7時半、起床。
パン(ハセパン)と紅茶の朝食。これでハセパンは食べ終わった。写真に撮ったはずだが、保存されていない。おかしいな。でも、一昨日の朝食の写真とまったく同じ構成だから、なくてもいいか。
今日は昼食も自宅で焼きそばで済ませ、一歩も外に出ず、ひたすら原稿を書き続けていた。編集のT氏からは、「GW中でもかまいませんから書けたところから送ってください」と言われているので、夜、書き上げた分をメールで送る。
執筆中の原稿の内容はブログに書かないことにしているので、そうすると、こういう一日はブログに書くことがない。少なくとも行動レベルでは。
PCに向かいながら、頭の中で原稿の内容以外のことを考えている時間はもちろんあるから、それについては書こうと思えば書けるが、思考を文章化する作業を一日やった後では、種類が違うとはいえ、文章化の作業はもういいかなと気がする。
ずっとアウトプットを続けていたので、気分転換にはインプット(本を読む、音楽を聴く、TVドラマを観る、など)の方がいい。エネルギーもそれほど使わないし。
とかいいながら、ブログの文章を書いている。
毎日ブログを更新しているので、更新しないで寝ることは、歯を磨かないで寝るみたいなもので、気持ちが悪いのである。
友人のKの別荘に一泊二日で行ったときは、彼の別荘にはインターネット環境が整っていなかったし、私もノートPCを持参したりはしなかったから、ブログの更新を一日休んだ。このときは最初からそのつもりでいたので、気持ちが悪くなったりはしなかった。むしろブログを書く時間を別のこと(早寝や朝の散歩)に充てることができたので、よかったかもしれない。ただし、ブログに載せるための写真を撮ったりはしていたので、ブログのある生活から離脱していたわけではなかった。「ブログのある生活」は私の生活の基本的特徴なので、もしブログをやめたら私の生活はまったく別のものになるだろう。具体的にどのような生活なるのかはわからないけれど。撮る写真の枚数は減るだろう。睡眠時間は増えるだろう。読書の時間も増えるだろう。街歩きをして新しい店を開拓するエネルギーは低下するかもしれない。ブログの読者との交流はなくなる。総じていえば、静かな生活になるだろう。スティルライフ。もっと年を取れば、静かな生活に惹かれるようになるかもしれないが、いまはまだ、そういう気分ではない。静けさは、にぎやかな生活の中にフッと生まれるものを好む。時間についても同様で、忙中に閑ありというのがいいのであって、一日中することがない(何もやってもかまわない)という生活は、短期間であればよかもしれないが、長期にわたればあまり楽しいものではなくなるだろうと、これは確実に予測できる。
0時をすでに40分ほど回っている。さて、寝よう。明日も一日原稿書きになるだろうか。たぶん、なるだろう。
日が暮れる