」で刺身(本まぐろ、鰹、蛸、鯵のたたき)を買う。「魚亀」の向かいの焼き鳥屋は知らない間に店仕舞いをしていた。